屠殺場の冷たい台の上に今朝、打ち落とされる血塗れし牛の首、神エホバ。
又昔、一人の老いた虚無僧が旅の途中、真夜中に峠を過ぎようとしたときであった。
それまで何の煩わしき音一つしなかったのに、此処へ来て妙な、不安な音を聴いた。
それは水音と、何者かが嘆き悲しんでいるかのような幽かな音だった。
僧はじっとして少しの間、その音に耳を澄ませていたが、音が止んだと想う瞬間、音のする山の奥へと入って行った。
するとそこに、小さな池が、黒い水面を一面に湛えていた。
僧はその池に静かに近寄り、その水面を覗き込もうとしたその時であった。
後ろから、不穏な幽気が、僧を引き寄せんとした。
僧が振り返ると、何人もの亡者が、頭を垂れながら列を成して進み、一人ずつ黙々と池の中へと入ってゆき、淵の水面に消えて見えなくなった。
僧は憐れみ、成仏できぬ亡者たちの為に池に向かって経を唱えた。
そうしていると、この場所で代々行われ続けてきたある儀式が見えて来た。
僧は錫杖を打ち鳴らし、一層激しく真言(呪句)を唱えた。
そして両の瞼をそっと開いた。
夜な夜な、此処で繰り広げられてきたあまりにもおぞましき光景を、僧は見つめた。
目の前に映るこれらが幻覚であったならば、どれだけ救われたであろうか。
しかしこの老僧は、そこで残酷な儀式を行っている自分の過去世を観たのである。
村の者から恐れられてきた一人の孤独な呪術師の姿、それが自分であったことを僧は思いだす。
僧は、水辺に跪き、己自身の罪の深さを愈々知って悲しみに打ち拉がれた。
老いた虚無僧は哀れにもこの真っ暗な水辺でひとりさめざめと泣いておった。
それに気づいた一人の娘が、密やかに近付いて僧の背を優しく摩って憐れみ、自分の住処へと誘った。
だが僧は、夢現のなかにまたも見たくはないものに囲まれねばならなかった。
何故ならばこの娘こそ、村のものたちの畏れる人喰いの鬼神であったからである。
人の首や骨が、あちらこちらに転がり打ち棄てられているこの娘の住処で、僧は朦朧とした感覚のなかに、娘を棄てて此処を去ることもできず、半月程ばかり共に暮らしたのちのことである。
ある日、僧は娘から愛らしい声で呼ばれた。
「お母さん…。」
そして娘は僧に抱き着くと、自分を乳呑み子のように抱いてくれとせがんだ。
僧は娘を抱きながら、恍惚な歓喜と同時に、堪えられぬ悲痛に嗚咽した。
この娘は、何も知らぬのか…?
我がした事を…。
僧は血の気の引く身体に顔も青ざめていたが、娘への愛おしさに欲情し、娘を強く抱き締めながら想った。
この娘を改心させ、人のように生きさせることが己の責任であり、それが叶うならば娘と残りの人生を添い遂げたいと心の底から願った。
だが、その為には、この娘に自分の本性(過去)を打ち明かさねばならぬことをわかっていたので、僧は悲しみに暮れてはひとりで隠れて泣いた。
しかしとうとう、隠しておくのに堪えられなくなった僧は、酒をたらふく飲んだ夜、娘を膝に乗せ、愛する我が子に話し掛けるように、ゆっくりと話し始めたのである。
「未だ、あの儀式が続いているのは、わたしのしたことが原因であるだろう。わたしが、あの夜に何をしたか、お前は知っているか。わたしは…なんということをしたのだろう…。だがわたしはあの夜、正気であったことを憶えている。お前にこんなことを言うのは、あまりに言い訳がましいことだ。どうかわたしを許せ。わたしがあれを行ったのは、すべてを救う為だったのだ。呪術には、陽と陰があるが、わたしは陽の術しか、行った試しはない。つまり…単純に何かを呪って行ったことは一度もなかった。今でも変わらぬが、あの時代にも、だれもが己れの罪を知らぬと嘯きながら罪を犯しつづけ、他者の痛みに、そこにある助けを乞うて伸ばす手に気づくことができなかった。だから天王さまが、御怒りになって、人々に気づかせる為に雨を降らさなかったのだ。しかし、人々は何処までも神に背き、愚かだった。人々は我が身に愈々危険が迫れば、何処までも無慈悲になれるのだ。その哀れさ、その虚しさに、わたしは最早堪えられなかった。人々は、旱魃や疫病に遭うことで己れの業を省み、悔悟するどころか、益々深い業を積むようなことをし始めたのだ。それは自分の罪を、"他者"に着せ、それを犠牲として神に差し出すことで許してもらおうとしたのである。天の神が、それを喜ばれると本気で想っていたのだ。しかし結果、天による災いは終わらなかった。迚も斯くても、自分たちを助けつづけてきた大切な牛を生贄にし、神に雨乞いをする儀式は無駄に終わった。すると人々は何を想ったのか、天にどれほど生贄を捧げて乞うても雨が降らないので、今度は天を怒らせようとし、池の主である龍神さまをも憎み、池を血で穢し始めたのだ。最初のうちは厳かな祈祷を行うなか松の大木に松明を灯して鼓や鉦太鼓を打ち鳴らし踊りて、水辺の祭壇で牛の首を刎(は)ね、その首を石棚に祀ったり、首を池の淵に放り込むだけだった。だが一向に、雨は降らぬ。なれば、さらなる神の怒りを買う為、とことん牛を苦しめてから殺すことを村の者たちは考えた。牛を気絶させることなく頸動脈を切り、牛の息の根が絶えぬうちに皮を剥いで、腹を切り裂いてはらわたを引き摺りだし、四肢を根元から切断した。そしてまだ心の臓が動いている間に、最後に牛の首を切断して池に放ったのだ。わたしはその様子を、岩の陰から息を呑んで見つめていた。血濡れつづける祭壇の石も、巨大な血溜まりと化した血の池も、もはや人を呪うことしかしていなかったが、人々はそれに気づかなかった。その穢れを洗い流そうと、神がいまに雨を降らせるのだと人々は信仰し、餓鬼の如くに興奮して殺したばかりの牛の生肉を皆に振る舞い、それを喰らい、牛の血を飲みながら狂喜乱舞するのを祭祀儀礼と称してやめようともしなかった。わたしはどうしても、それを終わらせたかったのだ。予想通りに、何度と殺牛儀礼を繰り返そうが雨が一向に降ってこないことに苦しみ、村の者はこの近くでたった一人呪術を行えるわたしの元に泣いて懇願しに来た。わたしはこのときを待ち望んでいたゆえ、嬉々として、彼らにわたしの劃策を伝えた。わたしは彼らに、こう伝えた。『此の世で最も恐ろしく、最も天王さまと龍神さまを悲憤慷慨させることのできる秘術がある。これを行うならば、必ず雨が降り、旱魃が半世紀に亙(わた)って来ないことを約束しよう。』承知した村の長が、早速わたしの言う通りに、一頭の子を孕んだ若く美しい斑の牝牛を用意した。わたしはその牝牛を可愛がり、人の肉だけを喰わして養った。母牛はやがて、元気な子牛を産み落とした。それは牝の子牛であった。人の肉だけを食べて生きて来た母牛のなかには、人の念(残留思念)が生きており、母牛は人の情で、我が子を愛して育てた。わたしは母牛の我が子への情が極まった頃、一人の若い破戒僧を捕らえてくるようにと村の者たちに言った。するとわたしの想像通りの、美しく、悟りを既に開いているかのような静かな面持ちの僧侶がわたしの目の前に連れて来られた。この僧侶と、母牛と子牛を同じ倉に閉じ込め、良く互いに触れ合わせ、情が互いに映るようにした。僧侶が口にするのをわたしは観なかったが、この倉のなかには人の肉だけを彼らの食べるものとして持って行かせた。僧侶はいつも、なんとも言えぬ深い情の目をして親子の牛を見つめておったものだ。聴くところによると、この僧侶は母を知らぬ棄て子であった故、母に愛された記憶を持たぬそうだ。それは、わたしも同じであったが故、僧侶に同情しないではおれなかったが、わたしはあのとき、これを行うことが天命であることを確信していたのだ。わたしはわたしの命から、逃れる術はなかった。お前に、こんな話をする日が来ようとは、あのときのわたしは想像することさえできなかったよ…。……お前も嘸かし辛かろう。しかし、つづきを話せねばなるまいな。その僧侶は確かに、悟りを開くか、開かないかとしておったはずだ。そうでなければ、あんなに静かに、飢えと監禁の苦しみのなかに母牛と子牛を情愛の眼差しで見つめつづけることができたであろうか。わたしはあの若い僧に、母親の眼差しを見たのだ。まるで母のように、自分と共に捕らえられた母牛と子牛を見つめておったのだよ。この先に起こることをすべて見通しているかのような目で。わたしは己れに言い聴かせること必死であった。最も残酷なことを終らせる為に、それを上回る残酷な儀式を行う必要があることをわたしは知っていたからだ。」
老僧は、ふと目蓋を開いた。
呪術師と、みずからを呼び、誇りにでもしていたのであろうか。
己れの目の前、丑三つ刻の水辺にひっそりと立ち竦む過去の自分の姿は、まるで血に穢れた屠殺者と何も違わぬことを知った。
それも過去の己は、最も残虐な行いをした一人に違いないのである。
彼の右手には、牛を屠る為の刃物が握られ、松明の火が、屠られる者たちを美しく照らしている。
まず、彼はその幼気(いたいけ)な子牛の頭を押え、その頸動脈を切り、素早く皮を剥ぎ、腹を切り裂いた。
そのとき、火傷をするかと想うほどに熱い血が溢れ出て、噎せ返るほどの血腥い臭いが彼を包んだ。
子牛は苦痛から、悲鳴をあげながら石の上でのたうち、その様子を母牛と、僧侶がじっと息を飲んで見つめている。
彼は子牛のはらわたを引き摺りだし、一体、だれに対する怒りなのか、それを母牛と僧侶の顔面に投げ付けた。
そして子牛がそれでも暴れて逃げようとするなか、四肢を根元から切断し、最後に首を切断した。
この時点で漸く、子牛は動かなくなった。
彼は、返り血と汗で汚れた顔を僧侶に向け、悲憤の交じる疲れた声で言った。
「御主は神に選ばれし者也。御主こそ、真の世の救い主で在られる。」
彼は血溜まりの石台に腰を下ろし、子牛の首を己の前に置き、四肢を合わせて自分の周りに五つの角が五芒星のように生えるように置くと吉祥坐を組んで呪文を唱え始めた。
その夜はそれで事を終え、あくる夜、彼の手によって母牛が同じように水辺で犠牲となった。
母牛の場合、まず横たわらせる必要があったので四肢の先を最初に刀で切断した。
立っていることの叶わなくなった母牛の大きな身体は血の溜まった平らな岩の上に倒れ込み、僧侶に向かって必死に助けを請い、目尻から涙を垂らし、目を剥いて訴えた。
母牛のはらわたをも顔面にぶつけられた僧侶は、このときばかりは見開いた血眼で彼に向かって泣き叫び、苦しみのあまり嘔吐した。
僧侶は、呪術師が真言を唱え、呪術を行っているなかまだ生きている母牛の、その皮を剥がれて血を滴らせた切り落とされたる赤い首を抱き締めると我が母のことのように悲しみ、慟哭した。
(今だ!)
「今だ!」老僧は目の前の呪術師と同じ瞬間にそう叫ぶと、刀を僧侶の首元目掛けて振り下ろした。
瞬間、僧侶の首が床に落ちるまでの間に、僧侶の手から母牛の首が、まるでそれそのものが生き物であるかのように僧侶の切り落とされた身体を這うようにして上ったかと想うと、その首の根元の方にしっかりと繋がったのである。
その姿は、牛神(うしがみ)として畏れられるに相応しく威厳に満ちており、我が術が、真に成功したことをわたしは歓んだ。
斯くして、母牛の首と繋がれし僧侶は、逞しく立ち上がると、ぎろりとわたしを見下ろし、黄金の眼で睨みつけ、言った。
『良いか。我は世の滅ぶまで、まさしく世を支配する者也。それがお前と、お前の主の望みであるが故。』
わたしは、己れによって創造した神、その者を、こう呼んだ。
「おお、我が母なる神、我が天の王、世の夜明けを担う救世主、ゴズ(牛頭)よ…!」
そう…牛の首(頭)を持つ荒ぶる祟り牛神を創造したのは、わたしなのだ。
この神は、水の災いと、疫病を掌る神である。
この神は、まさしくお前の、父であり、母である。
そう言うと老僧は涙を流し、娘を震える身体で抱き締めた。
娘も悲しんで、共に泣きつづけた。
夜明け前、老僧は片眼をそっと開けた。
すると娘の首は、鬼に喰いちぎられたようにして床に転がって、息絶えており、血に穢れた斑牛の毛が幾本も、床に落ちておった。
この牛神(牛鬼)は、自分がとうの昔に殺した人間の娘の姿に化けいて、その実、牛鬼が化けていた娘は過去生で老僧の愛娘として生きており、その娘は呪術師の殺した子牛の前世であった。
この牛神が、自分のことを何故、"お母さん"と呼んだのか、このとき、老僧は知った。
それは彼の、魂を懸けての、望みであったのである。
真の時間の存在せぬこの世界では、あらゆるとき、あらゆる形体(生命の形)で、人も他の生命も生まれ変わる(立ち現る)ことができる。
正しく、この老僧こそ、牛頭の神であったのである。
人がみずから、己れの殺生の罪を報わんとして、また相手の苦しみと悲しみを知るが為、己れによって殺されたる者として生まれ変わって来るという此の世の在り方、これぞ、真の仏の慈悲也。
老僧は、最早なにものも喪うまいとして我が娘の首をしかと強く抱き締め、牛頭の姿(本体)で血の涙を流して言った。
「わたしは人から愛されなかったが故、人から殺されねばならなかった。わたしが呪いつづける者。それはわたしである。わたしが愛される者として、存在してはいなかったことを、わたしは永遠に呪いつづける。」
我々は何時かの世に、他者の無念と悲しみを、必ずや知る。
それは何時かの世に、殺される者(殺した者)として、輪廻転生する世に。
畜生に見ゆと雖(いえど)も、而(しか)も我が過去の父母なり。
六道の四生は我が生まれむ家なり。
故に慈悲无(な)くはあるべからず。
『日本霊異記』上巻第弐拾壱話
六道衆生は皆是れ我が父母なり。
而して殺して食する者は、即ち我が父母を殺し、亦た我が故身を殺すなり。
(一切の男子は、これわが父。
一切の女人は、これわが母。
われ生々にこれにしたがひて、生を受けずといふことなし。
ゆゑに六道の衆生は、みなこれわが父母なり。
しかるを、殺し食するは、わが父母を殺し食するなり。 )
『梵網経』四十八軽戒第二十戒