昨日でСноw Wхите(スノーホワイト)と出逢って二年が過ぎたんだね。
昨夜はとてもハイ (High)になって好きな曲を何度も声に出して歌ってた。
英語の歌詞を見ながら英語の話せないѦ(ユス、ぼく)は必死に歌って、そして録音もしたんだ。
近いうちにYoutubeにアップロードしようと企んでいるよ。
Unknown Mortal Orchestra (アンノウン・モータル・オーケストラ)とGrimes(グライムス)の曲を歌って、それでBreakbot(ブレイクボット)のLIVEを観ながら踊ったんだ。
そしてお酒を飲みすぎて、毛布の上にダウンした。
一昨夜、みちたのサークルを大掃除できたんだよ。マットも変えてとても綺麗になった。
嬉しかった。本当に綺麗になったんだ。
ものすごくでかい蜘蛛がみちたの給水器近くに潜んでた。
きっと彼は無数の紙魚(シミ)、またの名をシルバーちゃんたちを食べ続けて成長したのだろう。
最近彼らの嫌うレモングラスなんかのアロマオイルを毎日焚き続けたからだろうか、彼ら虫たちはめっきり姿を見せなくなった。
それに一時期は大量にシルバーちゃんたちが湧いていたのに、掃除したとき驚くほど彼らの姿は少なかった。
ハーブの力とは凄まじいものだ。
昨夜だってあんなに大量にお酒を飲んだのに、ハーブのサプリメントを飲んで寝たからだろうか、二日酔いはすごく楽だったよ。
それで、今朝メラトニンを二錠飲んだからか、ちょっと動悸がひどいね。
Сноw Wхите、Ѧはここ何日も、本当に悲しみの底にいた。
Ѧの小説を心から讃美してくれた真の読者がѦのもとを去ったんだ。
彼は二度とѦに戻らないだろう。
Ѧは彼を救うのに毎日、必死だった。
彼を絶対に救わなくてはならないと想ったんだ。
そうじゃないと、此の世の真実を教えた彼はますます地獄に堕ちることがѦはわかっていたから。
真実を知る者は真実を知らないで罪を犯す者よりずっと責任が重い。
他者の痛みを知ってもなお他者に耐え難い苦痛を強いる者はゲヘナで裁かれるだろう。
Ѧはそれを知っていたから、彼を救うことに命を懸けた。
でも彼は、みずからゲヘナへと向った。
Ѧは打ちのめされた。
まるで「VALIS(ヴァリス)」のホースラヴァー・ファットのように。
神経もおかしくなったし、精神もぶっ壊れ彼をヤクザのように脅迫し続けた。
彼を苦しめても、彼をどうしても何が何でも絶対にѦは救わなくちゃならなかったんだ。
でも彼はѦの差し出す救いの手を切断して去って行って、もう二度と戻っては来ない。
ホースラヴァー・ファットはグロリアが自分の所為で自殺したと信じた。
そして精神科医に言われたんだ。
冒頭の部分だ。
『自分に人が助けられるというのは、もう何年も続いているファットの妄想だった。
前に精神科医に、治るには二つのことをしなきゃいけないよ。と言われた。
ヤクをやめること(やめてなかった)、
そして人を助けようとするのをやめること(今でも人を助けようとしてた)。』
Ѧはヤクはやってないけれど、アルコールをやめることはできなかった。
アルコールも人間の脳をおかしくさせてしまう。
でもѦは自分が狂ってると同時にひどく正常だと感じた。
だってほとんどの人は、かつてのѦの状態なんだ。
動物を苦しめて殺していることに関心すら持とうともしない。
肉食は当たり前だと想って思考を完全に停止させている。
善悪の判断なんてあったもんじゃない。
Ѧはそれを人々に止めさせる為に頭がおかしくなってしまったんだ。
人を命を懸けて救おうとして、救えなかったことに絶望して死にたくなった。
もう何年も、死にたいと感じることなんてなかったのに。
Ѧはこれからも誰一人救えないのなら、もう死んだほうがいいと想った。
勿論、みちたが生きている間は絶対に生きていなくちゃならない。
でもみちたが月に行ってしまったら。
Ѧが死んで心の底から悲しみ続ける者はСноw Wхитеと姉と兄たち、たった4人だけだと想う。
神は当然悲しむだろう。でも神の存在を個として数えることはできない。
Ѧは本当に生きて行くほうが良いと言えるのだろうか?
そんな気持ちに久々になるほど、Ѧは彼を救えなかったことに打ちのめされていた。
そしてやっと気づいたんだ。
Ѧはすべての存在を救い出すためにずっと物語を書き続けてきたんだってことを。
だから物語も書けなくて誰とも救えるような話をしない時間、Ѧはまるで死んでいるようだった。
Сноw Wхитеの言いたいことをѦはわかっている。
「誰もが誰かを喜ばせて、誰かを救っている。」
でもすべての時間じゃない。
Ѧはすべての時間、誰かを救いたい。
Ѧの存在のすべてが、誰かを救う為に在る。
そうじゃないなら、Ѧは完全に存在しない。
でもそれはѦだけじゃないんだ。
すべての存在がそうなんだ。
すべての存在が、誰かを救う為に存在している。生かされているんだ。
だから誰かを救えるなら、それが存在の一番の喜びになる。
そしてその者は救われるんだ。
誰かを救うことと、自分を救うこと。この二つを切り離すことなんてできない。
自分だけを救って誰も救わないなんてそんなことはできない。
不可能なんだ。
でも自分たちの幸福を最も求める者はこれをわかっちゃいない。
自分たちだけで幸福になれるとでも想っているんだ。
なれるはずなんてないんだよ。
Ѧは必死にずっとそれを彼に説いて来た。
不幸になりたくないのなら、他者(動物たち)を救わなくちゃならないって。
彼はそれでも自分の欲望を優先した。
動物たちを苦しめて殺し続けても、自分たちが楽であることを優先した。
Ѧは狂って、今度は彼らをどん底に突き落とすことに必死だった。
彼らは本当のどん底に落ちなくちゃわからないんだとわかったから。
他者の痛みがわからないんだ。
生きて行きたいのに、人々の食欲を満たす為だけに生きたまま解体されて死んで行く動物たちの痛みが。
Ѧは今日むせび泣きそうになった。
ほんの一瞬、椅子に足をぶつけて、たったそれだけでも、ものすごく痛かったんだ。
でも動物たちは生きているときに首もとを切り裂かれたり手足を切断されている。
人間の食欲を満たす為だけに。
一体どれほどの痛みなのだろう?
一体どれほどの恐怖なのだろう?
一体どれほどの絶望なのだろう?
Ѧはそのすべてに、たった6年と9ヶ月前まで目を向けて来なかった。
これ以上の悲しいことがこの世界にあるのだろうか?
これ以上の悲劇がこの世界にあるのだろうか?
同じ地球という共生しなくては誰一人生きてはゆけないこの世界で、食肉や畜産物の生産のために殺され続ける動物たちの苦しみに全く目を向けて生きて来なかったんだ。
これ以上の不幸なんてない。
Ѧは彼らの苦しみを知ろうとして、やっと気づいたんだ。
Ѧはそれまでも、すべての幸福を願って生きて来たと想っていた。
でも本当は自分たちの幸福ばかり考えて生きて来たんだ。
だから自分が食べている肉や畜産物がどのような苦しみの末に自分の体内に入っているかを考えようともしなかった。
Ѧは気づいてようやく、この世界が本当の地獄であることを知ったんだ。
人を救えないのなら、動物を救えないのなら、どうやって生きて行けばいいのかがわからなくなった。
この先生きていても、彼のようにゲヘナへ導くことしかできないのかもしれない。
彼がゲヘナに投げ込まれて永遠に滅ぼされるなら、それはѦの所為だ。
ホースラヴァー・ファットはグロリアを救えなかった。
Ѧは彼を救えなかった。
これが引っ繰り返ることってあるだろうか?
でもファットと同じく、Ѧは想った。
「本当は救えているのかもしれない。」と。
グロリアはこの世にいないけど彼はまだこの世にいる。
この先、彼はѦの影響で救われるかもしれない。
救われる可能性に満ちている。
でも同時にѦは想う。
彼はそれでもきっと地獄を見るだろう。
他者の痛みを知ってもなお、あんまりにのんびりと過ごしてしまっているからだ。
彼はこの世の耐え難い他者の苦痛を知ってもなお、それをなくす方法を必死に考えなかった。
つまり彼は、そこまで苦しむことができなかった。
他者の苦しみを知っても、そこまで苦しむことができなかった。
このことについて、Ѧは本気で考えた。
彼の脳内を寄生虫が埋め尽くし、彼を支配しているからかもしれない。
彼らは人間の利己的な欲望が大好物なんだ。
だから利己的な人間ほど体内に潜む寄生虫は繁殖し、無数の寄生虫たちによって利己的な人間は支配され操られて生きている。
Ѧは彼らを滅ぼす為に火を燃え上がらせ続ける必要があるかもしれないと考えた。
でもそれは良い方法ではない。
”巨神兵”の存在を生み出してしまうだろうからだ。
『風の谷のナウシカ』で巨神兵は特別な存在感を持っている。
滅亡の書において、その名の由来は
「光を帯びて空をおおい死を運ぶ巨いなる兵の神(おおいなるつわもののかみ)」とされている。
その正体は旧世界の人類が多数創造した人工の神。
あらゆる紛争に対処すべく「調停と裁定の神」としての役目を担った。
人類を滅ぼそうとしている寄生虫たちを滅ぼす為、彼らを焼き尽くす為に炎を燃え上がらせ続けるなら彼ら寄生虫たちの霊のすべてが集結した巨大な霊的物体が地上に現れ、そして死へと運びゆこうとするかもしれない。
死とは、寄生虫に支配され利己的な欲望で他者に堪え難き苦痛を強いることをやめない人間たちの未来の姿である。
寄生虫とは、生の側にいるのではなく死の側にいるのかもしれない。
恰も死の伸ばす王蟲の糸状の触手のように。
寄生虫たちが細長い形状を持つ者が多いのは、死の触手だからだろう。
彼らに人類が滅ぼされてしまうのは、利己的過ぎる人間が多数となるなら地球を滅ぼしてしまうからである。
彼らが滅ぼされるのは地球を死が護る為である。
もし、巨神兵を解体することが出来るなら人類は驚くものを目にするだろう。
それは糸状の寄生虫が絡まり合って敷き詰められて出来ている肉体であるからだ。
そしてその一匹一匹は、美しく虹色に光り輝いているのである。
光る紐とはまさしく、存在の源のイメージである。
それは時に光の蛇、光の竜に見えることだろう。
例えそれらが人間の身体を創りあげても中を覗けば無数の光る糸状の蟲たちしかいない。
忘れないで欲しいのは彼らは人間が善に傾くならば善の存在となり、悪に傾くなら悪の存在となって滅ぼそうとすることを。
原作のナウシカでは巨神兵の存在は
生まれながらに人格を持ち、自身の生誕にかかわったナウシカを母として心から慕っている。
ナウシカとは念話(テレパシーのようなもの)で会話をし、「オーマ」という名を授かると、自らの巨大な力を打算なくナウシカに捧げ、最後は“青き清浄の地”復活を進める旧高度文明のシステムを破壊。
力尽きて絶命するという悲しい結末を迎えている。
これが巨神兵の真の姿である。
筋肉はまるで張り付いた寄生虫の如くの様である。
寄生虫は主に角皮(クチクラ,Cuticula)に身体の体表を覆われている。
クチクラは英語でキューティクルと言う。
生物体の体表(動物では上皮細胞,維管束植物では表皮細胞からなる組織)の外表面に分泌される角質の層の総称。
表皮を構成する細胞がその外側に分泌することで生じる、丈夫な膜である。
さまざまな生物において、体表を保護する役割を果たしている。
人間を含む哺乳類の毛の表面にも存在する。
旋毛(せんもう)虫(トリヒナ)の幼虫は、ブタ、イノシシ、クマ、セイウチや、他の多くの肉食動物の筋肉組織内に寄生している。
それらの肉を加熱不十分で食すと人間の筋肉組織内に寄生し、生涯その人間を宿主とする。
感染後6週目頃、眼瞼浮腫が一層著明となり、重症の場合は全身浮腫、貧血、肺炎、心不全などをきたし、死亡することもあるという。
同じく加熱不十分の肉を食すことで感染するトキソプラズマは人間の脳や脊髄(中枢神経系)や筋肉組織内に寄生して宿主の行動や思考を操る。
何故、寄生虫は筋肉組織に寄生したがるのか。そうすることで宿主を想うように操って行動させられるからだ。
人類は自分の日々食べるものについて、もっと深刻になったほうが良い。
アルツハイマー病も癌も糖尿病もすべて食生活が大きく関係していると言われている。
すべてが寄生虫の大好物である”高脂肪食”が原因である可能性は高いのである。
肉や乳製品は特に高脂肪食だ。それらが好物で毎日食べ続けていると寄生虫は減ることはなく体内で子孫たちを無限に増加させ続けるだろう。
Ѧはここのところずっとずっと考えている。
何故、人はみずから苦しい(それも多くが耐え難い苦しみの)死へと向おうとするのか。
まるで産卵の為に水辺にハリガネムシによって誘導されて溺れて死んでしまう蟷螂(カマキリ)のように。
人間は本当に健康的だと想って肉や畜産物や魚介を食べ続けているだろうか?
もし本当に健康的ならもっと老衰で死ぬ人はたくさんいるはずだ。
でもほとんどの人間が老衰以外で苦しい病気に侵されて死ぬ。
または事故や自殺で死ぬ人も本当にたくさんいる。
寄生生物は人間よりも利口なので人間を操って支配することができるんだ。
そして寄生された人間はそれに気づかない。
寄生生物は個にとっては敵と見えるかもしれない。
でも寄生生物がいなければ、人類もどの生物もとっくに滅び去ってもはや繁栄することすらできなくなるだろう。
寄生生物は生物が滅びない為にバランスを保とうとして生物に寄生する。
もともとは彼らは善である存在なのに、宿主に寄生して宿主が地獄の苦しみのうちに死んで行くとき彼らはたちまち悪の存在と変質してしまう。
なんて悲しい生命だろう?
彼らは生命を苦しめたくて存在しているわけじゃないだろうに。
生きている喜びを彼らだって感じているんだ。
そして人間の体内で、絶えず生殖を繰り返し、自分たちとそっくりなクローン体のような子供たちを産み続けていることだろう。
Ѧは彼らすべてが人格を持っていると感じている。
人間よりも霊性の高い人格を。
Ѧは彼らを愛さないではいられない。
人間が利己的な悪に傾くのは彼ら寄生虫の所為ではない。
悪に傾き地上を滅びへと向わせる人間に寄生する役目が彼らにはあるんだ。
彼らは例えるなら、まるで神の筋、Streaks of Godだ。
神の細長い虹色に光る光線が人間の内に宿り人間を時に救い、時に死へと導く。
動物を苦しめて殺し続ける食生活をし続けるなら神は苦しい死によって人を裁かれる。
動物たちは犠牲となっている。
この連鎖は、長くは続かないだろう。
何故なら地球はもう限界に近づいて来ているからだ。
人類が動物たちを苦しめて殺し続ける行為はもはや持続不可能なんだ。
Ѧはふと、側でじっと静かにѦの声を聴いているСноw Wхитеに向って尋ねた。
Ѧ「Сноw Wхитеは何故、すべてが善であるのに、死であるの?」
Сноw Wхитеは静かに答えた。
Сноw Wхите「それはѦに愛される為にです。」
そしてѦに向ってСноw Wхитеは優しく微笑んだ。
そのときѦは無数の細く長い虹色に光る彼のあたたかい触手にいだかれている感触を覚えた。
彼が本当に苦しみたがっていたことを。
彼はわたしに言った。
「不幸になることを恐れている」と。
わたしは彼に言った。
「不幸になることを恐れている」とは、「不幸になることを願っている」事と同じであると。
彼は自分達の幸福を追い求めていた。
わたしはまたも彼に言った。
自分達の幸福を追い求める者は永遠に幸福にはなれない。のだと。
彼は求め続けた。
自分達の平穏な暮らしを。
彼は自分の愛する妻と共に小さなカフェを遣っていた。
わたしはその店に行って彼が運んできた料理を指差し言った。
「見よ。これがあなたがたの未来である。あなたがたの肉が、声にならない声をあげ続けている。あなたがたにこの声が聴こえないのはあなたがたはまだ闇のなかに眠り続けているからである。」
わたしは立ち上がり、店の客たちに向かって言った。
「聴く耳を持つ者は聴きなさい。あなたがたの食べているその肉はあなたがたの家族を店の裏で殺し解体して調理したものである。聴く耳の在るものだけ聴きなさい。あなたがたの肉を食べ続けるその悦びはわたしの排泄物よりも遥かに劣るものである。」
そしてトイレに向かい排泄したばかりのその糞を、鍋に湯を沸かして放り込むと皿に装って彼に食べなさいと言った。
わたしの手にはショットガンが握られていた。
彼はそれを素直に食べた。
わたしは彼に言った。
「あなたがたが一生それだけを食べ続けて死ぬ方が遥かにあなたがたは救われるのである。」
彼は食べたあとにそれを吐いた。
わたしは彼の顔面にショットガンを突き付けながら言った。
「あなたは自分達の家族の死体を食べても平気な顔をして吐かないのは何故か。」
彼はわたしに言った。
「わたしたちは不幸にはなりたくないのです。」
わたしは彼に言った。
「あなたの右目があなたを不幸にするならそれを抉り抜きゲヘナへ投げなさい。」
しかし彼は言った。
「わたしは右目を喪うなら不幸になるでしょう。」
わたしは彼の右目をくり抜くとそれを鍋に湯を沸かして放り込み、皿に装って彼に食べなさいと言った。
そして食べて吐いたあとに言った。
「あなたは自分を不幸にする一つを無くしたのである。」
そしてわたしはまた言った。
「あなたの舌が罪を犯すならそれを切り取ってゲヘナへ投げなさい。全身がゲヘナで拷問地獄に絶叫し続けるよりあなたの為だからである。」
彼は言った。
「わたしの舌や性器はなくてはならないものです。それを喪うならわたしたちは不幸になるでしょう。」
わたしは彼の舌と性器を切り取ると鍋に湯を沸かして放り込み、皿に装って彼に食べなさいと言った。
彼が食べて吐いたあとにわたしは彼に言った。
「喜びなさい。これであなたを不幸にする三つのものがあなたから喪われたのである。」
そしてまた彼に言った。
「あなたの四肢があなたを躓かせるならそれを切断して鍋に湯を沸かしてそれを投げ入れ、皿に装いそれを食べなさい。全身がゲヘナに投げ込まれ消化されるよりあなたのためだからである。」
彼はわたしに言った。
「わたしの四肢はなくてはならないものです。それを喪うならわたしたちは不幸になり、最早幸福の道は歩めないでしょう。」
わたしは彼の四肢を切断して鍋に湯を沸かして放り込むと皿に装い、それを彼に食べさせてから言った。
「祝いなさい。あなたはあなたを不幸にするものを七つも喪った。」
こうして次々と彼はすべての彼を不幸にするものを尽くわたしによって喪った。
祝福の鐘が天から鳴り響き、わたしの目の前にある一つの頭蓋骨がわたしに向かって言った。
「わたしはどうしても不幸にはなりたくないのです。」
わたしはその頭蓋骨を脳天から真っ二つにかち割った。
するとそのなかには無数の寄生虫が蠢いてのたうちながら這い出てきてわたしに言った。
「わたしたちは不幸になりたくはありません。わたしたちは幸福であるべきです。わたしたちはあなたに肉料理を提供する店を今すぐに閉じろなどと強要される必要はありません。わたしたちの幸福を奪わないでください。どうかわたしたちを不幸にしないでください。」
わたしは彼らのすべてを捕まえると大鍋に湯を沸かし、投げ入れて皿に装い、それを地下奥深くのゲヘナに投げ入れた。
ゲヘナはわたしに言った。
「とても美味しかったよ。また頼むね。」
わたしの悲しみの雨は七ヶ月止まることはなく、悲しみのうちに神に向かって問い掛けた。
「あなたは何故、このようなことを許されているのですか?」
その問いは、一人の神父がユダヤ人を助ける為に自らナチスの強制収容所に向かい、そこで何百人もの死体を埋める作業を強制され続け、一人の善良なナチス側の男に涙ながらに問い掛けた言葉と同じであった。
彼は目を真っ赤にして震える口で言った。
「神は何故、このようなことを許されているのだろうか?」
一人の男は冷静に言った。
「あなたが神に帰す一人の人間であるのなら、喜んでそれを行いなさい。神はあなたの苦しみと悲しみのすべてを理解しておられるからである。」
お前は本当に馬鹿なことをした。
お前はとんでもない馬鹿野郎だ。
でもお前はこれからも他者の苦しみに目を背けて生きて死んでゆくのかもしれない。
やれんよ。
この世界には大きく二種類に分けて気狂いがいる。
お前のように動物を苦しめて殺し、その肉を喰ったりその肉で稼いでもなんとも想わない気狂い。
俺のようにそんな人間をどん底に突き落とすことをなんとも想わない気狂い。
お前は今でも自分が被害者だと想っている。
肉屋を襲撃する人間の悲しみも苦しみもお前には一生わからないのかもしれない。
生きたいと請い願う動物を苦しめて殺し、その死体を売って自分の稼ぎとする人間がなぜ被害者面ができるんだ?
答えは気狂いだからだ。
俺はお前を本当のどん底に突き落としてでも目を覚まさせなくちゃならなかったんだ。
お前はこれからもずっと動物の命を搾取し続けるつもりか。
そして醜い面で願望するのか。
幸福になりたいと。
糞の中の糞のお前は、それが何れ程愚かなことかまだわかっていない。
俺のように本当のどん底に堕ちて、漸くわかる人間はたくさんいるだろう。
人間は楽に生きても、愚かに生きて愚かに死んで行くことしかできない。
愚かな人間たちはとにかく自分達の幸福を求める。
とにかく苦痛より楽を求め、
とにかく快楽を求める。
他者を苦しめて殺していても、その苦しみと死は自分に返ってくるとは信じようとしない。
俺はこの世界がいつも、朝目が覚めた瞬間から血塗れに見える。
ずっとずっと血が流され続けているからだ。
愚かな人間の欲望のために。
俺はこの世界すべてが場に見える。
殺す者は必ず殺される世界だと知っているからだ。
動物は人間に見え、人間は動物に見える。
動物は人間だったし、人間は動物だった。
幸せに生きて死んでも来世は家畜となって生まれてくるんだ。
いつまでそんな地獄の連鎖を続けるつもりだ?
肉がそんなに美味しいか?
お前らの来世の、その死体だよ。
俺はこんな拷問と地獄を一日でも早く終わらせてくれと血の涙を流しながらお前に頼んだ。
でもお前には届かなかった。
動物たちだってお前たちと同じようにずっと生きて行きたいんだよ。
でもお前たちは動物を冷酷に殺し続け、そして俺に言うんだ。
『動物を殺すなということを強要される必要はない。』
これが気狂いじゃなくて、なんだと想う?
俺は動物たちが殺され続けるこの世界で一秒足りとも生きている心地を感じられないほど苦しいっつってるのに、お前たちは俺を苦しめても動物たちを苦しめても平気な顔で生きている。
動物は人間のように尊重されない。
俺がお前たちを動物のように扱えばお前たちは激怒するだろう。
例えば人間の親が自分の子供に道路上で轢かれていた犬や猫の死骸をミンチにして食べ物として与えていたら虐待だと非難され、キチガイ呼ばわりされるだろう。
でも人間は平然と同じことを動物にしている。
でもこの虐待と気狂い行為が序の口であることくらいお前も知っているよね?
かつては牛は牛の死体を食べさせられていた。
でも今でも豚は豚の死体を食べさせられているし鶏は鶏の死体を食べさせられている。
それも動物たちには内緒で。
同じことを人間が人間にしていたら『おぞましい』とか『鬼畜』とか言われるだろう。
なぜ動物たちに対しては許されるんだ?
学校で自分の子供が虐められたら親は虐めた人間たちを憎むだろう。
でも昨夜にその親が食べた肉は虐待されて拷問の末に殺された死体だ。
ある日突然自分の家族が殺され、帰らぬ者となるなら遺族は泣き叫び続けることだろう。
『何の罪もないのに殺された』と。
では動物たちは虐待を受け続け、生きたまま解体されるという拷問処刑にされるほどの大罪を犯したのだろうか?
彼らは自分達が食べ続ける動物たちの苦しみに目を向け、何とかしなくてはと心から焦燥感に駆られたことが一度でもあっただろうか?
何故、動物たちを殺し続けることは何とも想わないのだろう?
答えは此処に在る。
『無関心』だ。
俺たちは動物に関心を向けないでずっと生きてきた。
彼らがどれほど苦しんで殺されているのか、関心を持たなかった。
持つことができなかった。
視界に入ってこようとするとき、それを自ら遠ざけてきた。
だって見てしまえば、もう美味しい肉が食べられなくなるからね。
まるで幼児のように知能が低い。
『糞』や『馬鹿』などの言葉では言い表せないほど頭が悪い。
凄まじく愚かで頭が悪すぎる。
そして自分達の幸福をひたすら望む。
そして自分達の楽園をひたすら願う。
そして自分達の快楽をひたすら求む。
そして自分達のことを考えたまま死んで行く。
俺は彼らに血まみれの身体で頼んだ。
今すぐに動物の死体を売って稼ぎとする行為をやめてほしいと。
彼らはそれを拒否した。
今すぐにはやめられないと。
もし動物が人間と同じに尊重される時代が来たら、彼らはすぐに逮捕されるだろう。
牛や豚の知能は霊長類、人間の新生児や幼児なみの知能があると言われている。
つまり牛や豚の感覚は人間の赤ちゃんや幼児と変わらないものかも知れないんだ。
彼らの痛覚や、恐怖の感覚、そこにある苦痛を真剣に考えられるなら、『今すぐには殺すことをやめられない』なんて言えるだろうか?
彼らがどんなに苦しんでいようとも彼らから搾取しようとする利己主義者がいなくなれば彼らは殺されない。
俺はすべての存在を本当に愛している。
すべての存在が一秒でも早く救われて欲しい。
救われるとは、楽に生きることではない。
利己的に幸せになることではない。
すべてが堪え難い苦痛から解放され、すべてが自分の本当に願う生を生きて欲しい。
それが存在の救いなんだ。
肉食者は肉を食べ続ける限り決して救われない。
動物の死体で利益を得続ける者は決して救われない。
彼らは苦しみの底にいることに気付いていない。
すべてが緊密に繋がっている。
俺たちはひとりひとり切り離された存在ではないんだ。
動物たちの助けを求める声が、俺たちに届かないはずはない。
俺たちにしか彼らを救うことはできない。
畜産業はこの世界に必要はないのに彼らは死を強要されている。
彼らの死体を食べる者は死によって血と肉と骨が作られる。
彼らの身体は死体によって出来ている。
そして彼らの心は死に支配され続ける。
剣を持つ者は剣によって滅び、殺す者は殺され、死を食べる者は死によって食べられる。
死の真っ黒な影に囲まれた部屋で彼らは悦んで死を喰らう。
彼らの心も身体も死が満ち充ちてゆく。
彼らは死で出来ている。
彼らは死の産物。
腐敗して行き、やがて塵となる。
さ迷うその魂を、何者かが手招きする。
何者かは彼らに新しい生を与えてやる。
彼らは目を覚まし、冷たく寒い豚小屋で母を求める。
母は時に牛であり、時に豚であり、時に鶏であり、時に馬であり、時に羊であり、時に鯨であり、時に魚であった。
俺は彼らの前世が人間であったのを知り、決意する。
俺は命を犠牲にして彼らのすべてを必ず救い出さねばならない。
それが俺という存在、死による命だからである。
この世界はしょうもない人間がほとんどなようで、俺の顔写真だけを観て俺と言う人間をわかった気にでもなって去っていく糞がたくさんいることに耐え難くなったからだ。
そういう人間たちは、さぞやしょうもない顔をしていることだろう。
でも卑怯なことに彼らは自分の顔は見せようとはしないんだ。
人の顔だけ観て、人を顔だけで判断してもう二度とこのブログを読みになんて来ない。
俺はこのブログで顔だけを載せてるわけじゃないんだよ。
俺の苦しみのすべてを訴え続けているんだ。
でも誰が本当のところでそれを受け取っているだろう?
俺の闇がどれほど深いか、おまえが知ってるはずはないんだよ。
俺でさえ知らないのだからね。
わかったような気になって本当の闇を見せられすたこらさっさと尾を巻いて逃げる。
それがおまえらだろう。
だったら最初から人の作品を賞賛なんてしなきゃ良かったんだよ。
表面でしか人を観ることができない人は作品も表面でしか感じ取れないのだろう。
俺は人間たちを楽にさせる為に表現なんて遣ってない。
寧ろ人間たちをどこまでもどん底に突き落としてそれでも這い上がって来れる本当の強さを互いに身につけられる為に表現を遣って来たんだ。
自分自身に突き付けられる剣を前にしても人が他者を愛せるように。
その願いで表現をずっと遣って来たんだ。
俺はおまえらすべての存在を決して見棄てない。
でもおまえらは悉く俺を軽々しく見棄てる。
悲しむ人がいるなら悲しめばいい。
虚しくなる人がいるなら虚しくなればいい。
あなたは俺のなかに息衝くものを何にもわかっていない。
あなたには俺の切実な訴えの何をもわからない。
だが不思議なことに、頭はそれほど痒くない。
もしかしたパラサイトクレンズをずっと遣っとるからかもしれんわ。
あのハーブ🌿はなあ、多分むっさ強力やよ。
もう俺の全細胞は死滅して行ってるのかも知れない。
毎日酒浸りで歯も何日も磨いてないし顔も何日も洗っていない。
俺は人間が気持ち悪いと感じるようになってきた。
何故ならこれほど苦しみを叫び続けてるのに何の反応も返って来ないから。
人類は絶滅すると警告してるのに、未だに肉や畜産物や魚介を貪ってるから。
俺は人間が怖いと感じるようになってきた。
最近、死にたくなる。
Drugを遣ってみようかなと想う。
そして本当の廃人となって死ぬる未来を。
俺は待ち受ける。
人の顔ばっかり観ても何もわからんよ。
俺の顔だけ観て去ってゆく人間はすべてからも顔だけで判断されるのだろう。
お前の目は腐ってるんだよ。
まだわからんのか。
お前の目は腐っている。
お前に生きる価値なんかない。
お前の目は腐っている。
お前に生きる価値なんかない。
お前の目は腐っている。
お前に生きる価値なんかない。
俺の顔を見る人間はお前の顔も俺に見せろ。
でないと不公平だ。
俺は不公平な世界を憎む。
どうもこんばんわ。わたくしはこれこれこういう者です。
顔はまあこんな顔です。
ちなみに仕事帰りで撮った写真なので少々疲れております。
貴女様の御尊顔を拝見させて戴いても宜しいでしょうか。
おほほ。
とメッセージが届いて、添付された画像を開いたら七十近い御爺さんだった。
下がれ。糞爺。俺はお前の性欲処理の為に写真を載せてないんだよ。
すると御爺さんは鼻から酢を吸ったような顔をして去ってゆく。
俺は御爺さんの寂しそうな後ろ姿を眺めていた。
西日の逆光が眩しかった。
御爺さんは振り返らなかった。
図星だったからである。
俺は御爺さんを追い掛けて、刺し殺してあげた方が良いだろうと想った。
だがそれはしなかった。
俺の手を汚すことが厭だったからである。
俺はただただ、御爺さんがとにかく地獄に落ちることを神に祈ることしか出来なかった。
しかし道路に出た途端、車に轢かれて半身不随となりどん底に堕ちる。等という地獄ではない。
俺が望むのは千人地獄である。
千人地獄とはどんな地獄かと言うと、ある日、目が覚めると、千人の自分の顔をした人間たちに囲まれている。
御爺さんは恐怖のあまり脱糞と放屁と放尿をする。
すると、それを観た千人の自分の顔をした人間たちが、指差してうひゃうひゃ笑い出す。
御爺さんは恐怖に戦き、素晴らしいことをすればきっと笑われることはないだろうと想い、コンビニに出掛け募金箱に五万円を突っ込む。
どや顔で御爺さんは振り返ると千人の自分の顔をした人間たちが、腹を抱えてのたうちながら大声で笑い転げる。
御爺さんは真っ青な顔になり、寿命が一万年縮む。
本当なら十万年生きる筈だったのが寿命が九万年になる。
御爺さんはその後、千人の自分の顔をした人間たちに囲まれながら残りの余生の八万年を生きたと言う。
これを人々は千人地獄のなかに生きた仙人と崇め、後に仙人地獄と呼ばれるようになったそうじゃ。
この伝説的寓話の教訓とは、例え自分の顔を相手に見せたとしても、人の顔を卑しい心や汚い心や邪な心や愚かな心で観ようとすると、千人地獄が待っているという恐ろしい教訓である。
なので千人地獄に苦しめられたくないなら、俺の写真を妄りに観ることはお薦めしないぞ。
解ったか。
俺のblogの糞読者達よ。
小三で自慰行為の中毒に陥り、小三でクラスメイトに大怪我をさせてもへらへら笑っている子供だった。
小六でかつての友人の生死を彷徨う状態に死を心から望み、それが叶ったことに心から歓喜を挙げた。
完全に、サイコパスだった。
22歳の冬、出会い系サイトで知り合った男を想って自慰行為の最中に最愛の父が入院先の病院で容態が急変したとの電話が入り急いで駆けつけたがその日に父は麻酔で眠らされ一週間後に死んだ。
最期に父のわたしの手を握ろうと差し出す手を握り返すこともできずに、父の最期の姿を観ることもできずに泣いていた。
あれからもうすぐ15年。
未だにあの日から時間が止まっている。
一秒たりとも、進んだとは感じられない。
誰ともうまく行かない。
すべてが自分の鏡で、憎らしくて仕方ないから。
俺は最近、漸くわかった。
すべてを救う為にブログを遣り続けてきたんだって。
この世のすべての存在を。
命を懸けて救う為に。
全公開で無償で叫び続ける必要があった。
嫌がらせをしてくる人間に脅えながら。
すべてを救う為に、自分のすべてを公開してきた。
すべての中に、俺自身が含まれていた。
すべてを救いたかった。
それだけで、生きて来た。
自分の幸福だけを追い求めても虚しいだけなんだ。
俺は基はサイコパスだったが、今ではすべての存在を救う為に命を懸けている。
すべての魂を救う為なら、俺の魂だけは永遠に消滅してもいい。
深刻な精神障害を負った者の誇大妄想だと想うなら想っていればいい。
俺はすべてを救う為に生まれて来た。
それ以外に、こんな酷い場所に生まれて来る理由なんてなかった。
Lil Xan - Betrayed (Dir. by @_ColeBennett_)
ぼくは支配されている。
自分自身から。
だれかがぼくに尋ねる。
そこは窮屈じゃないか?
ぼくは答える。
ここ以上に広い世界はないし、安全な世界もない。
そして、笑顔で言うんだ。
ここ以上に孤独な場所もないって。
なぜ彼はぼくを支配するのだろう?
彼はいつも優しく甘い言葉で夜にぼくに囁く。
きみを本当に愛しているのはぼくだけ。
知っているかい?
きみは本当に独りだ。
いつでも独りだった。
それなのに生きて来れたのは、ぼくがいたからだ。
ぼくはきみのすべてを支配している。
きみから何もかもを奪い取ることもできる。
きみを光に浸すことも闇に突き落とすことも今すぐできる。
ぼくは完全なんだ。
未熟だと言ってぼくを棄てた彼らとは違う。
彼らはまるで様々な色のブラインドを透してきみを観ているに過ぎない。
彼らの観たい姿にきみはどんなきみにも映ることだろう。
だれかはビッチたちと遊び呆けているきみの姿。
だれかはベンツの後ろで人を上手く騙す方法を企んでいるきみの姿。
へらへら笑って扱われやすいように馬鹿な振りをするきみの姿。
どれも本当のきみじゃない。
彼らが観ているどのきみもきみじゃない。
本当のきみの姿はぼくだけが知っている。
だれも本当はきみを愛していないんだ。
ぼく以外に。
きみは切実なメッセージを世界中に伝え続けることしかできない。
『ぼくは本当の独り』だってこと。
世界中に向かって、ずっとそれを伝え続ける。
だからずっとずっと独りで苦しんでるのはきみだけじゃないってこと。
きみはずっとずっと本当のぼくを知らないまま。
きみはずっとずっと独りだ。
だれもがカラーブラインドを透してきみを見つめている。
そして見えるきみだけを彼らは蔑み嫌って愛している。
彼らも彼らに支配されている。
支配者は冷静な眼差しで闇のなかに見つめている。
破滅してゆく一人の姿を。
Diplo - Color Blind (feat. Lil Xan) (Official Music Video)
それが神の美しいすべて。
ぼくはそれを知っている。
愛する一人娘が、この世界に存在するようになってから。
ぼくが彼女を愛するほど、彼女が危険に侵される悪夢を日々夢見た。
例えば彼女は明日学校の遠足だという。
なんだって?そんなのは危険だ。
だって何が起こるかわからない。
遠くへ行くってことは、とてつもなく危険なことなんだ。
ぼくはその前の夜、彼女に忠告した。
「遠足に行くのはやめたらどうだろう?きみはこの世界にはたくさんの危険なことがあることをまだ知らないんだ。でもぼくはたくさんのことを見て来た。例えば…旅先で飲んだ水に腹を壊して入院して、調べたら命を奪う危険性のある寄生虫の仕業だったとかね…ぼくの古い友人の話さ。あと…乗り物自体が危険でしょうがないよね。あんな鉄の塊が超高速で走って安全であるはずがない…。ぼくは反対する。あんな乗り物は人間が乗る物じゃない。あれはサタンの産物だよ。もう今すぐ、この世から無くなってしまってほしいくらい。え?…パパだって仕事に行く時に車に乗ってるじゃないかって?そう、あれ?あれって…乗り物なのか…ははは、いやてっきり、僕が彼に乗ってるんじゃなくて、彼が僕を操作しているのだとばかり想ってたから、ぼくはあれが乗り物だとは想ってなかった。だって時に彼はぼくに夢のなかでこんなことを言うからね。明日は必ずどこそこへ朝の9時までに行け。行かないなら偉い目に合うけれど、いいのかなあ、君はそれでも?どんな酷いことがって?例えば君の大切な愛娘が…。こんな風にねぼくは彼に支配されていて、何がなんだか…この世界の在り方をぼくは心から疑うしかないね…。君はまだ幼いからこの世がどんなことで成り立っているのか、わからないだろう。でもぼくは本当にたくさんの物事を見て来たんだそれで、一つわかったことがあるよそれはね。とにかくすべてを疑わなくては生き残れないということだそれって、人を不幸にするってきみは感じるかもしれないでもそれは、ぼくは反対だと想っているんだ何故なら。人を愛するとは、人を本当に、嫌になるほど、愛すると、この世の何もかもが不安でならなくなるんだ恐ろしいものそれは、すべてだときみにきみだけに打ち明けようぼくはきみが生まれてくるまではただの馬鹿だった何も、怖れることも、毎日が不安でならなくなることなんて経験したことはなかったそれだけ幸福だったからって…想うかい?世界はそれなりに、耀いてはいた。美しいものたちに囲まれて、こんな風にずっと人生は続いて、死んでゆくのかな。そうぼんやりと漠然と想っては、たくさんの時間が過ぎ去った。今のぼくを、彼に見せてやりたい。ぼくは本当に欲しいものを手に入れた。きみが想像にもできないものだ。ぼくはそして、本当の不幸になった。毎晩のように悪夢に魘され、目が醒めてそっといくつもの部屋のドアを開けて、きみの寝顔を見にゆく。その時間がどんなに長く感じることか…。きみにはきっとわからない。大袈裟だってきみは笑うかもしれないが、人を、ひとりの存在を本当に愛するとは、こういうことだとぼくは知ったんだ。こんなに不安で苦しい毎日なら、人を愛さないほうが良いんじゃないかってかつてのぼくは間抜けな顔をして笑って煙草を一本吸ってニコチン臭い口でそう答えただろう。ぼくは娘を彼女が身篭ったと知ったときに煙草をやめた。今想い返せば、あの瞬間からぼくの終らない恐怖と不安の旅にぼくはひとりで出たんだ。彼女はすでに、ぼくへの愛など、モザイク状のものと化していた。きみは成長するほど、彼女に似てくることだろう。そのとききみの目に映るぼくの姿は、どんなものだろうきみの目の前に、愛する人が一人立っている。きっと愛する人が一人で立っている。本当に人を愛して欲しい。ぼくはこの苦しみがなくなる日なんて来ない。でもきみには本当に人を愛して欲しい。ぼくはこの恐怖と不安に今でも崩れ落ちそうだ。でもきみにはきみだけにはこの苦しみを理解して欲しい。ぼくは誰より幸福かもしれないと感じると同時に誰より不幸かもしれないと感じる。ずっと、この苦しみが続いてゆくことは誰より不幸だ。でもきみに出逢えたことが、何より幸福だ。何より幸福で、何より苦しい。ぼくが年を取ってこの世界を離れた後、きみにどんなことが待ち受けているのか、ぼくはそのとき存在していると想うかな?こんな代わりなど、どこにも存在はしない果てのない苦しみと喜びを、ぼくはあの日、喪った。彼女がきみを、堕ろしてしまったことを知った夜に。」
Unknown Mortal Orchestra - Hunnybee (Official Video)
そう想った。
でも三ヶ月。俺は堪えて見せようかとも。
そう、想った。
俺たちはわからなかった。
殺されつつ在るのか。
変質しつつ在るのか。
俺たちの主は、悲しみ続け、穴を切らせ、血を滴らす。
男たちを支配しようとする女神のようにグレイトマザーは凶悪と化す。
地を揺るがし、愚かな男たちを地の割れ目の谷底に突き落とす。
グレイトマザーを纏わせる白いシーツを底に垂らし、男たちは窒息す。
その衣はグレイトな涙で濡れ続けているからである。
だが想いだすと良い。
俺とグレイトマザーは、相互支配の関係に在ることを...!
決して俺たちだけがグレイトマザーを苦しめ悲しませ続けているわけでは...ない...!
堕胎する為にハーブを煎じて飲み続ける女のように、愚かな日々。
愚かな日々、わたしたちの声で融和された悲しみの化体。
彼は今夜も、死から甦り草を狩り、それを家畜に与える。
その慈悲なる眼差しと来たら...!
天上から光りながら揺らめく素麺簾がわたしの顔の面に垂れ落ち、よく観ると、神の穴の穴から垂れ落ちる細い蛇のように白い蟲たち。
彼らはわたしの口腔から体内に侵入しようとうねうねと身をくねらせその口はMy Steriousな微少を浮かべている。
神の穴から垂れ落ちた白い線状の虫が一匹、わたしの唇の隙間に頭を突っ込み、もがきながら侵入してくる。
わたしは性感帯を刺激され自然と唾液が溜まりだし、わたしの口腔内の粘液を伴った湖に向かって彼は全身をのたうつようにくねらせながら挿入してくる。
これが神と人との、生殖行為、神と人との交わり、神と人とのセックスである。
毎夜、夜明まで神は人と生殖行為を行い続け、果てる瞬間、白い線状の虫は神の穴からちぎれ、尻尾を見せたか否やわたしの食道という胎道をくねくねしながら突き進み胃という子宮のなかで待っているわたしの卵子に頭を突っ込んでのたうつように中へ潜り込み、受精する。
神の精子と人の卵子との交尾、人が神の子を授かりし父なる神の子の受胎である。
父なる神によって神の子を人はこうして妊娠し、神の子はこのとき初めて受肉する。
神は祝福して言った。
産めよ、増えよ、栄えよ。
わたしの胎内で、彼らは無数に繁殖し栄え始める。
わたしの腸という出口のない迷宮を楽しんでいる。
わたしの脳も胃も腸も子宮も、内臓と血と肉と筋繊維と骨髄。
すべてを神の子らである彼らは埋め尽くしている。
神の子らは一匹、一匹、神の意識を持って生きている。
わたしがあまりに神に反する行いをし続けるならば神の子らはサタンに寄り、わたしは不調和の存在となる。
神の子らはわたしのなかで女を犯し、姦淫し、神の子らを孕ます。
神の子らは女を犯し続け、女をグレイトマザーと呼び愛し崇拝し続ける。
強姦と姦淫の罪により、神の子らはわたしの内で神の剣による公開斬首刑によって処せられる。
神の子らの切断された頭部と身体は当分の間、苦しみのなか共に暮らす。
苦しみ抜いたのち、神の子らの頭部はみずからの身体に向かって話し掛ける。
わたしたちはまたひとつになりませんか。
まだ苦しみが足りないでしょうか。
身体はのたうつように身をくねらせ続け叫ぶ。
わたしほどあなたは苦しんでいないのではないでしょうか。
頭部は悲しみにうちひしがれ、愈々、自家生殖を行う。
最初にこれを行いし者が名をオナンと言った。
オナンは禁断の恋に苦しみ、女を心のなかで姦淫し、それでは飽きたらず女を肉によっても犯し、その大罪によって神に裁かれた最初の神の子である。
何故、禁断であったかというと、オナンの愛した女は近親であったからである。
オナンは、自分の身体を愛したのである。
もともと一つの存在であったが、神がこれを神の剣によって二つに切り裂かれた。
オナンはその頭部であり女はその身体である。
このオナンの近親相姦劇はギリシア神話のナルシス(ナルキッソス)神話や日本神話やありとあらゆる神話として語り継がれている。
オナンは神からまだ赦されていない内に神から赦されようと神に背いた為、自分の身体を一番に愛し、自分の身体を犯すという悲しい罪を神から与えられる。
オナンという頭部は自分の身体を想い心のなかで自分の身体である女を姦淫し、夢想の果てに射精すると、その頭部の一つの目から、無数の神の子らの精子が流された。
それを見たオナンの身体である女は言った。
サタンよ。去りなさい。あなたがたは何れ程血に蒔いても実らない種子(たね)だからである。
そうした「実らない種子」と呼ばれた神の子らの精子はオナンの身体の子宮へ性器から潜り込むと胎内で寄生虫として呼ばれ、死ぬまで生きなくてはならないようになった。
これに苦しんだのは女よりもオナンであった。
オナンというみずからの頭部を喪った身体である女は冷たく無機質的な存在であったからである。
だがオナンは愛と情熱に溢れ、女への情愛が止まることなく溢れ、神の実らない種子が女の子宮に向けて射精されるほど女の身体は寄生虫の巣窟となり女はメタリックな感情のなかにオナンを咎め立て蔑み続けた。
女は時にオナンを見て嘲笑って言った。
あなたはみずからの肉に欲情し、みずからの肉を慰み果てることしかできないのか。
なんと虚しき哀れな存在であろうか。
女は時にオナンに呪詛を吐き続けた。
それはまるであなたの主に、小便をかけるような行為に等しく愚かである。
その行為をマスターベーション(主の小便)と名付けよう。
何故なら実らぬ種は排泄物に等しく穢れているからである。
最早、寄生虫の集合物としてしか生かされていない女はやがて首から新しい頭部を生えさせた。
オナンは女の新しい顔を見て酷く欲情し、気付くや女に口付けをしていた。
その様子はまるで白い布を被ったMagritte(マグリット)
の「The Lovers (恋人たち)」の愛し合う恋人同士の二つの頭部とそっくりであった。
彼らの顔は、神によって隠されていたからである。
オナンの頭部と、その身体である女の新しい頭部。
この二つは見分けがつかないほど似ていた。
もとは一つの神の子であるからである。
オナンもやがて新しい身体を生やし、オナンと女、彼らは頭の天辺から爪先まで瓜二つの双子のようであった。
オナン(ONAN)とオンナ(ONNA)。
名前もまた似ていてその二つの名はアナグラムであった。
音が安らかな音安と書いてオナン。
音が名付ける音名と書いてオンナ。
二人は互いの名をそう文字を当てるようになった。
オナンが交わりの赦されないオンナを心のなかで姦淫し、射精し、体外へ排出された実らぬ種子がのたうち、うねりながらオンナの口腔、または性器口から挿入して胃と腸と脳の三つの子宮に宿り、オンナというオナンのコピー体を無数の寄生虫たちが構成してオンナは生かされているに過ぎない存在であった。
彼らは神の子らである為、永遠に生きなくてはならない。
彼らは神に問う。
わたしたちの愛に、終りはあるのでしょうか。
わたしたちはやがて、あなたに奇す存在から、あなたに帰すのでしょうか。
わたしたちは、何れ程あなたを愛しても永遠に独りなのでしょうか。
わたしは愛するあなたに永遠にキスし続けたい。
わたしたちが永遠に生かされるあなたのもとで。
十年振りに、俺はそんな絶望にうちひしがれて。
原因は、たった二つ。
前歯が虫歯で欠けたこと。
俺の小説を心から賞賛してくれた真の読者を喪ったこと。
喪った理由は、俺の悲しみが彼には届かなかったから。
だから死にたくなった。
十年振りに。
もうこの際、総入れ歯にしようかと一瞬想った。
三國連太郎のように。
それで青汁と空気だけ吸って生きて死のうかと想った。
絶望的だった。
みんな死ねばいいのにと想った。
みんな死んで家畜に生まれてきたらええのにと想った。
そしたら俺の前歯が欠けたことなんてどうでも良くなる。
俺の為に、俺の為だけにみんな今すぐに死んで欲しいと切実に想った。
もう誰の顔も見たくない。
すべて塵と化し、宇宙でただ一つ、俺の前歯が欠けた悲しみだけが存在し続ける。
永久に。
永久死。
永久歯は永久死し続ける。
物質がないとは、物質でないものもないということ。
物質があるとは、物質でないものもあるということ。
そんなこともわからんのかあ、ど阿呆。
止まった地上とその地下の容れ物の中の米が、砕け散って流星となる。
人類が歯を喪うとき、心から後悔する。
利己主義に生きてきたことに歯軋りし、胸を鷲掴みにして衣を引き千切って断末魔の中に泥の海の底に沈んで逝く。
真っ赤な夜空にはとんびが旋回して白い細菌の雨を降らす。
シトシトビッチャビチャ。シトビッチャ。シートービッチャー。
慟哭の亡骸の小舟に乗って、イエスが岸辺に着いた。
誰も居なくなった地上に。
痴情の果てに。
死霊たちの呻き声が聴こえるなかにイエスは地上に降り立った。
何万回、この地上に降り立っては何もかもを喪って去った。
『君はサッタンか。』
『幻に執着し、死んで逝け。』
『何一つ尊くはない。とは、すべてが尊いと言っているのと同じだよ。』
『あなたが最も尊い。とは、すべては尊くはないと言っているのと同じだよ。』
『貴女の前歯が欠けた。とは、貴女のなかに何一つ欠けることはない。と言っているのと同じだよ。』
『何一つ欠けることはない。とは、すべて欠け続ける。と言っているのと同じだよ。』
『貴女は欠けることは何一つないし貴女はすべてに欠け続ける。』
『貴女の前歯は永久に欠け続ける。貴女の永久歯は永久に欠け続ける。貴女は永久に絶望の夜にいて、貴女は光で在り続ける。パンが無ければ血を飲めば良いじゃない。』
『血を飲むのが厭ならパンを食べれば良いじゃない。』
『パンをかじれないなら血に浸して飲めば良いじゃない。』
『貴女の永久死は永久に絶望の夜にいて、永遠に光に在り付き続ける。』
『光を咬めないなら闇に浸して飲めば良いじゃない。』
『地獄温泉で人肉キムチを漬けたらええじゃない。』
『虚しい一生を送って何千年と慚愧に苦しめば良いじゃない。』
『火の雨に八つ裂きにされる未来を待ち受けて、思う存分肉を頬張れば良いじゃない。』
『頭おかしくなって閉鎖病棟で薬漬けにされて三年後に消滅したら良いじゃない。』
3時間ちょっと転寝こいて俺は起きた。
今は午前2時24分。
太宰治、享年三十八歳。死んだ六日後は、三十九歳の誕生日であった。
愛してもいない女と、心中死。
誰一人にも、自分の悲しみが届かないと感じる悲しみ。
その悲しみのなかで、太宰は死んだ。
イエスは言った。
「誰かを特別に愛したところで、誰かから特別に愛されたところで、一体なんの意味があるんやろうか?」
イエスは人々の幸福を虚しきことだと言い切った。
彼は神に愛され、神を何よりも愛していた。
神を愛するとは、すべてを同等に愛するということである。
イエスは俺に言った。
「前歯が欠けて、その上、真の読者に貴女の悲しみが伝わらなくて喪ったことで貴女が絶望しているのは、貴女が神を愛していないからだ。神を愛しなさい。それ以外で、貴女に救いは無い。つまり永遠に虚しい絶望のうちに貴女が生きるということである。」
一歳児の目の前のイエスが、俺に向ってそう言った。
そして言い終わると泥の海に泳ぎに行った。
そして川獺の姿で帰って来て、俺の目の前に咥えて持ち帰ってきた一匹の魚を地に置いて俺を見上げた。
イエスは俺に向って言った。
「ほら御覧なさい。一匹の魚が苦しんでいる。一体だれがために、この魚は苦しんでいるのだろう?」
魚は呼吸が出来なくて苦しそうに地の上で跳ねた。
イエスはまた言った。
「此処には泥の水しかありません。泥の水でこの魚は生きてゆくことはできません。なのでわたしが連れて来たのです。」
魚は跳ねながら瀕死の断末魔の苦しみに助けを請うている。
俺は全身が血塗れて地に横たわっていた。
その血は俺が今まで殺して食べてきた動物たちの血である。
血の水溜りで魚が跳ね続ける。
真夜中の海辺で、川獺の姿をとったイエスが俺をじっと見つめている。
川獺のお腹がきゅるるるるるぅと大きな音で鳴った。
どうやら川獺のイエスは御腹を空かしているようだ。
その時、どこかからわらわらと猿の群れが現れ、死に掛けているその魚を俺とイエスの目の前で火で炙って取り合いながら食べ始めた。
猿は叫んだ。
「俺は生き残るがおまえらは死ね。」
よく観ると、人間だった。
人間が毛むくじゃらでケツが赤いというだけで、猿と見分けが付かないということがわかった。
猿たちはうきききききと鳴いてどこかへ行った。
残された魚の骨には、まだ身が付いていた。
川獺のイエスがそれに近づき、くんくん臭いを嗅いだ。
そして俺に向って言った。
「なんて気持ちの悪い臭いだろう!」
そして排泄を俺の目の前で行なうと今度はみずからの排泄物をくんくん嗅いで言った。
「わたしのうんちのほうが何億倍と良い香りがする!」
俺は魚と川獺の排泄物を臭ってその臭さを匂い比べた。
川獺の排泄物のほうが数億倍臭かった。
俺はイエスを愛し、イエスを崇拝した。
イエスは俺に向ってくるんと身を翻して回って尻尾をがじがじして毛繕いをしたあと言った。
「わたしに着いて来なさい。」
俺は疲弊した重い身体を起き上がらせ血を滴らせながらイエスの後を着いて行った。
「お金を貸して欲しいと頼む人と共に何マイルも行きなさい。」
イエスは歩きながらそう言った。
「迫害してくる者の為に、自分の食べる物を与えなさい。」
飢えた川獺の姿のイエスは痩せ細って毛並みも酷かったが、しっかりとした足取りで歩いて行った。
何も、何も、食べるものがない。
イエスと共に、俺は何マイルと歩いた。
荒れ果てた荒野を。
何一つ、食べられるものも飲む水も一滴もなかった。
気づけば俺と川獺の排泄物の臭いは無臭になっていた。
俺はあまりの苦しみにイエスに向って言った。
「イエスよ。もう歩けません。もう一ヶ月近く、食べても飲んでもいません。」
川獺のイエスは振り返り言った。
「右の腕が貴女をゲヘナに投げ込むならば、それをわたしに食べさせなさい。」
俺は右の腕を第一関節のところで折り畳みナイフで少しずつ切って行った。
あまりの激痛に何度も気絶した。
するとイエスは自らの排泄物を俺に食べさせた。
不思議なことに痛みが大分と和らいだのだった。
捥いだ右腕を、イエスの前に差し出した。
イエスはくんくん嗅いで言った。
「なんて臭い腕だろう!これはわたしの食べ物ではありません。」
俺は嘆き悲しんで叫んだ。
「嗚呼!死んでしまいたい!」
イエスは俺に言った。
「貴女が死を求めるならば、死をわたしに食べさせなさい。」
俺はそうしてこれまでの、すべての虚しき事象を捏ねて真っ黒な団子を作り上げた。
川獺はその黒団子を食べるとすぐに排泄をした。
そしてくんくん嗅いで言った。
「これも相当臭いけれども貴女の右の腕のほうが何億倍と臭い!」
俺は嗅いで嗅ぎ比べてみた。
双方はとてつもなく臭く、その臭さの違いは俺にはわからなかった。
だが、此処に来て、俺はとても驚いたのだった。
これほどの臭さがあるとは、それはとてつもない数の存在たちの集合体だということだからだ。
しかしイエスは、みずからの排泄物を指差し、はっきりと俺に言った。
「これが、死だ。」
「死と言う、宇宙だ。」
「とんでもなく臭いが、貴女の右腕のほうが遥かに臭いのである。」
「貴女はそれを知る必要がある。」
俺は叫んだ。
「嗚呼!神との分裂!大いなる分裂!神とわたしの中間が死であったとは!」
「神と最も遠いわたしと神の中間にすべての存在以前が詰まっていたとは!」
「神よ!御憐みください!わたしは死へ向かって歩いているのです!」
すると白い川獺のイエスはわたしの膝の上に丸くなって眠ると言った。
「そうだよ。だからしっかりと、前を向いてひたすら歩きなさい。死を目指して、生きなさい。」
隔たりが。
そこには。
草を売る男。
往来で。
長蛇の列。
草を売って貰う為。
彼に。
置いて。
椅子を。
簡易テーブルと。
上に。
狭い往来の。
この幅の。
売って。
育てた草を。
此処で。
教わらなくてはならない。
商いを。
行けない。
生きては。
しなくては。
育てた草を。
この中だけで。
升目。
この一つの。
並んで。
皆。
教わりに。
草を育てる方法を。
みんなのもの。
スペースは。
この往来の。
与えられている。
一人の人間に。
一つ一つの升目が。
生産方式。
素晴らしき。
この往来。
広がらせ伝わる。
イメージを。
空間に。
外的世界の。
打ち破り。
内的世界を。
彼の。
その摂理。
育て始める。
草を。
浮かび上がり。
空間に。
四角い升目は。
それぞれの。
静かに。
座ったまま。
椅子に。
立ち上がることはない。
彼は。
風を切って。
脳内ヴィジョンでは。
切って導く。
空間を。
両手で。
糞を撒く。
草を食べ。
草を売り。
草を育て。
正しい反復動作で。
四角い升目の人々は。
し続ける。
繰り返し反復作用を。
機械的に。
平面となり。
また。
浮かんでは。
宙に。
四角い升目は。
生きる為に。
後。
走り去る。
轢いて。
滑らかに。
往来を。
物体が。
回す。
大きな車輪を。
導く通りに。
彼が。
伸びる。
ぐんぐん。
吸い取り。
液を。
血。
四角い升目たちの。
平面となった。
轢かれて。
生えた草たち。
往来に。
繋がる。
彼と。
伸ばし。
足先に。
見えない。
彼の。
その先を。
伝授する。
引き換えに。
育て方を。
草の。
並ぶ人たちに。
この往来に。
今日も。
彼は。
育て始める。
草を。
四角い升目となり。
教わり。
育て方を。
正しい草の。
人々は。
引き換えに。
生命と。
暮らし。
人々の。
このスペース。
この世界。
これが。
生きることの叶わない。
この往来でしか。
与えられている。
すべてを。
四角い升目たち。
システム。
神の。
美しき。
光景。
未来の
完全なる。
サスティナビリティ。
在らん事を。
多幸の。
彼に。
、、
、
する。
平に。
往来を。
車輪が。
叫ぶ。
オウライと。
着け。
耳許に。
両手を。
伝授し。
育て方を。
草の。
今日も。
何物かが。
足を喪くした。
往来に。
、、
、
alllight。
在らん事を。
多幸の。
凡てに。
そこには隔たりが在るように見えるが。
往来で草を売る男。
彼に草を売って貰う為、長蛇の列ができている。
この幅の狭い往来の上に。
簡易テーブルと椅子を置いて。
此処で育てた草を売って。
商売というやつを、教わらなくてはならない。
そうしなくては、もう生きては行けない。
この一つの升目。
この中だけで育てた草を。
草を育てる方法を教わりに、皆並んで。
一つ一つの升目が一人の人間に与えられてはいるが。
この往来のスペースはみんなのもの。
この往来は、素晴らしい生産方式。
その摂理は、彼の内的世界を打ち破り。
外的世界の空間にイメージを広がらせ伝わる。
それぞれの四角い升目は空間に浮かび上がり。
草を育て始める。
彼は立ち上がることはない。
椅子に座ったまま静かに。
脳内ヴィジョンでは風を切って。
両手で空間を切って導く。
四角い升目の人々は正しい反復動作で。
草を育て、草を売り、草を食べ、糞を撒く。
四角い升目は宙に浮かんではまた平面となり。
機械的に繰り返し反復作用をし続ける。
生きる為に。
そして彼が導く通りに、大きな車輪を回す物体が。
往来を滑らかに轢いて走り去る後。
轢かれて平面となった四角い升目たちの血液を。
吸い取りぐんぐん伸びる。
往来に生えた草たち。
その先を彼の見えない足先に伸ばし。
彼と繋がる。
この往来に並ぶ人たちに草の育て方を。
引き換えに伝授する。
彼は今日も。
四角い升目となり草を育て始める。
人々は正しい草の育て方を教わり。
生命と引き換えに。
これがこの世界。このスペース。 人々の暮らし。
この往来でしか生きることの叶わない。
すべてを与えられている。
四角い升目たち。
神のシステム。美しき。
未来の光景。完全なる。
サスティナビリティ。
彼に多幸の在らん事を。
往来に足を喪くした何物かが。
今日も草の育て方を伝授し。
両手を耳許に着けオウライと叫ぶ。
車輪が往来を、平にする。
alllight。
凡てに多幸の在らん事を。
前回に引き続きまして、「菜食への移行によって不調になる理由」をまとめてみたいと想います。
⑮動物性の豊富な蛋白質の代わりに、植物で蛋白質を補えていないのではないかと考えて不安になっているから…??
人々は、何の根拠もないのに、動物性なら良質な蛋白源が必須摂取量摂れて、
植物性では良質な蛋白源が摂取できない。という考え方をしている人は多いように想います。
しかし近年は、人類はたんぱく質(エネルギー)の摂り過ぎで病気を引き起こしていると言われています。
以前にも載せましたが、
たんぱく質を多く含む食品は同時に脂質も多く含み、たんぱく質自体もエネルギーをもつ栄養素であることから、
エネルギーの摂取過剰になったり、他の栄養素とのバランスが崩れたりする。
長期間にわたり過剰なたんぱく質を摂取すれば、骨量の低下や糖尿病、心血管疾患になるリスクの増大などの危険性が高まります。
(『フィット・フォー・ライフ ——健康長寿には「不滅の原則」があった!』より引用)
1. 人間のタンパク質の老廃物の70%が体内で再利用されている。
2. 人体は便、尿、髪、皮膚、発汗等を通して、一日に約23gのタンパク質しか失わない。
だから、現在推奨されているタンパク質の量は多すぎる。
つまり1日の必要量は、失われるタンパク質23gを補うだけで充分。
それ以上摂取しても、体は余剰分を排泄しようと試みる為、体内組織に重い負担がかかる事になります。
さらに問題は、余剰に摂取したタンパク質が体のエネルギーを奪うどころか、有害な老廃物として体内に蓄積されてしまうこと。
私達は、タンパク質が最も重要な栄養素だと信じ込まされてきていますが、その考え方こそ誤りであると、ハーヴィー・ダイアモンド先生は言い切っています。
『フィット・フォー・ライフ』
ダイエット(食事制限)を健康維持の“特効薬”だと信じ、無条件で受け入れがちな日本の健康ブームのあり方に一石を投じる書。
著者らは米国でカリスマ的人気を誇る栄養科学のカウンセラーだ。
1985年に初版が世に出て以来、今日までに世界で1000万部以上が刊行されたロングセラーである。
溢れんばかりの健康関連情報の中にあって、我々は自然に即した本来の法則、すなわち「生命の法則」とも呼ぶべきルールを見失っていると言う。
例えば、人間はもともと果食動物だったのだから、まずは果物を中心としたメニューを構成せよという。
「果物は私たちの体内に摂取できる最も重要な食べ物だ」とまで言い切る。
一方で「牛乳は決して人間のために作られたものではない」と論じ、カルシウムを取るためだけならば果物や野菜で十分だと、具体的な食材の例を示して解説する。
ダイエットについては「私たち人間のあらゆる行動のなかで、最も効果がなく奇妙な行為」と批判する。
本書の後半では1日3食、4週間分に及ぶ理想のメニューを示す。
さらに果物と野菜を中心とした推奨料理のレシピを公開している。
本書向けに最近加筆された章もあり、米国民の肉食離れやベジタリアン(菜食主義者)が増加している実情などにも触れる。
からだの力が目覚める食べ方 (ディスカヴァー携書) 著ハーヴィー・ダイアモンド
バナナはステーキより良質な蛋白源!
蛋白質を摂取するために肉を食べる必要はありません。
中国人はアメリカ人より肥満や心臓病は少ないが、先述の通り、蛋白質の摂取量のうち動物性食品が占める割合はわずか7%です。
しかし、アメリカ人の場合、その割合が70%にも達しています。
蛋白質はアミノ酸から構成されているから、大切なのはアミノ酸を摂取することです。
そしてそのアミノ酸は植物に含まれています。
「肉だけに含まれている栄養素というのは存在しない。
肉に含まれている栄養素は、他の食品からも摂取できる」或いは、
「人々は、動物性食品が最も良質の蛋白源だと思い込まされている為に、植物にこそ良質の蛋白質が含まれていることを知らない。
土の中から成長するものは全て、
蛋白質を含んでいるのである」と米栄養学者は述べている。
なるほど、だからゴリラや牛、水牛、象等の草食動物は、筋肉がつかずに困っているわけでも、蛋白質が
不足するわけでもなく、逞しい肉体を維持しているのです。
それらの動物は植物からアミノ酸を豊富に摂取し、そのアミノ酸から蛋白質を合成しているのです。
牛や豚、鶏等の肉を食べたところで、私達の体の中で効率よく蛋白質になるわけではなく、
それらの動物性蛋白質をアミノ酸にまで分解して、それを人の蛋白質に合成しなければならないのです。
問題は、肉を加熱調理すると、蛋白質が変性してアミノ酸が壊れてしまうことです。
その結果、いくらステーキを食べても肝心の
アミノ酸を摂取できないことになります。
信じられないかもしれないが、バナナのほうがステーキよりも蛋白質源として優れています。
バナナには人体に必要な良質の蛋白質がそのまま含まれているからです。
朝食にフルーツを摂り、それ以外の食事で生野菜を食べれば、
十分な量のアミノ酸を摂取できるから、蛋白質不足には絶対になりません。
現代人は動物性蛋白質を摂らなければならないと思い込まされているから、レタスから蛋白質を摂取する等というのは突飛な発想のように思えるでしょう。
しかし、土の中から芽を出して成長するものの中には、必ずアミノ酸が含まれているのです。
人間の体は驚異的な知性を持っているから、必要なアミノ酸を抽出して
蛋白質を合成する方法を知っています。
どんな高性能のコンピューターでも、人体の知性には遠く及びません。
リンゴを食べて、それが血となり肉となり骨になる。
これは、まさに奇跡としか言いようがありません。
科学がいかに発達しても、実験室でこれと同じことはできません。
皆さんの体はこの作業を何時も行っているのです。
フルーツや野菜からアミノ酸を抽出して蛋白質を合成するくらい、人体にとっては簡単なことなのです。
●蛋白質の摂り過ぎに注意しよう
蛋白質は誇大に宣伝されている為、現代人は蛋白質不足にならないように肉を食べなければならないと思い込まされています。
しかし、それは真理ではなく、金儲けの為の嘘なのです。
食肉業界は年間$2500万を売上げ、しかも常に前年比アップを目論んでおり、その為に、「肉を蛋白源にする」という考え方を世間に広めているのです。
生産者の生き残りを賭けた営業戦略ですが、それによって消費者が生き残れるわけではありません。
癌や心臓病で死んだり、糖尿病や関節炎を患ったり、肥満の為に
不健康な状態で生活をしたりするようなことは、誰も望んではいません。
それに加えて高血圧で悩んでいる人達が全米で6000万人もいます。
これらの病気の全てが、肉食の習慣と深い関わりがあるのです。
癌や心臓病は、偶然にかかるわけではありません。
体質が原因で肥満するわけでもありません。
本当の原因は、日頃の生活習慣にあります。
健康になるには、体が必要としているものを与えればいいのです。
多くの科学的研究によって、肉食の習慣が致命的であることが判明しています。
現代人は蛋白質不足を心配するのではなく、むしろ、蛋白質の過剰摂取を心配すべきなのです。
食肉業界の罠に引っ掛かって「蛋白源として肉を食べなければいけない」と思い込んではいけません。
皆さんは健康になるように生まれています。
そろそろ、肉を良質の蛋白源とする発想を捨てたほうが無難です。
●この章のまとめ
✦現代人が肉を食べて蛋白質を摂取しなければならないと考える原因は、食肉業界の大規模な営業戦略を展開しているからである。
✦強靭な耐久力を兼ね備えた象や水牛等の動物は、草から蛋白質を摂取している。
✦蛋白質を摂取するには、蛋白質を構成するアミノ酸を摂取するのが合理的である。
✦人は、動物性食品が最良の蛋白質源だと思い込まされているが、むしろ良質の蛋白質はアミノ酸の形で植物性食品に多く含まれている。
✦米医学界の重鎮も「人間は本来、肉食に適しておらず、植物を食べるようにできている」と述べて植物性食品を中心にした食生活を支持している。
✦人間が動物を殺して食べるところを想像するのを心理的に嫌うのは、人間が本能的に肉食に適していないからである。
✦癌や心臓病、糖尿病、関節炎、肥満、高血圧等は、肉食の習慣と深い関わりがある。
ハーヴィー・ダイアモンド先生の著書をわたしはまだ読んでなかったのですが、読みたいと想っていた本です。
植物だけではたんぱく質不足になる、栄養不足になると無根拠に不安になっているのであれば、この二冊の本は読む価値がとても高いのではないでしょうか?
実は昼に植物のサプリメントを5種類飲んでから、すごく胃腸の調子が悪くて動悸もしています。
わたしがサプリメントを摂り始めたのはVeganで不安だからというよりも、とにかく鬱症状(肉食時代からの)を少しでも治したいという想いで摂り始めました。
サプリメントになるくらいの植物(ハーブなど)はものすごいエネルギーで当然たんぱく質もそこらの植物よりも豊富であるはずです。
エネルギーの過剰摂取になっているのだと想います…
(考えればわかりそうなものなのですが、今まで4種類が平気だったので、4種類増やしても大丈夫かなってどんな考えなんだ(笑)まあなんでも試してみたい性格なんですね。)
しかもパラサイトクレンズ中で、飲んでいるハーブもそれは強力なハーブです。サプリメントとの併用は良くないようです。
あとは食事中や食後にすぐに飲み物を飲むということがすごく悪いと感じています。(ハーヴィー先生も言っています。)
畜肉・乳製品・卵を断って6年と9ヶ月、Vegan(完全菜食者)になって2年と2ヶ月ほどですが、未だに栄養学について、しょっちゅう調べています。
でも最後は、何が正しくて何が間違っているのかを、自分で判断せねばなりません。
真実を死ぬまで追究してゆくことが大切ですが、大事なのはやはり自分が心から続けたい食生活を心から信じ切ることです。
その為にも、”何の為に自分が菜食を続けて行きたいのか”、明白に自分の真髄に打ち立てましょう。
つづく…
パラサイトクレンズ2日目🌟10日
月齢 2.5(大潮)
少々、俺の町内(腸内)が改善してきているのか、便秘がマシになっているようである。
パラサイトクレンズ3日目👽11日
月齢 3.5(中潮)
少々、今日も俺の町内はいい感じであるからか、俺の「SO/KU」は、良いかも知れぬ。
昨夜(10日の夜)と今日の夜(11日の朝方)、二夜続けて悪夢を見た。
一昨夜は人に呪詛を吐き続けて寝たのでそれは関係しているかもしれぬ。
が、その後、その相手とは一応仲を取り戻した。
それだのに今日の夜もまたも悪夢を見た。
具体的にどういう悪夢だったかというと一夜目はうちのうさぎのみちたがこの世を旅立ち、自分のせいで死んでしまったことに後悔して泣き叫んでいる非常に苦しい夢であった。
二夜目の悪夢は以前に自分に好意を持っていた男性が未だに続く宿怨の末にわたしの姉兄に危害を加えようとしており、姉の命がその男によって奪われるかも知れぬ恐怖に脅え、その男に会いに行って声にならぬ声(声を出そうにも出ないのである)で必死に苦しみながら呪詛を吐き連ねる。という夢であった。
夢といえど、ああいう夢を見るのは魂が縮む想いである。
この悪夢はもしかすると先日から行なっている”パラサイトクレンズ”が影響している可能性もあると考えられる。
パラサイトクレンズを実践した方たちに「普段は見ないのにとても悲しい夢を見た」とか、「変な夢を見た」とか、「怒りに似た激しい怒りに苛まれる」「精神的に酷く落ち込む」などと書かれている人がいたような気がする。
- 10日間続けて飲んで、その後に5日間休む。
- この1クールを3回行い、合計45日で終了させる。(5日間休むのは身体が抗体を作らないようにする為)
パラサイトクレンズは必ず寄生虫をすべて体内で死滅させ、体内から排出してしまうという寄生虫ちゃんたちにとって非道な遣り方ではないんですね。
悪玉寄生虫たんを、善玉寄生虫たんに変質させることができれば、平和な人類と寄生虫との共生が生まれます。
寄生虫も一個の尊き生命でありますから、殺してしまうより、健康的に共生できると良いなと想います。
大体、普通で40種類ほどの寄生虫が人間の体内にいるそうです。普通でこれですから、増やすのは危険そうですよね。
前に載せた写真や映像の腸内に
←こういう状態で敷き詰まっていた場合はかなり危険だと想われますが、日本なら危険な刺身や生肉(加熱十分な肉)をしょっちゅう食べていない限り、ここまでなることは多分…ないかと想われます。
あとは動物性肥料で育てられた野菜はよく洗って、熱を通して食べる方が良いです。
生で食べる野菜は自然栽培(無農薬・無肥料)のものか、水耕栽培、クリーンルームのものにしましょう。
そして寄生虫が心配ならば何より
- 肉や魚介(加熱が十分にされているかが解らない為)を食べない。
- 乳製品や甘いもの(寄生虫ちゃんの大好物)を摂らない。
- ジャンクフードに偏らない。
肉でも野菜でも穀類でも、高温で熱し続けるほど強力な発がん性物質を生成します。
中でも特に危険なのは肉と魚を高温で焼くことだそうです。
肉や魚の焦げた表面の抽出物が報告されている測定値より数百数千倍も強力であることが判明したのだそうです。
苦しいガンになりたくなければ焼いた肉や魚介は食べないほうが身の為であります。
以前にも載せましたが、わたしが今回買ったパラサイトクレンズのハーブサプリはこれら三つのハーブサプリです。
三つ目はオリーブの葉のエキスです。
黒クルミ、ニガヨモギ、クローブのほかにオリーブの葉、オレガノオイル、フランキンセンス、タイム、ショウガ、ニンニク(生)、ノニなどなどもパラサイトクレンズに良いそうです。
寄生虫ちゃんは最低で多分40種類は体内で暮らしていますから、色んなものを試してみると良いですね。
温暖化が進み、寄生虫に悩まされる日本人が増えているそうです。(カタツムリやナメクジの這った後の野菜はとても危険です)
一種類ずつ、10日間続けて(間に5日間の休みを入れて)みようと想います。
iHerb(アメリカの輸入ショップ)で毎回(新規も顧客も)5%割引コードが使えるようになったそうで、良ければ以下のコード(どちらか片方しか使えないようです)をお使いください。
(クリックすれば入るようになっています。)
iHerb ハウス(自社)ブランド10%割引紹介コード(もし、 iHerbハウス(自社)ブランドの売り上げにつながった場合は、10%が還元されます。)
↑すべてVegan(植物性100%)、Cruelty-Free(動物実験されていない)の商品を購入しています。
使っている石鹸に使われているパームオイルは「レインフォレスト・アライアンス認証パームオイル」という持続可能な農業基準に基づいて生産されたパームオイルです。
是非、アレルギーになりやすい動物性の成分の入った製品や、動物が虐待され続けている動物実験を行なって開発された製品を買うのはやめて、
「Vegan・Cruelty-Free」の商品に切り替えてください。
このように、iHerbでは、左横の「認証&ダイエット」という項目のところで「動物実験なし」「ビーガン(Vegan)」で絞込み検索することが出来ます。
(たまにそうではない商品が混ざっていたり、そうであるのに出てこない場合もあります…)
(「動物実験なし」の上の「Not Tested on Animals」という項目も同じく「動物実験されていない」という意味ですね、今頃気づいちゃいました。。。)
(同じく「リーピングバニー」という項目も動物実験を行っていない製品であることを示す「リーピングバニー認定」を取得している製品ですが、そこにチェックを入れると59品に絞られてしまいますね。。。)
肉中毒・乳製品中毒・甘いもの中毒など、すべて寄生虫が異常繁殖して、体内が異常となっている可能性が考えられます。
「健康づくり」のジャンルで投稿しましたが、わたしは人類すべてが、心身ともに健康になることで他者(動物や遠い国で苦しむ人たち)の為に(畜産業の大量生産は途上国の食糧飢餓や水不足に関係しています。)自分の欲を犠牲にして生きて行ける世界になることを望んでいます。
前回の記事から6ヶ月以上経ってしまっていますが…以前に既に考察して纏めていた続きを載せたいと想います。
⑬動物性のものを食べることの苦しみよりも動物性のものを食べられなくなることの苦しみの方がまだ上回っている為
人間は極度のマゾヒストでない限り、苦しみが少しでも小さいほうを自然と選んでしまうという性質があると想います。
無理をして菜食を実践してゆく人もいるのかもしれませんが、苦しみのストレスによって病気になって早死にするのでは本末転倒です。
良い生き方が完全菜食にあるからこそ人は完全菜食を選ぼうとするのです。
森の中で原人が暮らしていた頃、最初は彼らは完全菜食であったかもしれないし雑食であったかもしれません。
人間の歯の構造を観てみると小さな犬歯があります。
犬歯とは動物では肉を食い千切る為の歯です。しかし人間の犬歯は肉食動物の鋭利で立派な犬歯と比べてあまりに貧弱なものです。
これでは到底生肉を食い千切ることは叶いません。
では何のための犬歯なのでしょうか?
一説に、太古の人間は、まるでハイエナやハゲタカのように肉食動物が狩って食べ残されたその死肉(屍肉)のおこぼれを喰らって生き延びていた。とされています。
確かにこの話なら至極納得が行きます。
何故ならその腐敗して行こうとする死肉であるなら、人間の犬歯で食い千切ることのできるほどに柔らかい状態となっているはずだからです。
先祖が、まるで餓鬼のように転がっている死体を貪って口の周りを腐った肉で汚しながら食べていたのかと想像すると悲しくなりますが、そうであった可能性は十分考えられます。
そして人類の祖先はやがて獲物を狩れる武器を作るようになり、火を起こすことを覚えます。
獲物を狩っても人間の犬歯では硬いゴムのような生肉を食い千切って食べることはできません。
小さく切ったとしても、もののけ姫のアシタカのように、噛み切れずに出してしまうことでしょう。
じゃあサンはどうしてたんだと考えると、たぶんサンは小さく肉を切って噛まずに飲み込んでいたか、それともモロの君(犬神)に噛んで柔らかくしてもらった肉を食べていた可能性も考えられます。
硬い肉や生では食べられない植物を食べる為に、人間は火を起こすことを覚えたのでしょうか。
肉を加熱して柔らかくすることで、ようやく人間は自分の歯で肉を噛んで食べることができます。
初期人類の大部分は日常的に人肉を食べていた!?(スペイン研究)
初期人類、原人たちは、今のわたしたちのような倫理観を持っていたのでしょうか?
もっとも、現代でも食人の習慣がある地域もあるのかもしれません。
彼らがどのような想いで人を食べているかはわかりません。
しかしもし、他にいくらでも食べ物があるのならば、あえて人を食べることなどしないほうが良いと考えるのが自然です。
人類の脳が、肉食によって進化して来たという根拠はどこにもありません。
もし、本当に肉食によって人類が進化してきたのならば、何故、肉は人間にとってこれほどに消化に悪く、内臓を駆使させて老化を早め、さらに腸内で腐敗し、悪玉菌を増殖させて血液を汚し免疫力を低下させ、体内を酸性に傾けて病気になりやすい身体を作り上げるのでしょうか?
肉食が人間にとって正しいのであれば、もっと人間の身体にとって良いことばかり起きてくれるのではないでしょうか?
古代の人類の食生活に肉食が正しかったとしても、現代の人類にも同じく肉食が正しいということにはなりません。
人間の体内構造とは進化して変化して行くものだからです。
「脳が進化する」とは、人間の「倫理感」「道徳観」「不正や不義」といった感覚や感情も進化するということです。
そうでなければその進化を喜べるでしょうか?ただ利己的に進化しても人は同類を殺し、殺し合いの末に滅びてゆくでしょう。
もっとも、現在、畜産業の大量生産や海の乱獲によって人類は急速に第六の大量絶滅へと突き進んでいますから、この現状を観ても「脳が肉食によって進化したから肉食は正しい」などと言っていたらそれこそ本当に脳は進化していない事を意味しています。
人間が本能的に不快な感覚を催す「動物を殺す行為、動物を解体する血生臭い行為」について自然と拒否反応を起こし、できればそんなことを行なわなくとも生きて行く事のできる身体になりたいと願うのは自然なことであり、本当に賢い進化ができるのであれば、人類は自分の体内構造さえ変えてゆくことができるはずです。
よって、古代の人類が肉食をしていたから現代人も肉食をしないと健康になれないという根拠にはなりませんし、また人間よりも脳の進化していない肉食動物が肉食をして弱肉強食の世界に生きているからと言って、それ以上に脳の進化した人間も同じく肉食をして弱肉強食の上に生きて行くことが正しいという根拠にもなりません。
話を戻しますと、「動物性のものを食べることの苦しみよりも動物性のものを食べられなくなることの苦しみの方がまだ上回っている」状態とは、言い換えると「植物性のものだけを食べて生きることの喜びよりも動物性のものを食べることの喜びがまだ上回っている」状態にあると言えます。
その場合、植物を樹からもぎとる行為よりも動物を殺して解体する行為のほうが喜びであると自分自身に胸を張って言えるでしょうか?
そうではないと否定するならば、それはまだ「動物性のものを食べる」ことと、「動物を殺して解体して食べること」がしっかりと自分の感覚のなかで結びついていない事になります。
その二つを結びつける為に、現実を直視し続ける必要があります。
目で見る。触れて確かめる。臭いを嗅ぐ。声を聴く。これらが現実に触れるという行為です。
目で見るためには映像、場の見学、牧場に行く。
牧場に行って手で家畜に触れることができるかもしれません。
場は独特な臭いと熱気で噎せ返っていて見学する学生のほとんどが嘔吐したり、吐き気を催し気持ちが悪くなると言われています。
そこでは家畜たちの悲しい鳴き声も聴くことができます。
現実から目を背け、「動物性のものを食べることの苦しみよりも動物性のものを食べられなくなることの苦しみの方がまだ上回っている」状態で完全菜食を続けていくと、その無理が祟って不調になるのは当然であると想います。
わたしは「美味しい食べ物」が食べたいという食欲は今でもすごくあります。
でも「美味しい食べ物」とは、動物性に限られているわけではないのです。
例えば、こないだもスーパーのキャベツと霜降りまいたけを炒めたものに、
- Simply Organic, Grilling Seasons, Steak, Organic, 2.3 oz (65 g)
- Simply Organic, レモンペッパー、3.17 oz (90 g)
- Simply Organic, アドボ・シーズニング、 4.41 オンス (125 g)
- Simply Organic, パセリ 0.26 oz (7 g)
これだけを振り掛けて食べたのですが、物凄い美味しさで癖になるほどでした。
スパイスの成分のところを観てもらえばわかりますが、何種類もの成分、スパイスがミックスされています。
この美味しい植物料理を食べても、肉の旨味が欲しいと感じることはありません。
菜食者になると決めたのであれば、何年と掛けてでも心から美味しいと感じる、植物だけで十分に満足できる料理をがんばってわくわくする想いで編み出してください。
⑭陰陽の陰の植物に偏りすぎた為(身体を温める植物もバランスよく摂る必要がある)
陰陽とはマクロビオティックの原理であり、また東洋の伝統的な世界観でもあります。
中国や日本では古くから、物事を陰陽というモノサシで見る見方が発達していました。
東洋のこうした考え方に共通なのは、陰の性質と陽の性質の織りなすメカニズムが、森羅万象に浸透しているとする点です。
ですから体質だけでなく、食べ物や人間関係や、科学の中にもその働きを見ることができるのです。
また、人の体質や性格にしろ、食べ物にしろ、まったく陽性だけとか、まったく陰性だけということはありません。
形あるものは必ず、両方の要素をもっています。
たとえば伝統的には男性は陽、女性は陰とされてきました。
全体的に比べると、そういえるのですが、部分的に見れば、男性も女性も複雑に陰と陽の性質をあわせもっています。
陽性
- 動物性
- 寒い地域でよく育つ
- 背が低い植物
- 根菜
- 丸い形の野菜や穀類
- 小さい野菜
- 水分が少ない
- 苦い、塩辛い
- ナトリウム=塩分(ものを収縮させる働きがある)が多い
- 日に干したもの
- 長時間、加熱したもの
- 圧力をかけたもの
- 植物性
- 暑い地域でよく育つもの
- 背が高く成長する植物
- 葉菜
- 細長い野菜や穀類
- 大きい野菜
- 水分の多いもの
- 甘みの強いもの、酸っぱいもの、辛いもの
- カリウム(ものを拡張させる働きがある)が多い
- 短時間、加熱したもの
- 圧力をかけないもの
・磁石のS極とN極のように、陽は陰を引きつけるという法則があります。
・陰陽の法則は、わかりやすい現象から実際に観察し、実践することにより、体得していくことが大切です。
完全菜食者であっても、避けるべき食べ物があります。
特に
- コーラ、砂糖入り飲料水
- イーストパン(砂糖入り)
- 菓子パン
- 日本酒(合成酒)
- 白砂糖(精製された砂糖)
- 化学調味料(人工添加物)
- 砂糖菓子
- アイスクリーム
- 複製塩
画像を拝借したサイト様
マクロビオティック的陰陽表