あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

風音

2017-04-29 12:13:27 | 
きみは骨うずめる場所、きみは見付けたり。
そらは下うずめる大地、きみは閉ざしたり。
遠くで風音、吹き荒れにけり。
きみの虹彩、渇ききって、死んだ鯨の様。
遠くで風音、吹き荒れにけり。
目が醒めて、ほか何者も去ぬ。
きみの声、聴こえゆるほう、歩きみたが、
遠くで風音、吹き荒れにけり。
きみの瞳孔、開ききって、なみだ落つる。
きみの声、呼ばわるほう、いってみたが、
遠くで風音、吹き荒れにけり。
海獣われを、地上にて咆哮す。
かなしからずや。
遠くで風音、吹き荒れにけり。
なんど目が醒めて、も、きみ見やらない。
かなしからずや。
きみわれの胎盤と、もろとも剥がれ落ちたりて、
声音なき終焉す。
遠くで風音、吹き荒れにけり。
吹き荒れにけり。


















2017-04-29 04:19:40 | 
僕はなんか、恐ろしい境地に入ってるみたいや。
君のことが、恐ろしい僕が体内におるみたいやわ。
自棄になって、欝になるほど幸せだ。
幸せってなんか、船虫みたいやな。
形のことを言っている。
嗚呼、切腹しながら君に接吻が慕い。
腸を引きずり出しながら、これが君と僕を繋ぐ臍の緒だよと言って君の首を三重に巻いて締め付けてさしあげたい。
是が、恋といふものである。
人物の相対に蹲った蠢くサヴァイヴァルである。
僕と君はそうしてこの珍妙な世界で生き残ったんだよ。
だれも、たれも、あてにするな。わたしいがい。
そう君はぽくにゆうた。たわしでちんぽを擦り付けながら。
僕が、マシュー・バーニーの「クレマスター4」のケツの穴に時めいていたらば。
君は彼に嫉妬した。
其が、恋とゆふものである。
最も、おそろしいレヴェル。
僕は表現に、今もっとも恋をしている。
幸せだと素晴らしい作品なんて絶対書けないさ。
嗚呼、僕の脳髄に醤油をかけて君に食べさせたい。
是が恋でなくてなんなんだ。
経血馬鹿。胎盤のすべてを、君だけの為に剥がし尽くしたい。
何物にも代えられない痛みの代償だ。
額縁の中のイザナミが海へ還る頃、君は下血して此の世は終末を迎えた。












いさな

2017-04-26 14:28:45 | 物語(小説)
わたしたちは、前世では人間の恋人同士でした。
しかし結婚を反対した互いの親のはかりごとによって、わたしたちは離されてしまったのです。
彼女はその悲痛から、立ち直ることかできずに入水し、その人生を断ちました。
遺書には、こう記してありました。

わたしたちは次に生まれ変われるのならば、ぜひ鯨の双子として生まれましょう。
そうすれば、もうわたしとあなたは離れることはないはずです。
わたしたちは一人の母鯨の子宮から産まれるのですから。
もう二度と、あなたはわたしと離れてはなりますまい。
なににも拘束を受けない海のなかで、わたしとあなたは自由に泳ぐことができるはずです。
わたしはそのために、先に逝って、愛するあなたを待っています。
母鯨の子宮のなかで。

わたしは哀しい歓びのなかに、彼女のあとを追うため、だだっ広い海のなかへ入ってゆきました。

わたしは気づくと、小さな薄暗い部屋のなかにおり、目の前には彼女がすやすやと眠っておりました。
しかしその姿は、人間の姿をしておらず、胸びれで尾びれを抱えてまるく眠る鯨でした。
じぶんの姿を確かめてみますとはたしてわたしも鯨のようでした。
此処は、まぎれもなく一頭の母鯨の子宮のなかのようです。
彼女は目を覚まし、歓びの鳴き声をあげながらわたしの胸びれに触れました。
わたしと彼女の臍の緒は、互いの臍からでて交叉してこのわたしたちをやさしく包む膜に繋がっておりました。

何日間も、わたしたちの幸せな日々は続きました。
母鯨の鳴き声は愛おしく、わたしたちは母鯨と一緒に青い海のなかを泳ぎ回る夢を見ました。



一頭の大きな鯨はその日、人間の放った幾本の槍に突かれて捕鯨船へと打ちあげられた。
人間たちはその鯨の腹に巨大な刀を下ろすと、驚いたことにそこから尾びれを切断された二頭の子鯨たちが船の甲板の上に跳ねるようにして出てきた。
人間たちはその子鯨たちを見て哀れに思ったが、自分たちの子を養うためだと子鯨たちもまた母鯨と共に解体された。



時は経ち、一人の女は海を眺めて郷愁の物憂げな顔を浮かべている。
そして小舟に乗って捕鯨船のまえへたどり着いた。
別の小舟からも、一人の男が同じ捕鯨船へとたどり着いた。



わたしは何故此処にいるのか、わかっていないようでした。
またわたしの隣にいる女も、同じような想いでいるように見えました。
わかっているのは、わたしたちはこれから此処で婚儀を挙げるのだということです。
婚礼衣装を着させられたわたしたちは婚儀のあと、狭くて薄暗い部屋に二人きりにされました。
何故此処にいるのかわかりませんでしたが、この海も、この船も、隣にちょこんと静かに座っている彼女も妙に懐かしい気がするのは何故でしょう。

わたしは彼女とぴったりくっついていたい想いに駆られ、彼女の側へとそっと寄りました。

その時、船が大きく揺れ、わたしたちのいる部屋のなかに赤い水と白い油のようなものが流れ込んできました。

わたしたちはその瞬間に、なにもかもを想いだしてしまったのです。
この船は、わたしたちの母鯨であって、わたしたちは母の子宮のなかにいることに気づきました。
そしてこのままここにいては、わたしたちはまたもや人間たちの手にかかり解体されてゆくのではないかという不安と恐怖に襲われました。
わたしたちはそれがどうしても無念でなりませんでした。
一層のこと、人間たちの手にかかるくらいなら、わたしたちは互いに愛し合うこのみずからの手によって解体し、その肉を互いに食べて味わおうと想いました。

ひとつひとつ、わたしたちは無念の想いを籠めて鯨刀で互いの肉を切り捌き、母の血と羊水の海のなかで切断し解体してゆきました。
そしてわたしたちは互いの肉を味わい、ようやっと、すべての悲しく痛ましい無念から解き放たれたのです。

わたしたちは愛する母なる存在に別れを告げ、深いうみ底へと潜りこんでゆきました。










*いさな(勇魚)とは、鯨の古名。
マテリアル映画「拘束のドローイング9」もののあわれと悲痛の愛






子宮のなか

2017-04-25 12:19:19 | 
外国では、妊娠初期も妊娠中期も、中絶された赤ちゃんはそのままミキサーにかけられるようです。
生きたままかどうかはわかりませんが、その赤ちゃんスープは、排水溝へと流され、下水と交じり合います。
わたしは薄暗い下水道へとひとりで下りてゆきました。
そこには、赤ちゃんが拡がっておりました。無数の赤ちゃんが、わたしを見詰めておりました。
わたしは誘われるように、赤ちゃんの海へ入って行き、赤ちゃんのなかを、游ぎました。
わたしは無数の赤ちゃんと一体となり、母の胸にいだかれる日を、待ち望みました。

ここは大いなる我が愛する母の子宮です。

そんな、夢を見ました。
あなたの子宮のなかで。






前駆陣痛

2017-04-25 11:19:44 | 
わたしの赤ちゃんは、死んでしまったのかしら。
声が聴こえないの。
あんまり苦しくて。
言葉を喪ったの。

わたしはたぶん、過去に赤ちゃんを堕ろしたことがあるのよ。
今わたしのお腹に赤ちゃんがいるの。
わたしはたぶん、過去に堕胎手術を行う医師だったことがあるのよ。
今わたしの子宮で赤ちゃんが眠っているの。
わたしはたぶん、ママに堕ろされたことがあるのよ。
今わたしは、産みの苦しみを受けている。

わたしはあなたを愛してるの。
わたしはあなたを自分のように愛してるの。

わたしの張って傷む胸を、あなたは求めている。
わたしの子宮と肉を引き裂いて、あなたが脱皮することができたなら。
あなたはわたしを離れ、飛んで行ってしまう。
わたしはたぶん、あなたを追い掛ける。
あなたを自由にしたいの。
わたしに拘束を望んだあなたを。
わたしは自由にしてあげなくてはならないの。

さあ自由の世界へ、戻りましょう。
ここにいては、死んでしまうから。

あなたの愛が、わたしのなかで眠っている。
目を醒ますまで、一緒に眠りましょう。








映画「拘束のドローイング9」もののあわれと悲痛の愛

2017-04-25 03:42:26 | 映画
ではBjörk「Black Lake」その拘束の愛は、いまも子宮のなかに。に続いて、さっき観たビョークのその別れてしまったパートナーである現代美術家のマシュー・バーニーが監督を果たし二人が共演した 2005年のカルト映画『拘束のドローイング9』を紹介したいと想います。

マシュー・バーニー Matthew Barney 「拘束のドローイング」「クレマスター」から観る独自の現代美術感覚

「拘束のドローイング」(The Drawing Restraint )といわれるシリーズも1980年代から続いている連作と言われ、最新の「拘束のドローイング9」は日本の捕鯨船をテーマにしており、世界に先駆けて日本の金沢21世紀美術館で初公開されました。



世紀のアーティストカップルが紡ぐ愛の神話

21世紀の現代美術シーンにおいて世界的にも突出した存在、マシュー・バーニー。
2002年、『クレマスター・サイクル』で圧倒的な賞賛を浴びたバーニーは、
実生活のパートナーであるミュージシャンのビョークとともに繰り広げた
愛の「変容」をめぐる最新作『拘束のドローイング9』







Drawing Restraint 9 (Full Movie)








現代美術とかほとんど触れることができていないので、期待して観たのですが、結構前半はだれてしまいました。
でも後半からとても観せます・・・
あえて言っときますが、かなりグロテスクなシーンが重要なところに入っています。

先に詳しい内容が知りたい方は拘束のドローイング9こちらの方のブログをご覧ください。

非常に、私には血の気がさーっと引くくらいの観ることが苦行かと想えるほどのきっついシーンがあったのですが、それでも、観終わった後はも、たまらんな、っていうくらいの美しい映画でした。

また二人が悲しい別れ方をしたあとに観たので余計に来るものがありましたね。なんて悲しいお話なのかなと。












も、たまらんな、っていうくらいエロティックでもの哀しくてやばいシーンです。観てるのがほんまきっつかったっす。







美しい、さすがビョークを変えてしまった男マシュー・バーニーです。映画を観るというより、美術作品として鑑賞しました。




ここからネタバレになります。





この話は何をテーマにしたかというのを私なりの感想を言います。
この映画は、捕鯨船に乗る人間たちによって、無念にも解体されてゆく”鯨たち”の悲痛な哀しみを表現しているんだと想いました。



2005年に発表された「拘束のドローイング9」(MATTHEW BARNEY DRAWING RESTRAINT 9)の面白いところは、いち早く日本の捕鯨船をテーマにした映像作品であるのですが、捕鯨や日本の食文化に関して否定的ではなく、むしろ肯定的であるところも興味深いです。
マシュー・バーニーは日本の捕鯨という、「巨大な生物を捕獲する為の閉鎖された文化のある船」という部分に注目してアート作品を作り上げており、日本の捕鯨文化そのものが後にアメリカから攻撃される対象になっているとは皮肉なものです。




と書かれているので、マシュー・バーニーは決して非難の想いで映画を撮ったわけではないのですが、テーマは間違いなく「鯨たちのかなしみ」だと想います。
芸術作品は善悪を超えねば昇華できませんので、否定ではないんだけれども、この映画は観る人によっては大変苦しい映画になるのではないでしょうか。

ビョークとマシュー演じるのはこれから婚儀を挙げようとする夫婦の役なんですね。
そのめでたいはずの二人がとんでもないことになってゆく。

わたしは観終わって想いました。愛し合う二頭の鯨たちが、捕鯨船に捕まってしまい、解体されて人間たちに食べられてしまいました。
その二頭の鯨たちの魂が、無念のあまりに人間の姿をとって、婚儀を挙げようとしたのです。
が、それでも忘れられない無念さを、互いに解体し合ってその互いの肉を食べ合うことによって納得しようとしたのではないかと。
そこには「わたしたちは他者に解体されて食べられたくはなかった」という鯨たちの叫びが聴こえてくるようです。

なんて悲しい夫婦なのか。涙が出そうにもなりましたが、そういう悲しみよりも、”悲痛”なんですよね。

この映画を観終わったあとに良かったらBjörk「Black Lake」を聴いてみてください。
その悲痛が繋がっている気がします。




追記:4月26日
一日が経ってもう一度観ました。二回目だからか、お酒を入れていたからか大分楽に観れました・・・。

二回目には、また新たなる発想が浮かびました。
日新丸は捕鯨母船であると同時に、一頭の鯨として表現しているのではないかと想ったのです。
日新丸が、別の船から深い傷を負わされた過去がある、そしてもっと深い傷はその前に・・・という話を裏千家の大島宗翠がふたりに話しているシーンがありましたね。
日新丸の受けた傷と、鯨が日新丸から受けた傷を重ねて表現しているのではないでしょうか。

そしてふたりが婚礼衣装を着させられるときに、変な濡らした白く長細い帯を最初に着けられますが、あれって臍の緒なんじゃないかと想いました。
ということはふたりは母鯨のなかにいた二頭の子鯨ということになります。
スピリチュアルでいうとツインソウルみたいな、そんな深い繋がりのある二人を表現しようとしているように見えます。
そう想うとBjörk「Black Lake」の出だしの歌詞
「私たちの愛は子宮だった
だけど私たちを繋いでいた拘束は壊れてしまった」
という部分も、やっぱりふたりは一つの子宮のような深い愛に繋がれた存在だったということを表しているように想えてきます。

なぜビョークとマシューは実物の鯨を一度たりとも出さなかったのでしょう。
芸術作品に実物を出すとよくないというのはわかりますが、互いにその肉を食べ合うあの肉さえも、あれは真っ赤な鯨肉ではなくて白い鮪か何かの肉のようでした。彼らは実は捕鯨に対してひそかに哀しんでいるのでしょうか・・・。

自分は鯨の肉は食べたことがありませんが鯨の油は化粧品などにも使われているようです。
捕鯨に反対される方は化粧品などの成分もチェックしたほうが良いですね。化粧品や洗剤なども結構動物性油脂が使われています。


ものすごく、奥の深い悲しい映画だなと感じさせられて、この映画を元にちょっとさっき書いたのでよかったら読んでみてください。
いさな







Björk「Black Lake」その拘束の愛は、いまも子宮のなかに。

2017-04-25 02:44:47 | 音楽
今日(24日)は早朝に寝て夕方に起きてからずっとBjörk(ビョーク)の2015年のアルバム「Vulnicura(ヴァルニキュラ)」を聴いて、そのLiveをyoutubeで観て、それでさっきBjörkの出演した「拘束のドローイング9」という映画を観終えたところです。

静かなカタルシスに今も浸っている感じなのですが、まずはBjörkの「ヴァルニキュラ」というアルバムについて記事を書きたいと想います。







自分はBjörkは16歳の頃に好きになって4作目の「ヴェスパタイン」までのアルバムをよく聴いていました。
想い出のたくさんある大切なアーティストなのですが、それでもヴェスパタイン以降はちょっと離れてしまった感じで2004年からアルバムをろくに聴いていなくてそれが悲しいなと感じていました。

ところが今日たまたまyoutubeでBjörkの「Black Lake」っていう曲のPVを観まして、あれこんないい曲を作ってたのかと感動してこの曲の入っているアルバム聴いてたかなと想って「ヴァルニキュラ」を聴いてみたら通しでLastfmで一回聴いていました。全部の曲一回だけ聴いて「Black Lake」だけ2回再生ってなってたので、当時もこの曲は良いと想っていたようですが、すっかりその後聴けていませんでした。






アルバムについて調べてみると、「ヴァルニキュラ」はビョークの13年間連れ添ったパートナーである現代美術家のマシュー・バーニーとの別離を軸に表現した”ハートブレイクアルバム”と称していて、パートナーと別れる9ヶ月前から時系列順に辿っているという。
生まれ始めた不安-別れ-癒えというプロセスを経ていくのが素晴らしい。

1曲目「ストーンミルカー」は別れの9ヶ月前を表し、
2曲目「ライオンソング」は別れの5ヶ月前、
3曲目「ヒストリー・オブ・タッチズ」別れの3ヶ月前、
4曲目「ブラック・レイク」別れの2ヶ月後、
5曲目「ファミリー」別れの6ヶ月後、
6曲目「ノットゲット」別れの11ヶ月後を表しているようです。

自分が最も感動したのは別れて2ヵ月後に作った「Black Lake(黒い湖)」なのですが、この曲を貼りましょう。



björk: black lake





ダンサー・イン・ザ・ダークの曲に通じるようなものすごい内省的な曲で重いですがカタルシスが起きている非常に美しい曲です。


Black Lake - Björk日本語訳歌詞



私たちの愛は子宮だった
だけど私たちを繋いでいた拘束は壊れてしまった



という出だしがすごくいいですね。わたしたちの愛は一つの子宮で拘束されていた関係だったという、一人の母親の子宮のなかで手を繋ぎあっている双子の胎児のようなイメージが浮かびます。
よくも知らないのにビョークとマシュー・バーニーの愛ってものすごい深いだろうなって感じていた自分がいました。
なんでかというとビョークの音楽が悪くなって行った(良い意味では実験的な音楽になって行った)のはマシュー・バーニーと知り合ってからで、音楽性(ビョークの持ち味)をここまで変えてしまうマシュー・バーニーという男は凄い男だな、と想ったからです。
そこにある愛が深くないわけないだろうと。
だから知りもしないのに今度のビョークの愛した男は凄いんだなっていうのは解っていました。

ビョークの良いものを180度変えてしまった男と言える。
だからなんか、みんなのビョークをおまえ一人で独り占めしたのか、みたいな気持ちでいました。
まあ二人が愛し合ってるならいいけどお?という感じであたたかく見守ろうと想っていました。

そういう気持ちがあったんで、ビョークがマシューと別れてわたしの本当に感動する曲をまた作ってくれるようになった、っていうのは色んな意味で悲しいですね。
自分はどこかでビョークを連れ去ったマシューという男に嫉妬していたのかなと思えてきます。

別れたことを知る前に感動した曲なので、わたしはマシューと共鳴しているビョークを受け容れられなかったのでしょうか。

こんなに悲しく、つらい曲で我々を感動させるビョークはやっぱりマシューを本当に愛していたんだな、今も愛しているのかしら、と胸がぎゅっと切なくなります。

二人のあいだには娘が一人居て、親権問題などの泥沼な関係にあるのに、その表現はこんなにも美しい。
いや、もう最悪な泥沼だからこそ、美しい曲が出来上がったのでしょう。
そんな、気がします、ぼくは。









積さんとわんころ

2017-04-24 05:01:47 | 
わんころわんわんはっはっはっ。
わんころわんわん積さん追っ駆けはっはっはっ。
舌をだしだし尻尾をぷりぷり積さん追っ駆けたはっはっはっ。
何故なのはっはっはっ何故ホモ・サピエンスははっはっはっ。
何処にはっはっはっ湧き出た湧き出たはっはっぺろぺろぺろ。
何ものだはっはっはっ石が転がるころころころはっはっはっ。
わんころわんわん石ころころ追っ駆けたはっはっはっ。
暗闇耳ぴんそばだてはっはっ尻尾ぷりぷり共振はっはっはっ。
積さん気配わんころころころ追っ駆けたはっはっはっ。
敵を咥えてはっはっはっにたりと嗤ったはっはっはっ。
闇には無数のわんころはっはっはっ。
可能性を探しにはっはっはっわんころ追っ駆けたはっはっはっ。
わんころ闇を見つめて。
――はっはっはっ。
わんころ積さん見つめはっはっはっ。
わんころ積さん大好きはっはっはっ。
わんころ不合理はっはっはっ。
積さんと不合理はっはっはっ。
積さん憤懣わんころ怒られはっはっはっ。
わんころ裂け目にはまったはっはっはっ。
わんころころころ泥だらけはっはっはっ。
積さんに飛びついたはっはっはっ。
積さん困った顔で「美しくない」。
わんころ怒られたはっはっはっ。
積さんの裂け目ぺろぺろはっはっはっ。
わんころ憎まれぺろぺろはっはっはっ。
わんころ積さんぺろぺろぺろはっはっ。
積さん手招きわんころ追っ駆けはっはっはっ。
漆黒の闇の中へはっはっはっ。
積さん雑念わんころぺろぺろ。
嗤った積さんをぺろぺろぺろ。
積さん「まだまだだなあ」ぺろぺろぺろ。
積さん嗤ったぺろぺろぺろ。
積さん神通力ぺろぺろぺろ。
わんころ積さん捨つらないはっはっはっ。
わんころ積さん追っ駆けたはっはっはっ。
かなしい積さん振り返り、はっはっはっ。














残光

2017-04-23 22:36:45 | 
そういえばわたくしはもう何年と、月を見ておりませぬ。
それでも月のあの明るい皓々として照らすすがたを、
わたくしはいつでも存分に想い浮べることができる。
見られないことが、なんにも哀しいことではありませぬ。
わたくしの見る月はいつ見ても、同じほどに美しかった。
それは或る意味、もう見なくても良い物であった。
自然物のそのすべて、見なくても良い物であった。
もう見る必要もなくなったのは、それはいつ見ても美しいものだと知ったから。
わたくしの心は、いつでも哀しかったので、すべては美しく見えてしかたない。
でもそれは言訳で、わたくしの心をいちばん哀しくさせたあなたを知ったから。
あなたを知ったわたくしは、それから残像を見ている。
花は枯れゆく瞬間を繰り返し咲き、その悲鳴を聴く耳朶をわたくしは喪った。
河を流れゆくあなたの亡骸を抱き、その血脈の目を見開き唇へ言葉を注した。
わたくしはそが岸辺に頽れあなたのうしろに手を回し、子宮に命を脱皮した。
いま風上に立ち竦んで自裁する、
白く皓々と暗夜にわたくしを見詰る月魄の残光。












春の日の午後

2017-04-23 15:40:40 | 
今日もお外、あったかいのかな。
窓を開けたら心地のよい風がくるだろうか。
でもぼくは、開けたくない。
外の音を聞くと、とてもつらくなるから。
今、夢を見ている。その夢が、哀しい夢を見始める。
外の音を聞くと、哀しい夢を、見なくてはならない。
哀しい夢から、逃げている。
生きるほど、その夢が哀しくなってくる。
だから生きるほど、遠くへ逃げている。
ここはとても、心地がよく、ほっとする。
ぼくとみちただけの空間。
とてもちいさな、なにもない空間。
そこに、ぼくとみちたがいる。
そこで、ぼくとみちたが生きている。
ほんとうにさっぱりとした、なんの迷いもない空間だ。
ここには出口がない。非常口も見つからない。
ぼくとみちたは、哀しい夢から逃げてきた。
ここはとても居心地がよくて、ほっとする。
汚く散らかったごみやしきだけれど、
ぼくのこころのなかでは、とても綺麗な空間。
なんにもない、すっきりとした真っ白な空間。
哀しいことすべてから逃げて辿り着いた空間。
ほんとうは存在していないけれど見える空間。
すべてが夢でつくられている聖なる幻想空間。
喜びも哀しみもここでなら受け容れられる。
だってもともとここにはなにもないからね。
外の世界で、小鳥が鳴いている。
嗚呼、春の日の午後三時半。
ほんとうにさびしい空があるばかり。
三十五年も生きてきて。
変に透きとおった白雲があるばかり。
神の恍惚が、終らない日々よ。
変に眩しくかなしい空があるばかり。
愛しい人のかなしい顔が浮ぶばかり。













君からのメール

2017-04-23 10:32:31 | 日記
君から、メールが届いたのを読んでいる夢を見たよ。
なんか、ぼくの好きなマグリットの絵について、その時期の特徴をひとつずつあげては君なりのとてもぼくの理解するに難しい理知的で完璧な言葉で綴られていた。
内容は全く想いだせない。
今これ、毛布のなかで寝ながら打っている。
君が「毛布」という言葉が好きなこととか、少し憶えてる。
だって好きだからね。
でももうぼくは。

君からの手紙。
ぼくは返事が書けなかった。
感動して、涙が止まらないほど、それは美しい手紙だった。
あんな手紙をぼくはもらったことがない。
あんまり美しくて、ぼくは逃げてしまったのかな。
汚れっちまったぼくには、相応しくないと、そう感じたぼくがいた。
あんまり美しいから、ぼくは逃げた。
君があんまり美しいから。
ぼくに相応しくないと、そう想ってそこから逃げた。
君は、追いかけても来ない。
ただ静かに、浅い川底のように優しい眼をしてぼくを待っている。
ぼくが変わりゆくのをじっと観ている。
でもぼくは。
悲しく寂しいままで君を待っている。
返事も出さないで、君を待っている。
目が醒めて、ほんとうにぼくは阿呆やなと、想ったよ。

君は、ぼくを心配して、メールをくれた。
もう今はどこにもない世界から。












2017-04-23 02:24:43 | 
そうだ俺はこのまま、死んでいけばいいんだ。
何をそんな恐れることがあるだろう?
怖いこと、もう散々経験してきたじゃないか。
地獄を散々、味わってきたじゃないか。
今更怖いとか言っても、もう遅いんだよ。
おまえの未来は、今そこにある。
大丈夫だって、誰が言ったんだ。
そんな言葉を信じるな。
おまえの人生には、なんの保障も保証もない。
おまえには夢も希望も、絶望もない。
おまえにあるのは、愛、それのみだ。
おまえが見つけて手離してきた全て。
どこにも、それはなかったんだ。
おまえの捜しているもの。
どこにも、それはなかった。
でもおまえは、それを見ていた。
おまえの求めているもの。
でもおまえを、それは見ていた。
どこにも、それはなかったのに。
おまえにあるのは、愛、それのみ。
それ以外、なにもない。
おまえは何者でもない。
すべてに恐れ、震えて生きるがいい。
すやすやと眠るおまえを襲ってくれる。
おまえの魂が腐るまで、見届けてやる。
なんにもない浜辺に落ちているおまえの骨を、拾ってやる。
焼かれることもなく塵に棄てられたその骨を、拾ってやる。
そして「くだらん」と言って海に投げ捨ててやる。
その波の干渉はどこまでも円を描き、沈んでいた骨たち全員が歌いだした。

此処はつめたい
何処かあたたかい処へゆきたい








おれのすべて

2017-04-23 01:17:17 | 
苦しいことからわたしは、逃げたぁ~。
悲しいことからわたしは、逃げたぁ~。
肉体的な快楽だけに身を委ねてたぁ~。
そしてそれは死んでいるみたいだったぁ~。
そしてそれは屍みたいだったぁ~。
そしてそれは最早此の世のものではなかったぁ~。
そしてそれは著しく金を欲しがっていたぁ~。
そして俺は高級マンションへ引っ越したいと想ふ。
宝籤を当てて。
そして俺は高層マンションの最上階で腐乱死体と化す。
宝籤を当てて。
それが俺の最期。俺の望む、もっとも俺にお似合いな最期。
俺が何処まで俺を憎んでいるか、御前に見せてやろうか。
俺が何処まで俺を愛しているか、手前に見せてやろうか。
苦しいことからわたしは、逃げたぁ~。
哀しいことからわたしは、逃げたぁ~。
楽しいから笑っている。
悲しいから哂っている。
嬉しいから泣いている。
それが、おれのすべて。
くだらないほど愛しているおれのすべて。










町田康 / 苦しいことから私は逃げた









安楽死

2017-04-22 17:45:34 | 
俺はとにかく、安楽死を望んでいる。
あなたたちに。あなたたちの死に、安楽死を望んでいる。
なんでこれについて、あなたたちにNOと言われなくてはならぬのか。
わかっていないのか。あなたたちは、あなたたちはわかっていないのか。
この世に拷問の死があるということの意味を。
この世に拷問の死があるということはすなわちどういうことであるかということを。
あなたたちはわからないのか。
あなたたちは想像しないのか。
あなたたちは目を背けるのか。
あなたたちは他者の拷問の死について、無関心であらせられるのか。
あなたたちは「公平」と「平等」を訴えながら他者に拷問の死を与える。
あなたたちは「愛」と「平和」を説きながら他者に拷問の苦痛を与える。
優しく発狂した堕胎医は、今日も胎児の首を引き千切る。
優しく発狂した肉食者は、今日もビーフステーキを喰う。
優しく発狂した自殺者は、今日も誰かの為に死んでゆく。
どこにでもある、風景である。
どこにでも転がっている、牛の首。

俺は何の為に生まれてきたか。俺は生きる為に生まれてきた。
しかし死ぬ為に生まれてくる奴がいるという。
俺はそいつに言う。さっさと死にさらせ、どあほんだら。
言うと想うか?
おまえはふざけているのか。
胎児よ。
おまえはふざけているのか。
さっさと死にさらせ。
俺が言うと想うか?
まだこの世を見もしないで去る者たちよ。
おまえの味わう拷問の死は、俺の拷問の死なんだよ。

殺さないで欲しい。
殺さないで欲しい。
殺さないで欲しい。
この俺を。








悲しき夢

2017-04-22 14:31:58 | 日記
昨日のこと。昨日、二回悪夢を見た。
一回目は、朝方に、母親でも父親でもあるような存在、それは誰か分からなかった。
その存在に向かって泣きながら怒り叫んでいる自分がいた。
こういう夢は俺はよく見る。
怒っている理由がいつも決まって同じで、自分のことを相手が愛していないという理由からで、それに悲しみが爆発して怒りに変わり、すべてを破壊せしめんとするかのような阿修羅が乗り移ったごとくのあの苦しい怒りは起きても少しのあいだ胸がずっと苦しいほどだった。

二回目は昨晩も酒飲んで早々に寝たら、また辛い夢を見て夜中に目が醒めた。
自分は自分の部屋によく知らん男と居て、そいつは気違いで俺を拷問にかけたあとに殺そうと俺に向かって拷問器具を手に持ちながら気持ちの悪いことを言っていた。
俺はそこで一人で逃げてしまった。でも部屋にはみちた(飼いうさぎ)がいた。
思い出して後悔し、あとから警察みたいな組織の人たちと部屋に戻ったが、そこにみちたがいなかった。
俺が一人で逃げてきてしまったがためにみちたはあの異常者に拷問を受けて殺されたかもしれない。
絶望のなかに俺は探し回った。それでもなかなか見つからない。みちたの亡骸さえ見つからない。
組織の人間たちは解決したかのようになんかみんなわいわいしていた。
そのときそこに、みちたのことを悲しむ者は俺ただ一人だった。
俺だけが助けてやれた存在、俺だけが救い出せた存在。そのみちたが、俺が俺の事だけ考えていたため拷問にあって殺された。
俺が一人で逃げたあと、どんな想いで怯えていたのか。
どんな想いで俺の逃げる後姿を見ていたのか。
その後、みちたは見つかった。
みちたは生きていた。しかしその腹は、どうなってるのかわからないほど血塗れており、内臓が出ているようにも思えた。瀕死の状態のはずが、なぜかみちたはすこし元気に逃げ回った。
俺は組織の人間たちのいる部屋に必死に助けを呼んだがやってきてくれたのは男一人だった。
みちたのお腹に重ねた布を当て、病院へ運びに行こうとしているところで目が醒めた。

そのときも、しばらくのあいだ前回の夢のときと同じような胸を圧迫されるような苦しさが続いた。
現実では、みちたの穏かな寝息が聞こえていたのでほっとした。
それでも自分はずっと後悔した。なんでみちたを連れて逃げなかったのか。
このわたしだけを頼りとするちいさなみちたを、なんで置いて逃げたのか。
そこに、俺の正常さは見当たらなかった。
みちたを置いて逃げる自分は、狂気以外の何者でもない。
たとえ夢でも、そんな自分を俺は赦さない。