あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

神の食べ物

2019-05-29 16:07:46 | 人類の苦痛の根源
The Food of the Gods(1961)の表紙より





今日は過去に実際に起きた猟奇的殺人事件を具体的に詳しく取り上げ、そしてその事件と人類の延々と続いてゆく地獄の連鎖の密接な関わりについて説きたいと想う。
(切実なぼくからの人類への警告である為、閲覧注意と題することはしない。どうか最後まで読んでほしい。)
 
ぼくは昨日、「ヴィーガン(Vegan)って一体、何?第二章」を書いてブログを更新したあと、ある検索ワードで初めてGoogle検索をしてみた。
「生きたまま解体」という検索ワードだ。
ぼくの表現に、今まで何度と使われてきた、この世で最もおぞましく、残酷な痛覚の発達した生命に対する拷問行為。
ぼくは当然、家畜の情報がずらりと最初に出てくるはずだと推測していた。
でも実際は、目を疑いたくなる情報ばかりが、検索結果の一面に並んでいた。
一番目の記事は「【閲覧注意】牛を生きたまま解体する光景が残酷すぎる! 切り裂かれ、目を ...」というtocanaのサイトのタイトルで、クリックするとこう説明がある。
 
「中国で撮影されたという動画には、男性が牛を解体するシーンが映し出される。
首から下の皮膚が剥がされ、筋肉が剥き出しになった牛――。
男性が牛の筋肉にナイフを突き立て、ザクザク切り裂いていく。
ナイフの刃が滑るたびに、牛は足をばたつかせる。牛は生きていたのだ。


 動画の解説によると、肉の新鮮さを証明するため、男性は牛を生きたまま解体しているという。
生鮮食品では、新鮮さが商品の価値を決めることは確かだ。
だからといって、動画のような行為が許されるのだろうか?
 少なくとも、苦痛を最小限に抑えて家畜を殺すことを是とする先進諸国の法律や価値観には抵触するだろう。」
 
この記者は、現代の屠殺方法について、何も知らないのだろうか?
すべての家畜は、生きている状態で、解体されている。
脳死を確実にさせているのでもない。
確実に気絶させる技術もないのに、家畜を生きたまま素早く解体しているのです。
一体それのどこが、”苦痛を最小限に抑えて家畜を殺している”のか?
いつ、解体中に目(意識)を覚ましても、保証しないという信じ難い残虐で拷問の屠殺方法です。
生きたまま解体しているのは肉の新鮮さを証明するためではなく、血を抜くためにです。
生きている状態で、心臓が動いている状態で素早く解体して行かねば、血を上手く抜くことができず、血が残ると肉の味が大変不味くなって、売り物にならない、誰も買い手がつかないからです。
 
つまり人類は、肉の味を楽しむだけのためだけに、家畜を生きたまま解体しているわけです。
中には、生きたまま皮を剥がし、手足を切断しているところもあります。
特にコーシャやハラール(ユダヤ、イスラム教徒の為の宗教屠殺)の遣り方は大変残酷であり、この中国の個人か業者の行った屠殺方法と、残酷さにおいて違いはありません。
ハラール屠畜の残酷性について、映像が一番に物語っています。
 
日本でも、ハラール屠殺が行われている屠殺場が数カ所あります。
ハラール屠殺(フランスの食肉処理場でのユダヤ人とイスラム教徒の儀式的食肉処理)の実態をドキュメンタリー映画で御覧になることができます。



LIFE IN THE SLAUGHTERHOUSE(食肉処理場の生活) - À L'ABATTOIR

 

話を戻しますが、「生きたまま解体」検索ワードのGoogle検索結果の第一件目は確かに牛の情報でありました。
でもこれは広く行われている普通の屠殺方法についてではなかった。
それ以外は、「【生きたまま解体】 チーターがトムソンガゼルを捕獲し家族全員で補食解体する映像」とか、「少女虐待、生きたままの解体シーン…R18+の超問題作、上映期間延長へ ...」といった野生動物やフィクションの情報も一面に出てきた。
でもそれ以外、ざっと観たところ、動物の生きたまま情報ではなかった。
 
その中で、ぼくの最も関心の引いたものは「閲覧注意!女優志願の女性が生きたまま胴を切断される~ブラック・ダリア事件・凶悪犯罪 アメリカで起こった凶悪殺人、ブラック・ダリア事件。 被害者の女性は、生きたまま胴を切断されています。 」という文字列で、ぼくはその事件について、昨日あのあとずっと血の気の引く中に調べていました。(その後、寝て起きたとき自分の首と胴体が切断される錯覚の苦しみに大変苦しめられ続けた。)
 
このブラック・ダリア事件について、此処には遺体の状態と、検死結果、死亡証明書の部分だけを記したいと想う。(未解決事件である。)
 

 
1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パークのコリシアム・ストリートとウェスト39番ストリートの中間にある、サウス・ノートン・アベニューの西側の空地で、2つに切断されたショートの半裸の遺体が発見された。
 
彼女の遺体は腰の部分で完全に切断されており、血液が全て抜かれていた。
肌は青ざめた白色になっていた。
監察医は、彼女は遺体として発見される約10時間前に死亡したと断定し、死亡時刻は1月14日の夜または1月15日の早朝とした。
遺体は明らかに洗い清められていた。
また、口角から耳までが切り裂かれ、いわゆる「グラスゴー・スマイル」になっていた。
腿や胸にも数箇所に切られた傷が見られ、その部分の肉は全体的に薄くスライスされていた。
遺体の下半身は上半身から足が遠くなる向きで置かれ、腸は臀部の下に完全に押し込まれていた。
遺体は両手が頭の上に置かれ、両肘が直角に曲げられ、両脚は広げられていた。


検死と身元特定

足首や手首、首に結紮の痕跡があり、右の乳房は裂傷により体表の組織が失われていた。
右の前腕や左の上腕、胸の左下側でも体表が切り裂かれていた。
 
ショートの公式の死亡証明書 (1947年、ロサンゼルス郡)

遺体は完全に真っ二つに切断されていた。
切断に用いられた技術は、1930年代に教えられていた"hemicorporectomy(英語版)"と呼ばれる手法だった。
2番目と3番目の腰椎の間を横に切開することで下半身と上半身が分断されていた。
つまりは十二指腸の部分で切断されていたということである。
切開した線に沿って非常に小さな斑状出血(英語版) (打撲傷) が見られることから、体が切断されたのは死後のことであると示唆されている。
これとは別に、臍から恥骨上の部分にかけて縦に108ミリメートルの長さの大きく開いた裂傷があった。
顔の両面についた裂傷は、唇の端から右側へは76ミリメートル、左側へは64ミリメートルにまで延びていた。
頭蓋骨は挫傷していなかったが、頭皮の前面と右面に打撲傷が見られ、右側のくも膜下で少量の出血が見られた。
これは頭を殴打されたときに生じる負傷と一致する。
死因は、顔面の裂傷による出血と、頭や顔への殴打によるショックと断定された。
また、肛門管が44ミリメートルのところで拡張されており、強姦された可能性が示唆されている。
遺体から精液の存在を調査するための試料が採取されたが、結果は陰性だった
 

頭部を殴打、血液をすべて抜く、肉を薄くスライスする、切断、腹部を切り裂く、洗い清める、まるでわたしたちが、家畜に対して間接的に行ってきたことと全く同じようなことをされ、殺されている。(家畜は人工授精器具によってレイプもされている。)
 
この猟奇的殺人事件について、わたしたちが最も関心を寄せねばならない箇所とは、彼女は生前に拷問を受けたのか、否か、ということだ。
そして、もし生前の拷問を受けていたのなら、どれほどの地獄の苦痛がそこにあったのか、ということに、わたしたちはもっと深刻に関心を寄せる必要がある。
 
何故かというと、これが起こり得るその元の原因をわたしたちが絶やさないならば、これはこれからも起こり続けることであって、その拷問の苦しみを受けるのが自分の愛する存在や自分自身である可能性に満ちているからです。
 
原因を元から絶たねば、このような事件がこの先も起き続ける。
 

もう一つ、関心を強く引いた猟奇的殺人事件が在る。
 
キングズベリー・ランの屠殺者(キングズベリー・ランのとさつしゃ)(the Mad Butcher of Kingsbury Run)
またはクリーブランド胴体殺人者(the Cleveland Torso Murderer)とは、アメリカ合衆国オハイオ州のクリーブランドで1930年代に犯行を重ねた正体不明の連続殺人犯。
 
1935年から1938年の間にクリーブランド周辺で12人が惨殺された。
まがりなりにも身元が判明している犠牲者は第2、第3、そして第8のみで、これらの例外を除き犠牲者の身元はいまもって不明のままである。
当時世界恐慌はいまだおさまらず、クリーブランドでもクリーブランド・フラッツ(Cleveland Flats)と呼ばれたスラムが発生、生まれも育ちも定かでない下層民が群れをなして流れ込んでいた。
社会的ネットワークから切り捨てられた彼らは残虐極まりない犯行に対してもほぼ無力であった。


「クリーブランド胴体殺人者」による犠牲者は全て斬首されており、しばしば四肢が切りとられているものや胴が半分に切断されている異常なものであった。
その切断面は滑らかであり、犯人が肉体の切断について技術と経験を持っていたことを伺わせる。
また多くの場合斬首そのものが犠牲者の死因となっていた。
男性の犠牲者の大半は去勢され、中には化学的処置が行われた痕跡が見られるものもあった。
 
 

何故、この犯人たちは、人間の身体を切り取ったり、四肢や胴を切断、斬首したり、また去勢に異常に執着しているのだろうか。
しかしこれらの行為は、未だ人類が家畜に対し、平然と生きたまま、麻酔無しで行い続けていることである。
肉体の切断の技術と経験は医師だけでなく、"と殺(屠畜)人"も同じく持っている。
犯人を”と殺(屠畜)者”と呼ぶのは、人間が家畜と同じように血も涙もなく残虐に大量に殺されている以上、それはそう呼ぶに相応しい。

 
(追記:残念ながら上記のトカナの記事は削除されてしまいました。転載されている以下のブログ記事を御覧ください。)
 
 
これは、屠殺ではなく豚を生贄にしているベトナムの儀式です。

 
生贄を捧げる様子は、確かに目を覆いたくなるほど残酷なものだ。
四肢を紐で引っ張られ、仰向けに固定されるブタ。
自らの運命に勘づいたのか、必死にもがくものの、男4人の力には太刀打ちできない。
やがて覚悟を決めたように、大人しくなった――と次の瞬間、大きなナタがブタの腹部めがけて振り下ろされる。
そして体は真っ二つに。当然、辺り一面は血の海となる。
 

”生贄”を捧げる相手は神であり、人間では勿論ありません。
神が”血の流される生贄”を、求めていると人間が信じ続けている為、このような残酷な儀式がこの時代にも続いている。
 
神の食べ物。神がその生贄を、食べたがっていると人間が信じているから、人間は動物の血を流し、生きたまま首を切ったり、切断したり、燃やしたりする。
でもぼくは、最早その生贄とされる動物たちの姿がすべて、人間にしか見えない。
人間が人間の子供を、生きたまま真っ二つに切断しているようにしか見えない。
生贄の儀式のために選ばれた豚とは、それは動物として生贄になるのではなく、人間として、彼は生贄とされる。
神が求めているのは、動物の犠牲ではなく、人間の犠牲なのです。
 
人間の生贄が必要な間、延々と、動物は人間として、そして人間は動物として生贄にされ続ける世界なのです。
”動物の血が流され続ける”とは、神が人間に要求する”人間の血が流され続ける”犠牲を要求していることに他ありません。
 
動物とは、人間の所有物ではありません。人間が創り出した被造物でもありません。
動物を創り出し、所有している存在とは、神です。
その神の愛する子どもたちに、人間が何をしてきたか。
 
美味しい肉が食べたいがために、神の愛する子どもたちを日々大量に生きたまま解体し、その肉を、食べたいだけ貪り続け、残ったものを廃棄(平成28年度の日本の食品廃棄物等は約2759万トン、このうち、本来食べられるにも関わらず捨てられた食品ロスは約643万トン)処分してきた。
 
神はその人間の行為に対し、”同じ”犠牲を要求している。
自分たちが犯し続けてきた行為が、どれほど苦しく、悲しい行為であるのかを、神の愛する子どもたちである人間に、わからせるために。
神は、犠牲にしてきた動物と”同等の犠牲”を、人類に対し、要求している。
 
神はその時、人間を人間として観ているのだろうか?
神はその時、人間を動物として観ているのではないか。
 
そして動物が、人間であるということを神は御存知である。
 
人間が、動物に、拷問の地獄を与えている以上、人間もまた、拷問の地獄の末に死んでゆかねばならない世界を、神は愛によって、人間に要求し続けている。
 
動物は、人間の食べ物ではないが、
人間は、神の食べ物(血肉)であるからである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

屠殺場で足を止め涙を流した老僧

2019-02-06 18:48:44 | 人類の苦痛の根源

屠殺場で足を止め涙を流した老僧 そのわけは?

以下、転載です。

 追記:どうやら「とさつ」という漢字の言葉のすべてが勝手に抜かれてしまっています。(ブログのプレビュー時では反映されているのですが…)
このお話は以下のサイトにも転載されています。

 

ある老僧が屠殺場を通りかかった際、涙が流れるのを禁じえず、深い哀しみを覚えた。

人々はとても不思議に思い、なぜ哀しんでいるのか、老僧に尋ねた。

 すると、老僧は次のような話を始めた。

 「話せば長くなるのですが、私は、自分の二つ前の前世まで記憶しています。

私が初めて人に転生した際は屠殺人で、三十過ぎで死にました。

死後、その魂は、数人に縛り上げられ、閻魔大王の前に連れて行かれました。

閻魔大王は、私の殺生が過ぎたのを責めたて、悪の報いをもって判じました。

 そのときの私は、恍惚朦朧としており、醒めているような夢の中にいるような、頭部が熱くてたまらなかったのですが、突然一陣の涼しさを覚え、気がついてみると、豚小屋の中の子豚に生まれ変わっていました。

 私は乳離れしてわかったのですが、人は豚たちに見るからに汚い餌を与えているのです。

ただ、とてもお腹が減っていたので、私はやむなくその餌を食べました。

その後、私は次第に豚語を解するようになり、仲間とおしゃべりができるようになりました。

前世のことを憶えている仲間もたくさんいましたが、人に説明する術がありませんでした。

私たちは皆、いつかは屠殺されることを知っていました。

それゆえ、いつも呻き声を挙げ、将来を憂えていたのです。

私たちの目と睫毛は、常に涙で濡れていましたが、それは、自分たちの運命を知っていたからです。

 私たちはまるまると肥えていたので、夏の暑さには耐えがたく、泥水の中に身体を浸けては、いくばくの涼しさを覚えていました。

わたしたちの毛は、まばらで硬く、冬になると寒さに耐え切れませんでした。

そして、十分な大きさまで肥えると屠殺されるのです。

人に捕まえられると逃げられない、と内心分かっていても、命が惜しくて逃げようとするのです。

捕まえられると、私たちの四肢は紐で縛り上げられますが、紐がきつくて骨身に滲みるようで、鋸で切られているようでした。

それから、私たちは、車か船に折り重なるように載せられます。

肋骨は折れそうになり、百脈は塞がり、腹は裂けそうです。

 時には、竹ざおに吊るして運ばれるのですが、犯人が挟み上げの刑に処せられるよりも辛いものでした。

屠殺場に着くと、屠殺人によって地面に放り投げられます。

あるものはすぐに屠殺されるのですが、あるものは数日間待たされます。

そのときの心理的苦しみは、もっと耐えがたいものがあります。

 自分が屠殺される番になると、屠殺人が曳いていきます。

私は怖くて頭がくらくらし、全身から力が抜け、目を閉じて死を待つほか仕方ありませんでした。

屠殺人はまず、私の喉を切り裂き、体を揺すって血をバケツの中に入れました。

そのときの苦しみは、ことばで言い表すことのできるようなものではなく、死ぬにも死に切れず、ただ咆えるばかりでした。

血が全部出されると、今度は心臓を一突きされます。

この痛みは耐え難く、この段になって咆哮が止まります。

この時、魂が解放され、再び覚醒したかと思うと、すでに人として転生していました。

閻魔大王は、私がその前世でわずかながら善行をしたことを知っていたので、人に転生させてくれたのです。

 今しがた私は、この豚が殺される苦しみを受けているのを目にして、思わず自らが前世で受けた苦しみを思い出しました。

それに、こちらの屠殺人も同じような苦しみを味わうことになるのだと考えると、涙が流れるのを禁じえなかったのです」。

 老僧のこの話を聞いた屠殺人は、すぐに屠殺包丁を捨てて、野菜売りに身を転じたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

【出典:清朝『閲微草堂筆記』巻十八、人民報より転載】

(2007年8月23日の記事を再掲載いたしました)

                                                                                                                                                                                                                                                                             (翻訳・甘樫)

 


わたしはこの話をとても愛しています。

それで、さっき想ったことなのですが、わたしはこんなことを想いました。

わたしたち魂はみんな、同時に違う生命の魂であるかもしれない。

今、わたしは人間の魂だが、同時に家畜の牛や馬や豚や鶏や魚の魂であるかもしれない。

つまり、同時点に、同じ世界、同じ時間、同じこの星の中にわたしの魂は幾つも存在している。

そしてそれらのすべてが、それぞれ違う体験をして生きている。

それは今、わたしが体験しているすべてであるので、過去と未来が存在しない。

その豚は、もしかしたらわたしにこう言うかもしれない。

「わたしはあなたの過去であり、そして未来なのです。」

わたしはその言葉を、「今、あなたはわたしであり、わたしはあなたなのです。」と捉えるだろう。

わたしは今、すべてを体験している。

そうでなければ、何故こんなにいつも、悲しく苦しいのだろう。

わたしはわたしだけのことについて憂える術を喪った。

それは、第一の目覚めである。

生まれたばかりの赤ん坊が、目を開ける、あの瞬間である。

そして目に映るすべて、それはわたしの経験しているすべてであり、目に映らないすべて、それはわたしの別のわたしの魂が経験しているすべてだ。

わたしは彼を知らないが、彼を知っている。

わたしは自分を知らないが、わたしはわたしを知っている。

わたしはとにかく、自分を救うことに必死で、わたしは自分以外の者を知らない。

自分以外のもの、それはどこにも存在しないのである。

 

 

 

 

 

 

 追記:どうやら「とさつ」という漢字の言葉のすべてが勝手に抜かれてしまっています。(ブログのプレビュー時では反映されているのですが…)

このお話は以下のサイトにも転載されています。

全人類が絶対に観るべき映画『DOMINION』

2018-12-31 19:50:55 | 人類の苦痛の根源

『人類最大の罪』と題名を迷いました。

『DOMINION(ドミニオン)』とは『支配』を意味する言葉です。

オーストラリアで今年(2018)の3月に公開され、日本では7月に公開されたドキュメンタリー映画です。

ナレーションをホアキン・フェニックス,ルーニー・マーラ,シア(SIA),セイディー・シンク,キャット・ヴォン・Dが務めています。

これがどんな映画であるのか、わたしのブログをずっと読んで来てくださった方々には察しがつくかと想います。

これを観ずにして、すべての人に新しい年を迎えて貰いたくないと想う映画です。

この映画にはほとんどの人が今も関わり続けている(関わり続けてきた)世界で最も大きな悲劇が映されています。

最も残虐であり、最も冷酷であり、最も悲しい現実です。

わたしはこれ以上の残酷なものを知りません。

これを観るなら、多くの人は戦争を行なう人々、殺人者、レイプ犯罪者に向って非難する資格など最早ないことを知るはずです。

わたしたちはその行為と寸分違わぬ残虐な暴力を振るい続け、大量に殺害し続けてきたからです。

この映画を、ちゃんと最後まで観て、自分に対して問い掛けてみてください。

「果たしてわたしたちの幸福とは、これなのか?」

「ここにわたしたちの幸福があるのか?」

「わたしたちを喜ばせるものが、これであるのか?」

「わたしたちの人生に、本当に必要なものなのか?」

あなたの答えが、わたしの中にあるわけではないのです。

あなたの答えは、あなたのなかにだけ存在します。

だから現実に起きて、そしてほとんどの人が関わっていることのすべてを知ってください。

「これと殺人の、一体何が違うのか?」

わたしの答えははっきりとしています。

「それは何も違わなかった。」

わたしは数え切れないほどの殺人と虐待とレイプに加担して関わり続けて来たのです。

だから如何なる苦しい報いも、自ら受けねばならないのかもしれません。

このドキュメンタリー映画のなかで常に苦しみ続け、最後に殺される者たちはわたしたちの未来の姿です。

わたしたちは自分の未来を救う必要はないと想われますか?

わたしたちは自分の愛する家族を救う必要はないと想われますか?

自分の胸に、問い掛けてみてください。

 

覚悟して、御覧ください。(字幕設定を日本語翻訳にして御覧ください。)

耐え難い場合は何度かに分けて観たり、一端停止して深呼吸しながら御覧ください。

これらがわたしたちが知らず知らずに(知ろうともせずに)行ない続けてきた最も苦しく悲しい行いです。

 

Dominion (2018) - full documentary [Official]

 

 



https://www.dominionmovement.com/

 

 

 

 

 


 

追記:2019,1,2

記事に写真を付けたほうがブログに足を運んでくださる方が増えるかも知れないと想って映画の冒頭のシーンを使って「DOMINION」のイメージ写真を作りました。

観るのもつらい写真ばかりで、残酷性がこの暗がりの無機質な殺害道具たちによって一番現れているように感じました。

(右クリックで新しいタブで画像を開くと拡大して見ることができます。)


 

 

 

 

 

 











罪と魂の傷

2018-12-29 04:36:52 | 人類の苦痛の根源

昨夜に、たった二分か三分ほどの時間を、下のポストを見に行く為に薄着で外へ出ました。
凍えるような寒い夜で、こんな寒さの中、いやこれ以上の寒さの中にかつてナチスの強制収容所の人たちは堪え続け、今でも動物たち(家畜や衣類や毛皮となる動物たち)は堪え続け、最後には殺される未来が待ち受けてるとも知らずに今を生きているんだと想いました。

かつてのブログを合わせて6年と10ヶ月以上、わたしは切実に訴え続けて来ましたが、まだ誰一人、完全にわたしに着いて来ようとする人に出会えません。
それほどヴィーガンを志す人は少数だということです。
わたしにとってはそれほど難しいことでもなんでもなかったことが、ほとんどの人類にとってはとても難しいことであると想い込んでいるようです。

わたしの場合はお酒をやめることのほうがずっと難しいです。

何年もの時間を、冬の寒い日に外と変わらないほど寒い小屋の中で堪え続け、最後には殺される人生と、菜食になって食欲を断つという人生のどちらを選択するかと神に問われるなら、後者を選択する人のほうがきっと多いとわたしは想います。

前者のほうがずっと苦しい人生であるということは容易に察しがつくはずです。

でもほとんどの人がまだそれに気づくことができないのです。

わたしは偶然にか、使命であるからか、それに気付かされ、気付いた者には責任が伴います。
同じように、ひとりでも多くの者に気付きを与えるという使命です。

一刻でも早くこんな使命から解放されたいと想う日は多いです。
それほど重苦しい任務だからです。

でも同時にわたしの積み重ねてきたカルマを想えば、こんなことで赦されるのはあまりに軽すぎると感じます。
長年の肉食による罪が、どうしてこんな苦しみで清算されるかと想うのです。

他者の苦しみを他人事のように感じることほど不幸なことはありません。
わたしは今でもずっと苦しんで孤独に生きていますが、かつて(ヴィーガンではなかった時代)の自分より、ずっと不幸ではありません。

他者の苦痛に胸を痛め、彼らを救う為に自ら欲と利益を断ち、共に苦しんで生きて行けることこそわたしたちの一番の救いです。

かつてナチスは労働に適さない社会に不適応だと見做した障害を持つ者、子供、老人、女性、ユダヤ人を大量に殺戮しました。
弱者や差別するに値すると見做す者を虐殺することを何かと言いわけをつけて正義(正しいこと)と信じて大量に殺害し続けたのです。
「夜と霧」というドキュメンタリーと、支配者(肉食者)のために虐待を受け殺される家畜の映像がダブらないと感じる人は、もう一度その二つの映像をよく観たほうがいい。
この二つは完全に同じものであったということが、わたしの死ぬ迄決して消えることのない最も大きな罪とトラウマ(魂の傷)である。

 

 


字幕設定を日本語翻訳にして是非御覧ください。

ポール・マッカートニー:'食肉処理場(場)がガラスの壁であったなら…'

Paul McCartney: 'If Slaughterhouses Had Glass Walls …'

 

 

 

 


ウール、アンゴラ、ダウン生産の残酷性

2018-10-29 18:11:36 | 人類の苦痛の根源

皆さんこんばんは。管理人のあまねです。

突然ですが、日本で販売されているウール(羊毛)はどこから輸入されているか御存知でしょうか?

 

 

羊毛の生産トップ10と日本の輸入先


  1. 中国
  2. ニュージーランド
  3. マレーシア
  4. オーストラリア
  5. 台湾



 
中国は2013年にアンゴラ生産の方法が残酷であることが知れ渡り世界中で問題となりました。

The Truth Behind Angora Fur

さらに、2016年、フランスの6つのアンゴラ生産農場の内部調査が行われ、中国と同様の生産方法であったことが判明しています。

One Voice – Investigation the exploitation of Angora rabbits
 
手でむしり取るほうが機械で刈るより生産量が一割ほど高く、再び伸びた毛も品質がさらによくなる為、高い値で買い取ってもらえるからです。
 
アンゴラはその90%が中国で生産されています。
 
このアンゴラウサギにとって恐ろしい激痛を伴う作業は約3ヶ月ごとに行われます
毛が生える度にこの作業が繰り返され、2年から3年後にはウサギは逆さまに吊るされて喉を裂かれ、食肉として売られます
 

 
では、ウール(羊毛)は中国ではどのような生産方法なのでしょうか?
残念ながらネット上には見つかりませんでした。
では4番目に日本がウールを輸入しているオーストラリアの生産方法はどのようなものでしょうか?
 

2016年12月、オーストラリア ビクトリア州は、ウールの刈り取りを行う6名の従業員に対し、少なくとも70回以上動物虐待を行なったとして告発。
1名がまず有罪となり、2017年2~4月にはさらに4名が有罪となり、2017年5月には最後の一人にも有罪判決がくだされた。
 
Sheep Punched, Stomped on, Cut for Wool
 



立ち上がることができなかったこの羊は、毛を刈られた後、水も与えられず外に放置された。

ウール輸出量世界トップのオーストラリアとアメリカの羊毛の刈りこみ現場で、米国の動物保護団体PETA(動物の倫理的扱いを求める人々)による初の潜入調査が行われた。

この調査で、羊を殺したり、顔面を殴ったり蹴ったり、鋭利なハサミやハンマーなどで頭を刺したり叩いたり、足を切断するといった、毛刈り職人たちによる残虐な行為が明らかとなった。

ある職人は、何度も羊の首をひねって曲げて骨を折った。

さらに数十頭の首や前脚を曲げ、ひねり、またその上に飛び乗って自分の体重をかけた。

羊の目に指を突き刺していた事もあった。

 

羊たちには刈りこみ前に食事と水は与えられない。

弱って、人への抵抗が最小限になるからだ。

ある毛刈り職人はこう説明した。

「自分が24時間絶食した後に、だれかに襲われることを想像してごらん。戦う気力なんかなくなるだろう。」 

しかし、この弱った羊が押さえつけられる恐怖でパニックになると、職人たちは羊の頭や首を踏みつけ、放り投げ、頭や体をかたい木の床に叩きつけた。

毛刈り職人の報酬は、多くの場合時給ではなく刈り取った毛の量によって決まる。

そのため、職人は急いで乱暴に作業をするので、羊の体にひどい傷を負わせることになる。

 毛刈り職人たちは、鎮痛剤も与えずに、毛刈りによって羊が負った血だらけの裂傷を針で縫っていた。

PETAの調査員が見た限り、獣医師が怪我をした羊に医学的処置を施すことは一度もなかった。

羊を去勢するときは、麻酔なしで子羊の陰嚢にきついリングを付けた。

このリングで羊の睾丸が思ったように取れないと、毛刈バサミで陰嚢と睾丸を切り取った。

怪我をして使い物にならなくなった羊は、他の羊たちの目の前で撃ち殺され食肉用に解体されていた。

毎年、ウール用に適さなくなった個体を含む何百万頭という羊がオーストラリアから中東や北アフリカに食肉用に輸送される。

船内にぎゅうぎゅう詰めにされるため、輸送中に死んでしまう羊もいる。

生き残って無事に目的地に到着した羊も、意識がある中、喉を切られ、殺される。(2014年秋)



 

2014 年動物の権利団体PETAにより、オーストラリアのウール産業の残酷な実態が明らかになりました。

従業員は有罪判決を受け、ウール産業はこのようなことを二度と起こさないと、その時約束しました。

しかし2017年、PETAの調査で状況が全く変わっていないことが分かりました。

羊たちは、ボクシングの練習台のようにパンチを浴びせられ、皮膚を削られ、大きく開いた傷口は、麻酔無しで縫合されます。

彼らの傷に対して獣医師が呼ばれることはありません。

血の付いた床を引きずられ、蹴られ、ゴミ袋のように放り込まれます。

生来穏やかな性質の羊たちが、怖がって動くとメタル製の道具で羊の顔を殴り、頭を踏みつけ、首の上に足をのせ、全体重をかけて床に押さえつけます。

従業員は時間給制でなく出来高制であるため、作業は素早く強引に行われ、羊たちは深い傷を体中に負います。

【残酷ではないウールは存在しません。】



ウールについて知っておくべき16のこと


1.世界のウールの約25%がオーストラリア産です。


2.若い子羊の耳には穴が開けられ、シッポは切られ、オスは去勢されるが

 そのほとんどが、麻酔、または痛み止め無しで行われる。

 

3.オーストラリア産ウール産業では、毎年春に約300万頭の若い子羊が死亡することは普通であると考えられています。


4.栄養不良のために子羊が死ぬことがあります。

 

5. この傷はミュールシング(mulesing)と呼ばれる処置によるもので
 この産業界で標準的に行われるものです。

 ミュールシング : 羊への蛆虫(クロバエ科のヒツジキンバエなどの幼虫)の
 寄生を防ぐため、子羊の臀部(陰部と表現されることもある)の皮膚と肉を麻酔なしで切り取る行為。



6. ミュールシングでは従業者たちにより、子羊の足とシッポの周りの
 皮膚を広い範囲で切り取ります。


7. または、切り取った肉が壊死して剥離(はくり)するまで
 羊たちは万力(まんりき)に似た絞金(しめがね)に取り付けられます。


8. より多くのウールを生産しようとして、時期的にまだ早過ぎるウールの毛刈り(剪断)
 が行われ、皮膚が露出されることにより、多くの羊が死亡します。


9. 暑い月の間に不自然な毛を過剰に身に付けさせるので
 羊たちが熱による疲労困憊で死ぬ原因となっています。


10. 毛を刈られる(または剪断される)間、ある羊たちは、乳房や耳、ペニスや
 その他おおくの身体部分をも切断されてしまうことに耐えねばなりません。


11. 目撃者:「わたしは毛刈りの従事者が羊を大バサミや刈り機、または拳(こぶし)にて

 鼻血が出るまで殴るのを見ました。」  

 「わたしは羊の顔半分がハサミで切り取られた羊も見ました。」


 12. オークション(競売)の間、檻の中に沢山の羊を入れて混雑させ、

 怪我やストレスのために羊が死ぬことがあります。

 

13. 年を重ねた羊は、羊毛の生産が減少し、彼らは不必要となるので
 所に送られます。


14.毎年数百万の生きた羊がオーストラリアから中東、北アフリカへ出荷されています。

 

15. 2005年の報告によれば、約38,000頭の羊が移動中に死亡し、ほとんどの場合、その死体は船外に投げ込まれて棄てられました。

 

16. ニュージーランドでは、腸の発酵物から出たメタン排出ガスのほとんどが
 羊から出るものであり 同国の温室効果ガス排出量の90%以上を占めています。



世界一ウールを消費している日本人


 



ダウンの作られ方

ダウンは、鳥たちの胸から腹部にあるやわらかい羽毛です。

 

生きたまま毛をむしり取るダウンとフェザー

ダウンとフェザーの最大の産地(輸出国)は中国とハンガリーです。
主にガチョウ(グース)やアヒル(ダック)などの水鳥の体から、マシーンプラッキング(鳥の死骸から機械でむしり取る)、ハンドプラッキング(鳥の死骸から手でむしり取る)、ライブハンドプラッキング(生きた鳥から手でむしり取る)という方法で採取します。

 

 

 

Birds Plucked Alive on Farms Linked to 'Responsible' Down Suppliers

 

 

 

ライブハンドプラッキング(生きた鳥から手でむしり取る方法)


①~③マシーンプラッキング(鳥の死骸から機械でむしり取る)と同様。

生後12~14週間で1回目のプラッキングが行われます。

 これは、作業員が一羽一羽の鳥を押さえこみ、無理やり胸から腹にかけての羽毛をむしり取るというものです。

この後、工場に運ばれるまでのおよそ4~5年の間、約6週間おきにこのハンドプラッキング作業が繰り返されます。

羽毛を生産できなくなった鳥は、工場に運ばれ、フックに足を掛けて逆さに吊るされ、首の動脈を切られ血を抜かれて、プラッキングで最後の羽毛と羽根をむしられた後、ベルトコンベアーに乗せられ解体されていきます。

その後、食用もしくは飼料用として出荷されます。

 


カシミア(カシミヤ)の生産方法

 

カシミアはカシミヤ山羊の毛から作られています。


カシミヤ山羊は厳しく判断され、その毛に“欠陥“を持つものは通常2歳に達する前に殺されます。
業界の専門家は、農家がコート基準を満たしていない若い山羊の50~80%を殺すと推定しています

カシミヤヤギも毛をむしりとる方法です。その様子を見た日本カシミヤ協会の人が以前に日本カシミヤ協会サイトに

「気持ちよさそうに見えるけれども、とっても痛そうでした。
むしり取られてるのだから当然です。」

と書いていたのをわたしも読んだことがあるのですが、現在はサイト自体が削除されています。


ファインウール 飢えと拘束の産物


Ultra-Fine Wool: Confinement, Misery, Extreme Boredom


ウルトラファインウールの飼育は集中畜産です。

特別に交配された羊は個々に小さな柵の中に1日24時間4~5年間入れられます。

ホコリや汚れが羊毛に入り込まないようにナイロンのコートを着せられています。

そして他の集中畜産工場のように、羊の行動や社会的欲求、生活の質を決める本質的な要因は完全に無視されます。

こうした集中的システムの福祉評価はまだ行われていません。


不適切な環境により引き起こされた長期的なストレスの影響は明らかです。

閉じ込められた羊は継続的に囲いの板やワイヤーを噛んでいます。

繰り返す体の動きが同様に観察されました。

これは典型的な行動で、不毛な環境で運動や草を食むといった単純な自然行動ができないためです。


ウルトラファインウールの羊に与えられる餌は外飼いの羊よりかなり少ないです。

これは健康状態の良くない羊(例えば標準体重より低い)のほうが良い羊毛が取れるからです。

他のすべての虐待行為に加え、羊達は常に餓えた状態に置かれています。

 


 

映画 Earthlings [アースリングス] 日本語字幕 8/13 衣類 革 毛皮

毛皮(リアルファー)

毛皮(リアルファー)は、昔のように、高級ではなくなりました。
昔はお金持ちがもつ贅沢品でしたが、今は100円ショップにも売られており、毛皮=安い素材という状況に変わりました。
欧米中心の生産から、中国中心の生産に移り、大量生産が行われているためです。

 

生産方法

春、人工授精で繁殖させられます。

死亡率は15~25%。

特に中国での死亡率は高くなっています。

死因の一つに、母が子供を殺す子殺しが有ります。

母親のストレスが大きく、子育てが出来る状態ではないためです。

足元を含む四方八方が金網でできた小さな檻に監禁され、春から秋を過ごします。夏は暑さに苦しみます。

共食いや、仲間同士の闘争が起きます。

傷を負ったり、病気になっても治療されることはありません。

死体が放置されているという調査結果が2010年に有ります。※これは、中国ではなくヨーロッパの農場です。

冬、寒さを凌ぐために冬毛が生えた時、彼らは殺されます。

は、ガスでの窒息、お尻と口に電気棒を差し込み感電させる、首の骨を折る、叩き殺す、喉元を踏みつけるなど、残酷な方法が取られています。

その後なるべく早くに毛皮を剥ぎ取ります。

中国では生きたまま毛皮をはがされている映像が2004年と2010年に暴露されました。

 




リアルファー(毛皮)生産はホラー リトアニアの毛皮農場で明らかにされた残酷さ


 


リアルファーはダサイ!フランスで浮いてしまう日本人の冬の格好とは?

そんなん、ほんとはダサイんだよ。


オシャレだと想っていたリアルファーが既にすっかりと時代遅れのものとなっており、

最早、必要もないのに動物を苦しめて生産される「リアルファーはダサい(カッコ悪い)」ファッションであるという風潮になって来ています。

自分としては以前の何も知らずに、何も知ろうともせずにウールやアンゴラや本革や、羽毛布団などを買っていた自分を想いだすととても恥ずかしい想いに苛まれます。

動物を苦しめて殺し、その毛や皮や羽毛を身につけて、一体何がオシャレでカッコ良いのか。

他に幾らでも代替品があるのに、動物の地獄と死を纏って、「暖かい」などと言っていたのです。

知らない頃(2012年以前)に中古で買った本革の座面の椅子に今でも座っていますが、座布団を載せないで直に座っていた頃はケツがいつも臭くて臭くて、着ている物に臭いが染み付いて嫌になりました。

それも当然です。本革とは動物の死体の一部であり、それを殺菌する為に強力な薬品に漬けているものだからです。

良い香りがして人体に安全であるはずもありません。

本当に馬鹿げています。以前の自分を含めて。

動物の毛や皮を貰わねば死んでしまうほどに凍えている民族なのでしょうか?


アニマルフリーファッションを選ぶ8つの理由 5:レザー(皮革)

 

5:レザー(皮革)
レザーは食肉の副産物、そう思っている人も多いと思います。
しかし、実際には1頭の死体から出る利益の10%~25%を占め、とても利益率の良い部位であり、決して副産物ではありません。
工場畜産で苦しんだ牛や豚、羊などの皮が使われています。
またクロコダイルやオーストリッチ(ダチョウ)の革の生産もすでに工場畜産化しており、その殺害方法には福祉は全くありません。


 

7:毒性のある毛皮
毛皮のなめし工程で使われる物質が、商品に残っていることが多々あります。
東京都のホルムアルデヒド調査では安価な髪飾り12点の内7点からホルムアルデヒドが検出、5点は基準値を大きく上回りました。
EU諸国での調査ではホルムアルデヒドだけでなく、幼児用の衣類から六価クロム(呼吸器系のがん、肺がん、消化器系がん、皮膚炎、潰瘍を引き起こす)が検出されています。


ダウンやウールにかわる防寒具として、動物性のものを使用していないシンサレートプリマロフトなどのハイテク素材があります。

ダウンやウールよりも高機能で実用性の高いものです。

洗濯機で洗える、ほこりが立たない、ダウンより保温効果がある、無臭(動物性のにおいがしない)、軽い、ぬれてもすぐ乾くなど、多くの利点があり、動物の犠牲のないものです。


「シンサレート 布団」の楽天検索結果
1〜45件 (6,439件)



 

「プリマロフト 布団」の楽天検索結果
1〜45件 (342件)




羽毛布団も、最早時代遅れですね。今や羽毛の何倍と暖かい布団を買うことができます。


アクリルのメリットは

  • ウールより価格が安いです。
  • 保温性がある。
  • 強度も強い。
  • 耐久性があります。
  • また、虫食いなどの影響を受けない。
  • 更に、吸水吸湿性が小さいので乾きが早いです。
  • そして鮮やかな染色加工が可能なことも挙げられます。
 
 


「フェイク」が大ブーム!環境にも優しい話題のヴィーガンファッションとは?

エシカルファッション

 


エシカルファッションとは?そのメリットと国内外のブランドを紹介

エシカルファッションの基準とは

1. 衣料品を短いサイクルで大量生産する手法に対抗している
2. 公正な賃金、労働環境、労働者の権利を擁護している
3. 地球環境にやさしいサステイナブル(持続可能)な生活を支持している
4. 有毒な農薬や化学品の使用に対する問題提起をしている
5. エコフレンドリーな布や材料を使用・生産している
6. 水の使用を最低限に抑えている
7. リサイクルを行っており、エネルギーの効率化や無駄をなくす取り組みをしている
8. ファッション界におけるサステイナビリティ(持続可能度)を促進・広める活動をしている
9. 資源を提供している、育成をおこなっている、そして/または問題提起をしている
10. 動物の権利を尊重している

 


 

わたしはファッション類は最近はほとんどメルカリで中古のものを購入しています。

ブランド物は新品を買うと高いですが、中古であれば大分安くで手に入れることもできます。

またどうしても動物性のものが使われた商品でも新品で買うのと中古で買うのとでは意味が違ってきます。

前者は動物を苦しめることに加担する行為であり、後者は棄てられる使えるものを棄てずにリサイクルで使うという形になります。

弱い動物たちを苦しめて生産されるものを買うという行為は、すべてが恥ずかしい行為であるのだという考えが早く世に広まることを祈っています。

同時に、自分が苦しめてきた無数の動物たちと早く人類が向き合えるようになる日が来ることを切に祈り続けます。

 

 あまね

 

 

 



『No Happiness』人生が変わる。目を覚ますスピーチ。

2018-10-23 19:40:07 | 人類の苦痛の根源

人生が変わる / 目を覚ますスピーチ!

(日本語字幕を設定して御覧ください。)

 

 

『No Happiness(幸福の無い)』という題名はこのスピーチを行なったエドさんの言葉からとったものです。

以前にはスピーチと言えば、『世界で一番重要なスピーチ』を紹介したことがあります。

テーマは両者方、同じ提唱です。

エドさんは○○○○活動家の方です。

伏せてるのは、先入観や、偏見なく、とにかくこの動画をたくさんの人にまずは最後まで御覧になって自問自答や、多くの人と議論して戴きたい深刻なテーマであるからです。

 

色々、参考サイトや映画を付け加えて載せたいところですが、それらはわたしのブログ上にありますので、気になる用語で検索して、読んでみて貰えたらと想います。

 

 

 

時間がちょっと経つと、涙が出そうです。

エドさん自身も、かつての自分に本当に悔しくて悲しくて後悔する想いでこのスピーチをしているような気持ちが段々と感じられてくるからです。

 

 


凡庸な悪と獣の血

2018-10-12 02:27:13 | 人類の苦痛の根源

今日(10月11日)は起きてから森達也著「死刑」(角川文庫)に書かれていたハンナ・アーレントという政治哲学者の思想について調べてみようと想った。


森達也著「死刑」 p140,p141

ドイツ生まれのユダヤ人で政治哲学者のハンナ・アーレントは、ホロコーストの実行責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、その罪を「凡庸な悪」と形容しながらも、アイヒマンへの死刑執行を肯定した。

ただしその理由は、「数百万人の人々を殺したから」ではなく「人類の秩序を破ったから」であると、その著書『イェルサレムのアイヒマン』で主張した。

刑事司法における個的な報復を否定した彼女のこの思想は、「許しの反対物どころか、むしろ許しの代替物となっているのが罰である。

許しと罰は、干渉がなければ際限なく続くなにかを終らせようとする点で共通しているからである。

人間は、自分の罰することのできないものは許すことができず、明らかに許すことのできないものは罰することができない」(『人間の条件』)に、さらに明確に表れている。

つまり「処罰」と「復讐」とをアーレントは徹底して峻別したからこそ、アイヒマンを処刑する理由を、報復ではなく処罰であらねばならないと考えた。

ある程度の説得性はある。でもある程度だ。もしも「処罰」が「赦し」を意味するのならば、そして「死刑」が「処罰」の一環であると考えるのなら、「死刑」は「赦し」と同義であるということになる。

赦しながら処刑する。ここには明らかに論理の破綻がある。

アーレントが「凡庸な悪」と形容したように、アイヒマンは「自分は上官の指示に従っただけだ」と法廷で証言した。

呵責や反省はそこにはない。そんな彼を処刑することと赦しが、同義のはずはない。


 

これを読んで、わたしは酷く考えさせられるものがあった。

彼女のことは初めて知ったのだがわたしの彼女の思想に対する感想は森達也の感想とはかなり違ったものだった。

わたしはそれは一つの真理であるかもしれないと感じたのである。

人間が、それも完全ではない人間存在が、罪人を処刑という処罰によってそれを終らせようとすること。そこには人間の「赦し(赦されたい)」というものが存在しているのかもしれない。

多くの人間は自分がもし同じ罪を被ったときに、「赦し」を与えられたいと願っているのではないか。

どうにか赦されたいと願う想いが倒錯的となって他者への処刑を願う想いへと変換されるのかもしれない。

アーレントの言う「赦しの代わりに罰がある」という思想は"自分(わたし)という厳罰主義(自分にも他人にも厳罰を求む)者"が徹底的に死刑に反対している人間であることからも至極納得の行くものがあった。

自分の罪を赦さぬ者は、他者の罪もまた赦すことができない。

でも自分の罪は容易く赦されるべきであると願うなら、他者の罪もまた同じく容易く(死刑)によって赦されるべきであるという潜在意識がそこにあるのではないか。

死刑という処罰は、(死後の世界など信じない唯物主義者たちにとって)ある意味、その死刑囚に向って「おまえはこれ以上苦しむ必要はない」と言っていることになる。

でも自分のような厳罰主義に生きる死刑反対者はそうは想っていない。

人間の生きる世界が、死んで終わり(肉体の死で終り)であるなどとは想っていないのである。

たった一度の死刑によって赦される罪など、どこにもありはしないと感じている。

だからこそ自分は如何なる人間の死刑をも決して望まない。

死刑によって終らせられる罪など、ないからだ。

死刑賛成者たちの多くは、殺人者たちに対して遺族でもないのに言い知れぬ憎悪を感じているように想える。

しかしおかしなことに死刑賛成者こそが、最も殺人者の罪を軽くし、殺人者の罪をたった一度の死刑によって「赦そう」としているのかもしれない。

そしてその多くが人間はたった一度の人生で終わりだということを無根拠にも信じて生きている。

そうであるから死刑は彼らにとって「極刑」になり得るのだろう。

アーレントが言った「凡庸な悪」というものは、死刑を願う人々にもあるように感じた。

「全体主義」とは、大多数が着いて行く「凡庸な悪」であり、「陳腐な悪」となってしまうのではないか。

殺人者はその罪から絶対的に赦されてはならないものだからこそ誰をも裁くことなどできない。誰からも、裁かれるべきではない。

完全でない者が、完全でない者を(己れの不完全な法によって)裁いたところで、何になるというのか。

自分自身も、自分を裁くことなどでき得ない。わたしはどのような自殺をも肯定しない。

人間を裁こうとすること、人間を殺そうとすること、食肉の為に家畜を殺して食べ続けること、それはすべて凡庸な悪なのではないか。

戦争も死刑も堕胎も肉食も見方を変えれば大量虐殺(ホロコースト)となる。

大多数の主義が少数の主義になるなら大量に殺されることはなくなる。

個人の犯す殺人事件がどこでも大量に起き続けているわけではない。

だが戦争と死刑と堕胎と肉食は生命を大量に殺し続けることである。

極端な考えだと大多数は言うかもしれないが、自分の感覚では"人が殺すという行為"には何の違いもそこに感じることができない。

人が殺したなら、ではその殺した罪はだれが裁き、罰はどこでだれが与えるのか。

どのようにその人は赦される為に処罰を受けるのであろうか?

自分のような考えは危険だと大多数は言うかもしれない。

でもこれは自分の考えが正しいと感じるから言っているのではなく、自分の感覚が危惧を感じ続けているから、自分がその感覚によって苦しみ続けているから、どうにかこの負の連鎖を終らせたいと願っている。

「凡庸な悪」は自分のなかにも勿論在る。

普遍的な悪は誰もが陥る危険がある。だからといって、じゃあしょうがないとは言っていられない。

大多数の人々が大量虐殺という凡庸な悪を肯定して生きているが、少数の人間にそれを変えることなど難しいから諦めるとは言えない。

わたしはそこにあるどのような罪も、「赦されるべき」だなどと、想ってはいないのである。

延々と地獄で苦しみ続けても赦され得ない罪も在ると想っている。

だからこそ、本当にこの世界の「殺戮」というものに深い危惧を感じるようになった。

永遠に自分と他者の死刑と拷問の終らぬ世界に生きて行きたい人が大多数であるとは想えないのである。

他者の裁きによって赦される者(自分が自分を赦して良いと納得する者)が、人を殺し続け、動物を殺し続ける世界に、わたしは生きたいとは望まない。

人々も動物も、物のように殺され続けているのではなく、「物」であると観ている為に殺され続けているのではないのか。

ナチスのホロコーストは大量の食肉生産の比喩などでは決してなく、その通り、同じものではないのか。

人間を、動物を、モノとして観ていないで、何故殺し続けることができるのか。

例え生きる為に殺すと嘯いても、何故そこにある収容所(と殺(屠畜)場)の様子を、自分の目で確かめようとはしないのか。

アドルフ・アイヒマンは「法に従っただけだ」と言って何百万人と移送させた絶滅収容所の様子を一度たりとも覗いたことはなかったという。

そこ(強制収容所)で一体何が行なわれているのか。どんな風にユダヤ人たちが扱われているのか。ほんの少しの関心も持たなかったからではないか。

もしあるなら、覗いてみたくなるだろう。

チャップリンの『モダン・タイムス(1936年)』の冒頭では毛を刈られた羊の群れがこちらに向って追い立てられて走ってくる。次のショットでは通勤する労働者たちが地下鉄の階段をこちらに向って登ってくる。

羊たちが向う場所は屠場(屠畜場)であり、労働者が向う場所はどこなのだろう。

それは果ては過労死の場なのか、それとも凡庸な悪による罪の処刑場なのか。

働き詰めの忙しさにかまけて、大量生産と大量消費を肯定し続け、わたしたちはどこへ向かっているのだろう。

『感覚の停止』、『思考の停止』こそ、きっと我々を上手くそこへと導けるに違いない。

 





1/2 NHK 100分 de 名著 ハンナ・アーレント 全体主義の起源(dailymotion動画)







ジョルジュ・フランジュ監督 1949年作ドキュメンタリー短編映画 『獣の血 (原題:Le Sang des bêtes)』

Le sang des bêtes 1949 Georges Franju

Krev zvířat / Le sang des betes Georges Franju, 1949

 

 

3分26秒から 美しく愛らしい従順な白馬が一頭、連れられてきて大人しく待っている。





 

 

 

情けないことに、わたしはこれまでどうしても馬のと殺(屠畜)映像は観ることができなかった。

初めて、馬が食肉の為に殺されゆく映像をわたしは観た。

白黒のドキュメンタリー映画でありながら閲覧注意の映画である。

わたしは此処に、如何なる”聖性”さも認めない。此処に在るのは芸術作品に昇華させることができなかった凡庸さがあるばかりだ。

これが聖性で芸術的なものであるなら残虐でグロテスクな殺人現場映像もまた聖性で芸術作品である。

もしそう言えないなら、これがカラー作品であっても吐き気を感じずに観られるか、人々に訊ねてみたい。

 

 

 

 


わたしたちの後悔

2018-09-05 04:10:13 | 人類の苦痛の根源

 

 

 

 

良いですねえ。前回のIDで投稿しても何故かさっぱり反映されなくなったので、別IDで、第二号を作って早速ヤフコメ欄にコメントしたものです。

良いなあ。実に良い。アイコンと名前がキマッてるよね。

また言うことが決まってるなあ。

俺しかいないからねえ。(多分)こんな人にとって鬱陶しいことをいちいち人のヤフコメのコメントの返信欄に書き続ける人間は。

ははは。大量にコメントを削除されるわけだあ。(一生懸命人類を救う為に書き込んでたのに)

死ねえ。Yahoo!

なんてね、冗談を言っちゃうくらい、今日(日が変わり昨日)の台風、げっつく怖かったっすよ。

約30分以上震度4ほどの揺れで此処マンション五階(最上階)がずっと揺れ続けてね。

窓ガラス割れそうで停電も起きて。幸い今回に至っては、ベランダの赤紫色のプラスチック(ポリカーボネートか?)の屋根が割れたくらいの被害で無事でした。

 

 

自然災害と気候変動は、これからますます破滅的になって行きます。

それは人類が、己れの欲を貪る為、他者の苦痛に無関心で来たことの報いです。

人類の因果によって、報われている結果です。

明日は我が身ですよ。

あなたもわたしも、明日も生きている保障がどこにもありません。

どのようにして今日を生きますか。

わたしは遣りたいことしか遣っていないので、人生に関して悔いを持つとしたら、飼っているうさぎのみちたに関してだけです。

自分にしか護れない存在だからです。

そんな存在があなたにも居ますか?

自分自身、そしてこの世界に生きる誰か。たった一人でも、護りたい存在が在るならば。

どうぞわたしの言葉に耳を傾けてください。

 

 

 

わかりやすく言うと、自分の行いはすべて、自分に返ってくる世界で在るということです。

今日、明日、明後日、人間の欲によって、死(安楽死ではない)が待ち構えている存在がどれほどいるのか、では数えてみましょう。

 

 

 

 

 

計算していただけているサイトを見つけましたので、どうぞ御覧になってください。


 

家畜の牛・豚・鶏は1日に何匹と殺(屠畜)されているのか?




このサイト様の計算してくださった日本の一日のと殺(屠畜)数から、わたしは一分間のと殺(屠畜)数を計算してみました。

しかし家畜は日本で24時間と殺(屠畜)され続けているのではなく、主に9時から5時頃までの勤務時間の間でと殺(屠畜)されていると考えられます。(英国では20年前は朝4時半から昼の2時までなどの勤務時間であったようです。)

日本でと殺(屠畜)されている時間帯は何時から何時頃までなのか?

加古川食肉センターへと殺(屠畜)場見学へ行ってきた in 兵庫県

実際にと殺(屠畜)場見学をされに行かれた方によりますと、大体朝の8時半頃から午前10時頃であるようです。

 

(日本の屠畜場法においては、生後1年以上の牛若しくは馬又は1日に10頭を超える獣畜をと殺(屠畜)し、又は解体する規模を有する屠畜場を一般屠畜場、それ以外の屠畜場を簡易屠畜場として区別している。

と畜場は、全国に195か所(うち、一般と畜場は183か所、簡易と畜場は12か所)ある(平成29年4月現在)。)






これだけの工程があるんですね。こんなに後に仕事があるので午前中早い時間帯にと殺(屠畜)はされているわけですが、この画像観てもわかる通り、「と畜(屠畜)銃撃による」の次の工程に「放血(動物の体から血液を抜くこと)喉部切開」が来ます。

放血は勿論生きている間(心臓が動いている間)にされます。


 

と殺(屠畜)は、前頭部への打撃、あるいは電撃や二酸化炭素によって昏倒させたあと、大動脈を切開し放血殺する方法で行われる。 

昏倒させてから放血殺する方法が採用されるのは、安楽殺という動物福祉の観点からでもあるが、速やかに死に至らしめられなかった場合、ストレスによる筋変性や放血不良によって肉質が悪くなったり、恐怖した家畜が暴れ自ら筋肉や骨を損傷したりするなど、枝肉の商品価値を損なわないためという側面が大きい。

切開後、両後肢の飛節に通した鉄棒をフックで吊り上げ、失血させながら施設の天井に取り付けたレールに沿って各作業配置を順に廻り、解体されていく(オンライン方式)。



昏倒(スタンニング、額にスタンニングボルトで銃撃し失神させます。

スタンニングボルトは火薬や圧縮空気によりボルトが数センチ飛び出す構造になっています。
弾丸が飛び出して脳を破壊するようなことはありません。)させた後にすぐ放血され、そして素早く、牛や豚は逆さまに吊り上げられます。

そして次にはすぐに解体の工程です。

映像で何度も観ていますが吊り上げられても瞬きをして鳴き声を上げながら彼らは解体の工程へと回されていきます。

例えそのような様子が見られなくても、そこに意識が在るのかどうかは人間にはわからないことです。

昏倒、放血、その後の順序は「前処理1」面皮剥、前肢切断、食道結紮(食道けっさつ、食道を気管と切り離し、結さつリングに食道を通し、胃の噴門部で結さつします。

これにより、胃内容物の漏れ出しによる枝肉の汚染を防止します。)

ゴムが飛び出る棒を首の中などに突っ込み、食道と直腸(肛門)部分を結さつする。







昏倒、放血、その後すぐに面皮剥(頭部の皮を剥ぐ)、前肢切断という工程が待っています。

そしてその後に漸く、「頭部切断」が来ます。ここでやっと確実に死ぬことはできるわけです。

(切断部分周辺の外皮を剥皮したのち、頚椎部分をナイフで切り離します。
頭部はと畜検査員によりリンパ腺などに病変がないか確認をします。
延髄は取り出され、BSE検査が行われます。)



 

 

 

前置き長くなりましたが、ではこれから一分間に、彼ら(家畜たち)は日本国内で一体どれほどの数が殺されているのか、計算してみます。一日のと殺(屠畜)される時間、8時半から10時までの時間帯(1.5時間)で、一分間(一日は1,440分)の割合の換算でしてみます。

(一日のと殺(屠畜)量は先ほどのサイト様から転載させて頂きました。)




牛さんの1日のと殺(屠畜)量

 

 

 

 

 

1年間にと殺(屠畜)される頭数:約116万頭

1日にと殺(屠畜)される頭数:116万頭÷365日=約3,200頭


牛さんは日本で一日に約3,200頭と殺(屠畜)されています。

一分間に、約2,2頭

日本だけで、60秒間で、2頭以上の牛さんのと殺(屠畜)がされていることになります。




では、次は豚さんの一日のと殺(屠畜)量。

 

岐阜市の畜産センターの仔豚たち

 

1年間にと殺(屠畜)される頭数:約1653万頭

 1日にと殺(屠畜)される頭数:1653万頭÷365日=約45,000頭


一分間に、約31,3頭。

60秒間に、約31頭以上の豚さんがと殺(屠畜)されています。

 

一日に、何分間、何秒間、家畜の苦痛を想像することがありますか?




次は鶏さんの一日のと殺(屠畜)量。

 

家畜である鶏(現代の日本のブロイラー養鶏場)


 

1年間にと殺(屠畜)される頭数:約6.4億羽

 1日にと殺(屠畜)される頭数:6.4億頭÷365日=約175万羽

1分間に約1,215,3羽。

1秒間に、約20羽以上もの鶏さんが食肉用としてと殺(屠畜)されています。



 



平成28年度の牛肉輸入量、米国産冷蔵品が大幅増

平成28年度の輸入量は、冷蔵品が23万9522トン(前年度比15.7%増)、冷凍品が28万5516トン(同2.2%増)と、いずれも前年度を上回り、全体で52万5694トン(同7.9%増)と3年ぶりに増加に転じた。

 



 輸入肉牛の平均の体重650kgとして、そこから取れる肉は約45%、約290kgの肉として計算してみます。

1トンが1000kgですから、1000kg÷290kg=3,5頭×52万5694トン=183万9929頭…?

数学が全く苦手なので頭がこんがらってしまいます。

日本だけでも一年に116万頭殺していますから、それ以上の数であることは確かです。

 



追記:他の方に計算してもらいました。この計算の場合は牛の全体重は関係なくて、290kgは0,29トンなので

525694÷0.29≒1812738≒は小数第5位を四捨五入した「ほとんど等しい」という意味の記号)

で、答えは181万2738頭分の牛となりました。

自分の計算とあまり離れてなくて良かった…

というわけで、平成28年度の日本の牛の輸入量は約181万2738頭ということになります

181万2738頭÷365日=約4,966頭

1分間に約3頭以上の牛を、日本は輸入する為に間接的に殺しているということになります。

 


平成28年豚肉輸入量、前年比8.9%増

平成28年(1~12月)豚肉輸入量は、86万456トン(前年比8.9%増)と前年をかなりの程度上回った。このうち、冷凍品は、50万5177トン(同8.0%増)と前年をかなりの程度上回った。


 


歩留まり(1頭の豚からどのくらいの量の肉がとれる?)

肉豚はおおよそ体重が110~120 kgになった時点で出荷されますが、スーパー・マーケットなどの店頭で販売されているパック包装された豚肉(精肉)となるのは50kg弱で、出荷時の体重(生体)の4割強となります。



ということで一頭の豚から49kg取れる計算でしてみます。(計算の得意な方に計算して頂きました。)

 

年間1756万326頭

1日あたり
1756万326頭÷365日= 4万8,110頭

1時間あたり
4万8110頭÷24時間=2,004頭

1分あたり
2004頭÷60分=33頭

日本に輸入する為に、2秒に1頭の豚がと殺(屠畜)されている計算になります。


 


 

 

平成28年の鶏肉輸入量、前年に続き50万トン超え

輸入量、3年連続で増加

 

平成28年(1~12月)の鶏肉輸入量は、55万1181トン(前年比4.1%増)と前年をやや上回った。

25年12月のタイ産の輸入解禁以降、増加傾向で推移しており、牛肉・豚肉と比べて安価な鶏肉の底堅い需要や、輸入価格(CIF)が16カ月連続で前年を下回るなど輸入しやすい環境にあったこともあって、前年に続き50万トンを上回る輸入量となった。

 



 農林水産省の食料需給表によると、2016年度の日本人1人あたりの食肉消費量は31.6キロとなり過去最高を更新した。

2016年の日本の総人口は1億2,693万3千人。日本のベジタリアン人口は4,7%(596万9千人?)として、アレルギーで食べられない人も大雑把に引いて、肉食者を1億2千万人としましょう。

38kgくらいかな…一人当たりの食肉消費量。

丁度わたしの体重が37kgですから、その1kg足したくらいの肉の量を、肉食者は一年で食べ尽くしているということになります。


家畜の生産から食肉が出来るまで

私たちが食べている牛肉のうち、約60%はオーストラリアやアメリカから輸入されています。

残り約40%が国内生産で、そのうち、黒毛和種などの肉専用種が約45%、乳用種に由来するものが約55%を占めています。



何かが確実におかしいと感じませんか…?

牛肉だけでも1頭から取れる肉の量は少なくても200kgほどです。

でも日本人一人が一年に食べる肉の消費量は38kgほどです。つまり牛1頭分の肉すら食べ尽くせていないのです。

それなのに日本で60秒間に2頭以上の牛が殺され続けています。

どこかに大量に肉が消えていっているような感覚に陥りませんか?

食べ尽くせない大量の肉が、どこかに葬られているような感覚に陥ってなりません。


 



No.244 穀物を家畜でなく人間が直接食べれば,世界の人口扶養力が向上


 

●世界の食用作物の消費割合

 

食用作物41品目の収穫物として,世界全体で総計9.46×1015(9.46兆)カロリーが生産された。

この55%が人間の食用,36%が家畜飼料,9%がその他(工業利用やバイオ燃料)に利用された(表1)。

飼料に利用された熱量の89%がロスされ,畜産物に保持されたのは12%,つまり,4%(36×0.12=4.32%)が人間の食料に変換されただけであった。

換言すると,食用作物41品目中の熱量の59%(55%+4%)だけが,作物と畜産物として人間の食料として利用され,41%が非食用に利用されたりロスされたりしたことになる。


 


したがって,飼料や他用途に使用された食用作物を人間の直接消費用に振り向ければ,食料中のカロリー量が3.89×1015カロリー分増加し,5.57×1015から9.46×1015に,約70%増加する

1000兆(1000×1015)の食料カロリーは10億人の人間に,1日当たり2,700カロリーの食事を1年間(年間985,500カロリー)供給するのに十分である。

それゆえ,飼料や他の利用に使用されている作物カロリーを人間直接消費にシフトさせると,養える人口を約40億人増やせる可能性があると計算される。




西尾道徳先生の環境保全型農業レポートです。

アメリカのミネソタ大学の研究者たちの論文を翻訳されています。

難しいですが、是非目を通してみてください。


 



西尾道徳先生の経歴。

 東京都出身。昭和44年東北大学大学院農学研究科博士課程修了(土壌微生物学専攻)、同年農水省入省。

草地試験場環境部長、農業研究センター企画調整部長、農業環境技術研究所長、筑波大学農林工学系教授を歴任。

 

著書に『土壌微生物の基礎知識』『土壌微生物とどうつきあうか』『有機栽培の基礎知識』など。

ほかに『自然の中の人間シリーズ:微生物と人間』『土の絵本』『作物の生育と環境』『環境と農業』(いずれも農文協刊)など共著多数。

 



「食品ロス」年間約632万トン 、1人1日お茶碗約1杯分(約136g)の食べ物が捨てられている日本


日本国内における年間の食品廃棄量は、食料消費全体の3割にあたる約2,800万トン

このうち、売れ残りや期限を超えた食品、食べ残しなど、本来食べられたはずの、いわゆる「食品ロス」は約632万トンとされています。

これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料援助量(平成26年で年間約320万トン)を大きく上回る量です。

また、日本人1人当たりに換算すると、"お茶碗約1杯分(約136g)の食べ物"が毎日捨てられている計算となります。



世界全体でロスされている食用作物は約41%。

日本の食品廃棄量は食料消費量全体の約3割。



昨夜の22時半からずっと書いてて、今は午前3時半前です。

非常に疲れました…(わたしは数字・数学が本当に苦手なのです)

昨夜もまた、仔豚の可愛い写真を見て、悲しくて泣きました。

うちのみちた(うさぎ)に見えてしまうのです。

まるで自分が、知らず知らずに何度とみちたを殺して食べてきたような想いで、毎日後悔し続けてもし切れるものではありません。

畜肉は2012年2月から食していませんが、彼らを殺してきたという罪悪感から少しでも離れられる日は来ないのです。


わたしは必ずすべての人に届くと信じています。

彼らの助けを求めるその声は、あなた自身の内なる声だからです。

痛みを分かり合える存在です。

わたしたちは彼らとその痛みを分かつことができます。


【緊急】人類への警告

2018-07-08 01:07:33 | 人類の苦痛の根源

大雨死者51人、不明57人に 避難指示勧告863万人

 

 

オウム真理教の尊師と信者同時に七人死刑執行に悲しんでいる間に、大変なことになっている。

自然災害と言うのは昔から人々の行いが悪いから起きるのだと信じられ、自分たちの行いを直すからどうか自然災害を起こさないでくださいと神に祈願してきた。

何故こんな大変なことがこの国に起きているときに、国家は人を七人も殺害したのだろうか。

どう考えても、狂気的な行動である。

 

権力者とは、政府とは、国家権力とは、殺人者と同じところを歩まねばならないのだろうか?

人が人を殺すとは、殺人者とまったく同じ道を踏んでいるということだ。

権力によって人を殺すとは、麻原尊師が権力を手に入れる為、人を殺そうとしたことと変わりがない。

国家が権力によって人を殺し続ける国に生きて、どのようにこの国に平和を築けるのだろうか。

殺人者が、自分の愛する息子であっても、権力者は死刑執行できたのか。

自分の愛する息子の首にロープを掛け、処刑台の床を外す為の死刑執行ボタンを押すことが出来たのか。

見知らぬ他人であるから死刑執行が出来たのなら、何故それが正義となるのか。

 

【緊急事態】警戒してください / オウム麻原彰晃の死刑で後継団体アレフが報復的コメント発表「取り返しのつかない重大な禍根となる」

このような事態となることが、まさかわかっていなかったはずもないだろう。

宗教組織の、神を殺害したのである。

国民をこの先ずっと脅かしてまで、何の為に教祖を殺害したのか?

何かが起きたなら、いったい政府はどういう責任をとれるのか?

 

自分と自分の家族の命が大事であるならどうか、他者の死を、他者の死刑を望まないでください。

他者の死を望むとは、それは呪いであり、呪いは必ず自分の身を脅かします。

 

日本は一日に470人近く堕胎し続けている国です。堕胎に賛成しないでください。

どのような理由があろうとも、それが一人の人間を殺害するという殺人行為であることを知ってください。

 

環境破壊の最大要因は畜産業と言われていてこのまま畜産業の大量生産を続けて行くなら早くて数年以内に壊滅的な水不足や飢餓、絶滅する可能性が高いと15000人もの研究者たちが警告し続けているのにも関わらず、なぜ政府は未だに何の行動も取ろうとしないのか?

環境破壊と自然災害と畜産業と水不足の因果関係は直結している、その情報をメディアは知らせることがない為、人類絶滅が目の前まで来ているのに今だほとんどの人が知らない。

いったい政府は、メディアは、何がしたいのか。人類を絶滅させてまで、何がしたいのか。

 


地球への脅威はるかに悪化、科学者1万5000人による「人類への警告」

 

【11月14日 AFP】世界の科学者らが25年前に公表した地球環境への脅威に関する「人類への警告」の最新版が13日、発表され、地球が抱える問題の大半が「はるかに悪化」していると警告された。

 新たに発表されたのは、世界184か国の科学者1万5000人以上が署名した書簡「世界の科学者による人類への警告:第2版」。米専門誌「バイオサイエンス(BioScience)」に掲載された。

 米科学者団体「憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists)」が1992年に発表した初版に署名した専門家は1700人だった。

 最新版によると、初版発表以来、環境に対する重大な脅威のほぼすべてがその深刻さを増しており、特に急増する世界人口は1992年以降で20億人増え、35%の増加という。

 その他の主要な脅威としては、化石燃料の使用が後押しする地球温暖化と炭素排出量の増大、持続不可能な農業、森林破壊、淡水不足、海洋生物の減少とデッドゾーン(酸欠海域)の拡大などが挙げられている。

「これらの憂慮すべき傾向が浮き彫りにしているように、人類は今2度目の警告が与えられている」と、書簡は指摘している。

 

 

■大量絶滅が進行中

 書簡にはまた「人類は、極度だが地理的・人口統計学的な格差のある物的消費を抑制しないこと、さらには、継続的で急速な人口増加を、多くの環境および社会への脅威を増大させる主要因として認識しないことによって、自身の未来を脅かしている」と記された。

 これについて科学者らは「化石燃料の燃焼で温室効果ガスが増加し、それによってもたらされうる壊滅的な気候変動」への道を世界が歩み続けていることに特に戸惑いを感じるとしている。

 さらに、動物が人的活動によって苦境に陥っており、かつてないペースで姿を消していることも指摘された。「人類は約5億4000万年間で6度目となる大量絶滅を招いている。この大量絶滅では、現存する数多くの生物が今世紀末までに死滅もしくは少なくとも絶滅の運命を背負う恐れがある」と書簡は述べている。

 

 

 

■13の解決策

 書簡では、人類が講じるべき13の対策が説明されている。

 その一つは、避妊手段へのアクセスをより高め「長期にわたって持続可能で、科学的に正当化できる人類の人口規模を推定する」とともに、この極めて重要な目標に対する支持を世界の国や国の指導者らから取り付けることが挙げられている。

 その他の対策として挙げられているのは、植物中心の食事と再生可能エネルギーを推進すると同時に化石燃料補助金を段階的に廃止することだ。

 また、富の不均衡は是正しなければならないとし、「価格、税制や優遇制度などは、消費傾向が地球環境への負担となっている実質的なコストを考慮に入れる(必要がある)」としている。

 他方で「世界の有意な割合に対して」保護区域を設置するとともに、野生動物の不正取引と違法な密猟を阻止する必要性も指摘された。

 書簡は「悲惨な状況の拡大と壊滅的な生物多様性の損失を回避するには、人類は現状維持のシナリオに代わる、より環境的に持続可能な代替案を実行する必要がある」と述べる。

「世界の一流の科学者らは25年前、この事態をどう処理するべきかについて明確に語ったが、彼らの警告は大部分の点で聞き入れられなかった」

 そして「人類が進む道を事態悪化の軌道から転換させることが間もなく手遅れになる。時間切れが目前に迫りつつある」とつづられた。(c)AFP/Kerry SHERIDAN

 


 

 

本当に自分の命が大事だったなら、家族の命が大事なのなら、もうこれからは畜産物(肉、乳製品、卵など)は一切買わず、でき得る限り植物中心の食事に移行してください。

本当に差し迫っている深刻な問題です。

 

また畜産業の大量生産の現実を映像で観て下さい。「アースリングス」というドキュメンタリー映画です。

Earthlings(アースリングス)

震え上がるほどに残酷なものです。

これが、人類がこれまでずっと行なってきたもの、間接的であれ関わり続けてきた動物に対する大量殺戮です。

人類が動物に与える残虐行為という原因は、必ず人類の残酷な悲劇として結果を生みます。

原因を、断たなくてはならないのです。

 

畜産物と魚介類を一切断つことは、そこまで難しいことではありません。(魚介類の乱獲も生態系を狂わせています)

人類を絶滅に追い遣ってまで、人類が食べ続けなくてはならないものではありません。

 


 

参考ドキュメンタリー映画

Cowspiracy: サステイナビリティ(持続可能性)の秘密

 

 

参考サイト

地球環境に科学者ら1万5千人警告 「時間切れが迫る」

地球環境めぐり「人類へ警告」 科学者1万6000人が署名

あと25年で「30億人分の水が足りない」状況になることを報告したウィキリークスがリリースした機密文書 : 原因は世界中で進行し続ける過度な肉食

バーチャルウォーター~水を死肉に与え日本は滅亡へ向かうか~

壊滅的な水不足は世界人口の食生活を変えるか?


戦後最大規模の死刑執行、世界に衝撃 非人道的と批判も


豚の目

2018-04-26 21:53:01 | 人類の苦痛の根源

 

 

以前にこの世の狂気

という記事で載せた、Pairsというアプリの中の”肉”好きコミュニティの人数の多さに、とても落ち込みました。

自らこんなコミュニティに入る程、深い罪悪感に苦しまない肉が好きな人間が多いということです。

このコミュニティの人数は、この世界の雛形であります。

だから畜産業がどれほど家畜にとって残酷であっても、食肉消費量の需要が下がっていかないんです。これは人口増加だけの問題ではなく、肉を食べすぎる人が増えてきているためです。

わたしは人類の肉食に対する警告を、肉食を断った2012年の2月からずっと発信し続けています。

でもわたしの話を聞いた9,9割が、見向きもしません。

畜産業はこの世界の環境破壊、絶滅、飢餓、死に至る病、倫理、因果応報、あらゆる深刻な問題に直結していると警告し続けても、9,9割の人間が、まともに聴こうともしないのです。

誰かが誰かを殺したなら、相手を「鬼畜」「殺人鬼」「人殺し」と呼び捨て、「即処刑」か、「厳罰」を叫ぶ人が多いのに、何故、家畜たちがどれほど虐待を受けて拷問を受けながら殺され続けても、見向きもしない人がほとんどの世界であるのか?

それは、家畜たちが、人間とは”違う”からと、差別し続けているからです。

自分に食べられるためだけに生まれてくる生命だと決め付けているからです。

これを”種差別”と言います。

牛も豚も鶏も、鯨もイルカも魚たちまでも、人間と似た痛みや恐怖や苦しみを感じている可能性が高いのです。

 

「牛の知能はチンパンジー並み」…東京新聞


 

ある日、牛に装置をつけたまま、昼休みに何を食べるかを研究員同士で話していたところ、 「ハンバーガー」 の単語を聞いた際に、牛の脳の言葉を認識する領域が激しく反応した。

 

その後も実験を重ねた結果、「ステーキ」 「ミンチ」 「ドナドナ」 など相当数の単語を理解しているほか、トラックで運ばれる子牛を見たときには、人間の 「切ない」 という感情とよく似た血流の動きもみられた。


 

ミニブタの知能は犬以上!?霊長類に次ぐ「知能指数」で信頼関係も上々!

 


 

ブタは人間のように三項関係が理解できる生き物とも言えます。

三項関係とは、「私」「他者」「もの」3つの関係のことです。

私たちは成長する中で「あれは○○だよね」「そうだね」と情報を共有できるようになります。

ミニブタも成長して経験を増やす中で鏡に映った自分にも惑わされることなく、周りを確認して嗅覚も頼りに解析。

専門家いわく「複雑な認知処理」は霊長類に次ぐ知能指数とも言われています。



また、ブタは体重・皮膚・内臓の大きさ人に近い生き物です。

その為、異種間移植の研究も盛んに行われています。

そのことからも霊長類に似た部分が多いことが伺えます。



 ニワトリと人類——熱くて、深いカンケイになったわけ


 

ニワトリは、かなり賢いことがわかっている。

足し算・引き算はもとより、幾何学を理解したり、論理的に推論したりもできる。

ある実験では、大学院生を上回ることがあったほど! 

しかも、こうした「知性」は、だれに教えられたわけでもなく、天性のものなのだ。

ちなみに、ニワトリの頭が、かくかくと奇妙に動くのは、左右の目を別々に使っているから・・・・

たとえば、一方の目でエサに焦点を合わせながら、もう一方の目で捕食動物が来ないかどうか見張ることができるという凄ワザである。

 


 

 

こんなに賢い動物たちが、もし形まで人間とそっくりな形をしていたなら、

どんなにその死肉が美味しかろうが、食べることを拒んだ人は多いと想います。

霊長類の肉が、もし何の問題もなく、美味しく栄養豊富な肉であったとしても、

食べたいとは想えない人は多いだろうと想うのです。

それは人類の”共喰い”というものが、人間にとって吐き気を催すほどの不快なものである人がほとんどであるからです。

 

何度もこのブログで言ってきたことですが、わたしが2012年の1月に、初めてと殺(屠畜)の映像を観て、

解体されてゆく家畜の姿を見たとき、生きたまま解体されてゆく彼らが、本当に自分の愛する家族のように見えたのです。

これは一種の錯覚と言われたらそうだと想いますが、そんなトラウマとなるほどの錯覚に陥るには、そこに深刻な意味があると考えないほうが不自然です。

例え錯覚であっても、わたしが食べてきたのは、確かに家族の死体であったのです。

家族の死体を、スーパーで買ってきて、まな板の上で切って、焼いたり煮たりして食べてきたのです。

わたしの堕ちた、地獄の後悔の日々が、どんなものであるか、御想像して戴けるでしょうか?

わたしは家族を拷問にかけて(家畜は血を抜く為に生きたまま解体されます。気絶から目を覚まし、悲鳴をあげながら解体されてゆく子も多いのです。)殺し続け、その死体を美味しいと言いながら食べ続けてきたのです。

日々、後悔し続けても、後悔し切れません。

一日でも早く、みんなにも、気付いてもらいたいのです。

これはわたしの思想でもなく主義でもなく、感覚の叫びなのです。

生命存在としての感覚からの、一番の人類に対する警告なのです。

グロテスクな画像を載せるのはとても気が引けるのですが、

人間をどれほど不快にさせ、人間に吐き気を催させてでも、

訴え続けたいことなんです。

この先の、二枚の画像は、肉を食べるすべての人に、観てもらいたい画像です。

わたしは15歳の頃に、兄の持っていた死体写真を載せた雑誌を隠れて読み漁り、

その中に、人間の眼球がいくつも、人間の手のひらの上にある画像を観たことがあります。

どういった経緯で撮られた画像なのかはわかりませんでしたが、

実際の死体の写真ばかりを載せている雑誌であったので、たぶんそれも本当の人間の死体からえぐり取った眼球の写真であったと想います。

さっき、「豚の目」で画像検索してみたのですが、

わたしがあの日観た、人間の死体の眼球の写真と、まったく同じに想える豚の眼球の写真が出てきました。

その写真を、二枚だけ、この記事の下のほうに載せます。

家族と感じなくとも、この眼球が、人間の眼球と何が違うのかと感じる人は多いのではないでしょうか。

「人間の眼球 解剖」で画像検索しても同じ画像が出てきます。

(画像注意!)ブタの眼の解剖2010

こちらの記事の画像です。

何枚も載せられていますので、他の画像も観たい方は御覧ください。

 

 

 

 

これが、わたしとあなたが食べ続けてきた、人間にそっくりな豚の眼球です。

もし、観るのもおぞましいと想うなら、あなたは肉を食べるべきではありません。

あなたが食べる為に、牛も豚も鶏も殺され、グロテスクな解体された死体と化し、

あなたのお腹の中に入るからです。

肉であれ、眼球であれ、同じ”死体”の一部なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間とそっくりな豚の死体の目は、じっと、こちらを見詰め続けています。

何故でしょうか?

それはあなたの目と、見詰め合うことが出来る目だからです。

死体の目であっても、こんなに見詰め合うことができるのに、

人間が生きている家畜たちと、真剣に向き合えないはずがありません。

 

畜産を一刻も早く、廃止すべきです。

人間が動物を殺し肉を食べるのをやめ、牛や豚や鶏たちを自分の愛する家族として迎え、共に喜びのうちに生きてゆける日が必ず遣ってくることを信じています。

 


 


この世の狂気

2018-04-13 11:40:26 | 人類の苦痛の根源

最近、Pairs(ペアーズ)というアプリを婚活の為に使い出したんです。
それでこのアプリはコミュニティを自分で自由に作って、そこに入って同じ趣味や嗜好同士で知り合えるというアプリなんですね。
わたしは早速、Vegan(完全菜食者)コミュニティを検索し、入りました。

 

 

これがわたしの入っているコミュニティ一覧です。

  • 「ビーガン(vegan)」111人。
  • 「ベジタリアン」616人
  • 「ヴィーガン」32人
  • 「完全菜食主義のビーガン」19人
  • 「動物愛護」1,063人

 (ちなみにMixiのVEGANコミュニティは2,268人。ベジタリアンのコミュニティは10,350人です。)

ややこしいですが、「ヴィーガン」も「完全菜食主義」も「ビーガン」も「Vegan」も、同じ意味です。

「ベジタリアン」は菜食主義の意味もありますが、厳密には菜食主義の分類が非常に細密化しており、蜂蜜も含めた動物性のものを一切避ける完全菜食(ヴィーガニズム)とは分けて考えられることが多いです。

ベジタリアンに共通しているのは肉をできる限り避ける人、肉はたまに食べる程度、肉はまったく摂らない人たちです。

わたしは2012年の2月に突如、Veganになりました。

なった経緯は、夢を含めた啓示としか想えないような偶然の出来事の連続の経験から、何日も苦しみもがき、最終的に此の世の救いを本当に真剣に求めた結果、『肉を食べ続けることが人類の苦痛の根源にある』という確信に至ったからです。

さらには『人類が動物を利用して苦しめ続けることがそのまま人類の苦痛として返って来るというこの世の負の連鎖』の法則を自分の感覚を通して知ったからです。

『(動物を)殺す世界』は、『(人類も)殺される世界』であるのだとわかったからです。

わたしは肉を食べるのをやめる為に、幾つもの"と殺(屠畜)"の映像を観ました。

その一つは「アースリングス(Earthlings)」というドキュメンタリー映画です。

映像を観て、殺され行く動物たちは自分自身であり、自分の大切な家族であったことにようやく、気付きました。

 

Earthlings(アースリングス)

 

 

わたしのブログで何度も何度も紹介している映画です。

でもまだこの映画を、「観ました。」と言ってくれる人は一人もいません。

 

突如Veganになったものの、約5ヵ月後に植物と魚介類を食べるペスクタリアンになり、でもVeganに戻りたくて、平沢進の影響でまた2015年の9月からVeganを頑張って続けています。

 

話をPairsに戻しますが、Veganコミュニティはまだ111人。

では、肉が好きな人たちのコミュニティはどれくらいいるのか。

  • 「お肉大好き!」69,572人
  • 「焼肉部」30,215人
  • 「焼肉が好き」204,80人
  • 「お肉/焼肉が好きな人♪」22,635人
  • 「焼肉好き・美味しいお肉…」19,054人
  • 「肉.肉.肉!!肉が好き!!」17,160人
  • 「焼肉/肉料理が好き!!」15,313人
  • 「焼肉大好き!!!」12,171人

 

では、一方、動物が好きな人はどうだろうか。

  • 「動物が好き」56,299人
  • 「動物好きです」18,101人
  • 「ペット・動物大好き!!」12,767人
  • 「動物がすき♡」7,108人
 
では豚が好きな人はどうだろう。

  • 「ミニブタ飼いたい♪大好き」234人
  • 「ブタが好き」144人

  • ぶたが好き♡48人
 

では豚肉が好きな人は

  • 「豚骨ラーメンが好きです!」2388人
  • 「豚汁好きです。」2014人
  • 「豚骨醤油ラーメン大好き」1537人
  • 「豚骨ラーメンが好き」1496人

 

鶏が好きな人はどうだろうか

  • 「にわとり好き」9人

 

では鶏肉が好きな人は

  • 「焼き鳥好き」26,624人
  • 「焼き鳥が大好き」14,993人
  • 「焼き鳥大好き^^」8,240人
  • 「唐揚げ大好き」9,556人
  • 「美味い唐揚げ」742人

 

  • 「鶏肉大好きチキン野郎」558人
  • 「鶏肉が好き!」207人

 

「牛」で検索すると、

  • 「牛タンが好き」6,362人
  • 「焼肉に牛タン外せない」4,635人
  • 「牛乳/チーズ/ヨーグルト…」2,294人
  • 「牛乳が好き」1,322人

 

 

 

わたしの入っているコミュニティ

  • 「オーガニック&ベジタリアン」1,112人
  • 「菜食主義」14人

 

 

これが、この世の、狂気です。

是非、先ほど載せましたドキュメンタリー映画「アースリングス」を御覧戴きたいのです。

人類は急速に、肉食と、畜産業によって、絶滅へと向っています。

 

地球への脅威はるかに悪化、科学者1万5000人による「人類への警告」

科学者たちは、絶滅を免れるための解決策の一つに「植物中心の食事」を挙げました。

これはつまり、人類全員が緊急にベジタリアンへと移行せねば、人類も他の生物も絶滅すると警告していることになります。

でも突然人類が全員ベジタリアンに移行するのは、まず無茶です。

だから人類の半数以上は、今すぐにでもVeganになる必要が緊急にあります。


もし、あなたが、”生きる喜び”がほんの少しでもあるというのなら、Veganに早く移行する必要があるのではないでしょうか?

この地球は、生きる喜びを感じるわたしたちすべてにとって、必要であるはずだからです。







わたしたちの一生

2018-04-08 18:00:49 | 人類の苦痛の根源

今、この瞬間から、わたしとあなたは、一羽の鶏になってみましょう。

鶏は、ものすごく個性があって、一羽一羽違う顔をしているのをわたしとあなたは知ります。

鶏は、100羽以上の仲間を認識し、顔の特徴を見分けることもできます。

わたしは、あなたという鶏を見分けることができますし、あなたもわたしという鶏を見分けることができます。

わたしたちは、憶えたカードを沢山のカードの中から選び出すことができるほど賢い鳥です。

母鶏は、卵を一時間に5回も揺らして卵に語りかけます。

雛鳥たちは、自分でねぐらを作ることができるほどになるまでは母鶏と一緒に寝ます。

雄鶏は見張り役を担って、捕食者が迫ると警告音を鳴らして仲間を護ろうとします。

母鶏は、雛鳥と離れても雛鳥に捕食者が迫ると雛鳥を護り、相手が凶暴なワシやキツネでも撃退することもあります。

わたしたちは、砂浴びがとっても大好きです。砂をいっぱい浴びたり、土に身体を擦り付けるのがとても気持ちが良いです。こうすると、羽根を清潔に保つこともできるのです。

わたしたちの砂浴びタイムは、人間のお風呂のようなリラックスタイムです。

 

 

 

鶏の砂浴び

彼女はわたしたちの仲間の小春ちゃんです。グルグルグルルルルルルゥという低い鳴声は人間の「ここちがいいな~」ということを言っているのと同じです。

 

 

 

わたしたちの嘴(くちばし)は、人間に例えるなら手のようなものです。餌を探して食べるのにも、水を飲むのにも必要です。周囲を探索するためにも使います。

わたしたちは一日に一万回から一万五千回も、地面や草をつついたり探索をして餌を探して過ごします。

わたしとあなたは、餌を探して探索していると、仲間たちの声と匂いを感じ取りました。

ある一つの、工場の中にわたしとあなたは入り込み、一つの籠の中に入ると、籠は色んな場所へと運ばれ、あらゆる光景を目にしました。

 

 

【閲覧注意】生まれた瞬間シュレッダーにかけられる数万羽の雄ヒヨコ! 生きたままグチャドロミンチに

 

 

 

 

日本の養鶏場

 

 

 

卵の裏側 2016年日本の養鶏場

 

 

 

あなたのから揚げになったのは、このニワトリたちです

 

 

 

2016年日本 食鳥処理場 鶏のと殺(屠畜)

 

 

 

ブロイラー 肉用に飼育される鶏

 

 

 

日本の鶏のと殺(屠畜)場(食鳥処理場)の多くが意識のあるまま首を切る

 

 

 

鶏のと殺(屠畜)方法の改善を。懸鳥作業

 

 

 

 

卵の裏側 ニワトリの苦しみが明らかに。

 

採卵鶏の一生

 

 

 

採卵養鶏場から保護されたニワトリ あおい

 

 

 

採卵養鶏場から保護されたニワトリ メイ

 

 

 

採卵養鶏場から保護されたニワトリ 梅

 

 

 

 

わたしたちの仲間たちは、人間たちに一体どんな酷いことをしたのでしょうか?

どうしてこのような目に合わされ続けているのか、考えても考えても、わかりません。

わたしたちが入り込んで、抜け出せなくなってしまったこの籠は、いったいどこへ向っているのでしょう?

だんだん寒く、凍えるほどに苦しくなってきましたが、抜け出せる手段がまだ見つかりません。

それに、外も中も真っ暗で、どこにわたしたちがいるのか、まったくわからないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界で一番重要なスピーチ

2018-04-01 23:34:45 | 人類の苦痛の根源

世界で一番重要なスピーチ(ゲイリー・ヨーロフスキー)

 

 

 

 

【世界で一番重要】なスピーチとは?一体どんなスピーチ?

気になりませんか?世界でとても有名で36ヶ国語に翻訳されているそうです。

”或る”分野で過激な活動を続けているGary Yourofsky(ゲイリー・ヨーロフスキー)のスピーチです。

彼は13回逮捕され、5カ国から追放された凶悪国際テロリストと言われています。

凶悪な国際テロリストと呼ばれる人物のスピーチが、一体なぜ世界で最も重要なのか?気になりますよね。

 

彼はこの世界で行なわれ続けている【目隠し(洗脳)】について、スピーチしています。

この動画を最後まで観ていただければ、わたしたちがどのようなものによって、【目隠し】され続けてきたかがとてもよくわかると想います。

是非、覚悟してご覧戴きたい。

(一部に残酷なシーンがありますが、シーンに入る前に説明があるので飛ばすこともできます。でも現実を知る為に必要でとても重要なシーンです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


他者(自分自身)を救う為に誰もが今すぐ出来る第一歩。アーティストSue Coeの描く現実

2018-03-25 22:24:43 | 人類の苦痛の根源

今日、イギリス出身のSue Coe(スー・コー)というアーティスト/活動家を知りました。

 

 

The Spent Hen  (2012)

 

 

Sheep Shearing

 

 

 

彼女は版画や絵画や芸術家の書籍や漫画によるイラストレーションなどで様々なこの世界の深刻な問題を描いています。

経済的抑圧、性的搾取、政治的腐敗、アパルトヘイト(種差別)、エイズ、刑務所(投獄)、戦争、工場農業、飢餓など彼女の取り上げる問題はすべて社会的不公平についての問題で、中でも一番力を入れているのが”動物に対する人類の残虐行為”という深刻な問題です。

 

 

 

   

Sue Coe (born 21 February 1951) 

 

 

Sue Coeは1951年にイングランドのスタッフォードシャー州タムワースで生まれました。

彼女は幼少期を豚の養殖場と"と殺(屠畜)"場の側で過ごし、毎日のように家畜たちの悲鳴を聞いて、また家畜への残虐行為を何度と目撃しました。(毎朝、豚の叫び声で目を覚ましたそうです)

幼い頃から学校の実験室やと殺(屠畜)場から動物を助けたりしてきた彼女は後年の1986年から1992年にかけて、米国、カナダ、イギリスの屠畜場の内部に足を踏み入れ、と殺(屠畜)場内の様子をスケッチブックにドローイング(図案の線描)し、カメラでビデオを録画しました。

「ドローイングは分かち合われた時間の親密さを明らかにする(Drawing reveals intimacy of shared time)」

と言った彼女はどのような想いで殺される未来が待ち受けている動物たちと、残虐な方法で殺されゆく動物たちの姿を描いていたのでしょう。

きっと自分や自分の大切な家族が殺されてゆく感覚だったと想います。

彼女は他にもストックヤード(肥育場、牛を食肉用として出荷する為に飼料を必要以上に与えて太らせる為の施設)、ミートパッキング工場(食肉を解体、処理、包装する工場)、牛の放牧場、酪農場(搾乳場)、鶏卵工場にも足を踏み入れます。

彼女は、米国のシンシナティにある食肉処理センターのための「Porkopolis」と呼ばれる一連の作品を生み出しました。

 

 

Standing Pig (1993)

 

 

(1989)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

The Selection1991. 





Queenie Poster by Sue Coe   VIEW LARGER Queenie Escapes the Slaughterhouse (2011)


 

Triumph of Fundamentalism (2005)

 

 

Second Millenium, 1998

 

 

You Consume Their Terror, 2011

 

 

 

 

彼女は、「幸せな動物(happy animals)」の絵をたくさん隠し持っているそうです。

残虐な絵ばかりを描いているのは、彼女が残虐な絵が好きだからではないことがすごく彼女の絵を観ていると伝わってくるのです。

わたしも残酷なことを表現する小説や詩を多く書くようになってきました。

それはこの現実世界が本当に残酷でならないことが毎日普通に行なわれ続けている世界だからです。

彼女もわたしも、現実に起きていることを表現することによって、平和を願う心を自分も作品を鑑賞する人にも強く抱かせ続け、この世界を平和に向わせたい気持ちがすごく強いのだと想います。

この世で行なわれ続けている残酷なことが本当に苦しくてならないからこそ、残酷な表現をし続けていかねばならないのです。

「動物達は今自分を殺そうとしたり虐待しようとする人間の目をじっと見つめる事があります。

その目にはなぜ自分がこんな目に遭わされているのかという困惑と恐怖に満ちています。

そして何も悪い事をしていないのに、もっといい子になるから許してください、という懇願の思いがひしひしと感じられる。 

私は挫けそうになった時、動物達のその目を思い出し、悲しんだり希望を失っている時間はないのだと自分を奮い立たせます。」

Sue Coeのこの言葉を、わたしは忘れたくないと想いました。

苦しんでいる人こそ、わたしは動物たちの苦しみを知って欲しいと想っています。

動物たちを救いたいと願う気持ちは、自分自身(人間)を救うことに他ならないと感じているからです。

自分だけの苦しみに囚われることのほうが人間は苦しいと想うからです。

他者の苦痛を知り、心から救いたいと想えることにこそ、”光”が見える筈です。

だからどうか、目を背けないでください。

 

 

 

 

 

 

 

参考サイト

🌟ビーガンアーティスト Sue Coe

🌟スー・コー(Sue Coe) について

🌟From NMWA's Vault: Sue Coe

🌟Sue Coe