あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

みちたとのお別れ ③

2019-10-31 20:18:59 | 日記
(2013年7月20日午後18時57分撮影のみちた。お気に入りのうさぎのぬいぐるみに顎にある臭腺の匂いを塗りつけているところ。)



10月15日午前4時17分、昨日は暗くなる前から眠ったからよく眠っていた。
何度も目が醒め、汗がぐっしょりで気持ちの悪いなか、夢と現のあいだでまた何度も眠りに入った。
iHerbで買っていたメラトニンと赤ワインの力でこんなに眠りつづけられる。
眠っているあいだ、みちたのことを忘れているのは寂しい。
でも記憶にない夢のなかで、みちたと話しているかもしれない。
動物は、飼い主を危険から、ネガティブなエネルギー、呪いのような念から護る為に、自分が犠牲となって死ぬことがあるようだ。
呪いの念というものは、本人にその気がなくとも相手に飛んで行ってしまうと言われている。
例えば生霊というものも、ほとんどが本人の知らないあいだに相手に憑いてしまうと言われる。
だからちょっとしたことでも相手にムカついて、相手に悪いことが起きるように一瞬でも願えば途端に自分の生霊が相手を苦しめてしまうこともあるから、人間を恨むとは、とても業が深いことなのである。
何故ならその業は、必ず自分のところへと帰ってくるから。
相手を呪えば相手が苦しみ、その為に自分も苦しむことになる。
わたしはヴィーガンになってから、自分の訴えは揺るぎないものになった。
因果応報、因果律の法則、作用反作用の法則だ。
人類に耐え難い苦痛、地獄と拷問の苦痛が存在するのは、人類が動物たちに同じ耐え難い苦痛と地獄と拷問を経験させ続けていることが一番の原因にあると確信に至った。
だからずっとずっと、それをネット上で訴えつづけて来た。
相手への行為は、必ず自分のところに帰ってくる。
肉や畜産物や魚介を食べるということは、間接的に動物を大量に殺し続けるということだ。
その行為は、必ずや自分に帰ってきて、相手に与えた同じ苦しみによって、自分が苦しまなくてはならない。
そうするとこの世に地獄と拷問の連鎖が永久につづいて行くことになる。
そんな世界に生きてゆくことは、たとえ肉体的苦痛がなくとも、精神的な地獄の世界だ。
でもこの訴えをしつづけるとほとんどの肉食者から反感を買い、恨まれ、嫌がらせを受け、迫害される。
ネット上には、わたしを意識下か潜在意識のなかで恨みつづける人間がたくさんいてもおかしくない。
人の不幸を願い、人の不幸を喜べば、必ず自分が不幸になることも知らずに。
みちたはもしかしたら、わたしに降り掛かるそのすべてのネガティブなエネルギー体を自分ひとりで引き受けて、わたしを危険から護る為に死んでしまったのかもしれない。
でもこの訴えを、わたしは死ぬまでやめるつもりはない。
わたしがヴィーガンになったのは、一つの大きな理由として、生きて心臓が動いているうちに解体されて殺される家畜たちが、わたしの父やみちたに見えたからだった。
愛する父やみちたが、どうか来世は家畜などの地獄のなかに殺される動物に生まれ変わってきませんようにと、祈りつづけることはしない。
何故なら、自分の愛する者だけを救ったところで、だれひとり救われない世界だとわかっているから。
祈るなら、すべての生命が救われることを祈りつづける必要がある。
その為に、自分を犠牲にする覚悟で祈れないなら、祈りには、なんの意味もない。
祈りと行動が矛盾していたとしても、すべてが救われるまで自分は決して救われないことを知るなら、祈りには大きな意味があり、力がある。
イエスは、愛することのできる者(自分を愛してくれる者)だけを愛したからといって、なんの報いがあるのか。と言った。
"報い"とは、すべての自分の行動の結果として自分が身に受けるもの。
報いとは、生命にとって生きることの益や価値や意味と同じような意味にある。
みちたや、お父さんやお母さんがどうか救われますようにと祈りつづけたとして、そこには何の意味も価値も益も報いもない。と、イエスは言っている。
善なる者はすべてを救出する為にみずから地獄に向かうが、悪(罪)なる者は地獄から救われたくても地獄に堕ちてしまう。
自分を犠牲にしてでも悪なる者が救われるようにと祈ることができないのなら、祈りには、何の意味もない。
深い罪があっても、善なる者として生きて死ぬことができる。
みちたはもしかしたら、前世で深い業があり、そのカルマの清算の為に、わたしに飼われることを選択したのかもしれない。
前世でみちたは人間で、前世、わたしは動物だったかもしれない。
みちたはわたしを苦しめたかもしれない。
その為、今生ではわたしに苦しめられる一生を送り、わたしは前世で苦しめられたみちたを愛することのできる人生を送ることをみずから願って、ふたりであちらで約束してこの地上にまた生まれてきた。
みちたはこの苦しい一生を送ったことで、やっと深いカルマを清算することができた。
みちたは罪をすべて贖って、真っ白なみちたとなって自分を犠牲にして、わたしを救ってくれたのかもしれない。
みちたは真っ白な仏さまになった。
でもみちたがいなくてわたしがずっと泣いているから、わたしの子宮にいつか宿ってくれるかもしれない。
今生が無理でも次の一生がある。その一生が無理でも、また次の一生がある。
いつか、いつかの人生で、みちたはわたしの息子に生まれ変わり、別の人生では、わたしの夫として生まれ変わってわたしと再会する。
もしかしたらそれは人間の時間軸で考えると過去かもしれない。
アトランティス時代、みちたは人間となって、わたしに出会う。
それが最初の出会いかもしれない。
過去は未来になり、未来を、わたしとみちたは懐かしむ。




(2009年11月6日午後22時4分。みちたはお耳の垂れたロップイヤーという種類のうさぎだけれども、こうして耳を上げてやると、よりうさぎらしくなって、少し女の子っぽくなる。みちたは耳の付け根部分を撫でられるのが大好きだった。その部分は自分で痒くても掻くことができなくて、いつも痒かったのだろう。)





午前5時58分、もうすぐ日の出。
みちたが旅立って、四度、夜が明けて、朝が来た。
嗚呼、まだ4日しか経ってないんだ。
4日前、みちたはまだわたしの側で眠ってくれていたんだ。
まだ、同じ世界にいたんだ。
わたしとみちたは。


お花を買ってきて、みちたの遺灰の横に置いてあげたいな。
煙の少ない御線香もあるといいかな。
みちたの毛が詰められたぬいぐるみをリュックに入れて買いに行こうかな。
携帯用のミニ骨壷は来月にならないと買えないから、何かそれまでみちたの遺灰を入れて持ち運べるケースみたいなやつはないかな。
みちたの遺灰を家でひとりぽっちにさせるのは、なんか淋しい。
わたしはすぐに帰って来るけれど、それまでテーブルの上にぽつんとみちたの遺灰の入ったちいさな骨壷があるのを想像すると何か寂しい。
みちたが生きているときは少しの間みちたをひとり部屋に置いて行くことを寂しいなんてほとんど感じたことはなかったのに。
うさぎの1日は人間の7時間くらい。
7時間くらい、ほったらかしたことは何度もあったと想うし、緊急の出来事で2日か、それ以上ひとりにさせてしまったことも三度ある。
みちたはどんな想いで、その時間ひとりでいたのだろう。
見棄てられたと感じて、ずっとこころで泣いていたかもしれない。
みちたには、わたししかいなかったのに。
わたしだけが、みちたを育ててきた。
何故なんだろう。
何年か前から、2016年よりも多分前から、大きな液晶のパソコンに変えて、その時からパソコンの前に座っているわたしの1日のほとんどの時間、サークルのなかにいるみちたの姿がほとんど見えないようになってしまった。
ずっとずっと、早くデスクの向きを変えたいと想っていたのに、とうとう最後までできなかった。
いま想えば、ひどく簡単なことだったのに。
みちたのサークルの横に積み重ねられる収納ケースを買うか、物を捨てて物を減らしたら、すぐにできることだった。
何故なんだろう…
何故、収納ケースを買わずに、ダイソーで毎月何千円と衝動買いしたり3DSなど買ったりしてしまったんだろう。
何故ホームヘルパーを利用した時に一番最初に、デスクの向きを変えたいと言わなかったんだろう。
他の何よりも、一番に大事なことだったのに。




(2009年11月6日午後22時7分。みちたはこの頃から既に、ふてくされた顔をしている。でも想えば、みちたを何度も撫でたり一緒に遊んでやれた精神状態が安定していた期間はほとんどなかった。みちたはほとんど常に、ひとりでサークルのなかで遊んでいた。それを眺めているだけで、ほっとしていた。)






午前6時58分、食欲があまりないけれど、起きてパスタでも食べて、バッグ二つと、ぬいぐるみ四つを近くのセカンドストリートに売りに行こうかな。
それで電化製品を買い取ってもらえるか訊いてみようか。
その足でダイソーに行こう。徒歩約20分ほどで着く。


昨日、楽天で見たら五万五千円でメモリアルリングをオーダーできるものがあった。
一月一万五千円貯金できたら5ヶ月目には買えそうだ。
早く欲しいから、安いものにしようか。
でも内側からしか遺灰が見えないデザインだった。
そうすると付けたままみちたの遺灰を見ることができない。




(2009年11月6日午後22時8分。みちたにあげるお野菜を入れていたこのお皿も、だいぶ前に捨ててしまった。みちたのサークルはすべて片付けるけれど、みちたが遊んでいたぬいぐるみは洗って置いておこう。)







10月16日午前4時37分。
昨日はリュックにブランケットに包んだみちたの骨壷を連れて、昼過ぎに歩いて20分くらいのダイソーに行って、みちたの写真を飾るフォトフレームと、みちたの骨壷の側に置く花を生ける為の花瓶と、香炉灰と線香と香炉代わりの皿と水を入れるショットグラスと、それらを置くコースターやランチョンマットを買って来た。
スーパーでピンクの薔薇や白い霞草、ピンクや白のガーベラ、青いちいさな花、あと花屋で鉢植えのオレンジ色のガーベラを買った。
帰りにファミリーマートでみちたの写真を5枚プリントアウトして帰って来た。
みちたの写真を形にするのは2015年に数名に初めて送った年賀状以来だった。
みちたの写真を年賀状にしたのは、みちたを覚えておいて欲しいからだった。
みちたが死ぬとき、わたしだけが悲しむのはみちたが可哀想だと想った。
でも実際みちたが死んだとき、そんなことでみちたはちっとも悲しんではいないと感じた。
みちたは寧ろ、わたしを心配して、わたしが悲しみに暮れていることで一緒に悲しんでいるような気がしたからだ。
みちたは仏様になったのだから、わたしだけに悲しまれることを悲しんでなどいない。
みちたはただ、わたしがみちたを喪う深い悲しみのなかでも、頑張って生きてゆけるようにと祈ってくれている気がする。
でもみちたは天使となって、またわたしを助ける為に天から降りて来てくれると信じている。
でもそれまでは、みちたのいない日々を、わたしは存分に悲しみつづける必要がある。
哀しみつづけなくては、みちたはきっと降りて来てはくれないように感じる。




(2019年10月15日午後19時5分。2015年に撮影したみちたの写真をみちたの骨壷の隣に飾る。眠るとき、みちたと並んでいるような気持ちになる。寂しそうな表情に見えるけれども、のちにお線香をあげてくださった訪問看護師のチャーミーさんは良い顔だと言ってくれた。)




今まで、死者の為に、自分の家で何かをしたことは二度しかない。
一度はある若い死刑囚の命日に御線香を焚いた日があった。
もう一度は母の命日に、母の好きな花を生けたことがあった。
でもそれ以外、記憶にはない。
うちはそういったことを何一つしない家だった。
父は母の写真すら飾ることはなかったし、命日にも何一つしなかった。
それはエホバの証人の母の想いを汲んでなのか、父がもともとそういったことに興味もない人だったからか、と考えると両方か、後者の理由が強いかもしれない。
エホバの証人は誕生日も命日も何もしない。その日だけ祝ったり死者を想ったりしたところで、何の意味もないというのが聖書の本来の教えだからだ。
聖書は常に神から生かされていることを祝福し、常に全ての為に祈り続けなさいと教えている。


母が生きていたら、死んだみちたの為にあれこれするのを、そんなことをしなくていい、偶像崇拝になるからやめなさいと言っただろう。
でも生まれて初めて遣ってみて、すごく納得できる。
死者に供える為にあれやこれやと用意したくなるのは、やはり自分が淋しいからなんだと。
みちたの遺骨の隣にみちたの写真を飾り、みちたに供える水を置いて花を生け、線香を焚く。
この空間の側にいると、とても落ち着いて、みちたが安らかでいられるような気がするのは、わたしがそれを前にして安らかでいられるからだ。
みちたは別にそんなことを望んでなどいない。
でもわたしが少しでも安らかな想いになれるなら、みちたは喜んでくれているように感じる。
今日、ダイソーの帰りに縹色の空を見上げて、お空にみちたはいるのかなと想ったら涙が出て、少し泣きながら歩いた。
帰るときは背中に背負っているみちたに「みちた帰ろう。」と声を掛けて、帰ってきたら「みちた、おうち帰ってきたよ。」と声を掛けた。
みちたが生きているときは、滅多に「いってきます。」や「ただいま。」を言わなかったのに。
でも少し元気なときは、言えていた。
言えるくらいの、元気があれば良かった。
でもそれが叶わなかった。
みちたの2015年の写真を今日見て、泣きながらやっぱり寂しそうな顔してるなと想った。
こんな寂しそうな顔をしているうさぎはあんまりいないと想った。
みちたは撫でられるのが本当に大好きだったのに、わたしがサークルのなかに入るだけでいつもブゥブゥと鼻を鳴らして元気よくぐるぐるとわたしの周りを回っていたのに、ほんのたまにしか、みちたに触れる元気もなかったし、たまにしかちゃんと掃除もしてやれなかった。
みちたはわたしが親代わりで、わたしに愛されることをずっとずっと切実に求めていたのに。




(みちたのふわふわな毛を撫でる感触が、今でも蘇ってくる。またいつか、みちたを撫でられる日が来ることを信じている。)




みちたは、人間では90歳を超えているくらいだったかもしれないが、わたしにとってはずっとまだ幼いちいさな子どもだった。
いつでも、わたしに甘えたそうにしていた。
斜頸が悪化して、ふらふらになってまともに歩けない状態になってからも、わたしがサークルのなかに足を踏み入れたら寝ていてもすぐに起きてわたしの足の側に来ようとした。
それでもわたしはみちたに苛立ち、臭くて汚いと感じる瞬間もあった。
そしてそんな自分を、完全に壊れてしまっていると感じて、罪悪感に苛まれ余計鬱になっていた。
鬱の親にネグレクトを受けつづけた子どもはみちたの悲しみと淋しさがわかるのかもしれない。
自分が病気で死に掛けているのに、鬱の親がお酒をたらふく飲んで音楽をガンガンにかけて自分の前で踊っていたらどんな気持ちになるだろう。
でもその親は、自分を愛せないことでずっと自分自身を責めつづけている。
自虐行為と他虐行為は良く同じになる。
みちたを放ったらかしにし続けることで苦しいのはみちただけでなくわたしもだった。
わたしとみちたは、この数年間、共に地獄のなかにいた。
誰からも、助けは得られなかった。
わたしがみちたをちゃんと看ることができるほどに変われるほどの助けは。


みちたを亡くして、まるでわたしは脱け殻になっている。
今のこの自分を、あのときのわたしが知るなら、わたしはどのように変わっていたのか。
みちたは今も、元気にわたしの側にいるのかもしれない。


みちたのサークルのマットを、もっと早く変えてあげれば良かった。
同じマットを、9年近く使っていた。
安いカーペットや敷きパッドにして、毎月でも変えてやれば良かった。
汚れた塩化ビニール製のマットをずっと使っていたから紙魚が大量発生して、その糞も大量でみちたの環境を悪化させていただろう。
でもカーペットに2018年の11月に変えてからは紙魚の姿はほとんど見なくなった。
みちたはとても清潔好きだったのに、猫のトイレの表面にうんちが敷き詰められているような時も多かった。




(2015年5月16日午後14時23分。遺影にこの写真を選んだのは、寂しそうなみちたの顔が、とても切なくて、一番にみちたを表していると感じたからかもしれない。)




午前6時半、みちたが旅立って、5日目の朝が来た。
死んだ動物の魂は、初七日とかは関係なく、飼い主が心配なうちは当分飼い主の側にいるのだという。
でも生まれ変わる為に、ずっと側にいることはできないから、そのうち、天へ帰ってゆく。
そして動物にまた生まれ変わる場合ひとつの類魂とひとつになり、そこからまた分かれて生まれて変わってくる。
だからすべての動物がみちたに想えるのは不思議なことじゃない。
殺される家畜も毛皮にされる動物も動物実験にされる動物もすべてみちたのように感じて苦しいのは、その通りだからなんだ。
すべては、何をしても切ることのできない繋がりで繋がっている。
誰かを愛して、誰かを殺しつづけるなら、それは愛する者を自分の手で殺しつづけていることになる。
だからわたしはもう二度と、動物を殺して得た畜産物や魚介を食べたくはない。
もう二度と、自分の愛する者をこの手で拷問にかけて殺し、そして得たものを、食べてまで生きたくはない。
それは拷問と殺戮の連鎖を、永遠につづけてゆく生き方だ。
自分の為に、みちたが拷問の果てに殺されつづけるという生き方だ。
最早、そのように生きても、"それ"は生きているとは言わない。
生きていることの喜びを、本当の意味で感じることはできない。
みちたはわたしの息子であり、わたしの家族だった。
家族を殺してまで、生きてゆきたくはない。


あと地球は、どれくらい持つのだろう。
1日に多くて200種の種が猛スピードで絶滅して行っている。
あと30年持つかどうかもわからないと言われている。
今から30年後に、終末が訪れるとして、わたしは68歳。
生きているだろうか。
もう食べ物も、水も尽きて、すべての森は灰となり、真っ黒な海が徐々に押し寄せ、光も途絶え、極寒のなか、あとは死を待つだけだ。
今、この時を、懐かしむこともあるのだろうか。
嗚呼、みちたが側にいれば、みちたに食べさせるものも飲ませる水もなく、わたしはみちたとふたりで凍え死ぬか、餓死するか、海に飲み込まれて死ぬ。
それでもひとりより、ふたりでいられて良かったと想える日が来るだろうか。


わたしがヴィーガンになる切っ掛けとなった2012年2月の啓示的な夢のなかで、わたしはみちただけを連れて逃げた。
みちただけを手に抱えて、わたしは必死に走った。
走るのをやめたところには、死が待ち構えていた。
恐ろしい世界のなかを、どれぐらい走っただろう。
わたしは諦めなかった。
そしてわたしとみちたは、気づけば光り輝く世界に包まれていた。
あのときの、神の光と、打ち震える喜びを、今でも憶えている。







(2015年5月16日午後14時25分。この写真もとても気に入っている。窓から入る午後の光が、みちたに降り注がれている。みちたはだいたい、このような請い求めるような目でわたしを見つめてきた。)




10月31日午前7時11分。
みちたに会えた。
みちたは、わたしが目を覚ますと、元気な頃の姿で、わたしの実家の炬燵の右側にいて、わたしを見つめてわたしに何かを伝えたそうにしている。
なのになんてわたしは愚かなのだろう。
わたしはこの奇跡を、残しておきたいと携帯を持って戻ってきたみちたを撮り始める。
でもみちたは、必死に何かを伝えようとしていて、わたしをいざなう。
みちたは心のなかで違うよ違うよとわたしにメッセージを送っているように感じる。
わたしはようやく憶いだす。
みちたは最初に、炬燵のテーブルが洞穴のようになった場所にいて、そこにはみちたが、まるで護るように、同時にわたしに助けを求めるようにちいさなちいさな瀕死の仔猫の側に母猫のようにいる。
わたしはそれを憶いだし、やっと携帯を放って仔猫を抱き上げる。
仔猫は死んでいるように感じて、遅かったか…と悔やみながらもわたしはわたしの今の部屋のキッチン(不思議なことにみちたのいる実家とわたしの今の部屋のキッチンは繋がっている。)に向かい、濡れていたのでタオルでくるんで、別のタオルを探す。
早くあたためてやらねば…するとそこに少し前から飼い始めた白い雌猫がいて、その猫のお乳に仔猫の口元を持って置いてやると仔猫はお乳を飲み始める。
良かった…ほっとしてみちたのいるテレビの部屋にある炬燵の上のリモコンを取り、テレビの時代劇の音量を下げる。
そっと、そっと、わたしはすべての動作を行う。
みちたがいなくなってしまわないように。
みちたは炬燵の左側に寝そべって、もの言いたそうにわたしを見上げる。
そしてわたしに、はっきりとした声で、みちたは言う。
「怒ってる…?」
わたしは途端に泣いて、みちたに返す。
「怒ってへん…怒ってへんよ…。違うねん。みちたのことをほんまに悪い子やなんて、想ったことないよ。」
みちたはほっとした様子で、わたしに撫でられ、みちたが眠りに入る瞬間に、わたしは目を覚ます。
夢か…わたしは夢から覚めて、夢だったことの寂しさと、みちたが死んでから初めて記憶に深く残るみちたの夢を見れたことの喜びを同時に感じ、今日は死者があの世とこの世のあいだに帰って来ると言われているハロウィンの日であることを想いだす。
寝る前に、みちた帰って来てくれるかなと想って眠ったから、みちたは夢というあの世とこの世のあいだの世界に降りて来て、わたしに会いに来てくれたのだろうか。
わたしはみちたの愛おしさに泣きながら、あの白い雌猫と仔猫は一体だれだろうと想う。
仔猫はもしかしたら、2006年に実家で生まれてすぐに死んでしまって、わたしが何時間と泣きつづけたあとに埋葬したはるちゃんかもしれないと想った。
白い雌猫は…実家で飼っていて2015年に旅立ったクロエだろうか…?
わたしは一人で時代劇なんて観ないのに夢では何故か時代劇が流れていた。
時代劇はお父さんが好きで、よく一緒に観ていた。
まさか…お父さんの生まれ変わりが本当にみちただったりして…
みちたは、わたしがみちたのことをずっと怒ってるんだと想っていたのかもしれない。
だから世話をちゃんとしてもらえなくて、ほんのたまにしか撫でてくれないんだと感じていたのかもしれない。
精神があまりに不安定な期間、みちたにいらいらした時も多かった。
そのすべてのわたしの感情を、みちたは感じ取っていたのかもしれない。
でもどんなに苦しい時でも、みちたが本当にいなくなればいいなんて想ったことは一度もなかった。
それとも…みちたの「怒ってる…?」という想いは、わたしのみちたへの想いの投影なのだろうか。
わたしはみちたに赦してもらいたくて、赦してもらわなければ、みちたは帰って来てくれないと感じて、みちたに赦される為に、今のわたしが必死であるからかもしれない。
でもみちたは夢に出て来てくれた。
夢に出てきたみちたは、みちたであるように感じる。
みちたの想いとわたしの想いは、同じであったのかもしれない。
みちたとわたしは、一つであるのだと、言ったものね。
みちた。
夢に出てきてくれて、ありがとう。
みちたに会えて、本当に嬉しいよ。
また、夢に出てきてくれる?
みちたに、何度でも会いたいよ。


もしかして、はるちゃんの生まれ変わりが、みちたなのかな…?
















みちたとのお別れ ②

2019-10-26 16:15:59 | 日記
(写真:2015年6月1日午後23時44分撮影のみちた。ずっとこの写真を、このブログのプロフィールの写真にしている。)





10月26日午後2時37分。
本当に久しぶりに、窓を開けた。
さっきまで曇っていたが、晴れてきて清々しい秋風が吹いている。
みちたに供える為に前に買ったオレンジのガーベラの鉢植えをベランダに出してやった。
午後の陽射しが、みちたのサークルの横に置いてあるサンスベリアやパキラやモンステラやドラセナに降り注がれ、まるで生き返るように、喜んでいるようだ。
みちたのサークルは、まだそのままにしてある。
ペットシーツに染みついたみちたのおしっこの匂いが少し臭った。
来月には、すべて片付ける予定だ。
そしてそこに、広い箱庭を作ろうと想っている。
みちたの遺灰を入れたドールハウスにはあたたかい灯りをともし、少し高い位置に置いて、みちたのお庭には広いプランターを作ってそこにあらゆる植物を寄植えする。
たくさんのミニチュアの小物を好きに置いて、イルミネーションライトなども点けて、時に賑やかだけれど、時にひっそりとしている箱庭を作りたい。
みちたの魂が、帰って来る場所を。



みちたが旅立ってから、もう二週間が過ぎた。
今まで書き溜めたものを少しずつ、みちたの写真を貼りながら載せていこうと想う。





(2015年4月22日午後17時47分 みちたの隣に転がっているのはみちたがいつも咥えて走り回ったりマウンティングをして遊んだお友達のうさぎ。)





みちたはもしかしたら、死に目の数分は、自分が苦しむことがわかっていて、それをわたしに見せてわたしをこれ以上苦しめることが嫌でわたしの離れた十数分間に息を引き取ったのかもしれない。


10月14日午前3時16分、疲弊して眠っても、すぐに目が覚めてしまう。
目が覚めると遺灰となったみちたが目の前にある。
さっき、こころのなかで「手を繋いでいてほしい」とみちたに言ったら、その言葉はわたしのなかから発せられると同時にみちたが「手を繋いでいるよ」と言ってくれているような気がした。
みちたは生きているとき、物質と霊魂で、その二つを合わせてみちただった。
でも受肉した全存在が抗えない死という現象が、みちたにもとうとう訪れ、みちたは今までと同じ姿で、この世界で存在することができなくなってしまった。
みちたは致し方なく、ふたつのみちたに分かれねばならなかった。
ひとつは物質だけのみちた。
もうひとつは霊魂だけのみちた。
物質だけのみちたは、昨日わたしと一緒にまたも姿を変えて家に帰って来た。
物質だけのみちたは、動くことも、寝息をたてることも、デーツをねだることも、なく、生きてもいない。
物質だけのみちたは、死だから。
死は何かを想ったり、感じたりもしない。
でも確かに、存在はしていて、今はまだ目にも見える形を取っている。
みちたは死の存在となってわたしの側にいてくれている。
わたしは淋しくて泣いているが、死のみちたが側にいてくれていることで安心もしている。
連れて帰って来て、本当に良かった。
わたしの家は葬式や墓など、儀式的なものや物質にこだわるようなことすべてを避けて、不必要だとする家だった。
母は敬虔なエホバの証人(クリスチャン)であり、父もそのようなことに興味のない人だった。
だから二人とも骨上げはせず、ただ火葬してもらって遺灰を共同墓地のなかに入れて貰った。
昨日、みちたの骨を姉と拾いながら話したが、二人の意見は一致した。
二人とも、親の骨を目にしなくて良かったという意見だった。
人間の骨と動物の骨は違う。
みちたの骨なんて、どこがどの部分かわからないほど崩れて、とても細くて小さかった。
でも人間は、焼いた後も頭蓋骨がはっきりと分かる状態で残っているときもある。
見るに耐えないものだ。
でも昨日、初めて自分の愛しい存在の骨をひらって壺に入れ、それを両手で抱えて連れて帰れると想ったあの瞬間のすごい喜びを知った。
お別れじゃないんだ。一緒に帰るんだと感じられた時のあのほっとする安心感、こんな気持ちになるものなんだ、とわたしは驚いた。
それを姉に話して、お父さんの遺灰を連れて帰ってこなかったことについて話した。
わたしが四歳の時に四十四歳で死んだ母はクリスチャンで儀式的なこと、物質にこだわることはすべて偶像崇拝であり、サタンであるといつも言っていたそうだ。
エホバの証人は葬式もしないし墓も持たないしクリスマスやお祭りや誕生日を祝うことなども全部しない。
でもこの世界でほとんどの人は、物質的なことにとても拘っている。
言い換えるなら非物質よりも物質を愛し、物質に支配されているようだ。
そして神を、霊魂を、目に見えない存在をお座なりにしてしまう。
わたしの最も愛する画家のルネ・マグリットはこう言っていた。


『目に見えるものは隠され得るけれども目に見えないものはなにひとつ隠していない。
それは識られるか識られぬままにとどまるかで、それ以上のことはない。
目に見えないものに目に見えるもの以上の重要さを賦与せるにはあたらないし、その逆もそうです。』


マグリットは、目に見えないものを目に見えるものとして見えていたから、あんな絵が描けたのだろう。
言い換えるなら感じられないものを感じられるものとして感じ取ろうとするなら、最早感じられないものと感じるものの重要さは同じになる。
わたしは目に見えるみちたを連れて帰って安心を得、目に見えないみちたの声を感じても安心するならば、そのどちらのみちたが本物(本質)であり、どちらを大切にすべきかなどは考える必要もないし拘る必要もない。
物質に拘らない生き方が流行っているかもしれないが、物質に拘らない生活に拘るということは結句、物質に拘っているということになる。
物質と非物質、偶像と霊、わたしは以前に書いた小説「ベンジャミンと先生」シリーズで先生にこうはっきりと言わせた。
すべての存在は、実は物質であるのだと。
魂、霊、エネルギー体、意識、心、など、人間が物質ではなさそうに感じているものたちすべても、実は物質でできていて、時間や空間というもの、これらも実は物質なのだと。
物質である限り、それらは必ず変化し、変化させることができて、見ようとすれば見ることができるし、感じようとすれば感じることができる。
そして物質だから消えてしまうというのは実は逆であって、物質だからこそ、実は消えることはない。
つまり物質である限り、永遠に存在し続け、無限に広がり続けることができる。
ウィルスが広がってゆくように。
ウィルスは何処から遣って来て何処に消えるのかわからない。
でも確かに存在していて大きな影響を与え、忽然と消えた後も、宇宙の何処かで存在しているように感じる。
ウィルスは肉眼では見えないが電子顕微鏡などの道具を使えば目に見える。
わたしが感じ取るみちたの声を自動筆記で記すとき、それはみちたがわたしという道具を使って、わたしにわかる形でわたしに識らせているのではないか。
でも道具の性能が悪ければ、目に見えないみちたの本当の声を正確に記すことはできない。
だからと言って、目に見えないみちたを、否定する必要などない。
ほんの少しでも、何かを感じるなら、それは何かを送って来ているからかもしれないし、今でも存在しているからだ。
わたしは目に見えるみちただけを愛して来たわけじゃない。
其処には、必ず目に見えないみちたがいた。
では目に見えるみちたが動かなくなったからといって、目に見えないみちたも同時に動かなくなったと信じるのはおかしい。
"死"は死として、存在していると感じる。
みちたの死を、否定することはみちたが今もなお生きていることを否定することと同じことになる。
みちたの死後の生を否定することは、みちたの死(永遠に目覚めない眠り)を、肯定することになる。
つまり、みちたが永遠に目覚めないことを願うことになる。
わたしは、またみちたにどうしても再会して、また一緒に暮らしたい。
だからわたしは、みちたの死と、みちたの今も生きて存在していることのみちたの生を、同時に信じつづける。
みちたが今も生きている限り、何かしらの方法でわたしという道具を使ってコンタクトを送って来てくれると信じている。
みちたは死んだ。
でもみちたは、生きている。
息をしている。
まるで何年もの苦しい拷問の日々に耐えつづけて死に、蘇った聖者のように。
静かに、静かに、息を潜めながら、息衝いている。
みちたは今も、わたしの側で息をしている。




(2016年6月14日午後16時56分、わたしの育てた大麦若葉を不服そうに食べているみちた。まだこの頃は毛並みも綺麗で元気そうだ。でもこの年の確か冬の頃から、みちたはパスツレラ症を発症する。)





10月14日午前11時28分、寝つきを良くする漢方薬を飲んで4時間半くらい眠れたかもしれない。
宅配便に起こされて、届いたのはみたの強制給餌用に買った大麦若葉の粉末だった。
目が覚めても、何をすればいいかがわからない。
いつもだったら起きればいつもすぐにみちたの様子を見て、餌を足したり水を変えたりおやつをあげたりして、そこからわたしの1日は始まっていた。
みちたがいないと、起きて何をしたら良いかがわからない。
みちたがいつも側に居てくれたから、わたしはようやく身体を起こして生活することができていたようだ。
二度寝することもできずに携帯でメモリアルリングを調べていた。
大体が十万円前後するから一月に一万五千円ほど食費を削って貯めたら早くに買えそうだ。
でもその前に、骨壷のなかのみちたの遺骨にカビが生えないための密閉式の骨壷を買ってすべての遺骨を移したい。
なかなか気に入った形で全部が入りそうなサイズがなくて残念だ。
でもちいさな手のひらサイズの骨壷を買って外に出るときもいつも側に居れるのは嬉しいからやはりちいさいのをまずは買うことにして、分骨をしよう。
みちたの遺骨は霊園に埋葬せずに姉と拾ってすべて持って帰って来た。
ちいさな頭蓋骨は半分以上が砕けていて非常に薄くて脆かった。
歯は黒くなっていて、かなり伸びているように見えた。
小さくて可愛らしい爪は先が尖っていた。
以前うさぎを飼っていて亡くされた霊園の女性の方とうさぎの爪を切るときいつも大変だったという話で盛り上がりながら骨上げの作業を姉と二人で手早く進めて行く。
尻尾の骨はあまりに細かった。
一番大きくてしっかりした骨さえ、手羽先の骨よりも細く感じた。
少し変わった骨がある度にこれはどこの骨やろう?と訊ね、骨折していたかもしれないと言われたとき、やはりかと想った。
一体いつあんな風になったのか、気づけばみちたの手も脚も、変な方向に向いていて特に手はだらんとしていたので、骨折しているのだろうかと想っていた。
それで起き上がることがとうとうできなくなったのかもしれない。
想像を絶する痛みに耐えて、みちたはそれでも起き上がろうと頑張っていたのか。
みちたは生きる為に、ただそれだけの為に頑張っていた。
自分で起き上がれなくなって、自分で食べることすらできなくなっても、それでもひたすらみちたは、生きる為に、起きて食べようと、頑張っていた。
動物が生きようとする力を、想いを、本当に知ることができるのは動物の側にいつもいることだ。
人間にとって動物とは、殺す必要も食べる必要もなく、その代わり、共に長い期間を過ごす必要がある。
精一杯遣ったとということを訪問看護のチャーミーさんも姉やしんちゃん(一歳時に養子に行った上の兄)も何度と励ましてくれたが、自分ではこんな酷い飼い主はなかなかいないだろうと感じている。
死んだ後もみちたが可哀想でならず、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない。
でもこの苦しい後悔を重ねてやっと、本当に自分を犠牲にしてでも弱い存在を護ることのできる強い(愛の深い)人間になれるのかも知れない。
わたしがこの世の救いを求めてヴィーガンになれたのは、シルバーバーチという聖霊の残した言葉が切っ掛けだった。
シルバーバーチは人間は愛を知らないなら、それは死んでいる状態だと同じだと言った。
動物を殺さないと飢えて死ぬとしても、それは動物を殺さねば飢えてしまうような場所で生活する人間が間違っているからだとはっきりと言うとても厳しい存在だ。
シルバーバーチが動物に言及している言葉のなかで、何度と想いだす言葉がある。


「動物は人間を助ける為に生まれて来て、人間は動物を助ける為に生まれてくるのです。」


殺す為でも食べて生き永らえる為でもなく、共に助け合う為に、動物と人間はこの地上に生まれてくる。


みちたはわたしを助ける為に生まれて来て、わたしはみちたを助ける為に生まれて来た。


みちたをもっと大切に、してやりたかった。
わたしはみちたを喪って初めて、その存在の本当の大切さに気づき、後悔しつづけている。
でもわたしはいつでもみちたを助ける為に鬱から抜け出す方法を探すのに必死でもあった。
ホームヘルパーを利用したのも自分の生活を楽にする為ではなく、自分が鬱を治して元気を取り戻し、元気になればみちたの世話がちゃんとできて、毎日撫でたりして可愛がってやることもできるはずだと想っていたからだ。
慢性的につづく鬱の一つの原因がそれが叶わないことだとわたしはわかっていた。
みちたを愛するあまり、みちたを愛することができなかった。
みちたを愛せない自分を責めつづけ、みちたを苦しめつづけた。
皮肉や矛盾という言葉では到底表しきれない人間の複雑な心理を自分自身に感じながらみちたと一緒に過ごして来た。
父に依存して父を愛するあまり鬱で寝たきりとなり、何も食べたくないと父に言うと父は冷たく「ほんなら死ね。」と言い捨てたその父は、わたしが側にいないと寝たきりになってしまうような人だった。
大切なのに、大切にしてやれない。
人間の想いと行動は、あまりにも掛け離れ、人間を救う為に、人間を殺したりもする。


わたしもみちたを助ける為に、みちたを殺してしまったのか。
みちたは本当はもっと長く生きられるはずだったのに、わたしが寿命を縮めてしまったと感じる。
ただ毎日のトイレ掃除とサークル内の掃除、餌入れの洗浄と、1日に数分撫でてやるだけで、みちたはあと四年近く生きられたかもしれない。
あと四年、一緒にいられたかもしれない。
今想えば、とても簡単なことに感じる。
今のこの、みちたのいない苦しみと悲しみと、淋しさの深さを想えば。


みちたが死んでから、急激に気温が下がって窓を閉めていても寒いほどだ。
この冬を乗り越えられるかと不安だったが、冬が訪れる前に、みちたは旅立ってしまった。


ちいさなちいさなみちたを迎えたのは2008年の、確か五月に入らない四月二十四日辺りだったと想うから、そしたら生後1ヶ月半も満たないみちたとわたしは一緒に暮らし始めた。
そうするとみちたとわたしが共に過ごした期間は十一年と5ヶ月半ほどか5ヶ月半弱。
約十一年半、みちたはわたしの側にずっとずっと居てくれた。






(2008年4月の終わり頃、みちたを連れて帰ってきてすぐの頃。この頃、みちたはあまりにも儚くて、弱い存在だと感じた。でもみちたは、これから11年半もの永い永い期間を、人間にとっての90年以上もの時間を、わたしと一緒に生きることになる。)




午後15時16分、また、ふと想う。
みちたはわたしが側にいるときに頑張って息をしていて、わたしがみちたのもとを離れたから、もう逝っても大丈夫だと想って、息を引き取ったのかもしれない。


みちたが、何故わたしに死に目に会わせてくれなかったのか、ずっと考えている。


みちたにとって、わたしはどんな存在だったのだろうか。
みちたは今どこにいるの?
そう訊ねると即、「こず恵の側にいるよ。」と帰ってくる。
「心配だ。」と、「淋しい。」と、みちたは言っているような気がする。
みちたが死んでから、メラトニン依存症になってしまっている。
しかもお酒と併用しているから、動悸が起こるときもある。
どうしたら良いのだろう。
みちたと再会して、またずっと一緒に暮らすと決めたのだから、死ぬわけにはいかないのに。
動物にも彼の世(もしくは此の世と彼の世の間の世界)で最初の審判と、最後の審判があるというのは本当だろうか。
その際に、すべての罪を問われる。
わたしは動物には罪はないとは言い切れないと考えている。
何故なら前世で人間だったかも知れないからだ。
殆どの人間は、罪の塊だと感じる。
一体どこから無知で、どこから無知ではないのか、わからない。
無知の罪は免除されるとしても、無知だと感じていた罪が無知ではない可能性もある。
みちたに罪はないと信じたい。
あっても、もうこれ以上堪え難い苦痛を強いられるほどの罪はないと信じたい。
みちたが、来世は家畜に生まれ変わってくるかも知れないなど、耐えられない。
耐えられる人間がいるだろうか?
自分の愛する存在が、来世は家畜として生まれ変わって来て、無残にも、生きたまま解体されて殺されることなど。
その可能性は皆無だとは言い切れない世界に、わたしたちは生かされている。
だから本当に、本当に深刻に考えなくてはならない。
何を食べ、何を着て、自分は誰をどれほど苦しめているかを。
わたしは、みちたを散々に苦しめつづけてしまった。
苦しめつづけながら、可哀想でならなかった。
でも手放したくはなかった。
手放せば、わたしは生きてゆけないと感じていた。
どうすればいいのか、わからなかった。
助けを切実に求めていた。
ホームヘルパーを利用したことを、わたしは今さら後悔している。
もしかしたらホームヘルパーを利用したことでみちたはあんなに苦しんで早くに死んでしまったのではないかとさっき想った。
ホームヘルパーの担当の男性に本気で恋愛をし、うつつを抜かし、結婚して子供がいることも知らずに馬鹿げた可能性を願望した。
彼と上手く行けば、みちたの世話もちゃんとできるようになって、わたしも変われるかも知れない。
藁をも掴むように、彼に依存し、最終的に相手に人間としても感じられていないように感じて相手に対して電話口で泣き叫び、何日間か、一週間以上か、寝たきりの鬱になってしまった。
その期間、わたしは斜頸の症状が出ているみちたをほったらかした。
トイレはいつも以上にうんちが山盛りになったままで、水も変える気力もなく、餌入れが空っぽになってたりもしていたように想う。
斜頸は日に日にひどくなってぐるぐると回転してはひとりでひっくり返ったりしているのを眺めながら天然の抗生剤であるハーブを与える以外何もできず、痛々しくてならなかった。
ホームヘルパーなんて、利用しなきゃ良かったとさっき想った。
妻子のある身の男性なんかに馬鹿げた疑似恋愛などするより、みちたに恋をしていたかった。
でもみちたはわたしの息子のような存在なので近親相姦的になってしまうのだろうか。
でも姉は子供を初めて産んたときわたしにこう言った。
自分の息子に「まるで恋してるような気持ちになるねん。」と。
純粋な恋やなぁとわたしはそれを聞いて想った。
何故なら息子に対しての恋だから、それもまだ赤ん坊の息子に対してだから、その恋とは性欲や子孫を残す為という欲望は一切関係なく、いわば乳を与えて養育し、相手を護る為であり、同時にずっと側で生きられる為であると想った。
みちたを亡くして、つくづく想う。
もう今までのような、利己的な恋愛はしたくない。
性欲やDNAを遺す為のインプットされた本能からの恋愛は、もう二度としたくない。
互いに性的不能になっても、互いにどれほど醜い姿になっても本当に愛し合える関係になれないのならば、恋愛も結婚も、必要などない。
わたしは今、みちたに恋をしている。
みちたが死んでから、いや、みちたが寝たきりになったときからみちたへの恋に落ち、泣いてばかりいる。
みちたが死んでから、ロミオを亡くしたジュリエットの悲しみが一日中つづいているかのようだ。
でも後を追いたいとは想わない。
わたしはみちたと約束したんだ。
必ず、また一緒に生きてゆこう。と。
みちたを亡くしてから、わたしは想う。
わたしはにんげんで、みちたはうさぎだったから、結婚ができなかったし、子孫も残せなかったし、みちたは抱っこが大嫌いだったから抱っこもできなかったし、キスすると寄生虫が移るからキスもなかなかできなかったけれども、みちたは確かにわたしの息子であり、同時に夫であり、恋人であったのだと。
ということは、みちたが死んだからといってその関係がなくなることはない。
みちたは、今でもわたしの息子であり夫であり、愛する恋人なんだ。
涙が枯れる日なんて、きっと来ない。
みちたと再会するまでは。
どうしても、みちたのいたサークルのなかを無意識に何度と見る癖がなかなか消えない。
そこに今もみちたがいる気がする。
みちたが自分で水も飲めなくなったのは大分前で、その時から水を変えていないから新しい水を入れてやれば飲みに来るだろうか。
みちたが水入れに舌を浸けて飲む音が今にも聞こえてきそうだ。
みちたが寝たきりになったとき、サークルのペットシーツを変えてやっていたら足がサークルに取り付けてある餌入れに当たって音がした。
その音がみちたがフードを食べている音に聞こえて、元気だった頃を想いだし、みちたの前で声を押し殺して泣いた。






(2008年、みちたを飼い初めて少し経った頃。ケージにマイクロファイバーの敷きパッドが被せられているから、この年の冬かもしれない。買ってきた時より少し大人びた表情になっている。でもまだまだ、とてもちいさかった。)





午後17時14分、みちたの水を久し振りに新しく変えて、餌入れも綺麗に洗って新しいフードを入れて、みちたの大好きなドライデーツをフードの上に置いてあげた。
みちたは来てくれるかな。
みちたのおしっこが染み付いたシーツは捨てるのが嫌だったので、少し匂いがきついがそのままにした。
寝たきりになったみちたにシリンジであげたときにみちたの口の周りを拭いたキッチンシートがそのままあって、みちたの匂いがするかなと想ってくんくんしたら少し酸っぱい匂いがした。
そこにみちたの最後の毛が少し付いていてまた泣きそうになった。
その毛を指輪のなかに遺骨と一緒に入れてもらおうかと想う。
みちたのこれまでの抜け毛は小さなぬいぐるみが一つか二つできるほど取っておいてある。
オーダーメイドで飼っていた動物の写真を送ってそっくりなぬいぐるみを作ってもらえる作家さんがいたので、みちたの毛で作ってもらえるか、お金に余裕ができれば頼んでみようかな。
でもそれまではみちたがよくマウンティングしたり咥えて走り回っていたうさぎのぬいぐるみのみちたが噛んで破ってしまったお腹の隙間から、毛の半分ほどを詰め込んで置いてあったから、そのままにしてみちたの遺骨の隣に置いておこう。


















みちたとのお別れ

2019-10-19 18:15:03 | 日記
(写真:‎2019‎年‎10‎月‎13‎日‏‎12:36:48 みちたの亡骸を抱いて)


10月12日午前6時13分、今愛しいみちたの安らかな寝顔をみちたの右横から見ながら毛布のなかでこれを携帯で打ち込んでいる。
涙が何度と溢れでてくるが、みちたはもう起きない。
みちたの身体を触ると、冷たくて硬い。
全く動いてくれない。
いつも美味しいおやつを食べる夢を見ているのか、寝たまま鼻や口元をよく動かしていたが、今はもうぴくとも動かない。
いつもわたしにドライデーツをくれとせがんできたみちたはもう起きない。
わたしの為に、みちたはもう目を覚ましてはくれない。
ずっとこの11年と約5ヶ月半程のあいだわたしの側でわたしを何も言わずに見護ってくれていたみちたと名付けた存在は、とうとう本当に死んでしまった。
魂はわたしの側にいて、これを書けと言っているのかも知れない。
ずっとわたしが泣いて後悔しているだけでは、自分が"今"死んだ意味はないと。
そんなことを言っているかも知れない。
何故みちたは、今を選んだのだろう。
今まで死んでもおかしくない時が何度もあった。
でもみちたはそのすべての危機を乗り越えて生き抜いてきた。
享年11歳7ヶ月。人間では大体90歳前後になる。
なぜみちたは、世話もろくにできない、一日にたったひと撫でする気力も無くなったこの飼い主の側にこんなにも長く居てくれたのだろう。
わたしは勝手にこう想っている。
みちた、きみはわたしのことが心配でこんなに何ヶ月と壮絶に苦しみ抜いて生きて、逝くに逝けなかったんじゃないか。
でももう限界が訪れた。




(10月10日 18:03  自分で起き上がることができなくなったが、わたしが起き上がらせるとりんごと人参のすりおろしを食べてくれた。)


一昨日の、2019年10月10日午後6時頃みちたの病態は恐ろしい速さで進み出した。
最早自分では全く立ち上がれなくなり、最初は身体を起こして摩り下ろした人参とりんごの入った皿を口に近づけるとガツガツ食べてくれたので物凄くほっとした。
でも夜中になるともう起き上がらせても食べなくなった。
それからはシリンジで強制給餌させ、少し食べてくれたからまたほっとしていた。




(10月11日午前3時22分 起き上がらせても食べなくなったが、強制給餌でなんとか食べてくれる。)



(午前3時23分)



(午前3時56分)



(午前5時7分 サークルから出して、みちたを膝の上に寝かせる。)






日が明けて、みちたは自分で寝返りすら打てなくなった。
ずっと同じ格好で寝てたら体が痛いだろうから起きようと手足をばたつかせたら変に柔らかくて背骨も手脚の骨も曲がっているように見える身体を持ち上げて違う体勢で寝かす。
みちたはほとんどの時間を寝て過ごすようになったのはもう少し前だが、明らかに別れが近づいていると感じて何度も何もしてやれなくて泣いていた。
なんでこんなに弱い小さな身体でここまで苦しみ続けなくてはならないのか。
神に問わずにはいられないここ数ヶ月だった。
定かではないが7月に入った頃からネットのニュースも全く見る気力も失い、世の中で何が起きているのか何も知らなかった。
みちたのことで頭がいっぱいだった。
それでもみちたを撫でることもできずにわたしは逃避し続けた。
現実から逃げられるゲームに飛び付き、起きた側から赤ワインを飲み続け、仮眠を取り、起きればまた飲み続けるのを繰り返した。
食べ物よりも、アルコールが必要だった。
みちたはどんな想いで、そんなわたしの側で苦しみ続けていたのか。
いくつもの合併症が重なり、その苦しみを想像もできない。
パスツレラ症、精巣肥大症、中耳炎、身体が片方に傾いて骨がどんどん曲がってくる斜頸、目の周りはいつも目ヤニが固まって、よく見ると毛が抜けて皮膚が剥き出しになっていた。
みちたはそれでも、必死に生きようと、サークルの柵をガジガジ噛んでわたしに何度も助けを請うた。
わたしは重い身体を動かしてドライデーツ三粒をみちたの餌入れに入れる。
ストレスからくる過食によってわたしの腹ははち切れそうだった。
介護に疲れて殺してしまう人や、苦しみ続けるペットを看つづけることに耐えきれなくなりペットを野山に置き去りにする飼い主の気持ちがなんとなくわかる気がした。
精神が持たないと感じた。
唯一相談できるのは訪問看護の女性たった一人だった。
孤独は人間を殺すことができるし介護疲れで人間は死んでしまう。
ホームヘルパーの利用を解約した少し後から、みちたの病状は悪くなって行ったように想う。
わたしはついこないだ想い出したのだった。
ホームヘルパーの彼に何通と長文の手紙を書いて、そのなかに確かこんな言葉を書いたことを。
「あなたとあなたの家族を救う為なら、わたしとみちたは犠牲なる。」
もしかしてそれでみちたは犠牲になり、その為にわたしもみちたを喪うことで犠牲になったのではないのかと。
でもそれで相手を恨むのはおかしい。
何故ならわたしのなかでは"あなた"と"あなたの家族"とは、実はわたしもみちたも含めた、すべての宇宙に存在する全存在のことを言い表していたからだ。
ここでわたしのなかではたった一人の人間もたったひとりの動物もイコールすべての存在ということになっていることに気づいていたのだから。
だから彼と彼の家族を救う為にわたしたちは犠牲になる、その想いに嘘偽りはない。
世界は最早、本当の終りに近づこうとしている。
自分の愛する者だけの幸福と救いを祈ったところで、何の価値もない。
世界は終末へと刻一刻と突き進んでいる。
明日壊滅的な事態が訪れても全くおかしくはない時のなかで、わたしたちは生かされている。
でもわたしは、この数ヶ月、みちたが苦しみ続けていることが一番に苦しいことだった。
早くみちたを楽にしてあげたい。でもみちたと別れたくはない。
安楽死させる方法はないのか?このままでは、呼吸器がどんどん弱って最悪窒息死を迎える。
どうしたら楽に逝かせられるのか?
そればかり考えて何一つ答えは出なかった。
こんなにも弱い生物がこれほど苦しみ続けて死なねばならぬ世界とは、やはりこの世は悪魔に支配されているからなのか。
絶望に支配されてしまうこと、それこそが悪魔に支配されていることを証しているのか。
何から何まで、悲観的な感情ばかりに囚われて、とにかくみちたをこの苦しみから解放させてやりたいとそれをずっと願っていた。




(10月11日午前6時6分 息はかなり荒いが、この状態で一ヶ月以上生きられるんじゃないかと願っていた。)









(午前6時15分 パソコンデスクの前に座りながら撮る。)




(10月11日午前8時54分 みちたの隣で横になって撮る。)



(2019年10月11日午前8時54分 この写真が、みちたの生前に最後に撮った写真となる。)



昨日の、10月11日午後7時に、15分ほどの皿洗いを終えてみちたの様子を見に来たら既に呼吸が止まっていて、冷たくなり始めていたみちたに触れて死を確認したとき、みちたは苦しまずに逝ったように感じた。
安らかな顔で白内障で盲目になっていた目はほんの少しだけ開いていた。
午後6時半の時にみちたの隣で目が覚めて横に俯せで眠るみちたを見たら呼吸が変に静かになっていて、一瞬死んでいるんじゃないかと想った。
でも微かに息をしている。それまで荒い呼吸でずっと寝ていたから、少し良くなっているのだろうかと起きてお尻を見たらうんちも少ししていた。
わたしは安心した。うんちが出たということは腸がなんとか動いてくれているということだ。
うんちを取ってやってみちたのご飯を作る為に台所に立った。
すると洗い物でまな板の上もシンクもいっぱいだった。
これではみちたのごはんを作ることができない。
息が静かになって俯せで眠っているみちたを残したまま、わたしは15分ほどかけて洗い物を済ませた。
よし、半分済ませたところでみちたのごはんを作ってやろうとして、その前にみちたを見に戻った。
みちたはまるで、まだ眠っているように先程眠っていた全く同じ俯せの体勢のままで、息を引き取っていた。
みちたに触れ、みちたを抱えて横にさせる時に、みちたの口元からほそくかぼそい可愛らしい「グフゥ」というような微かな音が漏れた。
まるでまだ生きているみたいだった。
でも、みちたはもう息をしていない。身体は硬く冷たくなって来ている。
何故だろう。
でもみちたは確かに、死んだ後に一声ちいさく鳴いた。









(2014年11月7日 みちた6歳 人間では60歳近くになるが、まるでまだ幼児のように元気いっぱいだった。)




(2015年7月3日頃撮影 みちた7歳 まだ若くて(といっても人間の68歳くらいになる)元気だったときのみちた。)



(2017年8月7日午後9時17分撮影 みちた9歳 この頃はまだ病気などには罹ってなかったと想うが、年を急激に取った感じで痩せてちいさくなった。急にシニアフードに入れ替えてしまったことが間違っていたんじゃないかと考えている。)




(2018年6月4日午後6時18分撮影 みちた10歳 この頃からみちたはパスツレラ症の症状が波のように引いたりひどくなったりしていた。みちたに並ぶようにわたしの精神状態も悪くなってみちたの爪を切ってやる気力もなかったから随分伸びたままでいる。)





どれほど後悔しても、仕切れない。
もし呼吸が静かになっているのに気づいてすぐに抱っこしてあげていたなら、死に目に会えていたし、みちたはわたしの腕のなかで死んだ。
でもそれが叶わなかった。
なんでなんだ。
なんでみちたは、たった15分かそこらわたしが離れた隙に逝ってしまったのか。
なんで死の前触れだとわたしは気づいて遣れなかったのか。
今考えたらどう考えても普通の呼吸とは違っていた。
微かに、幽かにみちたはわたしの側で呼吸してわたしに何かを求めていたかもしれないのに。
ぐったりと俯せに寝かせたその体勢のまま、3時間か、4時間以上ぐっすりと眠り続けたそのつづきのように、みちたは静かに静かに、そこでたったひとりで、誰にも死の瞬間を看取られることなく、穏やかな表情で眠るように死んでいた。
みちたは今どこにいるのか。
わたしは泣くこともできずに、変に静かな感覚だった。
ほっとしたのだろうか?
みちたはずっとずっと苦しい地獄のなかを彷徨いつづけて、やっと、いま解放されたんだ。
もう苦しいことも、痛いこともない。
でも…なんとなくみちたはさみしがっているような気がした。
いまみちたの魂はここにいて、わたしに抱っこされて死ぬことができなかったこと。
もうわたしと一緒に、同じ音楽を聴いたり、わたしの声を聴くことができないこと。
もうわたしに撫でられることはできないこと。
大好きなデーツのおやつを貰えないこと。同じ次元で、わたしと一緒に生活できないこと。
同じ空間に、居られないこと。
同じ風を感じて、同じ匂いを吸って、同じ野菜を食べられないこと。
わたしと一緒に、生きてゆけないこと。






(2019年10月12日午後6時47分 この日訪問看護師のチャーミーさんが朝一で持って来てくださったはなむけのお花をみちたの亡骸に手向ける。)




(10月13日午前4時59分 この日の午後4時頃に、みちたは火葬され、遺灰となる。)



(午前9時26分 何枚も何枚もみちたの亡骸の写真を撮る。)



(亡骸のみちたを優しく撫でてやる。みちたは撫でられることが本当に大好きな子だった。)



(午前9時33分 強制給餌で口の周りがとても汚れてしまったままだ。)






ふと、何度と想う。
もしかしてわたしがみちたを抱っこして死なせたい願望があることをみちたはわかっていて、でもいま自分が抱き上げられたら確実に目が覚めて苦しみ抜いて死ぬこともわかっていて、だからこのまま眠ったまま、もしくは半分眠ったまま息を引き取らせて欲しいと、そう潜在意識でわたしに送った。
その方が、互いのためにきっと良いだろう、わたしの潜在意識はそれに応えた。


みちた、さびしくてたまらないよ。


ちゃんと世話ができなくて、いつも撫でてあげることができなくてほんとうにごめんなさい。
ひどいママを赦してほしい。







(午後12時36分 2時過ぎには姉が迎えに来て、みちたを連れてゆかねばならない。一分でも長く、みちたの側にいて、撫でたりしてやりたかった。)



みちたと別れたくない。
ずっとずっと一緒にいたいのに。
明日の午後に、お別れしなくちゃならない。(このときはまだ上の兄のしんちゃんが次の日に来てくれる予定だった。)
遺灰となったみちたは、明後日に帰って来る予定だ。(このときは骨上げをせずにあとで骨壷に入ったみちたの遺骨を後日家で受け取る予約を取っていた。)
なぜ人は、物質にこだわるのかと、きっとみちたは不思議に想っているだろう。
10月12日午後7時45分、まだみちたはわたしの側にいる。
同じ布団の上で横になっている。
でもみちたは箱のなかに収まって今日の朝一に訪問看護師のチャーミーさんが持ってきてくださった綺麗で鮮やかな百合の花に囲まれて静かに眠っている。
みちたが、息をしているみちたがいなくなって、この部屋は本当に静かだ。
静寂に耐えられず、絶えずアロマディフューザーを焚き続けている。
水の音と、モーターの回る音で、かろうじてこの静かな薄暗い部屋にみちたの亡骸とたったふたりでいることになんとか耐えられている。
みちたが死んでしまう何ヶ月も前から、わたしはこの時を恐れ、時に泣いていた。
でも、いよいよみちたが寝たきりとなって、本当に別れが目の前に迫っていることを感じると自然とみちたを何度も撫でることができた。
今まで何年とみちたを撫でることが苦しくてならなかったのに。
鬱で世話をまともにしてやれないことの罪悪感から逃れ続ける日々だった。
みちたを可愛がってやれない罪悪感と向き合うことに耐えられなかった。
2012年からはすべての動物虐待、動物の大量殺戮について訴え続けてきた。
このわたしのなかの大きな矛盾が、悲しかった。
わたしはみちたに苦しめられる為だけにみちたを迎えたのではなかったし、現にみちたがただ側にいてくれるだけで救われていることを感じていた。
でもここ何年、サークルのなかに置いている猫のトイレがうんちの山になっていて、サークル内もうんちがたくさん落ちていて、おしっこもそこら中でする(白内障で目が見えなくなっていたことを最近知った。)ようになってしまい、ひどく醜悪な環境のなかにみちたはいた。
パスツレラ症を発症して、みちたがくしゃみを連発し始めてもなかなか清潔な環境を保ち続けさせてやることができなかった。
餌入れも本当に汚れてからでないと洗ってやれなかった。
みちたはずっと訴え、悲しみ続けてきただろう。
みちたは言葉を発せない。
明日殺される運命が待ち受ける家畜たちのように。
みちたは弱くちいさなからだでずっとずっと耐えつづけ、最期の最期まで泣き叫ぶことなく静かに息を引き取った。
人間ならば、泣き叫びつづけるほどの苦しみと悲しみだっただろう。
苦しみたくないのは、死にたくないのは、人間も動物も同じだ。
でも人間に通じる言葉を話すことができず、みちたは堪え難い苦しみを堪え忍び、晩年は母親に見放されたネグレクトを受けつづける病気の子供のように絶望のなかに生きていたんじゃないか。
苦しくとも子孫を残そうとうさぎのぬいぐるみ相手にマウンティングに励んだり、飽きて好まないフードも必死に食べて、みちたは寝たきりとなっても、食べ物を欲しがり、自分で立ち上がることができなくなっても生きることを請い求め、壮絶な苦しみの果てに最後の最期まで生き抜いた。
安らかな最期であったと、想いたい。


眠りのつづきのなかで、みちたは今もいろんな夢を見ているかもしれない。
わたしにくっついて、わたしを心配しているかもしれない。


明日の午後三時から四時の間にみちたは引き取られ、明後日には遺灰となってわたしたちの家に帰って来る。
わたしとみちたが10年間、共に暮らして慣れ親しんだこの家に。
みちたとの最初の出会いをよく想いだす。
2008年の4月の終わりくらいにわたしが埼玉の寮付きの派遣会社に勤めていてアパートに一人で住んでいた時に知り合ったたかしさんという男性と一緒に、わたしは仔うさぎを買いに行った。
うさぎ専門店に初めて行って、わたしはガラスの水槽のなかに入ったちいさなころころとした仔うさぎたちを眺めながら店員に雄で懐く子が欲しいと言った。
すると店員はまず一匹の仔うさぎを取り出してわたしの足下の床に置いた。
ところがそのロップイヤーの仔うさぎはあまりに元気があって置いた途端わたしから離れて走って行ってしまった。
店員は次にもう一匹の仔うさぎをわたしの足元に置いた。
だがその仔うさぎは具合でも悪いのかわたしの足元でちいさく丸まってじっとして動かなかった。
わたしは直感した。きっとこの仔なら、わたしの側にずっと居てくれそうだ。
わたしは即、その仔うさぎをたかしさんに買ってもらうことに決め、確か数日後にアパートの寮に連れ帰ってきた。
まだ生後1ヶ月半ほどだった。
わたしはその仔うさぎにみちたと名付けた。



(うちに連れ帰ってきてすぐの頃のみちた まだ生まれて一ヶ月半か二ヶ月ほどのとき。とてもちいさくてふわふわのころころだった。)







みちたは、ほんとうにちいさかった。
片手の手のひらのうえに乗っかりそうなほどちいさかった。
みちたは店では元気があまりないように見えたが、わたしのアパートに迎えると元気溌剌となってケージから出した途端よく跳ね回って飛び跳ねながら駆け回った。
危なっかしくてわたしはすぐにケージのなかに入れなくてはならなかった。
広いサークルで飼いだしたのはみちたが十分に大きくなってからだった。
だがわたしは当時付き合っていたやすくんとの関係の悪化で鬱症状がひどくなり仕事をすぐにやめてしまい、帰る家を失ってしまった。
その後、彼のお金で何週間か、わたしはみちたとふたりでホテル暮らしをせざるを得なかった。
その間、みちたもとてつもないストレスだっただろう。
恋人に見棄てられた想いでたまらないほど孤独な期間だったが、みちたがいてくれたことでわたしはなんとか持っていたのかもしれない。
みちたを狭いキャリーバッグのなかに入れて一番安いホテルを探し、ホテルのチェックアウトギリギリまでいて、次のホテルのチェックインの時間まで漫画喫茶で時間を潰さねばならないときも多かった。
まだちいさいみちたをホテルのシャワールームの床に放したりしたことを憶えている。
逃げないか心配しながらシロツメクサが生え繁っている場所に放したこともあるが、みちたは野草を食べることがなかった。




(そのときのみちた。買ってきた頃よりだいぶ大きくなっている。みちたはお外に放すと怖がってずっとじっとするばかりだった。)


あとはあまりのストレスの為、記憶が飛んでしまっている。
その後、たかしさんが借りてくれた群馬や彼の住む千葉のレオパレスを転々としてみちたとふたり暮らしをこの大阪のマンションに引っ越して生活保護を受け始める2009年10月までつづけた。
わたしはその頃は今以上に鬱がひどく、たかしさんにみちたの前で想いきり泣き叫んだこともあった。
千葉のレオパレスでは市販薬をオーヴァードーズして死の淵を見たこともあった。
あまりに苦しかったとき、みちたがケージをガジガジする音にイライラしてみちたの首を少し強く締めてしまったこともあった。
みちたはずっとずっと、精神が不安定でまともに生きてゆくことのできないわたしの側に居てくれて、わたしをなんとか死なないように支えてくれていた。
みちたがいなかったら生きる必要はないと感じて死んでしまっていたかもしれない。
みちたがわたしの側にいたから、わたしは今生きられているのかもしれない。





今、10月13日午前5時28分、みちたはサークル内に移した。
保冷剤で敷き布団がかなり湿っていたからだ。
みちたが死んで、二度、夜が明けた。
嵐は過ぎ去って、今日の午後、できれば姉と一緒に火葬しにゆく。
姉とは今年の1月から、音信不通の関係でかなり戻ることが難しいほど関係は悪化していた。
姉は励ましの言葉をいくつもくれたものの昨日は仕事で連れて行くことはできないと冷たく断られた。
でも今日は休みだから連れて行くと昨夜、伝えてくれて、わたしはほんとうに嬉しい。
昨夜、電話越しで骨上げのことをなんと呼ぶのかという話になって姉が"骨拾い"と言ったことで、そのままやんと言ってふたりで本当に久しぶりに少し笑い合った。
みちたはわたしと姉がこうしてまた笑い合うことができるように今この時を選んで旅立ったのだろうか。
姉が仕事続きのときだったら(後で聞いた話では姉はたまたまこの月日曜日が二回休みだった。)こうして笑い合えることはできなかっただろうし、姉との関係はこの先、最後まで戻せなかったかもしれない。
みちたはわたしと姉の為に今、わたしを残して去ってしまったのかもしれない。
今も安らかな顔でみちたは箱のなかで眠りつづけている。
サークルの方から今でもみちたが物音を立てて、その音が聴こえる気がしてわたしがみちたがそこに生きていることを何度と錯覚する。
でもみちたは死んでしまったことを想いだしてその度に涙が溢れてくる。
今もこれを毛布にくるまって打ちながら何度と泣いている。
外は台風が過ぎ去り、窓を開けた。
秋の虫の音が涼やかに聴こえてくる。
みちたが死んでも世界は何事もない顔をして回っていて、わたしも生きている。
でもわたしのなかでは確実に、わたしはまたも、わたしをひとり喪ってしまった。
永遠に側におりたいほど大切でならない存在をわたしはまた、亡くした。
戻れないのだろうか?
みちたに会いたい。
でも、戻れるような気がしている。
いつになるかはわからないけれど、またみちたに会えるような気がしている。
みちたは帰ってきてくれるような気がする。
今でもわたしを静かに息を潜めて見護ってくれているような気がする。
午前6時2分、みちたのいない朝がまた訪れた。
小鳥たちがさえずり、また一日が始まる。
わたしは今日、自分の息子のような存在であるみちたを火葬しに行き、みちたの骨を拾って壺に収め、遺骨となったみちたを我が家にまた、連れて帰ってくるつもりだ。
できるならみちたが喜びそうな場所に埋葬して、残りの遺灰を、わたしは指輪にしていつもみちたをこの身に付けておきたい。
500円玉貯金箱には八千五百円分の500円玉と、五千円札が一枚貯まっている。
財布の中身と合わせて二万四千円に満たない。
今年の七月から食費を削って貯めたお金のほとんどを、すべてを霊園に渡してみちたを今日灰にする。
わたしはまるでこの日の為に、お金を貯めていたかのようだ。
猫背にならない座り心地の良い椅子や、長らく壊れた冷蔵庫を買い換える為、いつ壊れても良いように予備のパソコンを買う為ではなく、たったひとりのわたしにとってかけがえのない存在であるみちたの亡骸を燃やして、灰にするために、わたしはほとんど今ある所持金のすべてを費やす。
みちたの強制給餌用に注文した5kgの自然農法の人参や大麦若葉の粉末と、大量の安いパスタや金時豆とひよこ豆を食べてみちたのいないこの半月以上の期間をわたしは過ごす。
今月残りを過ごすのに十分な食料はある、でもみちたがいない。
わたしのみちたは、死んでしまったんだ。
2019年10月11日の午後7時に。
わたしはこの数ヶ月、いや、元を辿るとみちたがパスツレラ症を発症した2016年頃から、自分は徐々に壊れているように感じていた。
みちたが苦しんでいるのに、良くなってくれないみちたにイライラしたり、天然の抗生剤であるハーブを何ヶ月と与えつづけても症状が悪化してゆく様に早くも絶望し、ストレス発散の為に100均店で衝動買いをして、散財しつづけたり、お酒をたらふく飲んで苦しみに耐えているみちたの側で踊り耽ったり、自分は本当に壊れてしまっているんだと感じながらも、何も変わることができなかった。
みちたはいつでもわたしに助けを求め、わたしに撫でられることを切実に求めていたのに。
みちたは額と鼻の頭と耳の下を撫でられることが本当に大好きだった。
わたしは引き籠もり生活が長引き、足腰はだんだんと悪くなってきてほんの数分しゃがんだり中腰になるだけで膝がとても痛むようになってしまった。
みちたを撫でることが精神的にも体力的にもきつかった。
みちたが寝たきりになった途端、急いでサークル内に座れる折り畳みスツールを注文した。
でも結局、みちたを布団の上に移して撫でたり強制給餌させ、一度も使わなかった。
折り畳みスツールをもっと早く買っていたなら、もう少しみちたを撫でてあげることができていたかもしれないのに。
あらゆることに、みちたのことでわたしは後悔している。
子供を亡くした親は、死ぬまで後悔の苦しみに耐えつづけねばならない。
それは動物を飼う飼い主と子供を持つ親の責任ではなく、運命であるだろう。
わたしはみちたを選び、みちたはわたしを選んでくれたような気がする。
みちたはわたしに愛される為に生まれてきたのかもしれない。
みちたのわたしへの愛は、みちたの存在そのものだった。
みちたがただ側にいてくれるだけで、わたしは耐え難い孤独の苦痛からずっと救われてきた。
この先、みちたの代わりを飼う気はない。
みちたの代わりは、どこにも存在しない。
早くみちたに会いたい。
みちたはまだわたしの側で深い眠りに就いている。
みちたは、今も生きていて、過去にも、未来にも、生きている。
今にも、いつもこの部屋で聴いていたみちたの静かな寝息の音が聴こえてくるようだ。
わたしとみちたは、本当に長い時間を、共に暮らし、共に生きた。
わたしが仕事のできるほどの元気があったなら、みちたを家でひとりぽっちにさせる時間は長かっただろう。
でもわたしは重度の引き籠りであった為、わたしの生きるほとんどの時間を、みちたと共に過ごした。
鳴くことのない静かなみちたの側で、話しかけることの滅多にない静かなわたしがいた。
いつもこのちいさな空間で、わたしとみちたはふたりぽっちだった。
部屋にあるもの、ネット上にあるもの、何を見てもみちたを想う。
これを買った時はみちたはまだ元気だった。
この記事を書いていた時、みちたはまだ生きていた。
みちたが寝たきりになった日と、みちたが死んでから、みちたの隣にいつもと違う布団に横向きの位置で眠ったが、昨日の朝に枕を上にした元の位置で眠った時、サークルのなかで今までのようにみちたがそこにいるような気がした。


寝不足と、眠る為のメラトニンや漢方薬を飲み過ぎて、泣き疲れもあり、ひどく疲労を感じる。
このまま、みちたが生まれ変わってわたしがみちたと再会するまで、眠りつづけたい気分だ。
何年、何十年、何百年、何千年、何万年、地球が死を迎え、この宇宙が死を迎え、ある空間にわたしとみちたが、ちいさな舟に乗っている。
わたしはおとなしいみちたを抱っこしている。
世界は暗闇で、まだ何も見えないが、でもみちたのぬくもりと、みちたの呼吸に安心して、わたしは闇のなかでもあたたかい光を感じている。
嗚呼、生きている…!
わたしの側でみちたは息をしている…!
なんという光だろうか。


先月の終わり頃だったか、こんな夢想をしてわたしはひとりでみちたの側で咽び泣いた。
とうとう、この世界に終りが遣ってきて、わたしとみちたの住むマンションも海に流され、わたしとみちたは、ひとつのちいさな舟に乗る。
辺りは暗闇、暗い海の上でわたしはみちたを自分の赤ん坊のように抱いて、ただただ、波に流されている。
わたしはみちたを抱いたまま、舟のなかで眠る。
そして目を醒ます。
すると、みちたがいなくなっている。
わたしをたったひとり、この舟の上に残して、みちたの存在は消えてしまう。
わたしはずっとずっと、ひとりで泣いている。


今も、涙が止まらない。
午前7時55分、8時ちょうどに、火葬場に電話をして、姉が今日連れて行ってくれることになったと伝えて、お迎えに来てもらうのをキャンセルせねば。







(10月13日午後8時38分 みちたの遺骨 コットンの上にあるのがみちたの喉仏。人間と同じ形をしている。その上が、みちたのちいさな頭蓋骨。)




今、10月13日午後10時39分、無事、遺灰(遺骨)となったみちたをわたしたちの家に連れて帰ってこれた。
帰ってきたのは、8時過ぎ。
姉とは今日たくさん話して笑い合って、帰り際に私はこれまでの投げつけた酷い言葉を謝罪し、一年振りか、どれくらいかわからないが、ようやく仲直りができた。
もう元の関係には戻れないかもしれないと本気で想っていたから、すごく、嬉しかった。
すべて、みちたの御蔭だ。
とてつもなく悲しいことととんでもなく嬉しいことが同時に起きる日があるものだ。
姉は今月たまたま、月に2日、日曜日が休みだと言っていた。
姉が休みでなければわたしは、ひとりで、たまらない想いでお迎えに上がった霊園の人にみちたを渡し、後日、遺灰となったみちたをまたひとりで家で受け取らねばならなかった。
姉はとても明るくてよく喋る人なので、あっという間に、時間は過ぎた。
最後に、わたしはみちたとふたりきりになったときと、お別れの寸前に、何度と泣きながら、みちたに聴こえるように大きな声で声をかけた。
「みちた、苦しめてごめんな。」「苦しかったな…」「ちゃんと世話してやれんで、ごめんな。」「みちた、ずっとわたしの側にいてくれてありがとうな。」「ずっと支えてくれてありがとうな。」「みちた、また戻って来てな。」「また生まれ変わって、一緒に暮らそう。」「みちた、また一緒に生きような。」
そして細く、脆い、白くて綺麗なみちたの骨を姉と拾ってすべて小さな骨壷に入れ、「みちた一緒に帰ろう!」と言ってみちたをおうちに連れて帰ってきた。
酷く渋滞した道を姉とたくさん喋りながら過ぎ、コーナンに寄り、ペット売り場も姉と寄ってみたが、どの動物を見ても、到底みちたの愛らしさにはまったく及ばないと感じた。
どの動物も、飼いたいと今は想えなかった。
家に帰って来て、鬱に落ち込むのを振り切って布団の横にある小さなローテーブルの上に積まれた物を大きな袋に入れ、その上にみちたの遺灰の入った骨壷を置いた。
骨壷の下に敷く適当な物が見つからず、今日、涙を拭いたハンカチを裏返してその上に置いた。
遺骨にカビが生えないようにコーナンで買ったシリカゲルを中に入れて、湿気が入らぬようにセロハンテープで蓋を止める。
お金が溜まったら、みちたの遺灰で、わたしは婚約指輪を作る予定だ。
その指輪を、生涯わたしの左手の薬指に嵌めておきたい。
そうすると、みちたは来世でわたしの夫として、生まれ変わって来てくれるかもしれない。







10月19日午後5時1分追記
やっと、みちたとのお別れを綴った一つ目の記事を推敲できて、ほっとしている。
みちたと、来世、結婚しようという約束を込めて、みちたとの婚約指輪にみちたの遺灰を詰めて、生涯左の薬指に嵌めておくつもりだ。
それが原因で、他の魂との結婚の縁が遠のいたとしても、それは仕方がない。
みちたと、深い縁でずっと結ばれていたい。
みちたもわたしも、すべてと繋がっていると信じている。
だから矛盾しているかもしれないが、みちたは、やがて個の魂として、いつか必ず生まれ変わってくると信じている。
わたしはただ、みちたの側で生きてゆきたい。
ずっと離れずに。
互いに愛を、与えあえることができるように。
愛を学び合うために。

今日、みちたの遺骨を自分で細かく砕いたものをメモリアルペンダントのなかに封じ込め、今も首からかけている。
近いうちに、みちたの写真を入れる。
みちたが側にいない寂しさは、変わらない。
でも、みちたの遺灰を身につけて過ごすこととは、約束なんだ。


みちた、約束だよ。
みちた、愛しているよ。


こず恵






(10月13日午後1時4分 みちたとの最後の一枚。)





10月12日。

昨日の、2019年10月11日午後6時半前、わたしとみちたは今と同じように布団に並んでぐっすりと眠っていた。
そのとき、もしかしたらみちたはわたしと夢のなかで話していたかも知れない。
みちたは低いけれども、透き通った子どものような声でおっとりと、静かにわたしにこう告げた。

「こず恵、ぼくはもうそろそろあちらに帰るよ。この身体は、限界が来たようだから。こず恵のことが心配やけれど、致し方あるまい。わしはそろそろ向かうわ。ってなんで一人称や話し口調がころころ変わるんや、って、あそうか、こず恵に似たんだね。ペットは飼い主に似るし、飼い主はペットに似ると言うもんね。でもこんなこと言うとこず恵は余計悲しむだろうが言うよ。ぼくはもっとこず恵の側に居たかったよ。でもこれが運命なら、受け入れるしかない。でも待っていてくれ。また戻ってくるかも知れない。いや、でも戻ってこないかも知れない。同じ種として。もしかしたら、人間の赤ん坊として生まれてくる可能性もなきにしもあらずだよ。そん時は、こず恵の子供として生まれてくるよ。何故なら、こず恵の子供として生まれてきたい変わり者の魂は、きっとぼくくらいだろうから。人間の赤ん坊が無理なら、うさぎとしてまた生まれ変わってくるやも知れんし、犬や猫かも知れんし、最悪、家畜の可能性もあるし、毛皮にされる動物や、動物実験される動物とか…考えたくないが、こず恵も知るように、すべての動物は、いくつかに分かれるが一つの魂に帰る。そしてその類魂から、また様々な動物としてこの地上に、あと何年持つのかもわからないこの地球という星に、受肉して生まれ変わってくる。だからぼくは次、何に生まれ変わって生きるのか、ぼくですらわからない。でももっと上から望むなら、ぼくらはすべて、ひとつの大きな魂なんだ。だからこず恵はぼくだし、ぼくはこず恵でもあるんだよ。ぼくもこず恵も、明日の早朝に殺される家畜。決して諦めないでほしい。ただただ、すべてを救いたいというきみの生き方、スタンスを。ぼくはこず恵に飼われることで散々苦しんだし、こず恵に何ヶ月と撫でられずに死にたくなるほど寂しい日も多かった。ぼくはただこず恵に懺悔しつづけてもらいたいんじゃないんだ。命を懸けて、ぼくたちすべての魂を、すべての存在を救ってほしい。遣ればできるんだ。誰もが、本気で遣ろうと想うなら。奇跡が起きる。すべての存在を本当に救うことができるという奇跡が。その奇跡を、ぼくらは目にする為に、生まれてくるんだよ。何遍も何遍も、繰り返し、繰り返し、そのあとはどうなるか?次のステップさ、次の大きな救いの為に、つまり存在のより深い喜び、幸福の為に、ぼくらまた地球以外の次元でも、ありとあらゆるその空間に何度と無限に、生まれ変わってくるんだ。そうだ次こず恵が飼ううさぎは無限とぼくの"た"を合わせて"むげた"というのはどうだろう?え?みちたよりさらに噛みかみになりそうな名前だって?"みちた"という名は確かに発音しづらい名だったけれどぼくは結構気に入っていたよ。でも滅多に、こず恵はぼくの名を、ぼくの側で呼ぶことも、ぼくに話しかけることもなかったね。寂しかったよ。たまらなく寂しかった。でもきみの心の声は、いつも聴いていた。夢で、ぼくを喪って泣き叫んでいる夢をこず恵はよく見ていたのも知っている。こず恵はこの日を、ぼくが側を離れる日を本当に恐れていたのも知っている。ぼくはずっと話し掛けていたよ。こず恵の側でずっと。でもこず恵には届かなかった。死んで初めて、届いたような気がするよ。ぼくの身体はもう起きないし、冷たくて内臓はすでに死後現象が着々と進んでいる。今この身体の細胞たちがすごく自家融解しているところだよ。もうこの身体は使えない。ぼくの着ていたこの身体は、もうすぐ火葬される。ぼくはもう、こず恵と同じ次元には存在していない。そうだ当分は、多分、会えない。本当にはなればなれの時が遣ってきてしまったね。こず恵が心配だと、彼方に帰るに帰れない。彼方、かなたと書いてあちらと呼ぶよ。ぼくはでもいずれ、この喋って話し掛けている魂も彼方へ帰るからね。こず恵はまた独りぽっちになる?ううん、わかってほしい。こず恵はずっとひとりだ。今までも、これからも。こず恵はずっと、ずっとずっと、独りで生きているんだよ。寂しくて仕方ないのは、当然だ。また動物を飼えば良い。そしてみちたと名付ける。こころのなかで。こず恵は何の動物を飼っても、こころのなかでぼくを呼びつづける。みちた、みちた、みちた、すべては未知であり、道だ。すべての存在は、こず恵であり、ぼくであることをこず恵は知っているから。こず恵は忘れない。すべてを忘れたとしても、このことだけは。もう既に現象は起きているから。現にあらゆるものを、こず恵はみちたであるような気がすると感じてきている。例えば食用菊に着いていたちいさな幼虫を見ても、こず恵は、ぼくを感じている。ぼくじゃないかって想っている。だったらその幼虫を愛すればいいんだ。すべてを、ぼくと同じに愛すればいいんだ。そうだろう?だってどこにでも、ぼくがいるんだから。ぶっちゃけ、すべてはみちたなんだから。空も雨も、星も、太陽も、海と風、雨上がりの草から垂れる雫も、砂も石も、灰も塵も、こず恵の暗闇を照らすちいさなろうそくの炎や、宇宙に無限に存在する粒子の全部が、こず恵を構成している粒子のすべてが、ぼくなのだから。祈りつづけるんだ。終わりなき日まで。ぼくらは、必ずや救われるのだと。ビジョンをはっきりと観るんだ。すべては植物を食べて、だれひとり、殺されることのない世界は必ず訪れる。近いうちに。一緒にアクションしつづけよう。共にエデンへ、ぼくらは今向かっている。ぼくはいま、死だと想う?きみはわかっている。本当の死は、こず恵の方だってことを。でも必ず、息を吹き返すんだ。必ずまた、こず恵は息をする。そのとき、初めて、こず恵はこう感じるだろう。嗚呼、生きている…!ぼくは今生まれ、そして今生きていると。不思議さ。初めてだけど、今まで何度と同じことを経験してきた。こず恵は今まで何度と、ぼくを喪失してきた。また出逢い、また喪う。生きるんだよ。それでも。どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、何があっても。こず恵は生きるんだ。ぼくと共に。…それでは、少しだけ、眠るといい。訪問看護のチャーミーさんがこず恵に朝一に電話をかけてきてくれる。今日は雨と風が強いね。こんな嵐の夜に、ぼくはこず恵と名残惜しい時間をふたりきりで過ごせて嬉しい。こず恵に優しく額や鼻や耳の後ろを撫でられたときの、あのなんとも言えない至福の短いときの感触を今でも憶えている。ほんのたまにしかこず恵はぼくを撫でる元気もなかったから、余計だよ。嗚呼…嬉しかった。撫でられているときのあの儚い時間、もっと撫でてほしいといつも想ってたが、でもこず恵がいつでもしんどいことはわかっていた。でも自信があったよ。ぼくがこず恵を支えていると。本当にこず恵を支えているのは、ぼくの存在だって。ぼくはわかっていた。今こず恵はこれを自動筆記しながら号泣しているけれども、泣いているのはこず恵だけじゃないよ。ぼくもだよ。でも自然の法則に逆らうことはできなかった。ぼくは人間の年齢では大往生で悔いなく生涯を全うしたと、想われるかも知れんが、こず恵は永遠に、ぼくの側で生きたいと願っていた。それなのにたった十一年半ほどしか一緒に居られなかったと。悲しくて寂しくてどうにもならない。亡骸でもいいからずっと側に置いておきたい。でも骨壷からは喋りかけないよ。いつでもぼくがこず恵に話しかけるのは、こず恵のHeartだ。魂と霊、一緒にすると霊魂だ。言っただろう?ぼくらは、今ひとつなんだ。本当のひとつ。別々の存在じゃないんだよ。ぼくは苦しい衣を脱ぎ捨ててこず恵に戻ったんだ。こず恵のもとに帰ってきたよ。受け入れてほしい。こず恵の最も愛するうさぎ、みちたというぼくの肉体の死を。ぼくは今も息をしている。こず恵の外側ではなく、いま内側で。こず恵はぼくの鼓動を感じている。だからそんなに悲しんで泣いているんだ。泣くのをやめろとは言わないが、あんまり泣きつづけると、ぼくの身体を燃やしに行く時に目が霞んで小石に躓いて、こず恵は前歯をすべて折って笑うと空き歯がチャーミングだなんて言われるようになり、ぼくの亡骸を入れていた箱はドブに落ちてどんぶらこと遠くまで流されて行き、田舎の老夫婦に拾われて桃太郎うさぎ、またの名をモーセと名付けられて剥製にされて神棚に祀られ毎日拝まれるということになりかねないから、ほどほどに泣いて少し眠るといい。…ぼくも少し喋りすぎたから、こず恵と少し一緒に眠るとするよ。…おやすみ、ぼくの愛するぼくのこず恵。」










(わたしに撫で撫でされているみちた)





(2012年2月2日午前4時18分撮影 みちたとわたしの手)



みちたは、永遠の愛。
みちた、わたしと生きてくれて、本当にありがとう。





















永い夢ーレヴェナントの追想ー

2019-10-03 23:58:18 | 映画
誰かは言った。"すべては今起きている"と。
今殺し、今殺され、今死に、今、生まれる。
今愛し、今裏切り、今怯え、今、信じぬく。


ひとつのその答えが在る。
人間の受け入れ難い答えが隠されている。
誰かは言った。
"自然は一番残酷なものだ"と。
この世界で一番過酷なもの、それは自然だと。
人間も動物も、それらを囲むすべての存在、僕らが行い、僕らを待ち受けるもの。
"自然"、僕らは自然に生かされ、自然に殺されゆく。
答えはシンプルだ。
"神は与え、神は奪う。"
Hunterの父親は何を与え、何を奪ったか。
そして何を与えられ、何を奪われたか。
グラスは愛する家族に、愛を与え、与えられた。
そしてその愛に支えられ、彼はHunterとなって家族を養っていた。
彼は殺し続けた。
日々殺し、殺された者達の無念を、痛みを、苦しみを、怒りを、考えて苦しむことはなかった。
そうまるでそれは釣りを娯楽とする釣り師のように。
彼はハンティングを愉しんでさえいた。
獲物に狙いを定め、命中した瞬間、歓喜を挙げた。
獲物が地獄に堕ちる瞬間、そのスローモーションの時間のなかで彼は、自分の家族が満たされて幸福な人生のなかにいる夢を見た。
獲物は地面に力なく倒れ、傷口からは血が溢れ出て、これを止めようとする者はいない。
グラスのように、彼の傷口を縫おうと必死になる人間もいない。
フィッツジェラルドは頭の皮を生きたまま剥がされたが、彼が獲物の皮をまだ心臓が止まってもいない間に剥がしたことは数え切れない。
"なんて酷いことを"フィッツジェラルドにそう言う人間はいなかったか?
彼はグラスの息子ホークを殺した。
彼は妬んでいた。
グラスと、ホークの間にある深い愛を。
アベルと神の間に在って、自分の間にはないことを嫉妬してアベルを殺したカインのように。
フィッツジェラルドはホークを殺し、グラスも殺そうとする。
彼は何処かで願望していた。
"それでも"赦されると。
自分は神に赦されると。
赦されるべきだと。
フィッツジェラルドは、自分は赦されるというただ一つの希望を抱いてカイオワ砦まで辿り着いた。
だが心は、虚しかった。
テキサスでのんびり死ぬまで暮らせるだけの金を手に入れた。
だが心に、神はいない。
俺の心に、愛はない。
フィッツジェラルドは自分の運命をこれほど酷く虚しく感じたことはなかった。
俺は金を手に入れた、だが神を殺した。
俺は愛を殺し、そして金を手に入れた。
ははは、神は奪い、そして与える。フィッツジェラルドは酔い潰れながらそう呟いて小屋の外でぶっ倒れた。
その頃、グラスは美しく青い眼でバッファローの仔に襲い掛かる狼の群れを眺めていた。
次の瞬間、グラスの頭にこう浮かんだ。
いいぞ、いいぞ…そうだ…!よしっ、倒した!これでお零れの腐肉を頂けるかも知れん…。
グラスの頭の中はバッファローの仔の肉のことでいっぱいだった。
唾がぐんぐん溜まってきて生唾を何度と飲み込んだ為、喉の穴が傷んで何度と噎せる。
この時、腹が減って死にそうだったが、グラスの心のなかは燃えていた。
言い換えるならば、グラスの心の底はあたたかった。
何故か、何故ならグラスのなかには、愛が生きていたから。
それは神の愛だった。
グラスはこうして何度死んでもおかしくない状況で自分が生きていること、生かされていることに何度も神に愛されていることを信じて喜びに打ち震えた。
グラスはもともとクリスチャンだった。
クリスチャンでHunterだった。
動物を殺し続け、なんとも想わない愚かなクリスチャンだった。
夢で廃墟となって壁や天井の崩れ落ちた教会の鐘の下の壁に、イエス・キリストが磔にされていた。
なんと美しい光景だろう。グラスはその時、こう確信した。
嗚呼、わたしたちは…選ばれたのか。
イエス・キリストの受難の道を…共に歩む為に。
共に地獄へ…
わたしたちは生まれたときから、そう決まっていたのか。
グラスは恍惚な天からの光に抱かれる。
そのなかで、ホークの亡霊を力づよく抱き締める。
目が醒めてグラスは想う。
今頃あいつ、何してるんやろう。
フィッツジェラルドのことをグラスは凍える雪原のなかで想った。
あれ?グラスは辺りを見回す。
俺また独りに…
おらんなってもうた…グラスは探すが、もうわかっていた。
受難の道。
何処まで歩いても、荊の棘が全身に突き刺さってグリズリーの爪の如くに肉を切り裂く。
俺が選んだ道なのか…神よ。
そう想いながら一つの樹を見上げる。
イエスが囁く。
"この者のなかから、我は野蛮ではないと言う者だけが、あの者達に石を投げよ"
この時グラスは自分の行いのすべてを振り返る。
"野蛮な者"、野蛮な者が、野蛮な者を殺すのか。
いや違う。野蛮な者は、清き者を殺すのだ。
嗚呼、俺が殺してきたもの達、彼らは野蛮ではなかった。
ヘラジカ、狐、うさぎ、猪、熊の仔、ビーバー、野鳩、狼…彼らは野蛮ではない。
野蛮なのは生きようと必死に頑張って、助けを請うているその生命を自分の欲と、幸せの為に殺し続けてきた俺のほうだった。
そうだアイツらのように。
俺の友を殺した後にああやって楽しく喰ったり飲んだり唄ったりfuckしたりしているアイツらと俺は同じだったではないか。
グラスはただ、奪われた馬を奪い返して逃げようと想った。
アイツらは、殺される価値もない。
俺のように…?
いや…殺されるより、苦しみ抜いて生きて死なねばならない。
グラスは自分が何処へ向かおうとしているかわからなくなった。
フィッツジェラルドをこの手で殺し、息子の敵を討ちたい。
だがそれはこれ以上、自分が野蛮な者に成り下がるということである。
どこまでも、神から遠ざかり、その先、どうやって生きてゆけばいいのか。
俺は全てを喪くした。
もう喪うものはない。
グラスは隊長にそう告げ、こう続けた。
でも奴は、喪えるものがある。
隊長は心のなかでグラスに訊ねた。
それはなんだ?
グラスは心のなかでこう答えた。
自己愛、己れへの愛、つまり、神への愛だ。
グラスは寂しそうに言った。
「アイツと共に、俺は地獄へ向かう。」
フィッツジェラルドがグラスの耳に何度も囁く。
"俺を殺しても、ホークは戻らねえぞ"
だが彼は、本当はこう言っている。
「赦してくれ。俺を赦してくれ。俺は哀れな人間だ。俺はオメェのように、人間の愛を知らねえで今まで生きてきたんだ。俺には何も残っちゃいねえ。こんな哀れな人間を殺して何になる?オメェも俺と一緒に地獄へ堕ちるだけだ。堕ちるのは俺一人で良い。そうだろう?改心する…神に懺悔しながら死ぬまで孤独に生きて、最期は野垂れ死するさ、俺みてえな人間は。でもオメェは何度でも遣り直せる。そう想わねえか。オメェは作用反作用の法則というものを知っているか?物理学で、なんでもこの法則がこの宇宙の真理だと聴くじゃねえか。いやそう聴いたんだ。だれか忘れたけどな、へへっ…俺ァ、この法則はほんもんだと睨んだよ。これは言わば重さの法則だ。この世の全ては、テメェの相手に遣ったまったく同じ重さの作用で、テメェに返ってくるんだよ。つまりこういうことだ。俺たちが感じる苦しみには重さがある。小指を椅子の脚にぶつけた痛みの重さと、グリズリーに首を引き裂かれた痛みの重さは違う。他人が目の前で殺される痛みの重さと、愛する者が目の前で殺される痛みの重さは違う。重さは、深さだ。そこにある苦しみの深さは違う。テメェはなんでこんなことになってるんだ?答えを言ってやろう。それはテメェのしたことが、まったく同じ重さでテメェの人生に返って来ただけだろう。言ってやるよ。俺ァ、実は前世の記憶がはっきりとあるんだ。俺は前世、今の俺に生まれ変わる前、俺はちいさなちいさな、白いふわふわのころんころんのうさぎだった。あの日のことを、よく憶えてるよ。なぜなら、俺の一番に愛する母うさぎを、オメェは空から巨大な悪魔のような黒い羽根を広げて、その尖がった鋭い爪先で俺の母うさぎの首元を思い切り引き裂き、右腕を硬い嘴で喰いちぎって、背中を脚で押し潰し、それでどうしたと想う?
オメェは何かを想いだしたような顔をして何処かへ飛んで行っちまった。
幼い子うさぎの俺は一体母親が何をされたのか、まったくわからなかった。オメェは俺たちの天敵、雄の立派な白頭鷲だった。残された瀕死の母うさぎの前で、俺はずっと泣いていた。そのとき、雪が降って来て、痙攣して鳴くことすらできない息も絶え絶えの真っ赤な血で濡れた母うさぎの上に、真っ白な雪が積もって行くのを俺は朝が来るまで凍えながら眺めていた。でもいつの間にか眠っていて、俺はとても永い夢を見ていたんだ。
現実世界ではたったの一時間ほどだったかもしれないが、俺は夢のなかで、オメェと再会したんだ。オメェは人間になって、結婚し、ハンターになっていた。俺は喰いつなぐのがやっとのしがない独り身の毛皮商人、うさぎの皮も嫌という程、殺してすぐに剥いでやった。俺はオメェに出会った瞬間、嫌ァな気持ちになったよ。すぐにわかった。臭いがしたんだ。血腥い実に嫌な臭いだ。まあすべてを想い出したのはそのあとだがな。そういや今日は何年の何月何日だ?確か俺の母うさぎの命日じゃなかったか。ははは、どうだ、オメェもちょっとは想い出したか?馬鹿なことはよせ。先に仇を討つべきは、俺だったんだ。俺はでも、オメェを殺せなかったオメェから殺される前に。殺すべきところが、しくじっちまった。ホークをオメェの代わりに殺しちまったことは完全なerrorだった。赦してくれ。オメェの代わりにアイツは死んだんだ。だれが悪いって言いたいんだ?最初の最初に。悪の根源はどこだ?俺か?オメェか。神か。自然か。野蛮で愚かで残虐なすべての存在の根源は何だ?もしそれが見つからないなら、俺を殺さないでくれ。頼む。俺はテキサスの田舎で居心地の良いバンガローでも建てて、うさぎを趣味で撃ち殺して、その肉で安い赤ワインを毎日飲んで死んでいるように暮らしたいんだ。爺さんになったら、ライフルで一発心臓を撃ち抜いて自殺でもするさ。俺には何もない。俺は神を殺したんだ。……俺を殺したところで、神は喜ばない。俺の記憶の中では、俺はもう生きていない。……ひとつ、訊いてもいいか?何故、俺たちは何にも残されちゃいねえのに、何故、まだ殺し続けるんだ?弱く、愛を求める者たちを…。俺たちが、本物の息を、吹き返すまでか。」















Hell Ensemble  by Ryuichi Sakamoto