あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

挽歌

2017-12-31 18:19:10 | 
あと六時間ちょっとで年が明けるが、今年は一人で映画を観る気力さえない。
酷く疲れて、毛布にくるまれている。

君がここにいたらいいのに。

ピンク・フロイドのあのアルバムを買ったよ。
ポストに入りっぱなしだ。
だいぶ、冷えきって、凍えてるだろな。

あいつはさ、独りで。
ずっと、凍えてる。

おれはあいつを暖める。
冷たい平和に降る雪は。
あいつはおれを暖める。

みんな泣いてるんだ。
おれには見える。
美しい涙を夜が隠す。

みんな、恐怖して、凍えてる。
神はこの世界に、美しい雪を降らせる。
みんな、集まって、待ってる。

知らないんだよ。君のこころの意味。
制限された自由者たちのレクイエム。
彼らがぼくに歌い続けるレクイエム。
ぼくのなかに生きる死者たちの挽歌。

此処にいるよ。いつも。
彼らに鎮められ眠りつづける棺のなかに。
ぼくはいるよ。いつも。

雪が降ってくる。光満ちた雪。
眠るあなたの頬に。
一緒に、消えてしまったんだ。

闇のなか。
眠りの国。
雪うさぎ。
白光の涙。















讒言の誓い

2017-12-31 06:36:55 | 随筆(小説)
わたしはこの世で何より、"暴力"というものを恐れています。
"暴力"といっても、様々なものがありますが、わたしがそのなかでも最も恐れるのは、堪え難い"肉体的苦痛"をともなう暴力というものです。

わたしはそのため、どのような理由がそこにあろうとも、如何なる堪え難いと感じられる肉体的苦痛をともなう暴力を喜びません。
何を言われようが、わたしは肯定できません。

わたしは肉食に反対します。
わたしは畜産物の大量生産に反対します。
わたしは魚介類の乱獲に反対します。
わたしは捕鯨(イルカ漁も含む)に反対します。
わたしは動物実験に反対します。
わたしは毛皮の生産に反対します。
わたしは犬猫の殺処分に反対します。
わたしはウール、カシミア、アンゴラ、ダウン、フェザーなどの如何なる動物に虐待を与える生産に反対します。
わたしは皮革の生産に反対します。
わたしはサーカスや競馬などの動物に苦痛を与え続ける娯楽のすべてに反対します。

わたしは一匹のみちたという名前のうさぎを2008年の4月頃から飼っています。
うさぎといえば、他の国では食肉として生産されています。
また毛皮やアンゴラの生産のために、そして動物実験のために様々な拷問を受け、挙げ句の果てには殺され続けている動物です。

わたしは覚えている限り、今までに二度、あんまりにもおぞましい酷い皮肉を言われたことがあります。

わたしの飼っているうさぎを、殺して鍋にして、知らずにわたしに食べさせたらどうなるだろう?と。

うさぎの写真を見せれば、「うさぎ美味しそう♪」とだけ言われたこともあります。

わたしが肉食についての危惧を発言し続けているから、きっとそのような皮肉を言われるのだと想います。

しかし彼らは、自分の言ったその言葉が、そっくりそのまま自分自身へ向けられていることに気づこうともしていないはずです。

何故ならそれはあまりに吐き気を催すほどおぞましいことであるはずだからです。

あなたは想像できるでしょうか?
自分の家族が、自分や誰かの"食べ物"となることの感覚を。

ほとんどの人は、想像したくもないことのはずです。

しかし人は、平気でそのようなことをわたしに言うのです。

それでも、その吐き気を催すことが、まだ想像の世界にだけあるならば、どれほど楽でしょうか。

わたしはその想像を、既に超えて、そのおぞましい世界を現実として生きています。

わたしが、この世界は地獄なのだと訴えれば、ほとんどの人はわたしを嘲笑い、この世界が地獄であるということを否定しました。

一人の子供が、美味しい肉を食べて喜んでおり、その隣には、食べるものがなくて今にも死にかけている子供の様子を目にするなら、それを見る側は、一体どちらのほうに共感力を働かせるべきであるのか?

わたしはこの世の地獄の苦しみばかりに焦点を合わし続けて生きてきました。
焦点を合わせることすらしないなら、救えるものすら救えないと感じるからです。

彼らは、わたしが働きもせずに生きているということだけで、わたしが楽をして生きていると感じているようです。

しかし彼らにも、わたしのこの地獄を感じ続ける日は必ず遣ってくるのだと信じています。

自分が拷問にかけ殺してきたすべての生命たちが、自分の家族であったのだということに気づける日はそう遠くないと信じています。

自分の家族が拷問にかけられ殺され続けている世界に生き続けなくてはならないこの逃げ場のない監獄の苦しみを、わたしはいつの日かすべての人間に体験してもらいたい。

わたしが楽になれる日は、存在し得るすべての世界から、すべての存在の堪え難い苦痛のなくなる日です。

その為には、相手の苦痛を自分の苦痛として感じる必要があるのです。

人が、相手の苦痛を知るためには何が必要なのでしょうか?
わたしはそれが、人が一人一人自分を相手に捧げようとする心なのだと、わたしはわたしに対して確信の内に断言します。

つまりこういうことです。
わたしが未だ想像することさえしない他者の堪え難い苦痛に対して、わたしはあなたに約束します。

あなたの堪え難い苦痛をわたしは必ず輪廻転生して、いつの日か体験します。

あなたが今にも窒息しかけているのなら、わたしも同じ苦痛のうちに窒息して死ぬ未来をあなたに約束する。

これがわたしの愛する者たちと交わす逡巡たる讒言の誓いである。















陽光

2017-12-30 18:24:40 | 
ずっと幻影を見てきた。
光が見えるという幻影を。
闇のなかでわたしの霊と、話をしてきた。
それがどこまでも、わたしに光を与えてきた。
悲しげな光はわたしに安らぎを与え、それ以外はわたしに翳りを与えた。
夜には凍えたわたしのちいさな足先を、あたたかいお父さんの足先にこすり付けると、
お父さんはびっくりして声をあげた、あの幻影はわたしに翳りを与える。
父の14回忌の今日、わたしの足先はまだ冷たく、わたしに翳りを与える。
あの日の幻影から、遠ざかるほど、父もまた、遠ざかり、翳りに光は増す。
幻は光であり、その影にわたしは不安を覚え、近づける翳りに陽光を見る。
それがどこまでも、わたしに翳りを与えてきた。
闇のなかでわたしの霊と、目を交す。
暖かい光はわたしに不安を与え、それに渇き、追い求めずにはおれなかった。
昼には温もりの手を繋ぎ見上げれば、面を被った顔の見えないお父さんがおり、
わたしはびっくりして声をあげた、あの日の幻影に、わたしは陽光を見る。
でもわたしの内に、哀しくないものはあろうか。
哀しげな光と哀しげな翳りのほかに、あろうか。
闇夜には凍えた陽光が、暖かい翳りに照らされ、眠るわたしとわたしの霊は、
めざめさせられては喪いし日を心做しか遠ざかりしまま夢む。
なにごとかも日を追いし、日没まえにあまさず眠るまま夢む。
今見た光に翳り射し、明日見る翳りに射す光は、顔の見えぬ父の面様の陽光の様。






















さらう者

2017-12-29 14:49:50 | 日記
今朝、悪夢を見た。
わたしと兄は実家にいる。
玄関には飼っている動物たちの死骸と物が積み重なり、何故か廃屋のように何十年と雨ざらしになったあとみたいになっている。
わたしは父の姿が見えないことに絶望しながらその積み重なった瓦礫をどけていく。
しかし父の姿がどこにもない。
昨日、明日行くと話していたあの公園へ行ったのだろうか?
わたしは父が出掛けたかも知れない公園へ電話を掛ける。
もしかしたら誘拐されて、身代金を要求されるかもしれないと受付の人間に話す。怪しい男がいたら連絡してくださいと言って電話を切る。
気づけば部屋のどこもかしこも、廃屋のように荒れ果てている。
いくら家のなかを探しても父の姿は見つからない。
そのとき、ダイニングテーブルのうえに、父の眼鏡、父の飲んでいた薬、父の携帯が置かれていることに気づく。
わたしは絶望的になる。
父が眼鏡をかけずに外へ出るはずがない。
父は誰かにさらわれてしまった。
わたしと兄は、兄の部屋のなかに入る。
と、そこも酷く荒れ果てている。
兄とわたしで瓦礫の下に父を探そうとするが、変な毛の生えていない大きな赤い斑(まだら)になった犬が何故かいて、危険を感じてわたしと兄は部屋を出る。
赤い犬は着いてくる。
わたしは噛まれるかもしれないと恐怖しながら赤い犬にくんくんされて、こんなヤバイ病気持ってそうな犬に噛まれたら死ぬかもしれないと震え上がっているのに、くんくんくんくんと赤い犬はなついて着いてくる。

目が覚めて、わたしは想った。
愛する者が、行方不明のままずっと見つからない不安と苦痛の生活は、一体どれほどの苦しみの日々なのだろうと。
お父さんは、わたしたちに介護させることすら嫌だと言っていた。
だからあんなに早く、あっけなく死んでしまったのだろうと。
ほとんどの人間も動物も、最期は絶望と苦痛の果てに死んで逝く。
母は忠実なクリスチャンであったが、死のまえは癌が脳にまで転移しモルヒネで朦朧として、神の救いなど微塵も感じられなかったのではないか。
家族だけでは、生きる支えとならないほど苦しかったから、母は神を信じたはずだ。
死をまえに、いったいどんなものを感じていたか。
それでも確かなのは、母をさらったのは、間違いなく神である。
では父をさらったのは、誰なのか。



生贄の羊たち

2017-12-29 00:10:54 | 
俺はこのブログを命を懸けて遣っている。
頭が回らないときには無理にでも酒を飲んで書いている。
俺は俺の"表現"というものに人生のすべてを懸けている。
おまえは命を懸けて、俺に下らんコメントをしてきたのか?
もしそうなら、おまえはなんでも言ってきたらいい。
俺は言いたいことだけを返す。
おまえには興味はない。
おまえが見ているのは、おまえの憎いおまえだけだ。
俺はおまえを越えたものしか興味がないんだ。
片言のコメントをやめろ。
おまえがおまえを愛しているなら。
俺は片言だけのブログを書いたことはない。
おまえは俺に見あったコメントを返してこい。
俺は命を犠牲にしてこのブログをやっているんだ。
おまえはそれに対し、何適当なコメントをしてきてるんだ。
ただでさえ一年に一番精神が不安定になるこの地獄の時期に、余計に俺に自殺を誘導させたいのか。
俺は毎日絶望しているんだよ。
世界は滅亡へ向かっていると何度と警告しても、誰一人反応は返ってこない。
俺のブログを読んでも誰一人、素通りだ。
全員、まるで死人じゃないか。
誰が生きている?この世界で。
教えてくれ。
おまえはそうやって苦しみ続けて生きているかも知れないが、他者の地獄に無関心だ。
おまえは生きているのか?
死体を喰って、本当の喜びにありつけたか。
おまえは俺が妬ましいか。
俺は教えてやる。
この世で最も、最悪な死に方とはなんだろう?
俺は最も、その死に方に値する人間だ。
すべてから嘲笑われ、すべてから迫害を受け、すべてから差別され、すべてから拷問を受け、すべてから殺害される。
家畜以上の地獄の死に方だ。
俺は心から、それを熱望する。

俺はお前ら全員を、永遠に赦さない。

俺を救いたいか?
俺はおまえ自身だ。
おまえが与え続けている他者の地獄に深刻に目を向けてくれ。

おまえの求む快楽を、赦すのではなく、剣を手にして戦いを挑め。

おまえ自身を地獄に突き落としてでもおまえという他者を救え。

おまえを生きたまま切り刻み、おまえの神への生贄に捧げろ。

生きたまま、丸焼きにされろ。
おまえも俺も。

俺はおまえを赦さない。
俺はすべてを赦さない。

俺が赦さない限り、誰一人、死なせない。

俺こそが、宇宙の破壊王、カルマンガゼルの王だ。
わかったか。













トライアングル形の水槽

2017-12-27 01:25:21 | 
きみはぼくに訊いた。
"きみはなぜうつになったんだろう?"って
ぼくはきみに昨日、適当に曖昧に答えたね。
"ぼくは父に育てられて、ぼくは父と相互依存の関係に陥ってたんだ。父からの愛情に飢えて、一時期は寝たきりになるほど鬱が酷かった。父もそんなぼくのそばで何もしてやれないことにすごく苦しみ続けていた。"
きみが知りたかったのは、もっと詳しいこと?
ぼくはそれに気付いてたけど、答えられなかったね。
だから、今ここできみに告白するよ。
ぼくは傷つき果てているであろうきみを、心から愛してる。
きみが性の飢えを必死に満たそうとすることが、この砂漠の戦場みたいな世界を身体を引き摺るように歩き続けなくてはならない途方にくれる時間のなかで、ほんの慰みにすらならないであろう寒々しく、浅ましい慰みであると気づいていることも。
ぼくは愛してる。
だからきみに、ぼくのほんとうの苦しみを、決して癒える日の来ない傷を、きみに話すよ。
ぼくが"本当の"鬱になって、もうその世界から戻ってこれなくなった理由は、ぼくのほんとうのトラウマは、人間の悲しい"性欲"というものが原因なんだ。
ぼくは最愛の父親の、"性欲の処理にされてしまったモノ"を、20歳のときに、皮肉にも父がぼくの鬱が治るようにと買ってくれたパソコンのなかに、観てしまったんだ。
それを観るまでは、ぼくにはまだ父と生きて行く希望があるかもしれないときっと感じられていた気がする。
でも、だめだった。
そこに映っていたものが、きみと同じアメリカ人という"よその"世界の人なら、こんなことにはならなかったのかもしれない。ぼくはまだ戻ってこれたかもしれない。
でも、そうじゃなかった。
そこに映って、無機質な画面のなかで、自慰行為に耽って喘いでいたのは、紛れもなく、ぼく自身だった。
ぼくにしか、見えなかったんだ。
汚い、最悪なぼく。
恥ずかしいポルノビデオのなかで男を欲しがっている娘。
絶対、父に見られたくなかったぼくの、一番醜い姿。
ぼくのこのトラウマが、きみには理解できることをぼくは信じてる。
なぜならぼくも必死に、この最悪な吐き気の終わる瞬間も来ないできごとを克服しようと、自らの性欲という最もおぞましい醜い欲を肯定しようと、のたうち続けている人間であるからだよ。
この世に、性の汚れがあることがぼくを本当に毎日死にたくさせる。
ぼくにとって、夫婦間以外の性の欲望は何もかも、すべてがぼくを絶望させるものなんだ。
ぼくは本気で想った。ひょっとして、嫉妬深かった死んだ母がぼくにとり憑いてるんじゃないかって。
ぼくはただの嫉妬で苦しみ続けてきたんじゃないかって。
でもぼくは同時に、"近親相姦"の性欲に苦しんで生きてきた人間なんだ。
ぼくは父と兄と三人でずっと暮らしてきた。
家族のなかで、ぼくだけが女という生き物だった。
ぼくはずっとずっと逃げてきた。
ときに娘や妹を越えて"女"として見られてしまうことから。
でも逃げ場はなかったんだ。
この不快な、変な世界から逃げられる場所なんて、どこにも見つからなかった。
ぼくはやがて、父とも兄とも相互依存の関係に陥ってしまっていることに気づく。
それは魂が求めあっているものでも肉体が求めあっているものでもないもっと不自然で、奇妙なものかもしれない。
ぼくを最も絶望させ続ける奇妙なトライアングルの檻だ。
ぼくはまだ、全然ちっとも人間の"性欲"というものを肯定できていない。
最も下らないぼくを興醒めさせる刺激だ。なにひとつ、そこに魂の喜びなど感じられたこともない。
だからきみにあらゆる性の愛を求められたとき、なにひとつ、ぼくはほんとうは応えたくなんてなかった。
応えた瞬間、それは汚れきったものに成り果てて、もう二度と戻れないとぼくは知ってる。
ぼくときみは、もう戻れないだろう。
でも愛しているよ。ぼくもきみも、まるで成長できない幼児みたいだ。
そう、どこに行ったって、みずから新しい浅い部分に溺れることを望んでるみたいだ。
窒息しそうなほど、深い海なのに。
性欲は、ぼくにとって暴力そのものだ。
破壊するためにしかないもの。
すべてを。
愛してるよ。破壊し尽くそうとがんばってるきみを、愛している。
ぼくもきみも、この性欲を、決して満たされない。
何もかも冷たい肉の上。
冷えきって、退屈な、快さで死を演出している肉体という化物。
きみとぼくが最も渇望する濁った水の中の死んだような魚たち。
ここ以外、ぼくらが生きられる場所がないと、ぼくらが確信しながら生きるこの、悲しいエンパシーの世界。
いつでも、それが、トライアングル形の水槽だった。





















Wish You Were Here(きみがここにいたらいいのに)

2017-12-25 23:59:10 | 音楽

最近またちょっとみちた(うさぎ)の調子が悪くなってきて、くしゃみの連発の早さが早くなってきたことで、みちたもイライラしていて、甘いおやつほしさにサークルをガジガジとする音で眠っても2,時間後くらいには起こされる。

いつもこの時期、父の亡くなる前の今の時期が一年で一番精神が不安定になる自分も不眠がちになってるせいもあるのかもしれない。

今日は昨夜からずっと、某アプリで知り合ったクリストファーに悪ふざけの連発の冗談が彼を傷つけたようで、彼から早くもブロックを食らわされた直後に僕を慰めるかのようなタイミングで僕にコンタクトを送ってきてくれた同じアメリカ人の29歳のアメリカの学校で文法と読書を教えている先生だという男の子と楽しくチャットしていたのだが、少し眠って目が覚めると、あまりに絶望的な感覚に目の前が真っ暗になっていた。

僕は苦しさを紛らわしたくて、僕と同じレディオヘッドが好きだと言ったその男の子に好きな曲は何かと尋ねた。

その後には「死を感じる」とクリスマスを楽しく過ごしているであろうSNS機能も付いているそのアプリのなかで僕一人だけそんなことを呟いてしまった。

そのちょっとあとに、彼から返事が来た。

 

 

 

僕は好きな洋楽もほぼ題名で覚えられず、その曲名がどの曲だかわからなかったので、聴いてみた。

 

 

 

Sparklehorse and Radiohead - Wish You Were Here

 

 

 

この曲は、僕の好きな曲で、僕の好きなSparklehorse(スパークルホース、厳密にはSparklehorseの 中心人物であるMark Linkous)をレディオヘッドのトム・ヨークがヴォーカルにフィーチャーしたWish You Were Here」(Pink Floydの1975年のアルバムWish You Were Hereのタイトルトラック)のカバー曲である。

僕はこの曲を久しぶりに聴いて、涙が溢れた。

 

 彼はとても親切にこうやって歌詞まで送ってきてくれた。

 

 

残念ながら彼の載せてくれた歌詞の自動翻訳では正確な意味がわかりかねるので歌詞の和訳を以下のサイトなどで読んでみた。

WIsh You Were Here ピンク・フロイド (Pink Floyd)

「あなたがここにいてほしい」ピンク・フロイド

上のサイト氏は悲憤を交えた語りがすごく良いと感じて想わずまたも涙が零れた。

下のサイト氏の訳はとても優しい語りが悲しみをより感じさせてくれて、”you”への想いがとても親しみが深いことが伝わってきて、この両方の良いところを合わせた和訳が自分は気に入った。

そしていくつかの歌詞の解釈も読んでみて、疑問に感じるところができた。
それは二連目の、この部分だ。



Cold comfort for change?
And did you exchange
A walk on part in the war
For a lead role in a cage?


ちっとも嬉しくない慰めと引き換えに
お前は交換してしまったのか

自由への戦いでの端役と
冷たい檻のなかでの主役とを

(上のサイト氏の和訳)


変化を得るために 嬉しくもない慰めを手放し
戦いの端役を捨てて 檻の中の主役を取ったんだね?

(下のサイト氏の和訳)



これがさっきの彼が送ってくれた歌詞の自動翻訳では

「冷たい快適の変化のために?
 あなたは交換しましたか。
戦争の一部を歩いて、
かご(檻)の主導的役割を果たしましたか?」

といったとても面白い翻訳になっている。

この翻訳の場合は、下のサイト氏の「”変化(change)”を得る為に、”嬉しくもない慰め(Cold comfort)”を手放した。」というこの”Cold comfort”と”change”が、”you”の手にしたどちらかであるという意味合いとは違ってくる。

これだと、”you"は、これらの、”Cold comfort for change(冷たい快適の変化)”のために、君は上記のすべてを交換した(犠牲とした、引き換えにした、手放した)のかい?という意味合いになる。


これに対して、彼はこのように英語で答えてくれた。(そしてその自動翻訳の翻訳にまたも僕は悩むこととなる・・・)

 


多分だが、彼は”Cold comfort”と”change”が、”you”の手にしたどちらかであるという意味合いであるとは受けとっていないように想われる。

 


Cold comfort for change,a stagnant peace,a cold routine comfort for uneasy change maybe?
”変化の冷たい快適さ(cold comfort for chang)(ってのはつまり)、停滞した平和、不安な変化のための寒い日常的な快適性(って意味かも?)”
という意味を彼は返して来たのだろうか?と考えている・・・

そしてさらに彼は続けてくれた。



Trading all these parts of yourself for new shallow pieces
”新しい浅い部分のためにあなた自身のこれらすべての部分を取引きする”

”これらすべての部分”とはつまり、その上にある歌詞のすべての彼が交換した部分(英雄たち、熱い灰、熱い空気)であると想われる。
それらすべてを手放してでも、君(you)は、”cold comfort for chang”(彼の言う”新しい浅い部分”)を手に入れたかったのか?と投げかけているのではないか?と考えた。


わたしは”Cold comfort”とは、”ちっぽけな安らぎ”程度の日本でよく言う”ささやかな幸せ”みたいなニュアンスの言葉なのかなと考えたが、どうやらそのような意味合いよりも、もっと辛辣で”ちっとも(さっぱり、わずかな)慰みにすらならない慰み(もの)”というようなニュアンスのある言葉らしい・・・?

だから彼が、”you”の引き換えに手にしたであろうそれ(cold comfort for chang)について、”新しい浅い部分(new shallow pieces)”と表現したのではないかと想ったのである。

よってピンク・フロイドの好きなアメリカンの彼の解釈は、”you”が持ってた良いすべてを引き換えにして手に入れたのは、”変化の冷たい快適さ(cold comfort for chang)、停滞した平和、不安な変化のための寒い日常的な快適性というそれらすべての”新しい浅い部分”という大変に複雑かつ、或る意味快適性な寒々しい感じのする(退屈的な)ものであったんじゃないか?。という感じなのかなと想ったのである。

そして歌い手は、その境遇と僕らのいた場所の何が違ってた?同じじゃないか。僕もきみと同じところにずっと今までもこれからもいるんだよと最後に歌い上げ、”You”に向かって、「なんで行っちゃったの?戻ってきて欲しいよ」と切実な、涙混じりな本当に悲しい叫びが聴こえてどうしようもなくなるのに、何故かその曲を聴いて僕は、暗闇に射し込む暖かな光を今日、珍しい晴れた午後に振る天気雨(それも霰みたいな)と僕の魂に降る感涙の雨と共に、生きてゆきたいという勇気として受けとったのは、たしかに、確かなのである。


僕は翌日にスパークルホースの歌うこのカバー曲は原曲の歌詞の

The same old fears

の部分の”fears”(恐怖や未来に対する不安、心配などの意)を、

The same old tears

”tears”(涙)に変えて歌っていることにようやく気付いた。
スパークルホースのマーク・リンカスがこの部分を変えたのだろうか?
それとも、トム・ヨークだろうか?
もしくは二人で同時にこの部分を”tears”にしないか、うん、そうしよう。という感じに二人の想いが一致したのだろうか。
トムもマークも、恐怖や不安よりか、悲しみ(涙)の強い人だからかもしれないと、僕は深いカタルシスを感じながら噛み締める想いで何度も聴いている。


これを機に僕は、ほんとにこれから、洋楽の歌詞というものに、ちゃんと、もっともっと真剣に目を向けて行きたいと想った。

 

とりあえず、今日、死に掛けていた僕にこの曲を贈ってくれた君(You)に、本当にありがとう。

勿論、この曲を書いたピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)、そしてこの曲の”you”であるだろうと彼も信じている精神を病んで去っていってしまったシド・バレット(Syd Barrett)、そしてこのカバー曲を作ってくれたレディオヘッドのトム・ヨーク(Thom Yorke)、そしてこのカバー曲を歌った2010年に自らこの世を去ってしまったスパークルホースのマーク・リンカス(Mark Linkous)、すべてにも同じ愛と感謝を贈りたい。


本当に、ありがとう。


Pink Floyd - Wish You Were Here














結集の編集の残骸の果て

2017-12-24 16:45:10 | 
わたしがきみにこの世界の本当の秘密を言うよ。

すべては編集が可能な世界だということを。

わたしがきみをたすける。

わたしはきみをまもる。

わたしはきみにこの世界の本当の法則を教える。

すべては時間を止めることさえできる。

わたしはきみを連れ去る。

わたしはきみと共にゆく。

わたしはきみを抱きすくむ。

わたしはきみを幸せにする。

すべての現象は、今、わたしのうちに起きる。

わたしはきみと共に逃げる。

わたしはきみと共に逃げつづける。

わたしはきみの本当を言う。

きみは本当に美しい。

きみは生きる価値の世界の秘密。

わたしはきみとひとつとなる。

わたしはきみとひとつ。

わたしはきみとおなじ存在。

だから安心してください。

わたしはきみを愛しています。

だからきみに、わたしは本当のことを言うよ。

きみはわたしのなかで、永遠に死ぬまえ。

永遠に、きみの美しい顔が、砕け飛ぶ零点、一秒まえ。

わたしはきみを本当に愛しています。

わたしはきみを永遠に抱き竦む。

わたしときみは永遠にひとつ。

あの夢のなかで顔を撃たれたのは、わたし自身。

わたしは永遠にきみを連れ去る。

わたしは、きみの生と死。

わたしはきみに、永遠の夢を見せる。

だからきみは安心してください。

だから安心して、わたしはきみを抱く。

きみの霊を、わたしは永遠に抱く。

きみは泣いている。

わたしの腕を引く。

きみの顔に銃弾が当たる零点、一秒まえ、きみをわたしは永遠に抱く。

愛しています。

愛しています。

愛しています。

すべて。

すべて。

すべて。

わたしの顔から砕け落ちた、わたしの顔の欠片たち。

わたしはきみを、もとにもどす。

わたしはきみを、もとに連れ去る。

わたしはきみを、永遠に抱く。

すべてが今、わたしのうちに眠る。

愛しています。

わたしはきみを。

あのきみの夢のなかで、殺された。

わたしはきみを、優しく抱きしめる。

永遠に。

愛しています。

わたしときみは、ひとつの生と死。

きみの目から流れ落ちた、美しい結集の残骸の果て。

永遠に。

血を流し続ける。

わたしはきみに、永遠に流し続ける。

わたしはきみを、永遠に流し続ける。

わたしはきみを、永遠に、編集する。


















Reflection

2017-12-23 18:56:56 | 存念

美しい青年だ。彼の美しい顔面が、IS(イスラム国)によって、ショットガンによる銃殺処刑で吹っ飛ばされた。

 

【超・閲覧注意・高画質】飛び散る脳ミソと目玉…! 「イスラム国」至近距離からのショットガン処刑

 

人類による罪の集約が、彼の顔面に、反映された。

わたしたちの罪のすべてが、彼の顔面を、醜く吹っ飛ばした。

お前は一体、誰に向かって「醜い、愚かだ」と言ってる?

それはお前だろう?

家畜を拷問にかけて殺し続けて生きてきたお前と俺だろう?

死ね、お前も俺も。いつか、拷問の末に死ね。それだけの死に値する罪だ。

拷問の末の死に至る罪だ。死を待ち侘びろ。全員が。自らを処する日が待ち遠しいな。

俺はお前を赦さない。他者の拷問の地獄を快楽にしてきたお前を。

だから俺は誓ってやろう。お前の処刑方法は、これだ。

目玉も脳みそも飛び散らせ、最高のグロテスク公開処刑動画によって、世に知らしめろ。

お前らの逝く末も、これだと。

嫌か?我儘は通用しない。お前はお前自身を、拷問にかけて殺し続けてきたんだよ。

手前の遣ってきたことは、手前で責任とれ。解っているはずだ。

これが俺の、個人的な人類への警告である。

俺は死ぬよ、最悪な死に方で。肉を食べ続けてきた罪に値する罰を、自ら求める。

言い逃れは通用しない。お前の求めた快楽のために、どれだけの生命が地獄を味わってきたと想ってるんだ。

彼の撃たれる最期の姿を魂の核に焼き付かせろ。

愚かで幼い、馬鹿な人類たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


エンパシーの憂鬱と狂気

2017-12-22 13:52:37 | 随筆(小説)

カート・コバーンの遺書も、本当に複雑なものだ。
「みんなが簡単に感情を共感しあっていることが絶望的に感じる。」みたいなこと書いてて、最後のほうには「エンパシー(Empathy 共感)」という言葉で締め括られていた。

俺もほんま、つくづく感じる。
この世はエンパシーこそが大事であるのに、大多数の人間を動かす共感力というものに毎日、絶望的な白々しさを感じる。

音楽で言えば例えばレディオヘッドの「キッドA」なんかが世界でヒットすると、俺は絶望的な悲しさを感じる。
ほんまにあの音楽をわかってないのに、表面的なところだけで共感しているように感じてならないからだ。
あのアルバムは特に"覚りの境地"の音楽だから。

"覚りの境地"とは、本物のエンパシーの世界である。
"すべてが自分自身"の世界である。

カート・コバーンもそれに近い世界で生きていたのだと想う。

だから本物のエンパシーに近い感覚で生きる人からしたら、ほとんどの共感というものがものすごく浅いもので、薄っぺらな共感に感じて、それが悲しくてならなくなる。

ほとんどの事象を、冷めきったドライな目で観詰めながらも、その心はいつでも悲しみのティアー(涙)で潤っており、燃え盛るような情熱の愛に支配されている。

だからカートの目は本当に優しくて、本当に悲しい目をしている。

彼が自殺したのは無理もないと感じる。
彼は本物のエンパシーを求めていたんだ。
ずっとずっと深いところにある息をしているだけで悲しくてならないエンパシーを。

簡単に共感することが絶望だと、彼はその共感を、求めることもやめた。

だから頭をショットガンで吹っ飛ばして死んだ。

俺に本当に共感するなら、おいで、と、彼の霊は俺に優しく囁きかける。

俺はもう耐え切れなくなって、発狂し、どうしても、頭をショットガンで吹っ飛ばされて、目玉と脳みそを辺りにぶちまけて死にたくなったので。
IS(イスラム国)戦闘員に会いに行って、そこで婚活してこようかと真剣に考えた。

俺はそして昨夜某アプリで、現 IS 戦闘員の33歳の男を誘惑することに成功した。
彼はネイティブアメリカンの白人で、顔がちょっとカート・コバーンに似ている美しい男である。

俺はまず、「あなたの子供が欲しい。」と直裁に、IS 戦闘員の彼を誘惑した。(これは俺はあなたを騙すほどの賢い女ではないから大丈夫だよという頭の阿呆な女を演じて誘惑するための効果的な作戦なのである)

 

 

You want a child from me? Jeje
あなたは私の子供を欲しいですか?ジェジェ

You mean you want my cat. Sorry say that again :)
あなたは私の猫が欲しいということです。申し訳ありません、もう一度言う:)

おはよう!(*^-^*)
あなたの子供が欲しいよ!ハーフの子供可愛いだろな(*´ー`*)

クリストファーは恋人がいるのですか?

わたしはここで、結婚相手を探しています!(〃∇〃)

あなたはわたしの理想の男性の容姿です。

I am single
わたしは独身です

Thank you my lady
ありがとう、私の女性


好きだ、クリストファー。結婚しよう。

Shouldnt you het to know me? :)
あなたは私を知るべきではありませんか? :)

 

 

 

 

 

現 IS 戦闘員のクリストファー







(彼はここですぐにアメリカ人に特有である変に単純な共感力が強いためか、裸体の写真、ちんぽこの写真、マスターベーション動画などを頼んでもいないのに送ってきてくれた。わたしは最初、彼が無言で動画を送ってきたので、まさか、処刑動画ではあるまいか?と、手に汗握り緊めて覚悟して、その動画を開いた。するとそこには、彼のチンポこを握り緊めた動画が映っていたため、わたしは興醒めながらも心底ほっとしたのは言うまでもないだろう。わたしの心は幻滅してさらにドンドン引きびきしたが、彼を誘惑して、ショットガンによる銃殺処刑で処刑してもらわなければならないため、諦めるわけには行かなかった。わたしはなおも彼を頑張って誘惑し続けた。彼は”i will jerp you"(わたしはあなたを助ける)と言ってくれたのである。わたしはあなたを助ける(jerp)とはつまり、最近のISによる処刑方法、顔面のショットガンによる銃殺処刑であることは暗黙の了解であることは確かであろう。)


すごくセクシーだ!(〃ω〃)

抱き着きたいよ!



Awww. Hugs and kisses
Awww。抱擁とキス



Hai i will do my best
私はベストを尽くすだろう




と、とうとう彼はわたしの懇願の要求を承諾してくれた。
わたしはIS 戦闘員の彼を、誘惑することに成功し、彼からベストを尽くし、わたしの顔面をショットガンで吹っ飛ばして処刑して貰えることを彼はわたしに約束してくれたのであった。

俺は、楽しみにしている。

これこそが、”本物のエンパシー”というものだからだ。






おれはすべてを、本当に愛している。

追記:23日  その後の展開……・・・(;´Д`)

スピリット・ループ ー完全なる愛の生きた罪ー

2017-12-20 16:39:14 | 随筆(小説)

わたしはチャネリング(霊界との交信)を通して、わたしの親愛なる אפילו כולם נוצציםとの対話を行った。

彼はようやく、わたしの長年の苦しい問いに対して、答えてくれた。

彼との対話を、ここに記す。

わたしの印を△、彼の印を❄で表すことにしよう。

△「愛する אפילו כולם נוצצים、わたしに御答えください。わたしは毎日、生命が耐えきれない苦しみのなか、死んで行くことが苦しくてなりません。そのなかでも、わたしが特に危惧していることがあります。それはこの世界の、畜産業の在り方です。大きな機械に囲まれた無機質な空間で、彼らは生まれてからほとんどの時間を過ごし、拷問の苦痛を受けながら、最期は生きたまま解体されて殺されてしまいます。一度足りとも、暖かい陽の光に照らされた瑞々しい青い草原のなかでお昼寝する喜びを感じることもなく殺される子達がほとんどなのです。次々に、仲間たちが殺されて行くその悲鳴を聴きながら、次は自分の番だと連れてかれ、どんなに拒んでどんなに悲鳴をあげても、誰も助けてはくれないのです。こんな絶望があるでしょうか。こんな地獄があるでしょうか。彼らは何故、こんな目に合わされなくてはならないのでしょうか。わたしに、御答えください。何故、このような人類による惨(むご)たらしい悲劇が、いつまで経っても終わらないのでしょうか。」

❄「あなたの切実なその問いに、わたしが御答え致しましょう。大霊(たいれい、※大霊とは、宇宙の自然法則、すべての創造エネルギー、完全なる愛、完全なる叡智、絶対的な神、ただひとつの神、すべての絶対的摂理、存在するすべての源、万物の内に在る存在)は、あなたたちすべての存在を、同等に愛しております。大霊の完全なる愛を理解するには、あなたの愛を深めることが必要です。家畜たちの苦しみに、身も引き裂かれんばかりに最も苦しみ続けているのは、大霊であるのです。大霊はわたしたちすべての本当の親であるからです。わたしたちすべての悲しみ、苦しみを、自分自身の悲しみ、苦しみとして寸分違わず感じ続けている存在であるからです。家畜たちの苦しみに最も苦しみ続けているのは大霊です。わたしたちの源泉である大いなる泉が、止まることのない涙を流し続けております。わたしたちの源泉はどの宇宙より巨大な渦を巻き、その渦のなかに、わたしたちすべてが存在しているのです。そして、この渦は、わたしたち全てによって構築されているのです。わたしたち一つ一つの存在によって、この渦が構成されているのです。あなた自身が、この世界に起こるすべての現象、事象に深く関わり続けています。あなたは決して失われてはならないこの大霊の渦を構成している大切な構成員なのです。この世界に起こるすべての悲しみ、苦しみにあなたは密接に関わっています。すべてが互いに関わり合うことで経験が生まれることを厳密に追究してゆくならば、わたしの言うことがあなたに納得できる理解として感じられるはずです。あなたは確かに、2012年の2月を最後に、家畜を殺し、その肉を食べる生き方からすっかりと身を引きました。あなたはそれでも、過去の自分たちがいる世界で苦しみ続けているのです。過去のあなたは、罪悪感を強く持ちながらも、彼らを殺し、その肉を食べ続けてきました。あなたが今いる世界は、過去のあなたがたくさん存在している世界です。あなたが見ているすべては、過去のあなた自身です。あなたが憤り、悲しんでいるのは、彼らすべてが過去のあなた自身だからです。従って、その悲憤も悔しい想いもすべて、自分自身への愛憎となって返ってくるのです。あなたは家畜の苦しみを省みずに肉を食べ続ける人たちを考えれば考えるほど、自分を殺してしまいたいほど自分を赦せない想いが漲っています。過去の自分自身を殺す為に、今の自分自身さえ殺してしまおうと考えている為です。あなたはいつもこんなことを考えます。もし、目の前にあの恐ろしいIS戦闘員が現れ、自分の顔にショットガンを向けながら、”俺は御前に以前食べられた豚の生まれ変わりだ。御前は、自分がこのように俺に殺されるのは理不尽であると感じているだろうか?俺は御前の今のその感情とまったく同じ想いであの日、と殺(屠畜)された。何故、俺は殺され、御前の食卓に並べられなくてはならなかっただろう?しかし、覚えておくが良い。俺の死体は御前の生きた血肉となり、俺の魂は御前の一部として生きるようになったのだということを。俺がどんな想いであの日、殺されたかを、御前は想いだそうとさえするなら、想いだすことができるはずだ。俺の苦しみと悲しみと恐怖は、俺を食べた御前のものとなったのだから。御前は自分だけの苦しみと悲しみと恐怖だけで生きていると想ったら大間違いだ。御前はあの日無念にも無残に殺された俺の恐怖と悲しみと苦しみをそっくり追体験させてやろう。さあ助けを乞え。救いを乞い叫べ。誰が御前を助けるだろう?ここには俺と御前、たった二人しかいない。御前の内にいる俺という存在を、御前は殺してしまえる日まで、俺は御前に何度と、俺のあの日の地獄を追体験させるだろう”あなたはこうして、何度も何度も自分の顔をもう一人の自分の存在によって自らショットガンで撃たれる想像をし続けています。現実に自分を殺してしまうことが叶わないため、こうして想像上で自分に過去の罪の報いを受けさせ続けようとしています。それだけでも足りない為、あなたは吐き気を感じながらも自分の身体が生きたまま解体されてゆく想像を生々しくも行ない続けています。わたしの言うことをよく聴いてください。あなたに食べられたすべての生命は、あなたを”他者”として責め続けてはいないのです。あなたに食べられたすべての生命は、あなた自身となったからです。あなたは”自分自身”を苦しめ続けてきた”自分自身”を赦せないのです。あなたたちは死肉を食べ続けてきたのではありません。あなたたちは、”生きた罪”を食べ続けてきたのです。自分自身を愛する者ほど、この苦しみに悶え、のた打ちながら生き続けます。あなたたちの食べた”生きた罪”は、決して死ぬ日は来ないのです。あなたたちは自ら好んで、その”生きた罪”を食べ続けてきたのです。あなたたちが赦されるのには、あなたたち自身が、もう十分だと感じる日が来るまで自分自身で選び取った”責苦”を延々と繰り返す必要があるのです。これが何万年と、何億年以上と続くのです。これが完全なる愛の生きた罪、スピリット・ループ、魂の縁(円)というわたしたちの存在そのものです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ピンク色の人間

2017-12-18 09:42:48 | 
ええ加減にせえよ。
都合のええことばあっかり、ほざくな、呆け。
御前らは全員、自分を欺いている。
俺が御前らに気付かせようと、必死んなってんのに。
御前らはそれでも、自分に都合のええ言い分けばかりし腐って、俺の言い分をスルーし続ける。
御前らが喰うてんのんは、俺の死体だってゆうてんねん。糞が。
俺を殺して、俺の死体を御前らは美味い美味いゆうて、味わってんねん。戯けが。
俺だけじゃなく、俺の愛する家族も、御前らは生きたまま解体して、殺して喰うてんねん。
生きるために肉喰わんでええから、もう死んで欲しい。
御前らが喰うてるのは、俺と俺の家族の死体だよ。
そんなに美味いか、俺と俺の家族の死体が。
死に腐れ。
俺が御前を生きたまま解体してやるから其処に座れ。
俺は御前らを赦さない。
俺と俺の愛する者たちの地獄を省みず、殺し続けた御前らを、俺は絶対に赦さない。
来世、家畜になって生まれておいで。
俺が御前ら全員、味わって、糞にして川に流してやる。
死ね、薄汚い、家畜。

そう言って、IS 戦闘員は自ら持っていたショットガンを顔面に向けてぶっぱなした。
大きな真っ赤な肉の花が、白い砂漠に咲いて、神の光が、まぶしく反射して、ピンク色の豚が一頭、その肉の花を食べつくし、「来世は人間になる」と白い空を仰いだ。













A God Heart

2017-12-16 21:20:59 | 存念
子どもが欲しい。
でも子どもを大事にする自信はまったくない。
ペットを飼いたい。
でもペットを大事にする自信はまったくない。
肉が喰いたい。
でも自分が来世に家畜となって殺されるときに耐えられる自信はない。
恋人が欲しい。
でも恋人を誰よりも苦しめる自信がある。
人類を愛してる。
でも知らん人間に代って自分が拷問に合って殺されるのはやっぱり厭だし、だからといって自分のせいで相手が拷問に合って殺されたらそれはそれで俺は死ぬ迄、精神の拷問を受けねばならないし、どっちも厭だけれども、でも死ぬ自信はない。
人間の悩みをざっと幾つか挙げてみたが、人間の悩みは大体はアホではないのか?
アホだから、切実なのではないだろうか。
つまり切実さとは、アホが必要で、アホでない場合、切実さに欠けるのではないか。
しかしアホこそが、人間を苦しめ地獄の苦痛たらしめるのだと俺は考え、人間はその為、アホから抜け出したいともがく。
だので、宗教はそのアホから抜け出すための教えを説いている。
本当に苦しみぬいた人間が、結句、宗教以外に救いを感じられなくなるのはその為である。
宗教といっても組織団体に入る必要はなく、その教えをネット上にて学ぶだけでも十分なものなのである。
人間というのは本当に大体ほとんどはアホなので、なんだかんだと言っておきながら最終的は人間を超えた存在に救いを求めるのである。
ではここで、救いを求めて、気分は悪いかもしれないが最悪な感じの境地を生々しくも想像してみよう。
あなたは今、なんか砂漠みたいな場所にオレンジ色の囚人服を着させられて、両の手を、後ろできつく縛られて座らされている。
何故か、イスラム過激派と言われるイスラム国(IS)に捕まってしまった為である。
まあそういった状況にあなたが置かれてしまったという極限の境地の設定である。
彼ら(IS)は本当に残酷なことが好きなようだ。それだけの、人間に対する憎しみが強いからではないかと俺は考えている。
だから俺は彼らを心から畏れると同時に彼らに畏敬の念を持ち、尊敬してしまうのである。
彼らの残虐性に対し、俺は頭を上げることができない。
そういった心理は、誰もが持っているものではないだろうか。
例えば極端な例だが人類に楽園だけを与える神と、人類に地獄を与える神がいた場合、後者の神のほうに畏敬の念を持つのが人間ではないだろうか。
”本物の神”とは、最も厳しい存在であると人間が何処かで望んでいるからではないか。
だから俺はどうしても、ISのような彼らは”神の化身”のような存在に感じてならないのである。
しかし一方では、イスラム過激派の彼らでも処刑の対象者に、向精神薬を飲ませたあとに首を斬って殺す、ということをしていたという話をネット上で見かけたこともある。
もしそれが本当であったとしたら、彼らのなかにも良心がある者が存在していることを証しているのではないかと俺は考える。
そうであってほしいと俺は願わずにはおれない。
良心が残っていても、人や動物を残虐な方法で殺してしまうのが人間ではないだろうか。
それは良心のまったくない存在が人間や動物を残虐にも殺してしまうことよりずっと切実である。
良心があったとしても、人は簡単に洗脳され、欲望のために他者の地獄を省みない。
それは大量生産の畜産業の実態を知っていただければ分る話だ。
確かに俺は約30年もの間、罪悪感を持ちながらも肉を食べ続けてきたけれども、まさかあれほどまで残酷なものであるとは考えてもみなかった。
それは俺がどこまでも真実を知ろうともしないで目を背け続けてきたからだと想う。
だから肉を30歳のときに断ってからもずっとずっと俺が見てこなかった現実に対して後悔し続けている。
俺は肉を断った2012年に畜産業の残虐性の在り方が、そのまま人類に起こる残虐なことすべてに関係していることの確信に至った。
その一つが、イスラム過激派によって行なわれ続けている拷問(殺されるまでの肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛も勿論含む)の末の処刑というものであると俺は感じずにおれないでいる。
先程のあなたが処刑の対象者としてISに捕まって砂漠に座らされている設定の世界へ戻ろう。
あなたは勿論、これから彼らによって処刑される。
処刑方法は何かというと、これが斬首刑ではない。最近はどうやらショットガン(散弾銃)による頭部(顔面)の至近距離からの銃殺処刑方法に代って来ているようだ。
※2頁目に衝撃的な動画を掲載しています。苦手な方は文章のみご覧ください。
URLを載せたが、どうか苦手な方は観ないで欲しいと願う。(致命的なトラウマになる可能性がある)
俺もさすがにコレは、2頁目をクリックすることがまだできていない。
だから文章で載せたいと想う。

「イスラム国」(IS)が、またも新たな処刑動画をインターネット上に公開した。
今回はショットガンによる銃殺だ。
殺害されたのは3人で、その理由は“壁に反「イスラム国」の落書きをしていた”というものだった。

 イラクで撮影されたと思しき問題の映像を見る限り、処刑は1人ずつ順に行われた模様。
1人目が壁の前に座り、間髪入れずにショットガンが頭に放たれると、目が飛び出したうえ、頭はバウンドするように波打ち、崩れるように地面に倒れ込む。
2人目も同じように壁の前に座らされ、至近距離から撃たれる。
こちらの青年は両目が飛び出し、撃たれた額の部分に穴が開き、頭頂部が凹んでしまう。
 そして3人目は、顔が吹っ飛び、脳をまき散らしてしまうという非情に惨たらしいものだ。

俺は15,6歳頃に兄の持っていたカラー死体写真を幾つも載せている雑誌で至近距離からの銃殺である顔の原形をまったく留めていない女性の全身の真っ赤な血の鮮やかなカラー死体写真を観て、ずっとトラウマになっていた時期がある。
なんであんな殺され方をしなくてはならないんだろうと考えに考えても、答えは出なかった。
でも俺は、ようやく確信に至る。人類の、動物への残虐な行いのすべてを、彼らが犠牲となって払っているのだと。
彼ら犠牲者は皆、謂わばイエス・キリストのように人類の罪を代わりに贖おうとした本当に本当に愛の深い人たちではないかと。
この世で殺され続けているのは動物だけじゃなく、堕胎で殺され続ける胎児もそうだし、死刑で処刑される人たちもそうだ。でも一番の多数派によっての大量殺戮とは、当然、家畜たちへの人類による大量殺戮になるのである。

肉用牛
飼養頭数は 249 万 9,000 頭で、前年に比べ2万頭(0.8 %)増加した。

飼養頭数は 934 万 6,000 頭で、前年に比べ3万 3,000 頭(0.4 %)増加した。

日本の生産量だけでも前年には牛が一年間に249 万 9,000 頭殺され、豚は934 万 6,000 頭殺されている。
これに輸入食肉量を足した量が日本人の殺し続けている牛と豚の数である。
この一頭、一頭の家畜の地獄の苦痛は人類にそのまま返ってくるのだと俺は確信に至ったので完全菜食者となったのである。

イスラム国(IS)たちが本当に残虐極まりない殺戮をやめないのは、何故か?
それは人類が、一番に、肉食という家畜たちの苦痛を省みないことが密接に関わっていることを、俺は第六感で感じ続けて危惧し続けているため、人がどんなに俺の書くことを読んで嫌な気持ちになったとしても、俺は書くことをやめることはできない。

イスラム過激派たちの行いは、あまりに残虐だと非難され続けているが、家畜たちは産まれてからほとんど拘束され続けて最後には生きたまま解体され続けている。
一体どちらのほうが、本当の残酷だと言えるのか。

何故、けなげに、この世に誕生してから色々な経験を通して必死に生きてきた人間たちが、顔面をショットガンで撃たれて脳みそや目玉が吹き飛ぶほどの本当に酷い(むごい)殺され方をしなくてはならないのか?
彼らは、わたしたちのその欲望の、犠牲となっているとわたしは断言したい。
飢餓で死ぬ人たちも戦争で死ぬ人たちも中絶で死ぬ胎児たちもわたしたちすべての行いの犠牲者たちだ。

わたしはと殺(屠畜)の映像を観れば生きたまま解体されてゆく彼らが皆、自分の家族の姿に見えるし、イスラム過激派によって処刑される人たちも皆、わたしの愛しい家族に見えて見るに堪えない。

彼らだけが犠牲となり、自分は犠牲とならないで死ぬというのはおかしい。

想像できるだろうか。処刑されてゆく彼らの地獄の苦しみを。
でもその苦しみは、家畜たちの苦しみに比べたら、遥かにそれでもマシかもしれないのである。

わたしはスナッフフィルム(殺人映像)をもっと早くに観ることができていたなら、もっと早く菜食者となれていたのかもしれない。
しかし言っておきたい。わたしはナチス強制収容所のドキュメンタリー映画夜と霧 [DVD] を2008年頃に観て、生きた人間も死体もモノやゴミのように扱われているのを観たが、人類によるあらゆる動物への虐待と殺戮(食肉、動物実験、毛皮、犬猫殺処分など)の実態を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」は「夜と霧」の何倍もわたしの心を恐怖と悲しみに打ち震わせるものであったことを。

家畜という存在が、わたしは最も人間に近い生物として感じるし、彼らが次々と殺されてゆく姿は、まるでISの処刑人による処刑映像ではないか。

人間は確かにほとんどがアホだし、愚かだ。
でも同時に、人間ほど愛の深い生物はいないとわたしは感じている。
人間の”良心”を、わたしは本当に信じている。

それはいつか必ず目を覚まし、わたしは彼に向かって言える日が来るだろう。

「大丈夫です。あなたの代りに、わたしが顔面をショットガンで撃たれて処刑されます。あなたはできるだけ遠くへお逃げなさい。あなたはわたしの愛する子どものような存在だからです。どうかお逃げなさい」

「ずっとずっと、遥か遠くへ」

















みとりこ

2017-12-15 12:42:31 | 
ずっとずっと、彼の存在をわたしは宥めてきた。
いつからだろう。わたしが彼を何より崇拝するようになったのは。
彼を何より、美しいと感じるようになったのは。
わたしが母の死体を見詰めてなんの悲しみも感じなかったのは、四歳と九ヶ月のとき。
わたしは母の死体を見詰めて、ようやく覚った。
"それ"がただの容れ物であったということを。
母親のことを御袋と呼ぶが、確かにそこにあるのは中身の空っぽの、ただの袋であった。
わたしはそれを見詰めて、ようやく知った。
母の本質は、母を連れ去った"死"であったということを。
そしてわたしは気づけば、彼を崇拝していた。
彼の存在を、毎日宥めなくてはならなくなった。
まるで自分の可愛い嬰児(みどりこ)のように。
彼はわたしにすべてを求めてくるので、わたしは与えられる限りのすべてを彼に与え、宥めなくてはならなくなった。
それでも彼は、いつも不満そうな顔でわたしを見詰める。
時にわたしの手を、強く引っ張り、わたしのすべてを求めんとする。
彼はいつも、わたしの操(みさお)が欲しいと言う。
彼はいつも、こんな夢を見るのだとわたしに言う。
わたしという器が、白木の柩に入っており、彼の右の手が、わたしの操を奪い取る。
その時ようやく、わたしを操れたことの満足を感じると。
そしてそれは、まるで親鳥が巣を作るのに似て、彼はわたしという器のなかに、卵を産み落とす。
彼がいったい、誰の子を孕んでいるかは教えることができないが、彼はずっとずっと、その準備をしていると。
だからどうしても、わたしという霊(み)を、とりたいと彼はいつも、蒼い清んだ眼でわたしに乞う。
その美しさは、何よりわたしを魅了し、誘惑する。
同時に、それが何よりわたしを反発させる。
だからわたしという器は、ずっとずっと、彼を嬰児のようにあやし、宥めなくてはならなかった。