あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

白い秘密の虹~White Secret Rainbow~

2017-01-10 16:47:17 | 空想コラム
2017年。
地底人です!
さらに白いヒューマノイドを象徴する年がやってまいりました。

我が愛する元NSA及びCIA職員の告発者エドワード・スノーデン容疑者は我々に驚愕と戦慄をプレゼンしてくれた今世紀最大のHeroである。










彼がリーク(漏洩)したのはアメリカ国家による全国民と他国民への監視機密だけではなかった。
我が愛するスノーデン容疑者は我々に高度な進化を遂げた知的生命体である地底人と異星人(ヒューマノイドか?)の存在がいることを隠していたアメリカ政府の機密をもプレゼンしてくれた愛に溢れた犯罪者(アメリカ国内だけでの)であるのです。


CIA元職員スノーデン暴露 米国政府が隠す「高度文明 地底人」正体 vol.1


CIA元職員スノーデン暴露 米国政府が隠す「高度文明 地底人」正体 vol.2



スノーデンは文書を明らかにする:「もっと知的なホモサピエンスが地下にいる」


白い宇宙人トールホワイトがアメリカと協力し、エシュロンで世界を支配しようとしている!?


地球では宇宙人の戦争が行われている!?

ロシアに亡命したエドワード・スノーデンがもたらした米国家機密は、ロシア政府によって綿密に検証されている。その中には宇宙人の存在についての資料も多数存在するという。

それによると、現在の地球には数種類の宇宙人がすでに飛来していて、人類に対して何らかの干渉を行っているというのだ。

いま懸念されているのが、ロシア政府がトールホワイトと敵対する宇宙人と手を組んで、アメリカ政府とトールホワイトと敵対すること。

もしこれから、アメリカ対ロシアを主軸とした第三次世界大戦が勃発するとしたら、それは宇宙人の勢力が人間を使って行う代理戦争のになるかもしれない。



ちなみに、スノーデンは「地底には高度な文明を築いた地底人が存在する」という情報もリークしたと言われている。

地底人も!?勘弁してくれスノーデン!!

もし宇宙人と地上人によって第三次世界大戦が勃発したら、地底人だって黙ってはいないだろう。そうしたら、トールホワイトとアメリカ勢力、敵対宇宙人とロシア勢力、地底人の三つ巴の泥沼戦争になるかもしれない。



「第三次世界大戦ではどんな兵器が使われると思いますか?」

そんな質問にアインシュタインはこう答えたという。

「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう」



もし地球でこんなにもわけのわからん連中が大戦争を起こしたとしたら、第三次世界大戦で人類は滅亡してしまうだろう。全ての文明は崩壊し、アインシュタインの予言が現実のものになるのかもしれない。

我々は今から、荒廃した未来に備え、棍棒を用意しておくべきなのかもしれない。







石(意志)と棍棒(懇望)を常に身につけながら、ここからわたしは地底人とこのヒューマノイド(異星人なのか、もともといた地球人なのか良くわからない存在)トールホワイト(背の高い白人)について考察してみたいと想う。

まず、地底人たちは、なんか変な乗り物に乗って、この地球へと遣って参りました。
約600万年前くらいのことです。





ブッイイィーン。という音を立てながら、この長く、細い黒い乗り物に乗って地底人たちはこの地球へと飛んできた。


そして、彼らは分離した。





この分離した先っちょだけが彼らの搭乗部であった。細長いほうはどこかへ飛んで行った。






その頃、私たちの祖先たちがすでに地球上に住んでおった。



わたしたちの先祖の姿である。
名前を「未プチ焦がすフォレス・デ・ラ・ファミーユデ」という存在たちである。

一方、地球に降り立った地底人の姿とはどういうものであったかというと
我が愛するスノーデン容疑者が一瞬だけ見てしまったアメリカ国家機密の文書に描かれていた絵を執拗に想いだして描いてくれた絵が一枚あるという。

それがこれである。







もう一枚、スノーデン容疑者による地底人がボールが上から落っこちてくるところを捕らえようとしている瞬間を監視カメラによって捉えられた瞬間のイメージ図がこれである。






とても上手く描けたことにスノーデン容疑者は満足げの様子。


そして、この地底人(ヒューマノイドか?)たちはどんな姿へと成長するかというと、こんな姿に成長する。




彼らは成長を遂げると共にとても身長が高くなり、果ては北極熊サイズで、だいたい2,3メートルか、でかいやつは5メートルまで行くかという話だ。
そしてとても白く、透明感が半端ないということである。
(ちなみにわたしはスノーデン自体がこのトールホワイト〔地底人?〕であることを約18%の可能性としてにらんでいるのだが、そうするとトールホワイトは寿命が約800年というから、彼はこの先約400年後には3メートル、約700年後には5メートルに達する可能性は考えられるかもしれない気がしないでもないという根拠のない推測だ)

ここで、地底人の存在と、トールホワイトの存在がごっちゃになっていることにわたしは気づくが、実際その存在が別々なのかどうかは
まだ確認されていないか、確認されているかのどちらかであると想われる。

もし、別々の存在であった場合、このような憶測がなされる。

地底人は猿である我々の祖先たちとゆかいな仲間たちとなり、仲良く暮らしておりました。

すると、そこへ、突如として、やってきた。





ほわほわほわわわぁん。という音を立てて、空から降ってきたのは、そう、トールホワイトたちであった。



彼らはそして、ほわほわの雲を振り払ってその姿を地底人と我々の祖先たちの前に現した。






彼らはこういう乗り物に乗ってやってきたことがわかった。
彼らは、あんまり地べたに着くことが嫌いな人種であり、が為に、こうして三脚の長い脚をこの味覚認知的物体の底部に取り付けて着地することが好きだという。





そして彼らは地球につくやいなや、驚くべきことを実行した。



彼らは丁度、今のアイルランドのある場所の地の上に未曾有の原子核爆発を起こしたのである。
それは美しいHalo(ハロー、日暈、白虹)を描いた。
そして同時に、彼らは地底人と我々の祖先である猿の未プチ焦がすフォレス・デ・ラ・ファミーユデたちに向かって挨拶をした。

「ハロー」

しかし、そのトールホワイトたちによる原子核爆発の手重く破壊的な挨拶は尋常ではなく、その瞬間、地球のほとんどは絶滅した。

トールホワイトたちは、酷く後悔し、残された地底人たちと我々の祖先未プチ焦がすフォレス・デ・ラ・ファミーユデたちと、その他生き残った生物たちに向かって口々にこう言った。

「ごめんな」
「後悔してる、どうしたらいいかって考えてる」
「こんなことになるとは、想いませんでした」
「わたしたちの挨拶はどうでしたか」
「わたしたちは、あなたがたに、幸福になってもらうためにやってきました」

その後、彼らは輪になって、地べたに座り、緊急会議を行なった。

そして彼らは結論をすべての生き物に述べた。


「あなたたちならびに共にいる全ての生き物と、わたしたちが立てる約束のしるしはこれである。 
すなわち、わたしたちは雲の中にわたしたちの虹を置く。 
これはわたしたちと大地の間に立てた約束のしるしとなる。 
わたしたちが地の上に雲を湧き起こらせ、その中に虹が現れると わたしたちはそれを見て全ての生き物との間に立てた永遠の契約を心にとめる。」



それからはもう二度と、彼らによる原子核爆発による挨拶は起きなかった。
代わりに、白虹を空に置き、彼らはいつもわたしたちに向かってこう言った。

「Halo」

それはいつも、彼らのもう二度と地球上の生き物を滅ぼさないという永遠の約束のしるしであった。

















スノーデン容疑者は、その機密文書のコピーをホテルで読んだ瞬間、タオルを頭からかぶって、誰にも見られないようにひっそりと声を殺して泣いた。










「スノーデン容疑者の夢」   完










Atoms For Peace - Before Your Very Eyes










肉の終焉

2016-07-03 05:42:38 | 空想コラム
食の終焉 食の終焉

世界を救うものとは何か。
それは今ある食の終焉である……。
それなくして世界を救うことは最早できないであろう。

わたしは、がむばるぞ。
食欲に負けて魚介類と乳製品と卵を買うのをやめるのだ。わかったか、じぶん。
くっそぅ、俺はやってやるのだ、負けるかァ、そうしなければ世界は破滅する。
つまり自分の食欲のせいで世界は破滅す。
わはは、世界の生命はわたしの食欲に懸かっている。これをやらぬならなにをやるのだ。俺は世界を救う。ははは。救う。
俺は、負けないよ、ばか。俺は負けたくない。俺は俺の食欲に負けたくない。俺はやってやるんだからね。ああ、やってやるともさァ。とにかく、俺はもう畜肉に加え魚介類や乳製品や卵も食べないからね。俺は頑張るんだ。頑張るんだキーオ。頑張るんだキーオ。俺が世界を救わないで誰が救うんだ。ははは。俺の世界を。ぱはは。もう嫌だ。俺は俺が俺を情けなく想う。俺はもう食べたくない。動くものたちをせめて犠牲にはしたくない。痛みを感じるものたちを犠牲にしてまで食欲を楽しみたくはない。充したくはない。俺は神から与えられた食物たち、すなわち植物だけを食べて生きて死ねば良いのだ。そうなりたい。ずっとそう思ってきた。できないはずはなかろうが、やればできる、やってればできている、やってればできてくる、やればいい、やりたいことを、やりなさいとそう神は僕に言っている、そう、聞こえ、る、僕はやりたいことをやろう、そうして一人で死ぬる。るるるる。るるるる。ぬるぬるな街を気づけば俺は歩いていた。すべてがもう、も、ぬるぬるやった。何がこんなぬるぬるなんだと思ってよく見たらば、ははは、ははは、ははは、笑う、笑えない、全部、街じゅうが鮮血でぬるぬるやった。ははは、笑う、笑えない。ははは、至る所に肉片らしきもの、なにがどうなってこうなったんだ、ははは、笑えるだろうか、笑えない。生きてるもんはおらんのかあっ。俺は叫ぶ。どれだけ歩いても肉の塊しか落ちていない。何故だかどれも新鮮だ。よく見ると動いてるものも多かった。気づくの遅すぎ。なにをしてやることもできなかった。彼らは死が降りてきている。俺はというとまだ死は遠くから俺を眺めてにやにやとしている。絶望的に血の匂いしかしない。転がった肉片を焼肉にして食べたところで、どうやって暮らせばいいかわからない、肉しかない、肉町。肉町を生きる人間を俺は探し歩いた。すると知らない男がぬるぬるの血カフェに座っているのを発見した。俺は男に向かって言った。「おい、お前はなにをのんきにコーヒーを飲みくさっとるんだ。おまえの座っとる椅子、血でぬるぬるやないか。気にならんの?俺は絶対そんな椅子に座りたくない。おまえは気がおかしくなったんじゃねえの?おまえの履いてる白のジーンズ?血でぬるぬるやないか。なんでそんな涼しい顔で座っていられるのか意味がわからない。俺にわかるように説明する気はあるかどうか今俺はおまえに問うている。あるのか」男は俺の方を向くと咄嗟に口を手で押さえて笑いだした。そしてこう返した。「なんか言ってるよ、生きてないくせに。なんか言ってるよ。生きてないくせに。なんか言ってるよ。生きてないくせに。なんか言ってるよ。生きてないくせに」俺はゾッとした。こいつ気が狂ってもうたんだ。と思う恐怖と、あ、俺も死んでるんだ。という恐怖が二つ同時に襲ったので俺はほんまにゾッとした。俺は咄嗟に自分の手を見た。もしこれが夢ならば、指が6本から7本はあるか、全部が小指の長さなど、どこかおかしいはずだ。しかし指は5本でおかしいところは何もなかった。さらに足元を見た。これが夢なのならば足は靄がかかったように見えなくなっているはずだ。しかし足はちゃんと見えた。これは夢ではない。これは夢ではない。これは夢ではない。血塗られた世界に気が狂った男と死んでるかもしれない俺が生きてるかもしれないという現実のようだ。俺は男に話を合わせ、質問の続きをすると男はこう言った。「何が起きているかも知らないなんて、さすが死んだ人間だね。哀れだ。では俺が教えてやるよ。何故こんなことになったか。まず、世界は雨を降らすことを忘れてしまった。原因は人間が齎した環境破壊による異常気象。阿鼻叫喚地獄が世界中で延々と続いた。そして最後に生き残った人間たちはやっと心を入れ替えたんだ。他者の肉を散々貪り尽くした彼らが最期に選んだのは、人間らしい、来世の報いへの恐怖から自分を犠牲にして死ぬことで少しでも来世は楽に生きたいと願う死に方だった。彼らは皆、悔い改めながら、自分の肉体に拷問をかけた。自分で自分の肉体を解体していったんだ。自分で解体できなくなると側にいる人間に頼んで解体してもらった。そして飢えた肉食獣たちに自分の肉を与えようとすることで、神に赦しを請うた。しかし肉食獣たちは皆人間たちによって滅ぼされた後だった。誰も彼らの肉を、食う者はいなかった。彼らは誰の為にも死ねなかったんだよ。それが彼らへの最高の報いだ。君はあんまり酷い記憶なんで記憶を喪失させたんだ。教えてやろう。最後の最後に人間たちを解体し、最後自分を解体しながら自分の肉を食べ、その排泄物の中で死んでいたのは君だよ」俺は男に向かって「おまえは一体なんでそこまで知ってるんだ」と問うた。男はその瞬間椅子から立ち上がると俺の目のまえでまるでたたんだ洗濯物のように解体されかけている肉体の姿に化すと顔のないその肉の塊は俺に向かって「おまえが初めて食べた肉が俺だ。俺はおまえの重要な一部と化したからだ」と言った。

おれぼくわたし、上から見るか?下から見るか?横から見るか?

2016-06-25 18:54:43 | 空想コラム
上から目線の心理は何?態度に潜むその人の感情
面白いな、この記事。
自分の心理については考えずに相手の心理だけ考察している。
相手の心理を考察していくうちにそれは自分の心理であった。という気づきもなく終わっている。
上から目線で見られているように感じる。相手は実際上から目線で見てるかどうかもわからないわけだ。
わからないのになぜ相手は上から目線で見ているのか?を考察している。
「上から目線で見てるよね?」と言われたならこう返せばいい。
「いや見てないよ、なんで下から目線で見てるんだ?」と。
相手から見下されているように感じる。という心理は一体なんなのか?
それはずばり、自分が自分を見下しているからだ。
自分で自分を馬鹿だと思っている人間が、相手に向かって「馬鹿にしないでくれよ」と言ってるわけだ。
相手は「馬鹿になんかしてないよ」と返してくる。
「いいや、してるね。してないならそんな言い方はしない。もっと違う言い方になるはずだ」
「勝手に言ってろ。被害妄想。それに馬鹿な相手に上から目線で言ったところでなんになる?馬鹿より上ってそれ別に賢くないよ。むしろ上から目線するのは賢い相手にするもんじゃないのか?」
「じゃあ僕のことは本当は賢いと思ってるんだね?」(プライドが高い)(優越感に浸りたい)
「思ってないよ」
「じゃあやっぱり馬鹿だと思ってるんだ!」(相手と比べることでしか自分を評価できない)
「普通だろ。賢くも馬鹿でもない。平均値」
「くぅっ、やっぱり馬鹿にされてる気がするっ」(ちょっと自分に自信がない)(見下されることを恐れている)(正論で責められ言葉で詰まってしまうことを恐れている)(納得させられてしまうことを恐れている)

()内はさっきのURL先の上から目線で見ている人の心理を当てはめています。
どうでしょう?これはそのまま下から目線で相手を見上げている人の心理にぴったしです。
人間というのは自分の心理を通してでしか相手の心理を考えることができないということなのです。

だから自分の心理を知りたいと思うならば自分が見てる相手の心理を考察していくうちに、自分の心理を発見していくことができるというわけです。
自分が自信のないこと、反論することのできないことを言われた場合、相手の意見は最もだと思えた場合は、自分のことが嫌になります。言い返せない自分、間抜けな自分、馬鹿な自分、自分が恥ずかしい、悔しい、どう転んでも自分が間違ってると思える、まさに下から相手を見上げるように見てしまうため、「上から目線で俺を見るのはやめろ」となるのです。

かなり面白い独り芝居で茶番劇ですが、人間は誰しもがそうなのです。
この世に実は自分しかいないと言えます。

「自分はダメだ、ああ自分は愚かだ、自分は下らない、自分はつまらない人間だ」
そう思い続けると自分に対する評価はそっくりそのまま相手からの評価として感じられてきます。
一方「自分はすごい、ああ自分はカッコイイ、自分は賢い、自分は聖者的だな、いや、俺は、ネ申だ」
そう思い続けると自分に対する評価はもちろん相手も同じ評価を自分に下していると妄想できて馬鹿になります。
上から見すぎても下から見すぎてもなんだか魅力に欠ける人間だなあと私は感じます。
しかしその二つがいい感じにミックスされていたならどうでしょう?
「ああ俺はほんと馬鹿だけど、でも俺って賢いと思う、うーんみんなが全員馬鹿に見えるなあ、でも一番愚かなのは俺かもしれまい」
いい感じで一人の脳内世界で存分に懊悩していて微笑ましい限りです。
上から見たり下から見たりと大忙しですが、ま、そやって人間って成長していくんだろから、いいんじゃね?という感じですね。

しかしここに「ず~ん」とやってきました。「横から自分」です。
まるでラスボスのように「え?もう?」って時に早くも現れてHPが心配です。
おいーこんなことならエリクサー買いだめしとくんだったーと後悔してももう遅い。
自分の中の勇者、自分の中の魔法使い、自分の中の僧侶は瞬時にションベン漏らして近くの森の中へスッコンデしまいました。
くぅ~ん、僕は誰?此処は何処?記憶喪失の振りをして「横から自分」に軽く挨拶と全財産を渡しその場を自然と
通り過ぎようとしたその時、横から(さすが横から自分)「横から自分」に呼び止められました。
横から自分「おい」
自分「えっ、はいはいはいはい、なんでしょう?」(手をきりもみしながら)
横から自分「思うんだけどさ、やっぱ自然っていいね」
自分「え、うん、あはい、自然、わかります、自然はいいなあ」
横から自分「思うんだけども、お酒って美味しいからやめられないんだね」
自分「そ、そうだね(なんか話がとびとびっ)」
横から自分「ワニってさ、怖いけど、可愛いね」
自分「わ、わに?あの?水の中で暮らす背中にとげとげの?あーはいはいはい、確かに、言えてる」
横から自分「いま、このときを、ぼくは、かんじてるよね」
自分「うん、感じてる、それがどうかしたの?」
横から自分「いや、別にどうもしない、ただ感じてるよなと思ったの」
自分「あのぉ……横から自分って何がどう横なの?」
横から自分「まあそのまま、真ん中ってことだよね上と下の真ん中、中間、空間でいう中心部分、水平線上的にやってくる自分という意味ではない」
自分「水平線上的にやってくる自分を想像してしまったじゃないか」
横から自分「やってくるという表現がたしかに可笑しかった、元からいるものだよ」
自分「元から存在している横から自分ってどういう心理なの?」
横から自分「いろいろ考えはするけど、特に何も決めないから、最高な解放がそこにあるという感じだね」
自分「考えることって解放において必要なの?考えるほど縛られそうだけどな」
横から自分「自分、だから、考えることは解放の自分であり、自分の解放だから」
自分「でも解放というのを意識すると解放ではない自分も生まれそうだけど?」
横から自分「解放でなくなると横から自分ではなくなるだけで、何も問題はないよ」
自分「ふむん、いま、ぼくは、横から自分?」
横から自分「横から自分だよ、この境地に入れば自然と鼓動は休まるから意識するといい」
自分「わかったよっ。ありがとう横から自分」
そう言った瞬間、横から自分はチャリンッと音を立てて一つのコインに変身して床に転がった。
やったっ、このコインでどの夢を買おうかな。
横から自分はそう言うと深い森の奥へとひとり進んでいったのであった。



「横から自分の冒険」続く……






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ディスユートピア

2016-06-17 16:18:18 | 空想コラム
さいきん 廃人になろう ってサイトに入り浸ってる

へえ、おもしろそうなサイトだね

うん、すごくおもしろい

どんなひとたちがあつまってるの?

世界中の廃人があつまってるよ

それは可笑しいね 廃人になろう ってサイトなのに すでに廃人のひとたちがあつまってるんだね

そう 廃人だから 廃人というレッテルに敏感で だれより興味をもって
あつまってくるんだ

廃人っていっても いろいろだとおもうけど どんなひとたちがいるの?

いろんなひとがいるけど 共通するのは みんな疲れ切ってるひとたちばかり
半数は働いてるひとで 半数は引きこもりやニートが多い

どうしてそんなにつかれてるの?

いろいろだよ 実際になんらかの精神疾患をもってるひとも多いけど
家族を養っててエリートのひとも多い

家族をもってて エリートなのに 自分を廃人だとおもってるの?

そう そんな恵まれた自分の境遇を呪ってるひとも多いよ

引きニートとかからしたら 贅沢な悩みに思えるのだろうね

いや だれも 羨ましがらないよ そこにいるひとたちを みんな苦しんでるのがわかるから
どこに転がってもおんなじなんだ それをわかってしまっているから 廃人の心でいるんだ

廃人からぬけだしたいと だれもおもってないの?

おもってないよ 思ってるなら 廃人になろう なんてサイトにはやってこない
おもってないから 廃人なんだ

ぼくには わからないな

きみは廃人じゃないもんね

うん ぼくは廃人じゃないな

廃人 ってキーボードで打とうとすると 廃人の次の予測候補に 「は異常者」って出てくるんだ

多くの人がそうおもってるから予測候補にでてくるのかな

そうだよ 人々の想念をコンピュータが感知してそれを自動的に登録しているんだ

ちょっと ぼくのなまえで打ってみて

○○○○○○○ 打ったよ

なんて予測候補にでてきた?

「は馬鹿な顔」って出てきた

ひどいや

ははは 気にすることないよ

気にするよ

きみの一番の親友のぼくが言ってるんだから 気にすることないよ

そうかな

そうだよ

じゃ 気にしないことにしよう

多くの人のレッテルを逆手にとって きみも「馬鹿な顔になろう」って思ってればいいんだ

そうするとどうなるの?

どうでもよくなる どうでもいいことで悩む必要はないな そう思えてくるよ

それってさ 廃人になろう ってサイトにあつまってるひとたちもそうなの?

そうとも言える みんなどこかで自分が廃人だと思われていることに傷ついている
そんなつまらない価値観を壊したいんだ

でもそれって じぶんがいちばんじぶんを廃人だと思ってるんでしょ?

その通りだよ 自分でそう感じてないなら傷つくこともない

それじゃあ 自分の価値観を壊すために 逆手にとろうとしているんだね

それはまちがってないけど 実際はそう単純じゃないんだ

どういうこと?

それはつまり 自分のその価値観に一番価値を置いているから その価値観を壊すことは自分の存在意義を壊すことに他ならないからなんだ

おかしな話だな 壊そうとしているのに壊そうとしていないってこと?

そう 対立する二つの考えが同時に存在していて矛盾していることに苦しんでいるってこと

でも くだらないという価値観に価値をおいても くだらないという価値観が変化しないのはどうしてなの?

だってくだらないと感じている価値観に価値をおいてるんだから そりゃ変化はさせたくはないし させられないだろう

でも 価値を置くってことは くだらなくはならなくなるってことじゃないの?

だから価値観自体はくだらなくはない くだらないと感じる物事はくだらないまま

それっておかしいよ くだらないものがあるおかげでくだらないという価値観が存在していて その価値観に価値を置くんだから くだらないものもくだらなくはならないはずだよ

くだらなくならなければ 価値は感じられないよ くだらないとは感じないという価値観には価値は置くことはできない

つまりそれって くだらないと本当は感じてないけどくだらないと感じていることにしているってことじゃないの?

だれが?

きみだよ

いや 真にもってくだらないよ 廃人とか きちがいとか 暗い人間 明るい人間 異常者とかいうレッテル ラベル貼りはね

そう感じることにきみは価値を置いている でもそれは本当はくだらなくなんかないって思ってるからその逆手の価値観に価値を置けてるんだよ

くだらなくなんかない?それはつまり廃人である自分というレッテルを貼っている自分を本当は肯定しているってこと?
気持ち悪いよ、そんなナルシストにはならない

でも「気持ち悪い」「ナルシスト」っていうレッテルを貼ることがくだらなくて、その価値観に価値をおいてるんだろう?

そうだよ

きみはくだらないなんて本当は思ってないよ 感じてないね

レッテル貼りがくだらないと思ってないってことはそのままレッテルを貼って価値を決めているってこと?

ちがうよ きみはレッテルすら貼ってないんだ 自分を本当は廃人だとは感じてないんだよ だからどんなレッテルを貼ろうが関係ない どうでもよくなる くだらないと感じてないからくだらないという価値観が面白くって価値を置いてるんだよ

自分は本当は廃人だけど廃人とは感じたがってないってこと?

きみは自分を廃人だと思ってるの?

ぼくは……どうでもいい そんなこと

でも「廃人」というレッテルに敏感なのは確かだよね

そうだね 自分のことを言われているように感じるよ

傷ついている そんなレッテルはくだらないと そう感じようとしている

感じてないから感じようとしているのか

きみは 自分を廃人だとは思ってないから 廃人だと思おうとしている

そして 廃人とかいうレッテル貼りはくだらないよなという価値観に価値を置くことを自分の存在意義にして生きることを今やってるんだ

それじゃ「廃人になろう」のサイトに集まってくる人たちも 本当は廃人だと自分で感じている人たちじゃないの?

そうだよ 自分を廃人とは感じてないけど きみと同じように廃人になりたがっている人たちなんだ

廃人になりたがってるなんて 本当の廃人からしたら贅沢な悩みに映るんだろうね

本当の廃人はきみたちのことを見てこう思うはずだよ
「ああ かつての 自分だ」ってね

ぼくたちは 本当の廃人へ向かっているんだね

そう 賢者のような廃人へ

うん なんだか生きる勇気が湧いてきたよ ありがとう
お もうこんな時間 ちょっとスーパーへ行ってくるね家に何にも食べ物がないんだ

















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2016-06-16 13:41:28 | 空想コラム
今RadioheadのDaydreamingを聴きながら目の前を白い雨雲が早く流れているのを見ている。
煙のような雲がどこへ流れ着くのだろう。

次の曲「Decks Dark」もすごく好きになった。



しまつた、プロポーズは日本語ではなかつた。(今頃気づいた)余がとんでもない馬鹿で天然だということが皆様にばれてしまう。
しまつた事を書いてしまつたあ。
もう、こうなつたら、自棄だ。
余は今日から即興詩人になることにした。
さつそく、詩が浮かんだので書いてみるマロミ〜。
(昨夜また「妄想代理人」を全話いっぺんに観て8話と最終話で泣いたよ)





「影」

人間つて、よく、逃げるつつつて言うが
いつたい、なにから逃げる?
ははは、んなもん決まつとる。
そは、影だ。
それを良く人間つて現実逃避とか言うよね。
では訊くけども、現実つてなに?
よーく、よーく、考えてみたい。
現実逃避した場所はほんまに現実ではないのか。
では何処にいる。
❶空想の世界
❷妄想の世界
❸夢の世界
❹虚構の世界
❺死の世界
❻天国
❼地獄
❽漫画の世界
❾ゲームの世界
➓小説の世界
11.映画の世界
12.アニメの世界
13.ヴァーチャルの世界

まあこんなところじゃないか。
現実逃避というからには、そこは現実ではないはずだ。
何故なら現実から逃避した処がまた現実だつた場合、何してんねん、という話になる。
それ逃避やなくてただこつちの現実からあつちの現実へ移動しただけですやんけ。
そは、逃避と言うべからず。
それは逃避ではない。
現実を直視しろ、そうよく言うけれども
現実と、そうではないものの区別つてどうなつてるんだ。
現実と幻想
現実と理想
とよくいうけれども
「幻想ばかり見ていないで現実を受け容れろ」そうは言つても、現実つてなんだろう。幻想つてなんだろう。
🆗ここを解りやすく区別しよう。
現実=不快なもの
幻想=快いもの
こうしよう。はつきりとした区別だ。要は現実と幻想の区別は自分で決めるものであり、その感覚と感情が知つている。
とどのつまり、人間は不快なものは現実と呼び、快いものは幻想で括りたい性質を持っている。
しかし、その区別は簡単に崩れてしまうものなのである。
何故ならば、ああ俺は今幻想を見てるよな、これじゃあダメだ、現実を見なくては。そう言つて今の自分はダメなんだと思うことで、幻想の中に居ながら快さを手放そうとするからである。
幻想=快いもの
これが破壊される。人間は幻想を快い皮を被った快くないものとしてそれを壊そうとする。
しかし快くないものとは即ち、現実である。
現実=快くないもの
人間は幻想を壊そうとして現実を壊そうとする。
実は、ああ俺は幻想を見ている。と気づいた瞬間から現実になるのに、その現実を壊そうとする。
幻想をいつまでも見ていてはダメだと。
でも彼は幻想を本当のところで見てなどいない。そこは苦しい場所であり、そこは現実的である。
現実から逃避しているのではなく、現実を見るために彼は幻想を見ようとしている。
幻想=理想
理想があるが為に、現実は苦しいものになる。
幻想を思い浮かべれば思い浮かべるほど、人間は現実から逃げられなくなるのである。
現実に拘束され、現実でしか生きてはいけなくなる。
皮肉な話、現実から逃避するほど現実に暮らすことになる。
苦しく逃げ出したくなる世界。
なんでそうなるかというと、幻想とは空っぽでなんにもないというのを人間は潜在的にわかっているからである。
だから不快なものから逃げて快いものを手に入れようとするが、快いものはまるで砂塵でできたパンのように手に入れた瞬間から崩れ始めるので、それを食い止めようと苦しんでもがき始める。
人間とは何処へ行つたつて、何をしたつて、現実からは逃れられないようにできている。
快いものにずっと浸って生きることが叶わない。
現実を生きなければならないのではなく、人間は現実を生きたいと思つている。
それは現実にこそ喜びがあることを人間が知っているからである。
本当に現実逃避している人が在るなら、その人は喜びも苦しみも不快も快さもなんにもないところで生きている。
感覚をすべて失ったところに生きている。
それは死の世界か?ノン。そんなこと死んでみないとわからない。
死ぬことは、それは逃避とは言えない。
むしろそれまでより遥かに苦しむかもしれない可能性がなきにしもあらずなのだから。
現実とはまるで、自分の影だ。
逃げても逃げてもついてくる。
楽な場所へ、明るい方へ逃げるほど影は薄くはなるのだけれども、その薄い影は消えることはない。
むしろ安易な明るみへ逃げることによって現実という影は不気味にも薄く笑いかける。
楽な場所、安易な明るみとは即ち、安易な快さを求めることである。
簡単に快さを求めようとすればするほど薄気味悪い自分の影がそこにぼわっと立っていて
気色悪さは消えず、結句人間は薄っぺらい快さしか感じられない。
どうしたらいい?
苦しいよ。自分の影から逃げることができない。
この影を消す場所、影を消す場所…
光と影がもやもやと区別されたその空間に私は一つ真っ暗な巨大なドームを見つけた。
近づくと得体の知れないブラックホールのように私を吸い寄せる。
この中に入ればきっと影は消えるだろう。こんなに真っ黒な空間なのだから。
私はその大きな闇の中へ入った。
最初は何も見えなかった。
私の影は消えたのではない。
私の影はこの巨大な闇と一体化し私を包み込み始めた。
おおよそ私はそれを予想していた。
しかし仕方がなかったのだ、此処以外に私の居場所は見つけられなかった。
巨大化した私の影は私を休ませる一瞬さえ与えはしなかった。
今までの苦しみはちっぽけだと感じるほどの苦しみの中で息をし続けていると、次第にその空間の中に様々なものが見え出してきた。
それらは私の苦しみをさらに深めるものばかりだった。
しかしそれらは同時に愛おしくてならないものばかりだった。
私は私の巨大なる影の中に生きて苦しみながら愛おしいものたちに囲まれていることの喜びを感じている。
その喜びは日々増大している。と同時にこの空間の影も日々膨張しているようだ。
私はこうして自分の影を育てながらその影の中でしか見つけられなかったものたちと共に生きることが何よりも喜びであり、また何よりも苦しくて仕方ないのである。








私と私の影の写真








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6ペンスの唄を歌おう

2016-06-08 00:12:58 | 空想コラム
「6ペンスの唄」

6ペンスの唄を歌おう
ポケットにはライ麦がいっぱい
24羽の黒ツグミ
パイの中で焼き込められた

パイを開けたらそのときに
歌い始めた小鳥たち
「なんて見事なこの料理
王様いかがなものでしょう?」

王様お倉で
金勘定
女王は広間で
パンにはちみつ

メイドは庭で
洗濯もの干し
黒ツグミが飛んできて
メイドの鼻をついばんだ


Sing a Song of Sixpence | Nursery Rhymes | By LittleBabyBum!




これはマザーグースの童謡です。
レディオヘッドの「Burn The Witch」の歌詞にこの「六ペンスの唄を歌おう」という歌詞が入っていて
この謎の深い唄を今から解読したいと思います。

マザーグースというと本当は怖いグリム童話のような残酷な歌をよく作っています。
たぶん小学校でかマザーグースの寺山修司訳の本を借りてきて、気に入ってしまい返さずにパクった思い出があります。
でも歌はすっかりさっぱり忘れてしまいました。

この「6ペンスの唄」も私は残酷な歌であるとみました。
なぜ残酷か、それは黒ツグミパイという料理が残酷な料理であることからもうかがえます。
これはただたんに黒ツグミの肉を入れたパイではなく、ブラックバード・パイという実際にあったと言われている黒ツグミを生きたままパイの中に入れて
そして客の前で切り開き、客を驚かせるというビックリ料理として出されていたようですね。
あんまりに残酷な料理です。パイの中といえど、ものすごく熱くなるはずです。





この唄は、残酷な仕打ちをされた黒ツグミがメイドに仕返しをするという歌であることがうかがえます。
しかしただそれだけではなく、暗号として使われている言葉がいくつかあると言われています。

*24羽の黒ツグミは24時間、王は太陽を、女王は月を表し、時間の運行を意味する唄という説。

この説が面白いなと私は思いました。
24時間というと一日、メイドは一日をパイに詰め、一日から報復をされるわけです。
太陽は見えない場所でお金を勘定し、月は広い間で甘い蜂蜜パンを喰らっています。
いったいどういうことなんでしょう。
太陽といえば太陽神、光をつかさどる神の象徴です。
一方、月は夜に太陽の光に反射して光ることのできる闇をつかさどる神の象徴と捉えることができましょう。

つまり光は見えない場所でお金を勘定しており、闇は広間で蜂蜜パン喰らってます。
お金とはなんでしょうか。光の神にとっての金とは、いったい何を表しているでしょうか。
わたすはこれは、カルマ(業)のことだと踏みました。
何故なら、カルマはよくお金に例えられるからです。
カルマを清算するとよく言いますし、聖書にもイエスの言った

「よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない
(マタイによる福音書5章26節)」

という言葉がある通りに、この言葉は最後の一番安い価値のお金(カルマ)を清算するまで、あなたは決してこの地上の次元以外で暮らすことはできない。という意味があると思っています。

つまり光の神は、カルマを誰にも見えない場所で勘定(計算)しています。
神が計算してくれているので、私たちはその計算通りに正確に借りた分を返すということができます。
神の勘定の御陰で借りていない分は返さなくともよいのです。

光の神が計算しているところは決して目にすることができないので、「王様お倉で金勘定」と歌われるわけです。
では闇の神が広い間で蜂蜜パン喰らっている。とは何を表しているのでしょう。
「お城の広間」で検索してみると、窓に囲まれているか、柱や絵画に囲まれてるみたいな場所の画像がいっぱい出てきます。
吹き抜けにしてあったりして広間とは主に
ひろま【広間】
多くは客用・会合用の、広い室・座敷。
という場所なので、ごちゃごちゃ物が置かれていないさっぱりとした広い空間ということになります。

なんでそんな場所で闇の神はひとりで甘い蜂蜜パン食べてんの。
それは、今日は特別な日だからです。なぜ特別な日か後になればわかります。
闇の食事とはいったい何でしょうか?
闇は何を食べているんでしょうか。闇が必要なもの、それはもちろん、光です。
光があるおかげで、闇が闇でいられるからです。
なので闇はひとりで楽しく大好物の光を周りの窓から光が差し込む部屋で光を食べています。
闇にとって、光はとても甘く、ほっぺが落ちるほどの大好物なので、それは光にかざすときれいな黄金色に光る蜂蜜をたっぷりと塗ったパンに例えられました。





それなのにメイドはそんなことは露知らず、王様がきっと喜んでくださると思っている黒ツグミのパイ(一日)をせっせと焼き上げています。
6ペンス銀貨は正しくはわかりませんが当時16世紀で職人の一日の賃金に当たる4700円ほどの価値があったのかもしれません。
一日の報酬の唄を歌おう。ということなのでしょう。
6ペンスの唄を歌いながらポケットにライ麦をたくさん詰め込んで。
ライ麦は寒冷な気候や痩せた土壌などの劣悪な環境にも耐性がある強い穀物です。
ポケットとは昔では物を計量する大きめの袋のことを言ったそうです。
ポケットにいっぱいのライ麦粉さえあれば、一日の食事は十分賄えるでしょう。

焼きあがったパイを開けた途端、24羽の黒ツグミ(一日)は歌い始めました。
小鳥たちはパイの中で焼かれたにも関わらずぐったりともしておらず元気なようです。
おかしな話パイの中であつあつの熱さに耐えながら黒ツグミたちは歌うのです。





黒ツグミたち「王様の前にお出しするのになんとも打ってつけの御馳走ではありませんか?」



日本の黒鶫

さて、このパイは何で作ったかというと24羽の黒ツグミたちと、ポケットに詰め込んであったライ麦粉で焼き上げたのでしょう。
24羽の黒ツグミ(24時間)と、一日を賄うに足りるライ麦粉で作りました。
これはメイド(作り手)にとってとっても大事なものたちです。
もしかしたらば、このパイを王様に届けてしまえば、自分の今日一日の食物はなくなってしまうかもしれないのです。
しかしメイドは王様に喜んでもらいたい一心で自分の食べる分の大事なライ麦粉で作り、そこに自分のさらに大事な一日を投与しました。

メイドは一日のすべてを注ぎ込み、一日中このパイを作っていたということになります。
それだけメイドにとって王様とは大切で愛する存在なわけですね。
王様が大好きで大好きで仕方ないのです。
しかも今ならば女王様は広間で蜂蜜パンを食べていることを実はメイドはこっそりと覗いて知っていたので、今ならこの特製のパイを王様だけに存分に味わっていただけるだろうと思い、急いで必死に作りました。

しかしなんということだろう。パイが焼き上がり早速王様のところへ持って食べていただこうと思って王様を探したら、王様の姿がどこにも見当たらない。
王様はそのときメイドに見つからない場所に隠れてしまったのです。

メイドは悲しんで、涙を落としながら洗濯物を庭に干しに行きました。
一日は過ぎて、夜中でしたが仕方なく、暗い中洗濯物を干していました。
するとあろうことか、そこへ黒ツグミが飛んできて、メイドの鼻をついばんでもぎとってしまいました。
鼻をもぎ取られたら、そりゃ痛い、否、痛いどころの話ではない。
うっぎょーとメイドは叫び、転がりまくりました。





「ついばむ」とはくちばしで突く、といった可愛いものではなく、
ついば‐む
【啄む】
鳥がくちばしでつついて食べる。
という意味なので、これは鼻ごと持っていかれたというような表現に近いと思われます。

メイドは悪意はなかったものの、こっぴどい復讐を黒ツグミから返されてしまったわけです。
一日を費やして、一日の食料で作り上げた一日から報復をされました。
何故なのでしょうか?
それは王様が知っています。

その一日とは、黒ツグミのパイに例えられたとおりに、カルマの種を撒く、ということでした。
メイドが生きたこの一日は、カルマの種を撒くためにあり、一日の食糧であるライ麦はメイドが生きるために必要な、つまりこの一日を生きるために、種を撒くのに必要なものです。
そして一日を生き、一日に必要な種を撒き、焼きあがった黒ツグミのパイはそのカルマそのものです。
種を撒いた後は、実って刈り取るのを待つだけです。
メイドはそのカルマを王様に召し上がっていただこうと思いましたが、王様はもうすでに召し上がっておられるのです。
王様はすべてを知っているので、メイドがどんな一日を生き、どのような種を撒いたかをご存知です。
知っているからそれを正確に算出できるのです。





そして王様が出した結果の通り、メイドは自分で蒔いた一日の種を早くも刈り取ることができました。
パイの中で焼かれた黒ツグミたちは何もメイドに報復をしに行ったわけではなかったのです。
ただ王様の命令によって、王様の出した結果によって、メイドが実った実をしっかりと刈り取られるようにと使命を受けて、メイドの鼻をついばんだのです。

そしてその一日の成果に女王様もしっかりと実は関わっていました。
女王様はメイドの成果のため、メイドに覗かれる場所であえて蜂蜜パンを食べていたのです。
パンとはイエスのからだに例えられるように、なくてはならないもの、絶対に必要なものの例えです。
女王様はただ好物をこっそり食べていたわけではなく、メイドの成果を成功させるために王様とタッグを組んでいたのです。
女王様がひとりで蜂蜜パンを食べているのをメイドが発見しなければ、メイドは王様だけに食べてもらいたい黒ツグミのパイをがんばって焼くことはなかったからです。

24時間(黒ツグミのパイ、カルマ)がなければ人間は生きていくことができません。
また光(王様)と闇(女王様)もなくては生きていくことはできません。
生きることとは、カルマの種を撒いて、それを刈り取る作業の繰り返しであるということがこの歌からも見えてくるようです。

ちなみに後世の人が付け足したといわれる別バージョンではあのあとに唄はこう続くそうです。


国王お抱えの医者が呼ばれ
彼女の鼻を縫い合わす
それは見事な腕前で
縫い目がどこかわからない


でもまたまた別バージョンでは、またもや鼻はもぎ取られるそう。
メイドの一番の喜びが王様に喜んでもらえる黒ツグミのパイを焼くことだった場合、これはなかなかやめられませんでしょうね。

最初に残酷な歌であると書きましたが、私の辞書にある「残酷」は「救いのある残酷」なので救いの大いにあるお話として解読させていただきました。