あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

Catharsis

2016-06-09 17:25:07 | 音楽



昨日はいつもは一杯のお酒を二杯飲んでいました。ツルメリン錠って気分のあまねです、こんにちは。
あれだけぼろ糞に抜かしていたレディオヘッドの新作をもう通しで19回は聴きましたが
聴くほどパワーをもらえているような心地になっています。

今までは劇的にカタルシスを覚えるような曲をたくさん書いてくれたレディオヘッドですが
今作は劇的なカタルシスは何処にも起こらない。
でも何回も何回も聴いていると、それまで感じていた気の抜けた寂しい感覚を超えて清々しさに近い感覚を覚えてき始めています。
これはまるでじわじわと知らないうちにこの身を侵食しだすウィルスのように広がってくる一つのカタルシスの状態だと言える。
今作は腑抜けの殻を被っていた怪物であったというわけです。

思わばレディオヘッドではKID A以来のどうしようもなく胸を苦しめる作品でした。
そういった意味でもこの作品は怪物作品です。
最初に聴いたときはこれといって何も残らず、いいアルバムとはとても思えなかった。
それが聴いていくうちにどの曲も素晴らしいと感じ始め癖になりだしている。

でもそれはある意味、麻痺しているのかもしれない。
きつい薬を飲んで、最初は副作用が強く起きていたが、徐々に何も起こらなくなってきて効き目を実感できるようになってくる薬のような。
ドラッグも最初は吐いたりして非常に苦しみを伴うが、だんだんと慣れていき快楽だけを感じるようになっていく。
負の感情といわれる、悲しみ、寂しさ、苦しみ、という感情が強く入っている作品もまた、同じ作用を引き起こすのやも知れまい。
それは間違いなく、カタルシスです。

カタルシスとは恍惚な感覚に浸り、幻覚を見ているような心地になる。
感覚が麻痺して起こる快楽と同じで、言い換えるなら強い痛みを緩和する脳内麻薬エンドルフィンのような作用と同じなのかもしれない。

つまりそこに在る苦しい感情、悲哀や寂寥感や空虚感、喪失感などが強ければ強いほど苦しいわけだから、
苦しいほどにそれを緩和しようという作用が引き起こされ、そして甘美で恍惚な深いカタルシスが起こり出す。

それもすぐは起こらず、十分この苦しいものを味わってから起こり始める。
それは苦しみを長く感じるほど大きく救われた心地になることだろう。

だから苦しみを長く感じていられる人は幸せです。
そのあとにはとんでもなく大きなカタルシスに包まれるはずだからです。






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検索キーワード「radiohead a moon shaped pool 感想」

Burn The Witch(魔女を火炙りにしろ)

2016-06-06 17:11:14 | 音楽
今日も落ち込んでいる。

Radiohead - Burn The Witch


この「Burn The Witch」のPVと歌詞について考察してみようと思い調べ上げたが
もう落ち込んで嫌になってしまった。

やはりあんまり自分はこういった皮肉めいた表現が好きではないようだ。
こうゆうの作るくらいならもうスミスの「ミート・イズ・マーダー(肉食うな)」みたいな直截的な曲を作ってくれたらいいのにと思ってしまう。

あんまり謎が深いと曲中で指摘されている人物本人がこの曲から問題を指摘されていることにも気づかずに曲を称賛するといった皮肉的な事態が起こりそうで嫌になる。

しかしトム・ヨークは自分の問題は棚に上げて他人の問題について歌うような人間ではないと思うが。
どの曲についても自分自身の問題を世界の問題と繋げて歌っているように思う。

そうするとこの曲は火炙りにされているのはトムであり、火炙りにしているのもトムということになる。
もっとも皮肉な曲である。


Burn the witch
Burn the witch
We know where you live


魔女を火あぶりにします
魔女を火あぶりにします
我々はあなたがどこに住んでいるか知っている


自分の中にいる魔女がどこにいるか俺たちは知っているんだ。という意味があるんじゃないか。
お前も本当は知っているんだろう、と。いいのか、このままじゃ火炙りだ。
自分の中に住んでいる魔女を火炙りにするのはお前自身だぞ。と言ってるんじゃないか。

お前という人型の檻の中にお前を閉じ込め、火炙りにするのはお前だ。



Stay in the shadows
Cheer at the gallows
This is a round up

影にとどまり
絞首台で喜びの声
これは家畜の駆り集めです


自分の影が、自分を絞首台へ上らせ自ら歓声を上げる、なに、なんでもないこれは生贄や食肉のための家畜の駆り集めなんだ。





検査官(うおっ血が垂れてるぞ?)
村の案内人「どうです、美味しそうなビーフウェリントン(牛のヒレ肉にフォアグラのパテを塗りパイ皮で包んで焼きあげた料理)でしょう。後でみんなで食べましょう」

ビーフウェリントンという料理は初めて知りましたが、ふつうはこんな牛の形をかたどったりはしていないようです。
半生焼きみたいな料理で、フォアグラの作られ方も残酷であるので、残酷性を象徴する料理なのもあってコリン以外は全員ベジタリアンというレディオヘッドのなんらかの主張がここに隠されているのかもしれまい。

トマトのための有機肥料を作る会社への可能な接続を指摘しています

このサイトを日本語翻訳して読んだのですが、いまいち意味がよく分からない。
あのPVの豊作なトマトは農薬まみれで作られたもので、それらはあの最後の人型の檻を点灯(燃やすという意味か?)するために貢献しているようで、可能な限り野菜は有機の会社で買えという指摘が隠れている、と書いているのだろうか?

もしそうだとしたら具体的な指摘が隠れていてこれは面白い。
環境問題にも敏感なレディオヘッドだから有り得る話ではある。


皮肉な表現というのは確かに気になる表現方法であって、リスナーはそこに隠されたアーティストからの警告が気になって仕方なくなってくる。
自分がそれに気づかずに日々を送ることが怖くなってくる。

「魔女を火炙りにしろ」そんな題名の曲から始まるRadioheadの新作を多くの人が傑作だと言っているが
Radioheadの深刻な警告はどれくらいの人々に届くのだろうか。






世界の終わり

2016-06-06 05:14:05 | 音楽
布団の中でふと思ったんですが、Radioheadの「A Moon Shaped Pool」は「Daydreaming」を除いては、パブロ・ハニーの空気感とよく似てるのではないかと。
カタルシスを感じられない未完成な儚さを持ち、それでいて寂しく、未完成ゆえの美しさがある。
創作、表現の世界というのはカタルシスに向かっていることが多いと思うのですが
完成されて完結していることが作品において良いこととは決まらないのだな、と改めて感じています。
夭折する人間が美しいように、作品もまた未完成であることでしか表せない美しさがある。

原点に戻ったというより、単純にクオリティが下がったんじゃないかと思うのですが、でもそれが全体的に下がってるというかそこに入ってるすべてが下がったのではなくて、曲のクオリティは下がったが、作り手の感性が上がって感情は今まで一番深く最高のものであり、よって最高傑作とする人が多いのではないかと。

なんか色々考えてたけど忘れてもうた。パブロ・ハニーの音楽が邪魔して忘れてもうた。
似てるといってもパブロ・ハニーと明らかに違うところは勿論あります。
クオリティがパブロ・ハニーと同列だと言ってるわけではありません。
明らかに違うところの一つに、聞き手の安易な共感を避けたがっているような閉じこもったものを「ア・ムーン・シェイプト・プール」には感じる。
自分が「ア・ムーン・シェイプト・プール」を受け入れがたいと感じているのは、そこにある孤独と悲しみの深さに自分が耐えられないからだと思ったんです。
クオリティが下がったから受け入れがたいのではなく、クオリティも素晴らしいと感じる「Daydreaming」も受け入れがたいので、自分が「ア・ムーン・シェイプト・プール」に感じる孤独と悲しみがあまりに大きいがために、それを無意識にも受け入れることを拒んでいるのではないかと思ったんです。
悲しすぎて、受け入れ難い。それはカタルシスを感じられないからなんです。
カタルシスとは、それの受け手がそこにある重苦しいものを自分の力によって、超えさせること、という意味があります。
自分がそれを観たり聴いたり読んだりして、苦しみ悲しみを超えられた何かを得たという実感があるなら、そこにはカタルシスが起きています。
でも今のところ、私は「Daydreaming」を聴くたびに悲しみ打ちのめされ、深い喪失を感じ、また「終わり」の感覚さえも感じている。
「A Moon Shaped Pool」を聴き終わるたんびに目の前が真っ白になっている。

来ました、パブロ・ハニーの11曲目の「Lurgee(ラーギー)」という曲です。好きな曲です。
この曲の感じが空気感が特に「ア・ムーン・シェイプト・プール」に通じているような気がする。
寂しく美しいが未完成で、何が残るかというと何も残らないような感じでふわつきながら消えていくような曲。
これが今聴いてみると結構激しくなってくる展開になってたんだなと思うんですが自分の脳髄内で回しているこの曲はもっと静かで寂しげな感じだったんですよね。
「 Lurgeeはイギリス英語で病気のこと。多分若者がよく使う「病む」とか「鬱っぽい」くらいのニュアンス」という意味があるんですね。
載ってる歌詞を読んでみても、ああやっぱり別れと喪失の曲なんですね。
この曲にも何か終わりを感じさせるものがあります。

でもこの曲のほうがまだ救いというか余裕のようなものがずっとある感じだな。

Ful Stopは最初聴いたとき妙に陳腐さを感じたが、聴くほどこれはすごく良くなってくる、ダークな曲だな。
聴いてみるとあんまりパブロ・ハニーの全体的な空気感と今作は似てへんかった。というか全然違うな。やっぱりラーギーだけが少し似てるのかな。
受け入れたくないために、無理に未完成であると思いたがってるのだろうか。
これで完結はしてほしくないと、そう思いたいんだろうか。


Daydreamingを聴き終るたび、世界の終わりを感じる。









新月の夜

2016-06-05 21:16:00 | 音楽
Radioheadが出るサマソニの大阪一日目だけのチケットを買おうとしたら後払いができなかった。
買えないではないか。高いパソコンを買ってしまったばっかりに。
手遅れなのか、それとも来月までチケットは余ってるのか。
っつって来月は来月で金欠やし、銀行強盗でもするしかないのか。
スリか、スリをするしかないのか、どうしたらええんだ、レディオヘッドだけ観て、もう即帰ってくるつもりだが、体力が絶対持たないからね。というか、1㎞以上歩くと足が動かなくなりそうだが、なんなんだ一体、トムはうちに来てライヴやってくれはしないのか、なんだっていつもサマソニなのか、サマソニというと体力勝負な感じで体力のない人間にはつらいことこの上ない。
つうか、熱射病で倒れて死ぬやも知れまい。

「この2016年の夏、〈サマーソニック〉で
レディオヘッドを観ておかないと絶対に
後悔する10の理由 part1-総論編」とかを読んで
確かに今年にレディオヘッドを観ないとひっじょおに後悔するような気がする。
一番焦る理由はトムはもう47歳という若くはない年であるということだ。
次の作品がもしかするとまた5年後とかかもしれないわけだ。
というか最後かもしれないわけだ。自分だっていつ何が起こるかわからない。

こんなに愛しているのに。
トムの姿を間近で見たことがないなんて。
モニターに映し出されるトムを見て、または双眼鏡越しにしかトムの姿を捉えるのが難しかった2000年夏のKID Aのライヴ。
顔が、見えなかったんだ。遠すぎて。
一度でいいから、トムを間近で見たい。
前にいる人間全員のどたまを殴りつけてでも、一番前でトムを見たい。
でもそんなことしたらトムも自分も相手もつらいからやらない。
そんなことするなら家で静かにアルバムを聴いて屁ェこいてるほうがいい。

ああわかってるさ。見に行けないことの悲しみを噛み締めながら生きる。これも一つの大事な経験で試練だ。わたしは、トムがはっきりとした意識をもって生きてくれてさえいたらそれでいいんだ。満足なんだ十分なんだそれ以上を望まない。
やっぱ「Present Tense」っていい曲だな。

月がだんだんと欠けていって、新月には見えなくなる。
新しく生まれたその姿を見ることができない。
もし、真っ暗闇の水たまりが見えたなら、それは新しく生まれてこようとする月が反射しているのかもしれない。









Daydreaming

2016-06-05 16:46:22 | 音楽


こんにちは。朝には降っていた雨がすっかりやんで雨音がしなくなった部屋にいる雨音(あまね)です。

今朝は起きて喪失感が結構ありました。
何か小さなおもちゃのような家をおもちゃの道路を歩いて転々としながら行き当ったおもちゃの家の問題について考えているような夢を見た気がします。
昨日に観たRadioheadの新作の曲「Daydreaming」のPVをまだ引き摺っています。
新作「A Moon Shaped Pool 」を通しで6回聴いたと思いますが
やっぱりこれは聴くほど癖になるアルバムのようです。
いいと思える曲が少しずつ増えて来ています。
とっても、嬉しい。

そういう意味で奥深いアルバムであるのは間違いない。
思い返せば一回目聴いた時から全体的にこれは良い!と思ったのはOkコンピュータくらいじゃなかったのか
と思い出しています。
それ以外の作品はどれも聴くほどに良さのわかる作品だったのではないか。
そうするとOKコンピュータがまるで奥深くないアルバムみたいではないか、なわきゃァない。
ただその時の自分の心情にぴったしだったのだろうと思う。

しかしそれでほっとするのはまだ早く、このアルバムはそれでも軽いということが自分には信じ難いというより、受け入れ難い作品だからです。
いわゆるカタルシス、昇華と言われる突き抜けた感、超えた感はこの作品にあるのか、ないのか。
実は昨晩にはカタルシスすごくあるやんけ!と思ったが、今はまた「あるのか?」と思っています。
昨晩の自分の状態は、脳髄状態はどうだったのかと申しますとお酒をたしなんで
「深い悲しみ」という言葉をネット上に見かけただけでツイーンと目頭が痛くなり涙が出てくるような状態だった。
明らかに異常な状態だった。

今聴くと、やっぱり全体を通しては寂しい作品のように思う。
全体的にカタルシスのあるアルバムとはとても思えない。
「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」の最後の曲「A Wolf at the Door」のような深い悲しみや恐怖を突き抜けてやけっぱちで手に入れられた何かを感じるような終わり方もしていない。
ただふわふわと飛んでいく綿毛を見送るようなさびしい終わり方になっています。
だから余計に、気になって仕方がない。
このアルバムが気になって気になって夜も眠れない、と思ったら昨日すぐにぐっすり眠って今日も二度寝してました。
しかし約5時間半後には目が覚めたので浅い眠りを引き起こすようなアルバムかもしれない。

とにかく異様に軽いのに、異様に聴くのに身構えて慎重に聴いてしまう作品です。
軽いのに気軽な気持ちで聴けないというレディオヘッドの中で一番不思議なアルバムです。
もしかしたらそれはとんでもない重さを隠しているからなのだろうか。

わかるのは、トム・ヨークの孤独と悲しみが今までで一番深く重いものであることです。
「Daydreaming」の最後の歌詞は呪文のような言葉で、それの意味を解読した人がいらしたので
ちょっとその記事をシェアしようと思います。

“Daydreaming” [Radiohead]に込められた思いと歌詞和訳

最後のところ「Efil ym fo flaH」は逆から読むと”Half of my life”(私の人生の半分)という意味が隠されていたようです。
去年にトムは23年間付き添った妻と離婚してしまって、二人の子供ともはなればなれになってしまいました。
トムが46歳の時ですから、本当にちょうど半分の時間を共に過ごしてきた家族との別れだったわけですね。

私が最愛の父を喪ったのが私が22歳の時だったので、私と父が共に過ごした時間よりも一年多いのだなと思いました。
自分は子供を持ったことがないから子供と離れることがどれほどつらいのかわかりませんが、自分の分身であるまだ幼いとも言える子供たちと離れて暮らすことは想像してみただけでも相当つらいものがある。

5thアルバム『Hail To The Thief』の3曲目『Sail to the Moon(セイル・トゥ・ザ・ムーン)』はトムが息子のノア君のために書いた曲だった

子供のために曲を作るなど、相当子供を愛していたんだと思うと、それ思いながらDaydreamingなんて曲を聴かされたらどうもこっちまで腑抜け状態のようになってしまいますね。
その上あんなPVまで観てしまうと、悲しくてしょうがない。
今作のタイトルに「Moon(月)」が入ってるのもトムの子供たちや家族と月に深い関係があることがわかります。
月の作用で子供は生まれてきますし、月がなければすべての子供は生まれてこないのかもしれません。



Daydreaming(白昼夢)という題名の曲で、もう一度PVを載せようと思います。

Radiohead - Daydreaming


まるで生霊か亡霊のように託児所、病院、コインランドリー、スーパー、他人の家、海、駐車場などをトムが歩いて、
いくつものドアを開け、誰もいない白い部屋に行ったりして、最後は雪山の洞窟の冷たい雪の上に焚き火があって、その前に寝そべって(私の人生の半分)という言葉を何度も逆から呟きながら眠りにつこうとするところで終わっています。
さっきシェアした方のブログに書いているのを読んで気づきましたが、トムが歩いていた場所は家族との思い出があるような場所ばかりです。
でも最後にやっと居場所を見つけて安心して眠るというよりは、私はあの焚き火がもとから焚かれているのを見て、たぶんあの洞窟の中の寝床というのはトムがもともと暮らしている寝床で、トムはずっとあの冷たく暗い雪の上でひとりで生活しているんだと思ったのです。
そしてその場所から白昼夢のようにぼんやりと過去の思い出のある場所をひとり彷徨い、そこに家族はもういないことを毎回確認してはまた寒く凍えそうな洞窟へと戻り、そこで独りで眠るトムの姿を思うと、涙がちょちょぎれそうになりますけれども、今はちょっと「Ful Stop」が流れていて心が乗ってる感じなのでぐっと耐えて涙は出てこないようです。

昨夜、Radiohead - Daydreaming (Reverse video)というのをyoutubeで観て、ものすごくドキドキしました。
これは音楽とフィルムを同時に逆戻しで撮っているビデオで、トムがビデオの巻き戻しのように後戻りしていくわけですけれども
時間をさかのぼっても、トムは独りなんですよね。言いようのない悲しみを感じました。


自分は最近、婚活サイトで知り合った46歳の人に向かって、呪詛を吐き続けて相手を退会させてしまいましたが
あの人も離婚して子供と会えないことを嘆いているとてつもなく孤独な人でした。
でもって変人だったから惹かれたんだろなと思うのですが、自分はそんな人をさらに苦しめる言葉を吐きました。
たぶん彼は致命傷を負ったろうなと思います。

可哀想に、私という狂人に出会ったばっかりに。
呪詛は吐きましたが私は人を三日以上呪うということは滅多にないので三日後にはすっきりさっぱりと忘れています。
彼は致命傷を負ったままでしょう。
恐ろしいものだ、ほんとうに。

私はひどく悲しんでいるんですが、ひどく嬉しいんですよね。
流れる涙は、悲しみの涙であり、喜びの涙です。
トムが腑抜けになるほどの悲しみと孤独を経験している。
それに一緒に悲しむことができるということが私はとても嬉しい。
多くの人間が一緒に泣いているだろう。本当に多くの人間たちが。
だから最高傑作だとも言われているのだろう。
このアルバムには今までで一番深い悲しみと孤独が詰まっている。
それを高く評価する人たちが多くいる、この事実に自分は感動してしまった。

今までで一番地に足を着けないようなこの生霊的なアルバムを一番高く評価する人々もまた
深い悲しみと孤独の中生きている人が多いのかもしれまい。
自分も聴くほどにこのアルバムが自分にとって特別なアルバムのように感じてきています。
ふわふわふわふわふわふわ、ゆらゆらゆらゆらゆらゆらと飛んでいるレディオヘッドを
ただ目で追っている、耳で追っている。
あんまり遠くへ飛んで行っちゃやだよと心配しながら、ただ一緒にふわふわ飛びながら追っています。









A Moon Shaped Pool

2016-06-04 19:14:01 | 音楽

皆さんこんにちは。引きこもりで婚活中で変人のあまねです。
Radioheadの新譜「A Moon Shaped Pool」をやっと二回目聴きながらブログを書こうとしています。

実はあんまりに気の抜けたアルバムだったのでショックでなかなか二回目が聴けなかった。
しかし二回目聴いてみると、この二曲目にいきなしとんでもなく悲しい曲が来ることは
ものすごく良いし、切ない。
美しく、とてつもなく寂しい。
気になるのが、このモノクロなジャケット。



初めてのモノクロな色を亡くしたジャケットなんですよね。しかも黒よりも白めなアルバムジャケット。
これが実にこのアルバムをよく象徴しているように思う。
色を失くしたレディオヘッド、そんなものを聴く日がいつかやってくるような気はしていました。

悪い作品と言えるような作品では決してない。難解な作品だと思えます。

しかし16歳で初めて自分のお金で買ったCDがレディオヘッドのOkコンピュータで、
それから自分は洋楽にのめり込んでいったわけですが
それ以来自分の中でレディオヘッドはまるで家族のように親しみ深い存在で
今改めて今までのアルバムジャケットが並んでるのを眺めただけでうるっと来るものがあります。

今までカタルシスがあって、昇華しきっているようなアルバム(デビューアルバムのパブロハニーは除く)ばかり出してくれてたレディオヘッドが初めて昇華しきれないものを出してくれたように感じます。
昇華しようにもしきれない心情を見せてくれたんだなと。
だから今回の作品は今までで一番寂しく、悲しいアルバムかもしれない。
恐ろしいというようなアルバムではないが、このアルバムは一番静かな狂気が
白い空間の中に蠢きどこまでも広がっていくような世界に感じる。

今までそれを開けっ広げに見せてくれてたのに、奥に秘めて見えづらくしたんだと思うから
もどかしさの残るアルバムなんでしょう。

トム・ヨークの子供のノアくんがまだ小さいとき、レディオヘッドのライヴに連れてきて
終わった後にトムが「どうだった?」って訊くと
「なかなかよかったよ」とノアくんが答えたということをトムがかつて嬉しそうに言っていたのを思い出す。
でも最近トムは離婚したってことを知って、ノアくんとかとはなればなれになってしまったんだろうかと思うと
そのことがこのアルバムに大きく関係していることがすごく納得がいくし、よけい悲しくもなる。

気が抜けたようなアルバムになったのは当然なんでしょう。
そんな簡単にカタルシスなアルバムを作れるものじゃない。

それにしてもまだ誰の評価もしっかり読んでないけれども、なんだか読むのが恐ろしい。
いい評価でもショックだし、悪い評価でもショックだし、こんなに悩ませるアルバムを出してくれたことは
喜ばしいことのように思える、なんだか複雑な心情でいます。

でも19年前に初めて聴いて衝撃を受けてから、19年後の今もこうして新作をだしてくれているということが
とても嬉しい。



少しみんなのレビューを読んでみたのですが、大変落ち込んでしまった……
一つは今回の新作は過去の寄せ集めの曲が数曲か入っているということにまず落ち込んでしまった。
できるなら過去の作品のアレンジはほかのオリジナルアルバム以外に入れてほしかった。
でも入れた理由がこの曲をどうしても入れたかったからならいいのですが。

なんかそういうことを思っているとレディオヘッドの作品に不満なのではなくて、
自分に対して嫌になってしまい落ち込んでしまった。
ライヴで聴いたらどんな感じになるのだろう。
ライヴで聴いてみたい。

自分が絶賛できない作品を絶賛している人がいると妙に落ち込んでしまう。
落ち込んで前作の「The King of Limbs」を聴いているけれども、やっぱり良いんだよなぁ……
重い作品ではないのに十分カタルシスを感じられる。
このポップさの中にカタルシスを起こすというのはものすごい才能がないとできないと思うんです。
嗚呼、胸が苦しい。
これじゃまるで初めて「KID A」を聴いた日のあの絶望的な胸の苦しさのぶり返しじゃないですか。
キッドAの凄さがわかったのも随分後だったから、この胸の苦しみは良いものとして取っておきましょう。

新作は音のメリハリが非常に少ないのだな。だからのっぺら感がある。そりゃ難解だ。
でも少ない音で表現するというのは凄いことだな。
そうか、表情を失くしたんだ、今回初めて。
KID Aにでさえ僅かな表情が見え隠れしていたのがまったく見えなくなってしまったんだ。
あのジャケットは表情を失った月が自分の顔を映した水たまりだったのか。
だから悲しく寂しい作品なのに重さがまるでないんだ。
中に空気しか入ってない風船のように軽い。
あんまり軽いからちゃんと紐で括り付けておかないとすぐどっか飛んでってまうんやろな。
って14時半から書き始めて今17時半やんけ。何時間書いてるねん。

やっぱり二曲目「Daydreaming」はだんとつ美しい。
これを今日は貼り付けましょう。

Radiohead - Daydreaming


これが入ってて良かった……
もうこの曲一曲だけでもこの作品は駄作になどできるはずもない。
PVを観て、泣きたくなってしまった。
なんて深い表情を、寂しそうな悲しい表情をしているんだろう。
47歳には見えない、歳以上に老けて、まるでアブラハムのようだ。
いったいどんな苦しみや悲しみを知っている人なのだろう。

この曲は本当に素晴らしい。しかし重くない。
綿毛のように軽い。ふわふわしている。
どこにも根付かない。すべての感情を失う。
しかし寂しさと悲しみだけが残る。
自己を失い、自己の感情を失い、寂しさと悲しみだけが浮遊し残ったような世界。
なんてアルバムを作ってしまったんだ。
これも生霊アルバムだ。
取り敢えず私たちにできること、聴き倒すことをするしかあるまい。
するときっとその月形の水面に何かが見えてくるだろう。

って今、月形のプールをぼんやり思い浮かべながら9曲目のPresent Tense聴いてたら鳥肌立ったぞ?
も、じぶんが、わっかんない。やっぱり音楽は何回も聴かなくちゃ、わっかんないな。

雨が静かに降ってきて、雨の匂いの中、最後の曲が静かに終わろうとしている。
終わってしまった。
静寂が、続いている。