菅首相は東京オリンピックに関し、「感染対策を徹底することで、安全・安心な大会の実現が可能」(NHK 2021-5-19)というようなことをよく言っている。感染対策を徹底するのは当然で、「選手や大会関係者と、国民が接しないようにする」のはいい。(だが、関係者といっても市中のホテルに宿泊する人やメディア関係者が国民と接しないことを保証できるかどうかという不安がぬぐえないのだが、それは今回のテーマではない。)選手や関係者、いわばオリンピックの当事者には厳しいルールを厳守してもらおう。
だが感染拡大の危険は来日する選手や関係者だけではない。オリンピック開催によって人の流れが起こることで、日本人どうしの間で感染が広がる危険性のほうが大きいとの試算があった。であれば「感染対策を徹底」するには、飲食店や劇場などの休業や時短を続けなければならないということになる。
IOCのコーツ調整委員長が先月、緊急事態宣言下でも五輪開催が可能と言ったとき(東京新聞)、私は反応しなかったのだが、その時は「感染対策」は選手や関係者に対して徹底すればすむと思っていたのかもしれない。だが「感染対策」として飲食店や劇場の休業まで必要になってくると、それは一部の国民の生活の糧を奪うことになる。そうまでしてオリンピックを開くことに国民の理解は得られるのだろうか。
逆説的だが、「感染対策を徹底」するのは選手や関係者だけにしてほしい。飲食店や劇場の休業や時短をさせなくても感染が広がらないくらいに感染状況が落ち着くことが、五輪開催の最低条件ではないだろうか。
だが感染拡大の危険は来日する選手や関係者だけではない。オリンピック開催によって人の流れが起こることで、日本人どうしの間で感染が広がる危険性のほうが大きいとの試算があった。であれば「感染対策を徹底」するには、飲食店や劇場などの休業や時短を続けなければならないということになる。
IOCのコーツ調整委員長が先月、緊急事態宣言下でも五輪開催が可能と言ったとき(東京新聞)、私は反応しなかったのだが、その時は「感染対策」は選手や関係者に対して徹底すればすむと思っていたのかもしれない。だが「感染対策」として飲食店や劇場の休業まで必要になってくると、それは一部の国民の生活の糧を奪うことになる。そうまでしてオリンピックを開くことに国民の理解は得られるのだろうか。
逆説的だが、「感染対策を徹底」するのは選手や関係者だけにしてほしい。飲食店や劇場の休業や時短をさせなくても感染が広がらないくらいに感染状況が落ち着くことが、五輪開催の最低条件ではないだろうか。