リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

幻に終わったかつての東京オリンピック

2017-10-30 | 政治
現在が第二次大戦に向かう時期と似ていると言われることがある.「共謀罪」法案の審議では治安維持法との共通点が指摘され,国連報告者の指摘を政府がむきになって攻撃したときにはリットン調査団の報告書に反発して日本が国際連盟を脱退したこと(1933)が想起された.そして戦前にも,東京オリンピックが予定されていた.
東京オリンピックの開催が決まりながら,戦争の余波で幻に終わったいきさつを,ウィキペディアからまとめてみる.

1940年にアジア初となる東京でのオリンピック開催が決定されたのは1936年だったが,「一触即発の国際情勢」を理由にオリンピック開催に疑問を呈する向きも早くからあった.現に1937年7月には盧溝橋事件が起こった.
陸軍からは軍からの選手選出に異論が出され,日中戦争が泥沼化するに伴い,鉄鋼などの資材の不足から施設の建設にも支障が生じた.財政面でも東京市の起債が困難になった.議会でも開催中止が提言され,オリンピックに否定的な空気が広まっていった.そして軍部の圧力もあって,1938年6月の閣議で戦争遂行以外の資材の使用制限が決定された際,オリンピック開催中止も明記され,7月の閣議で開催権を正式に返上した.(開催地決定時の投票で次点だったヘルシンキが開催地となったが,1939年の第二次大戦の勃発でこちらも中止となった.)

ただ,東京オリンピックの開催中止は日本が一方的に返上した,というわけではないようで,日中戦争の影響で国際的にも異論が上がっていた.中華民国はもとより,中国大陸での利権をめぐって日本と対立していたイギリスやオーストラリア(英連邦自治領),それに日本と招致合戦を繰り広げたフィンランドからも東京オリンピックの中止ないしは開催地変更を求める声が上がっていた.アメリカはIOCの委員を辞任して,東京オリンピックをボイコットする姿勢を示した.東京開催反対の電報が多数寄せられたこともあって,IOC委員長から日本に開催辞退が打診された.東京オリンピック開催権返上には,このような国際的な反対も背景としてあったらしい.


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