リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

新型コロナは誰もが感染しうる。感染者たたきはやめよう。

2020-05-02 | 一般
新型コロナウイルスは、無症状で全く健康に見える人でも感染を広げる可能性がある。そのためもあって誰が感染者かについて疑心暗鬼になっている人が多い。感染が分かったら行動履歴を調査され、匿名とはいえ立ち寄った場所、利用した交通機関まで細かく公表される。ここまではやむを得ないかもしれない。
だがSNSでは感染者の住所氏名や家族の情報までさらすことが横行している。なかには立ち寄ってもいない場所を立ち寄り先として公表するデマのせいで客が急減する施設まであるからたちが悪い。感染者の父親の勤務先についても「社長の息子が感染」というデマが流れ、「息子さんがコロナなんですか」という電話や無言電話がくる。その一方で、情報がデマだとわかると拡散した人の住所氏名がさらされ、非難が殺到する(朝日新聞2020-4-29同25面朝日新聞2020-5-13には帰省先の山梨県から東京に移動した女性の事例)。私は今、コロナも怖いが、それ以上に、万一感染したら何を言われるかと、そのほうがこわい。このままでは、症状が出ても診断確定をおそれてPCR検査を断る人も出るのではないか。
感染者の情報公開は一定の公益性がある。感染者の未公表の個人情報をさらす人も、デマを拡散した人を非難する人も、正義感からやっている人もいるだろう。だが「匿名の書き込みでも素性はばれる」「ソーシャル時代の全体主義――国家権力より怖い(かもしれない)ネット社会の目」でも書いたように、行き過ぎた批判は正義ではない。安倍首相が真実から目をそらし国民を欺く態度を取り続けていて行政が信じられないのはわかるが、必要な情報は保健所などが出すべきであって、SNSで勝手に公開していいものではない。
新聞記事で紹介された事例はそれまで感染が広がっていなかった地域という事情もあったのかもしれない。だが感染すればすぐ重症化するかつてのSARSなどと違って、新型コロナは遅かれ早かれ誰もが感染すると思ったほうがいい。医療崩壊を避けるために感染者の急増を防ぐことは重要だが、ワクチンや治療法が開発されるまでに何年かかかるとすれば、6割の人が感染をすませて免疫を獲得するほうが近道だ(ワクチン開発のこれまでの最短事例は4年だそうだが、ある研究によればワクチンなしで行動制限を断続的に続けた場合の終息は2022年だという(過去ブログ))。その意味でも、抑えられたペースで感染者が出ることは必然と思うべきだ。
新型コロナは誰でも感染しうることを認識し、感染者を責めすぎることのないようにしたい。

追記:イタリアでは感染者を差別しない国民意識があるという(朝日新聞2020-5-22)。そのため犠牲者は実名で犠牲者の報道がされるが、差別や批判はないという。また、2月に中国に渡航歴のないイタリア人男性患者「第一号」を含む集団が初確認されたとき、男性の訪問先が詳細に報じられたが、訪問先や勤務先が差別や中傷を受けることはなく、退院や妻の出産がむしろ明るいニュースとして報じられた。また、イタリア初の感染者となった中国人観光客の男女も4月に笑顔でローマの病院を退院するのが大々的に報じられたときも問題はなかったようだ。誰もコロナなど思ってもみなかった時期の初感染と、移動自粛が求められるなかで「コロナ女」などと非難された人では事情は違うが、記事で紹介されている事例以外でもイタリアでは差別や中傷はないのだろう。見習うべき国民性だ。

追記2:岩手県では感染者が0であるため一人目になりたくないとの不安があって、逆に感染者への差別的言動が生じ、県外ナンバーの車に乗る人への嫌がらせなどが発生している(これらは岩手に限ったことではないが)。達増拓也県知事は、「感染者は出ていい。県は1例目の人を責めない。感染することは悪ではないと心に刻んでほしい」と述べたという(河北新報2020-5-16)。

追記3:WHO(世界保健機関)は、差別や偏見が検査や治療の妨げになることを懸念して「(感染者の)人権を守ることは、公衆衛生上の懸念に適切に対処するために不可欠だ」と訴えている(朝日新聞2020-6-24asahi.com)。

追記4:「コロナ、中傷や人権侵害ダメ 差別禁じる動き、各地で 栃木・那須塩原市が条例案」(朝日新聞2020-8-21)という記事があった。やはり看過できない問題だ。

追記5:「安心して感染したい」――新潟県見附市の公式フェイスブックで地元在住のイラストレーターの村上徹氏が述べた言葉だが(天声人語2020-8-24)、ウイルスよりも人が怖いという今の状況をうまく言い表している。

追記6:長らく感染者ゼロを保ってきた岩手県で7月末に「一人目」の感染者が出たとき、勤め先が報道されるとバッシングの電話やメールが相次いで、2日間で約100件あったという(朝日新聞2020-8-27夕刊)。「感染者はクビにしたのか」「社員教育がなっていないんじゃないか」などの内容で、何度もかけてくる人や、30分以上話し続ける人もいた。電話を取るのが怖いという社員もいるその様子は、ちょうど一年前の愛知トリエンナーレでの「電凸」を思わせる(過去ブログ)。今回は政治性はなく、権力者が率先したものでもないが、自分が正義だと思い込んで相手をとことん攻撃するメンタリティーの恐ろしさに変わりはない。
こういうことにならないよう、岩手県知事はかねてから一人目を責めないと宣言していたのにどうしてこうなってしまうのだろう。その後、励ましの手紙なども続々と寄せられているというのがせめてもの救いだ。

追記7:運動部などの集団感染を公表した学校が非難を浴びたり、関係ない生徒の写真がネットに掲載されるなど、問題事例は多数ある。こうした風潮があると、感染を隠すようになり、社会全体としての感染拡大防止にマイナスにしかならないということは広く指摘されている。だがそれだけではない。オンライン授業を続けている大学(過去ブログ)からは、「こんなふうに袋だたきにされては、感染リスクを引き受けて対面授業を再開することなど、とてもできない」との声も上がる(朝日社説2020-8-31)。店舗などではリスクがあろうが営業しないことには収入がとだえてしまうが、まがりなりにもオンライン授業ができている大学にとって、感染者たたきは、キャンパスでの授業を再開しない理由にしかならない。そのあおりを受けるのは、キャンパスでの授業という貴重な経験を奪われる大学生だ。

追記8:「耕論」(朝日新聞2020-10-9)より。
三浦麻子氏によれば、日米英中伊の約2000人に対する調査(4月)で、「感染した人は自業自得」と思う割合が、欧米3か国で1~2.5%、中国4.5%、日本では11.5%となっており(7月の調査でも同じ傾向)、日本では感染者を責める意識が強いことがデータで裏付けられたという。被害者が逆に責められる現象は、心理学では「公正世界信念」によって解釈されるという。「被害者は特別。正しく生きていればそんな目に遭わない」と思うことで安心しようとする心理だという。
与那覇潤氏は、日本では、同調圧力を恐れず自分の意見を堂々と言うポジティブな個人主義が乏しいわりに、人に迷惑をかけないから自分にも迷惑をかけないでくれ、という負の個人主義が猛烈に強いことを指摘する。介護問題などでも指摘されることだが、互いに「迷惑をかけてもいい」という空気になれば安心できる。

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