リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

少子化傾向反転には、環境整備だけでなく、意識の持ち直しも必要ではないか

2024-03-09 | 政治
2023年に生まれた子供の数が過去最少だそうだ(朝日新聞2024-2-28)。今の数値はつい昨年の推計よりも12年も早いペースだという。しかも婚姻数も戦後初めて50万人を割ったというから、今後も出生数の減少は続きそうだ。当面若者人口が急減することは確定しているから、それまでに少子化をなんとかできないと人口減はいよいよ止まらなくなる。だから政府は「2030年までがラストチャンス」と強調しているのだという(朝日新聞2023-2-29)。
解説記事(朝日新聞2024-2-28)を見るまでもなく、やはり今の日本では子供をもつことによって失うものが(特に女性にとって)あまりに大きすぎる。かねてから指摘されてきたことだが、これまでばらまきを続けてきたわりに、子育てしながらも子供が生まれる前の生活をある程度維持できる社会になかなかなっていかないのが大きな問題だ。多子世帯の優遇を考えるよりも、まず「第一子にたどりつけない層」をなんとかしなければならないという識者の指摘はもっともだ。

だがそれだけではない。ここ数年、結婚・出産に関わる人々の意識が大きく変わってしまったように思えてならない。
10年前くらいまでは、まだ結婚して子供をもつのが普通だという風潮が残っていて、そうでない人はそれなりにプレッシャーを感じていたと思うのだが、その後、多様性の受け入れが進んだことで、非婚でも子なしでも当たり前に受け入れられている。いや、「リベラル」らしからぬことを言っていることは自覚しているのだが、結婚して子供をもつということを、旅行に行くかどうかといった選択肢と同列にして、どちらでもいいんだ、ということが強調されすぎているように思えてならない。完全に自由に選んでいいとなると、あえて困難な道を選ぶ人が少なくなるのは無理もない。そもそも結婚も子育ても経済的に余裕がない人が多いとなればなおさらだ。
多様性とか個人の選択に対する「家族を破壊する」という保守派の批判は、個人の生き方を国が押し付けるという点で問題なのだが、昨今の「結婚も子育てもいやならしなくていい」という風潮にはさすがに寂しさを感じざるを得ない。

せめて結婚・子育てがキャリアにも財布にも過度な負担にならない社会を用意することで若者の選択を後押しするのが本来ではあるのだが、世間の意識をもう少し「家族」に向けることはできないものだろうか。
なお、つい先日、子供をもちたいという人は8割いるという調査を読んだように思う。そういう意味では子供をもつことに向けた意識はまだ十分にある。やはり環境整備がなっていないということなのだろうか。

追記:出生率0.72と、日本を上回るスピードで超少子化が進む韓国の事情が、日本とよく似ているという指摘を読んだ(朝日新聞2024-6-3)。
激しい競争社会ということもあって教育費などの経済的負担が大きいこと、大学を卒業しても三人に一人は就職がままならず、結婚や出産をしたくてもできない。男女差別や性別役割分担のため女性にとっては結婚・出産にハードルが高い。保育所を増やすなどの対策はしているが出生率の上昇にはつながっておらず、支援が子育て世帯に偏っている(これから結婚する若者への支援ではない)。そして、かつては当然だった結婚や子育てが、今や一つの「選択肢」になっていることなど、いずれも日本でも同じことが指摘されている。
そして、先日書いたように、少なくとも日本では、結婚しない、子供をもたないという「選択肢」が、かつては「例外的だけどそれもありかな」だったのが、個人の選択として社会的に受け入れられるようになってきたことも、たぶん韓国でもあるのではないだろうか。



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