リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

セクハラ告発は取材で得た情報の漏洩になるのか?

2018-04-19 | 一般
テレビ朝日の女性記者が財務省の福田淳一事務次官からセクハラ被害を受けていた件で,福田氏が辞任した.「胸さわっていい?」などの発言に,麻生財務相も当初から「事実ならアウト」と断言しており,記者がやりとりを録音していたこともあって,追い込まれたのだろう.福田氏はセクハラは否定しているが,幸い(?)すっぱ抜いた新潮社を名誉棄損で訴えるようなので,裁判の場で真相が明らかになることを期待したい.
さて,女性記者は当初,テレビ朝日の上司に相談したが「報道は難しい」と言われて週刊新潮に連絡したという.テレビ朝日は適切な対応ができなかったと反省を表明したが,一方で取材活動で得た情報を第三者に渡したことは「報道機関として不適切な行為で遺憾」としているという(朝日新聞2018-4-19).

これはどういうことなのだろう?

「取材源の秘匿」はたしかに報道の基本だ.だが取材中に相手から身体に危害を加えられそうになった場合,そのことをしかるべき筋に訴えるのは正当なことではないだろうか.そのための証拠を保全してメディアに提出することも許されてしかるべきではないだろうか.(なお,本来犯罪になることを「セクハラ」という軽い語感で呼ぶことに批判があるが,私はそこまで目くじら立てなくても…と思っていた.だが「胸さわっていい?」は,同意してもしなくても次に実際に行為に及ぶ危険を感じさせ,やはり「セクハラ」は軽すぎる表現だと思う.)

たしかに裏世界の取材をするときなど(裏でなくてもだが),取材対象者の特定につながる情報を漏らさないことは,取材先との信頼関係の上で重要だろうが,今回の場合,仮に匿名で取材に応じていたとしても,取材内容とは関係なく,記者に対するセクハラ行為に及びかねない危険があったことから,週刊誌に情報を提供したことは正当化できるような気がするがどうなのだろう?
この手の話は素人考えでは思いもつかない落とし穴がある.明日以降の新聞での解説を期待したい.

追記:翌日の朝刊にちゃんと解説があった.専修大学の山田健太教授は,「人権侵害を防ぐための公益通報のようなもので問題ない」と述べ,取材内容を第三者に渡してはならないという原則は「取材先との信頼関係を保つための記者倫理であり,加害被害の構図といえる今回の関係においては当てはまらない」と解説している(朝日新聞2018-4-20).私の市民感覚をうまく説明してくれている.

追記2:ハフポスト:吉川慧「テレ朝社員のセクハラ告発。問題なのは取材手法ではなく、セクハラする側だ。」も「身を守るために録音をしたことを責めることは酷です」としており,納得できる.

追記3:自民党の下村博文・元文部科学相は「隠しテープでとっておいて、テレビ局の人が週刊誌に売るってこと自体がある意味で犯罪だと思う」,福田次官は「はめられた」などと発言したが,「『ある意味犯罪』と述べたのは表現が不適切でした.率直に撤回するとともに謝罪いたします」と謝罪した(朝日新聞2018-4-24).

追記4:テレビ朝日の社長は録音を外部に提供したことについて,「公益目的からセクハラ被害を訴えたもので,理解できる」と述べた.一方,録音にはセクハラ発言だけでなく取材内容も含まれていたため,結果的に取材内容が外部に渡った点については「遺憾」との態度を維持したという.(朝日新聞2018-4-25

追記5:実は取材で話したことをどうやって記事にしたり公表したりするかは(オフレコと断った部分以外は)記者に任されていると思っていたので,取材内容を漏らしてはならないという記者の倫理規定はちょっと意外だった.「(池上彰の新聞ななめ読み)財務次官のセクハラ報道 見えぬ働く女性への配慮」朝日新聞(2018-4-27)によると,取材時に録音をするというのは,記者が原稿を書く際の正確性の担保になると思って承諾するものであって,それを第三者に渡すことは記者のモラルが問われる問題なのだそうだ.ただ,池上彰氏も,記者がセクハラを受けていると感じて録音を始めたのなら,その自己防衛(「言った,言わない」の水掛け論を防ぐことができる)として録音は当然だという.「取材活動」と「人間としての尊厳を守る自己防衛」を区別する必要があると指摘している.
(それにしても,池上氏の引用する読売新聞の記事は,週刊誌に情報提供した今回の件にからめて,オウム真理教の教団幹部に放映前のインタビュー映像を見せた事例を引き合いに出して,同列に扱われることなのかと疑問を呈している.たしかに.)

追記5B:もう少し考えてみた.「取材内容を漏らしたこと」ではなく,「録音を漏らしたこと」が問題ということが記者倫理に抵触するかも,ということではないだろうか.取材する際には,こういう趣旨で取材をします,と申し込む.取材相手が話すのは,取材の趣旨に沿ってまとめられたものが公表されることを前提にしてのことであって,話の録音がそのまま漏れれば言葉の端々が取り上げられて意図しなかった主張の材料に使われるかもしれない.記者倫理とはそういうことなのではないだろうか.だが一方,疑惑の取材など,取材相手にとってそもそも何も公表されたくないという取材も多々あるはず.このへんの記者倫理がどういうものなのか,知りたい.(新聞ではいろいろ面白い仕事が記事で紹介されているが,記者の仕事については(通り一遍のこと以外は)あまり紹介されていないように思う.)

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