18. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 3ハ 「人民」は日本語から借りてきた言葉 」
「心」なき中韓と「心」ある日本 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 日本を憎む中国・韓国
3ロ 自然を拝む日本人への蔑み
3ハ 「人民」は日本語から借りてきた言葉
3ニ 龍の爪の数が序列
3ホ 「ミラー・イメージ」の罠
3ヘ 天災の国と人災の国
3 ト 日中関係は国内問題
3チ 日台関係の欺瞞
3リ 韓国人の愛国心はまやかし
3ヌ 韓国と台湾の日本統治
3ル日本統治に感謝していた韓国人
3ヲ 「東亜日報」の慰安婦募集
3ワ 韓国の反日は幼児の甘え
3カ 汚い空気と賄賂と愛人
3ヨ 琉球共和国設立委員会
3タ 封印された天安門事件
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3ハ 「人民」は日本語から借りてきた言葉
今日の中国は、中華人民共和国を僭称(せんしょう:身分を越えて勝手に称号をとなえること)というと、勝手に自称している。
だが、為政者が特権を独り占めしているから、人民の国でも、共和国でもない。
人民も、共和国も、日本語から借りてきた言葉だ。韓国と同じように、今日の中国語には、数千語にのぼる日本語が、混じっている。
「人民」は、それまでの中国では、「生民」といった。しかし、それでは近代にそぐわないために、日本語の「人民」を借りてきた。
国名のなかで、自分たちが地上の誰よりも優れており、したがって世界を支配することができるという、「中華」だけが、中国語であり、中国人の本音を表している。
中国は、つねに中華思想という歪んだレンズを通して、全世界を観てきた。
孔子は、「春秋三伝」の「穀梁伝」「公羊伝」のなかで、「夷狄:いてき(未開の民。野蛮人)」を中国に従わない国と、定義している。したがって、日本は夷狄となってきた。
そして、中華思想は大陸で生まれたために、海辺や、海の民族を見下してきた。島の民を未開な島夷として、蔑視してきた。
中国にとっては、台湾も、日本も、島の民だから、夷狄である。
朝鮮は、中国を宗主国として慕って、ひたすら崇めてきたから、長いあいだにわたって、中国人の目を借りて、日本を見下してきた。
著者が韓国を朝鮮と呼ぶのは、蔑視しているわけではない。
朝鮮は、中国の属国である王国でしかなかった。日本が日清戦争に勝って、李朝のもとにあった朝鮮を、大韓帝国として独立させるまで、中華秩序のなかに、組み込まれていた。韓国は李朝五百年にわたって、朝鮮と称していた。
中国の天子だけが、華夷秩序のもとで、世界のなかで皇帝を名乗ることができた。中華秩序のもとで、李氏朝鮮、ベトナムなどの属国の王は西洋のトランプのキングと違って、中国皇帝による、冊封は、任命される世襲制の地方長官でしか、なかった。
(投稿者注: 冊封について 冊封体制に入るという事は皇帝の徳に感化されて改心し、儒教的な「礼」を受容して文明国の中に入ることを意味する。そして冊封された国の数が多ければ多いほど、それは皇帝の徳の素晴らしさの裏付けになる。この様に、「冊封体制」は中国の歴史を紐解く重要なポイントになるのだが、実は「冊封体制」という言葉自体は中国の史料上見ることができない。「冊封体制」という言葉自体は、何と日本で誕生した言葉でした)
朝鮮国王は、日本が日清戦争に勝ってから、日本によって中国から解放されて、はじめて大韓帝国皇帝を名乗って、韓国を称することができた。
韓国人は事大主義(サデチュイ)といって、強い者におもねる民族性がある。(「事」は「つかえる。奉仕する」)
その民族性から、ひたすら中国の完全なコピーになろうと、努めた。そのために、中国と同じように、島の民を蔑んできた。
韓国人は国内では、済州島(チェジュド)を、国外では、日本を強い蔑視の対象としてきた。いまでも、韓国では、済州島民がいわれない差別をこうむっている。
韓国では、李承晩(イ・スンマン)政権のもとで、朝鮮戦争とは関係なく、韓国国軍が韓国本土で三十万人以上と、済州島で五万人以上を虐殺している。この事実は長く隠されていたが、金 泳三(キム・ヨンサム)政権(1993~1998年)になって、はじめて犠牲者の法事を営むことが、許されるようになった。
(投稿者補足:全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時には、光州事件(こうしゅうじけん)が、1980年5月18日から27日にかけて韓国の全羅南道の道庁所在地であった光州市(現:光州広域市)を中心として起きた。韓国政府が独裁体制の民主化を警戒したこの事件は国軍と民間人(予備役)の銃の打ち合いに発展した)
参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長