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24- 平安人の心 「胡蝶:紫の上の春の雅」

2021-07-15 14:24:02 | 平安人の心で読む源氏物語簡略版
山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  光源氏三十六歳の晩春。六条院の春の町では新調の船に雅楽寮の楽人を乗せて船楽が催された。折しも、昨秋紫の上と春秋優劣を話題に和歌を交わした梅坪(秋好中宮(あきこのむちゅうぐう):故六条御息所の女の宮)が隣の秋の町に里帰りしていたが、高貴な中宮自らに春の町訪問を請うことはできない。そこで光源氏は、代わりに中宮付きの女房を春の町に招き、見物させた。唐風の竜頭鷁首の船、唐風の装いの童たちなど異国情緒にあふれた趣向や庭の花鳥の美しさに、中宮付き女房たちは時を忘れて過ごした。遊宴への客の中には玉鬘目当ての男性も多く、親となって求婚者たちを挑み合わせたいという光源氏の策略は早くも実現に向けて動き出した。翌日は西南の町で中宮の季(き)の御読経が行われた。紫の上が女童たちに持たせて贈った春の花・桜と山吹の美しさに、春秋論争は春の勝ちとなり、華やかな彩のなかでひとまず終結した。

  いっぽう玉鬘をめぐる男たちの争いは、水面下で激しくなってくる。玉鬘には母・夕顔の面影に才覚さえ加わり、光源氏をも魅了せずにおかない。求婚者には光源氏の異母弟の蛍兵部卿宮、まじめで無骨な髭黒大将、内大臣の長男で、玉鬘が腹違いの姉だと知らずに想いを寄せている柏木などがいた。光源氏は父親顔を装って恋文への返事の指南をしていたが、ついに抑えきれなくなり、玉鬘に想いを告白。実父には会えず養父には迫られるという思いもよらない展開に、玉鬘は困り果てる。
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  平安貴族社会において、歌は必需品だった。恋文でも宴でも、日常の挨拶でも歌を交わす。歌の読みぶりで相手の人柄を測ることもよくある。例えば、光源氏が夕顔に惹かれたのは、出会いの時に彼女が扇に書いてよこした一首がきっかけだった。またその娘の玉鬘を引き取ろうという時も、光源氏はまず歌を詠みおくって、それへの返歌で玉鬘の知性を確かめた。歌の贈答とは、スリリングな試験でもあったのだ。

  とはいえ、誰もが歌を上手に読めたかといえば、もちろんそうではない。歌の下手な者の苦手意識はいかばかりかと想像される。

  そんな彼らにとってありがたい味方だったのが、歌づくりの手引書である。代表的な一冊は「古今和歌六帖」。四千五百首近くもの歌を収め、テーマごとに整然と分類した、いわば歌の見本帳だ。例えば第五帖の「雑(ざふ)の思ひ」は、様々な恋の物思いを大テーマとして、恋の進展の順に小テーマを並べる。最初が「知らぬ人」、つまりまだ見知らぬ相手へのほのかな恋の歌。次が「言ひ始む」、初めて想いを口にする、告白の歌。「年経て言ふ」は、長年の恋だと口説く歌。「初めて会へる」は、念願かない初めて逢瀬を迎えた時の歌。各項目のもとにはだいたい十首前後の歌が並べられていて、あたかも歌のカタログのようである。
  もちろんこれでは終わらない。恋の初めから破局まで、小項目は六十以上にものぼるうえ、「心変はる」「人妻」「形見」など様々な恋のバリエーションをも網羅する。恋ばかりではない、ほかの巻には四季や天候、山・川・木・虫などの項目も並べられていて、何でもござれだ。

  どのように使うか。その実例が「源氏物語」にある。「若紫」巻で、光源氏は若紫を見初め、引き取りたいと祖母の尼君に申し出た。だが若紫はまだ幼く、尼君は「<難波津>さえまだちゃんと書けないのですから」と断る。<難波津>とは「古今和歌集」の「仮名序」に載る手習い歌、ここで光源氏の目線は手習い歌モードにセットされる。手習い歌レベルならば若紫にも見てもらえるかもしれない、と。
  だが、無垢な若紫に下心のわからない光源氏の歌を見せるのは、さすがにためらわれたのだろう、返ってきた歌は尼君のものだった。


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