私たちは共に在ることによって生きていける。
魚と海。魚と海藻。魚と人間。人と植物。人と人以外の動物。
人と大気。人と大地。人と人。国と国。
多分、顕在意識のない動植物は本能という素晴らしい能力だけで生きている。
共に在るという体得だけで生きているとも言えるかもしれない。
互いが互いのその時の在るがままを受け容れている。
広島の土砂崩れもそういう出来事だといえる。
その山のその土のその性質、その場で降った雨の量、時間、
大気の状態・・雨を降らせた雲、前線の動き・・・
そういう自然の全ての条件、要素と、
人的要素(そんな場所に住宅を建てたようになったことなど)が一致して起こった。
土は雨に文句も言わずそれを受け容れ、雨も雲に文句を言わず・・
どれもが互いの在るがままで。
なので、在るがままが良い・・なんてことは言えない。
ただ、起こってしまった事をよく検証して、
そういう在る状態をより良き在る状態にすることが人間は出来る。
そういう能力があるのに使えなかったからこういう災害が起こったのだけど。
人間の能力がスムースに発揮出来なくなっているのは何と言っても
お金で社会が動くという仕組みなんだろうなぁ。
地盤が軟弱だからその場所はナントカ指示区域?とかに指定したくても、
そういうふうに指定されると土地の価格が下がるとかで、
反対する人が出て来てなかなかスムースに事が進まない、
というようなことが新聞記事にあった。
そういう人を自分勝手だと非難するのは簡単だけど、
本当に非難できるのかなとも思う。
いろんな経済事情でそれぞれの人は生きている。
それぞれが生活設計もあるのかと思う。
まじめに働いて得たお金で買った土地を買った時より
うんと安く買いたたかれたんじゃたまらないという気持ちもよくわかる。
前に自民党の石原さんが震災の復興のことだったかな、
「結局は金でしょう」と言ったとかでちょっと問題になったけど、
それも一概に批判することも出来ない気がする。
美しい行為とは言えないと思うけど。
お金で世の中が動くようになっている、
ということをそのままにしているうちは揉め事が続くんだろうな。
それだけじゃないだろうけれども。