ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

分かれ道に何がある?

2014-12-03 11:03:05 | ひとの幸福
部屋の収納とかインテリアの本で、

その物の置き場所を決めておいたら散らからない、

使ったら所定の場所にその場で納める、とかのことが書かれてある。

そうすれば、探し回ることがないはず。

使い終えたら元の場所に戻す。

そうだと思いながら、ついつい面倒で・・とやらずにいると後で探す羽目になる。

アレを何処へしまったっけかな・・?年寄りは一日中探し物をしてるという話を聞く。

自動的にそこら辺に置いてしまうので忘れる。

で、自動的に決まった場所に置けばいいんだ。

これの心理のカラクリは、

箸は右手で、茶碗は左手で(左利きの人は反対だけど)

・・とかのことと一緒なんだと思った。

食事のたびに、えーっと箸はどっちだっけなんて、

迷ったり忘れたりすることはない。

箸は右手って決まってるからだ。

身体が憶えている。

ということは潜在意識でそうなっているということだ。

それと同じで針は針山に戻すもの、

読んだ新聞はどこそこへ置くもの、とか

そんなふうに意識がなっていたら探し物ばかりの人生からおさらば出来るはず。


車の運転で前進とバックのギアの入れ違いで

海に落ちて死んでしまったという事件が最近近くであった。老人だった。

身体で憶えてるはずなのに・・・

こういうのは間違って箸を左手で持ってしまった、なんてことなんだろうか??

多分間違えることはないのは車の運転歴より、

箸使用歴が長いせいなのか??

認知症がひどくなると箸を見てもそれが何かわからなくなるようなことはあるけど、それは論外として。


呆けてなくても前進とバックのギアを入れ間違うということがある。

ちょっと他の事を考えてたりしたらそういうことが有り得る。

箸は考え事をしていても、ちゃんと右手で持つ。違いはなんだ??

右手と左手では全然違うけど、前進とバックのギアの場所なんてのは

それほど場所が離れてない。

これがドライブのギアは身体の右側にあって、バックのギアは身体の左側に、

なんてことになってたら箸のように間違うことがないだろうか?


箸はどっちの手で持つか勘違い(間違って思い込むこと。思いちがい)することはない。

その思い込みはいつも正しい。

食べるという原始的な行為につての身体の動きだから、

勘違いなどすることないのかなぁ。

自分は何十年くらいの箸使用歴だけど、

箸を使う人としての歴史というか、遺伝子レベルのことなので、

何百年?千年?の箸使用歴があるからか??


・・・私は何を考えているのだろう???

思い違いすることと絶対思い違いしないことの分かれ道に何があるんだろう???


時々こんなふうにどうしてどうして???と考えてしまう。

そんなことどうでもいいよ・・なんだろうな・・

こんなこと考えて、バカじゃないの・・そんな気もする。