昨日は退院に向けての飲み込み具合のチェックが担当のナース?からあった。
注射針のようなもので水を最初は2CC くらいかな、舌の上に入れ、
飲み込み具合を喉に手を当てて調べる。
次はその倍くらいの水・・というふうにチェックして、
水の検査の次はゼリーをひと匙ずつ口に入れ、チェック。
水は少しむせたけど、ゼリーは大丈夫だった。
入院してから肺炎になってしまったけど、
熱も下がって、検査になったわけなんだ。
入院して、一度も口から食べてないので、こういう検査をしてから流動食になるよう。
十日前までお餅でも何でもちゃんと食べれたし、
そんなに急に飲み込み機能が衰えるわけないと私は思っていて、
多分家の生活になったら、元のように食べれるんじゃないかと思っている。
他人が注射針状のもので舌の上に水を入れるという方法は如何なものかと思ったよ。
一気に気管に入ってしまう危険性は舌下より多いと思う。
自分で加減しながら少しずつ飲むということをしてもらったらいける、と思う。
老人の場合、使ってない機能はすぐに衰えてしまいやすい、
とその人は言ってたけど、
おとうさんの場合、大丈夫!となんだか思ってしまう私だ。
昨日は主治医からも話があり、
飲み込みの結果を踏まえて、今週中には退院という方向で、とのことだった。
よかった!
こちらから何も言わなかったら、もっと長く病院生活をしなくちゃならないみたいだ。
本人の意志や生き方より、病気を治すことにとらわれているからね、病院は。
こんなこと言ったらよくないかもしれないけど。
でも主治医は義父の意志の強さを感じたというようなことを言っていて、
その辺のところをよくわかってくれて、そういう決断をしてくれたように思う。
転ぶ数日前に、私が何も言わないのに「病院には行かんから」と言った義父。
それ以前から病院嫌いの義父。
転んだあの時、どうしようか、とかなり考えた。
そして救急車を呼んだのだった。
その時はかなり痛がっていたけど、今は動かさずに居たら痛みを訴えることもない。
こんなに、痛がらなくなることは想像していなかった。
靴を出してくれと義父は言ったことがあるそうで、
その時、骨折したので今は歩けないと言ったら、
折れたならもっと痛いはずだ、言ったそうだ。
老人になると痛みや反応が鈍くなるらしい。
もし、あの時しばらく様子を観る、という選択肢を選んだらどうだったろう・・・
ということを後で何度も思った。
痛みさえなかったら、家でそのまま過ごせたんじゃなかったろうか・・・?
肺炎にならずに済んだだろうか・・?
興奮状態になることもなかったろうか・・・?
呆け状態になる時もなかったろうか・・・?
思っても仕方のないことだとわかっても、
何度もそういうことを思ってしまった私だ。
その選択がどうだったのか、ということがわかるということはないのかもしれない。
今、思うのは、以前の意識レベルのまま、
生まれ育ったこの家で過ごしてほしいということ。
そう強く思ってる私たちだ。
おとうさん、病院に負けないでそれまで頑張って。
注射針のようなもので水を最初は2CC くらいかな、舌の上に入れ、
飲み込み具合を喉に手を当てて調べる。
次はその倍くらいの水・・というふうにチェックして、
水の検査の次はゼリーをひと匙ずつ口に入れ、チェック。
水は少しむせたけど、ゼリーは大丈夫だった。
入院してから肺炎になってしまったけど、
熱も下がって、検査になったわけなんだ。
入院して、一度も口から食べてないので、こういう検査をしてから流動食になるよう。
十日前までお餅でも何でもちゃんと食べれたし、
そんなに急に飲み込み機能が衰えるわけないと私は思っていて、
多分家の生活になったら、元のように食べれるんじゃないかと思っている。
他人が注射針状のもので舌の上に水を入れるという方法は如何なものかと思ったよ。
一気に気管に入ってしまう危険性は舌下より多いと思う。
自分で加減しながら少しずつ飲むということをしてもらったらいける、と思う。
老人の場合、使ってない機能はすぐに衰えてしまいやすい、
とその人は言ってたけど、
おとうさんの場合、大丈夫!となんだか思ってしまう私だ。
昨日は主治医からも話があり、
飲み込みの結果を踏まえて、今週中には退院という方向で、とのことだった。
よかった!
こちらから何も言わなかったら、もっと長く病院生活をしなくちゃならないみたいだ。
本人の意志や生き方より、病気を治すことにとらわれているからね、病院は。
こんなこと言ったらよくないかもしれないけど。
でも主治医は義父の意志の強さを感じたというようなことを言っていて、
その辺のところをよくわかってくれて、そういう決断をしてくれたように思う。
転ぶ数日前に、私が何も言わないのに「病院には行かんから」と言った義父。
それ以前から病院嫌いの義父。
転んだあの時、どうしようか、とかなり考えた。
そして救急車を呼んだのだった。
その時はかなり痛がっていたけど、今は動かさずに居たら痛みを訴えることもない。
こんなに、痛がらなくなることは想像していなかった。
靴を出してくれと義父は言ったことがあるそうで、
その時、骨折したので今は歩けないと言ったら、
折れたならもっと痛いはずだ、言ったそうだ。
老人になると痛みや反応が鈍くなるらしい。
もし、あの時しばらく様子を観る、という選択肢を選んだらどうだったろう・・・
ということを後で何度も思った。
痛みさえなかったら、家でそのまま過ごせたんじゃなかったろうか・・・?
肺炎にならずに済んだだろうか・・?
興奮状態になることもなかったろうか・・・?
呆け状態になる時もなかったろうか・・・?
思っても仕方のないことだとわかっても、
何度もそういうことを思ってしまった私だ。
その選択がどうだったのか、ということがわかるということはないのかもしれない。
今、思うのは、以前の意識レベルのまま、
生まれ育ったこの家で過ごしてほしいということ。
そう強く思ってる私たちだ。
おとうさん、病院に負けないでそれまで頑張って。