ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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偶像崇拝・・・油を注ぐ

2015-07-11 11:15:30 | ひとの幸福
少し前だけど、日本の寺の仏像なんかに油が掛けられた事件があった。

やった人はキリスト教の一つの団体?の教祖?かなんかで、

偶像を崇拝するのは間違っている、油を注いで清める・・云々などと言ったらしい。

そうすることは彼にとっては良いことなのでやったのだろう。

偶像崇拝はけしからんということを言っている人たちは他にもいるんだろうと思う。

私も若い頃、仏像なんて仏教となんら関係ない、

あんなもの木やら石やらで出来ている物に過ぎない、

・・なんて思ってた。

だからそんなものに祈ったりすがったりするのは馬鹿げてると思っていた。

今は祈ったりすがったりはしないけど、そうすることを馬鹿げているとは思わない。

仏像に向かって手を合わせたり、神社で頭を下げたりしてる。

仏像の中には作られて千年以上も経つものもあるだろうし、

そんなにも長い年月たくさんの人たちに、

手を合わせられ、頭を下げられ、祈られ、すがられ、した物たちが

ただの木や石だ、とはとても思えない。

全ての物は固有の波動を発しているし、

仏だ、ありがたい仏像だ、と捉えられて木や石はそういうものになるんじゃないかしらん。

いわば、ピグマリオン効果みたいな。

そういうものとして扱うとそういうものになる、という奴。

役割が人を作るという。

課長が部長になると周りはその人を部長として扱う。

部長として扱われることでその人は部長になって行く。

同じその人でも家では課長から部長になったって扱われ方はそれほど変わらないだろうけど。

人間はそうでも、仏像はそのほとんどの時間をありがたいものだと扱われる。

そんな相互作用がずーっとずーっと続いている。

仏像を作る人は作っている最後にそれに魂を入れるとか聞いたことがある。

その人も魂を入れるんだろうけど、

千年以上も手を合わせ続けてきた人間一人一人もそうして魂を入れた・・んじゃないかなぁ。

いや、勝手な妄想だけどね。

きっと波動はどんどん上がって行くんじゃないかしらん。

仏像は何もしないで、なんでも聴いている?だけだからね。

拝んでいる人に反感買われることはほぼないだろうし。

偶像崇拝ダメ!と叫んでいる人以外は。

でも考えてみたら、油を注ぐ、というのも偶像崇拝みたいなもんだよね~

油を偶像視してるよ。

まぁ、油は偶像じゃないんだろうけど、

宗教的対象として崇拝尊重してる。

ただの油じゃない、というのだったら、

仏像もただの木や石じゃない、ことになるのにね。
コメント
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