孫らが出かけると一気に静寂がこの部屋に満ちる。
急に静かになって落ち着くこともあれば、
え~っと何しようかな・・となることもある。
ひと月半経って、自分の心地いい在り方がやっと見えてきた感じがする。
もちろん、そんなことが吹っ飛ぶ時間も多々ありますが(^^)
失敗はいい。
次に繋がる。
今、パソコンでこれ書いてるけど、新しい奴で前とメーカーが違うし、
元々機械に弱いし、老化認知症状もあるしで、
よく失敗する。
失敗する度にこの新しいパソコンと仲良くなれる。
孫らが出かけると一気に静寂がこの部屋に満ちる。
急に静かになって落ち着くこともあれば、
え~っと何しようかな・・となることもある。
ひと月半経って、自分の心地いい在り方がやっと見えてきた感じがする。
もちろん、そんなことが吹っ飛ぶ時間も多々ありますが(^^)
失敗はいい。
次に繋がる。
今、パソコンでこれ書いてるけど、新しい奴で前とメーカーが違うし、
元々機械に弱いし、老化認知症状もあるしで、
よく失敗する。
失敗する度にこの新しいパソコンと仲良くなれる。
自動的に干渉しない、で居られるときって、
自分が今ここで何をしたいのか、そのための自分のこの行為が適当かなぁ・・
どうかなぁ・・と自分をじっくり観察しながら
そうしているときだ。
行為としては何もしないから、しないことをしている、という感じか。
こういうとき、小さな人でも自分の行為は
自分にゆだねられていると感じるのだろうと思う・・・
トーンが落ちたり、それ以上に揉め事が大きくなったりすることがないように感じる。
小さな人でも自分を観る、というところに行かざるを得ない・・
そんな感じがする。
小さな人たち、4才と7才でよく揉めている。
何が起こっているのか、つい見、聞いてしまう。
すると何か言いたくなってくることがある。
なぜ、言いたくなるのか・・・
それはどちらが悪いのか、ということを
無意識的に瞬時に判断してしまう自分があるからだ。
そして裁判官を始めることになる。
そうすると・・・どうなるのか・・・
揉め事の当事者の一人が「はい、私が悪かったです」と反省し、
態度を改める・・・
・・・となることはない。
はっきり申し上げて、そういうことは一度もないのであります。