毎日新聞の『今週の本棚』のページに田中慎弥さんが載ってた。
その文章の中に、・・毎回、ラストを決めずに書く。
「早く結末を読みたい。書かないと結末が出て来ない。書いてしまって、
(自分も)こういうラストだったのかと初めて分かる」というのがあった。
こういうのは内田康夫さんの文章でも読んだことがあるような記憶がある。
自分で推理小説を書いてるけど、途中では誰が犯人かわからないって。
村上春樹さんの文章でも、確か、「書くことで考えられる」というのと、
(これは低速思考ということなんだろな)
「書かないと自分でもこの物語がどうなるのかわからない・・」
・・といったようなものがあったと思う。
私なんか作家でもなんでもないけど、
高校生の頃、小説みたいなのを好きで書いていたときに、
こんなふうなのを書きたいと思って書き始めても、
自分では思ってもないストーリーの展開になってしまった経験があるし、
こうしてブログに書いている時も、思ってもない展開になってしまうことはよくある。
書く前はわからない。わからない、ということもわからない。
コレってどういう作用なんだろう??
いま、思っていることを書いて、それを自分が読んで、
又それについて浮かぶことを書く。それを又読む、読んで又何かが引き出される、
こういうリレーみたいなものか・・・
だから、書かないと次の言葉、文章が書けない。
18才のとき、仲のよい4人でリレー小説を書いたことがある。
一人が物語の第1章を書く、その続きの2章を違うメンバーが書く、
その続きの3章を又違うメンバーが書く・・こうして4人で書いた。
当然、1章を書いた人はその物語がどう終わるのかわからない。
友人が書いた印象的な一つの文章しか覚えてないけど、凄く面白く楽しかった。
本当に面白い。今、コレをこうして書いていても、こういう展開になるとは全く思ってもみなかったよ。
このことは自分と自分との対話なんだろうけど、
その自分はその都度その都度、時点が違うから別の自分なんだ。
ふーーん。なるほど。
自分というと固定している感じもあるけど、
自分という言葉を英語で「human being」というように、
Being 動いている在るもの。
現在進行形の自分というものを自分というんだろう。
人類全員 human being。
相互作用で変化し続ける。
こういう展開になったか・・。
その文章の中に、・・毎回、ラストを決めずに書く。
「早く結末を読みたい。書かないと結末が出て来ない。書いてしまって、
(自分も)こういうラストだったのかと初めて分かる」というのがあった。
こういうのは内田康夫さんの文章でも読んだことがあるような記憶がある。
自分で推理小説を書いてるけど、途中では誰が犯人かわからないって。
村上春樹さんの文章でも、確か、「書くことで考えられる」というのと、
(これは低速思考ということなんだろな)
「書かないと自分でもこの物語がどうなるのかわからない・・」
・・といったようなものがあったと思う。
私なんか作家でもなんでもないけど、
高校生の頃、小説みたいなのを好きで書いていたときに、
こんなふうなのを書きたいと思って書き始めても、
自分では思ってもないストーリーの展開になってしまった経験があるし、
こうしてブログに書いている時も、思ってもない展開になってしまうことはよくある。
書く前はわからない。わからない、ということもわからない。
コレってどういう作用なんだろう??
いま、思っていることを書いて、それを自分が読んで、
又それについて浮かぶことを書く。それを又読む、読んで又何かが引き出される、
こういうリレーみたいなものか・・・
だから、書かないと次の言葉、文章が書けない。
18才のとき、仲のよい4人でリレー小説を書いたことがある。
一人が物語の第1章を書く、その続きの2章を違うメンバーが書く、
その続きの3章を又違うメンバーが書く・・こうして4人で書いた。
当然、1章を書いた人はその物語がどう終わるのかわからない。
友人が書いた印象的な一つの文章しか覚えてないけど、凄く面白く楽しかった。
本当に面白い。今、コレをこうして書いていても、こういう展開になるとは全く思ってもみなかったよ。
このことは自分と自分との対話なんだろうけど、
その自分はその都度その都度、時点が違うから別の自分なんだ。
ふーーん。なるほど。
自分というと固定している感じもあるけど、
自分という言葉を英語で「human being」というように、
Being 動いている在るもの。
現在進行形の自分というものを自分というんだろう。
人類全員 human being。
相互作用で変化し続ける。
こういう展開になったか・・。