あの日からもうじき三カ月が経つ。
いやぁ、このページに来たのも四カ月も前のことだ。
あの日から書こう書こうと思ってたんだけど、
ついついその時その時のやりたいことに気が行って、こんなに月日が経ったよ。
パソコンに触れるのも久し振り。
娘が保育園時代のことをずっと寂しかった、と私に何度も言ったことがある。
私は専業主婦ではなく、子どもを育てて居た頃、ずうっと働いていた。
勿論、仕事を続けたいというのもあったし、
生き物は群れの中で育つのが当たり前と思って、
家で一人で育てる、なんて考えたこともなく、
そんなこと能力的にとても出来ないとも思っていた。
娘は産休明けから小学校に入るまでずっと保育園で育った。
なんせ物心もつかぬ生後八週間からの毎日が保育園と我が家。
保育園行くの嫌だとか一度も言ったことがなかったと記憶してる。
友達いっぱいいて楽しく過ごしているんだなぁ、そう思い込んでいた私だった。
その娘が大人になってから、保育園の時、寂しかった、と言ったのだ。
勿論、保育園時代に寂しい思いを経験したことがある、ということで、
のべつ幕無しで寂しかったということじゃないとは思う。
それを聞いた時、最初は本当にびっくりした。
そんなふうに思ったことがあるなんて露ほどにも思っていなかったから。
40年くらいの間に何度かそれを言われた。
そう、言われた、と受け取った私だった。
聞いた、のではなくて。
娘が責めて言っているように私はとらえたのだろう、それに反発した。
当時、保育園に行きたくないなんて一回も聞いたことがないのに・・・
いやいや行っていたと感じたことも一度もないのに・・・
無理に行かせたことなんか一度もないのに・・・
何十年もたってるのにまだそんなこと言ってるなんて・・・
そんな思いしか出て来なかった私だった。
友人にそんな話をしていた時、彼女が言ったのだった・・・
「・・ちゃんが、保育園の時寂しかったと言った、その時に、
寂しかったことに気づいてあげられなくてごめんね、と言ったの?」
と言ったのだ。
え????????!!!
・・・そんなこと一度も思ったことがなかった・・・・・
そんな思いは微塵も出て来たことはなかった・・・・
相手に心があることなんてこれっぽちも知らなかったようなもんだ。
ひどい・・そんな自分だったんだ。
自分は間違ってない、それしかなかった、自分だったんだと思う。
なんて傲慢なんだろう。
娘はただ、寂しかったと言った・・・
たった、それだけのことを聴く耳がなかった・・・
料理を出して、美味しくなかった、と言われて、
そんなはずはない、と怒るのと同じだ。
そんなはずはないと思おうと思わなかろうと関係なく、
美味しくないと思うことはあるくらいのこと私も知っている・・はず・・
彼女がそう言ってくれた、翌日だったか翌々日だったか、
娘に会ったとき、今までの自分と違う聞き方が出来たのだ。
自分でも驚いた。
その娘は私にとってこの世で一番引っかかる人だったのだ。
一番愛しいのに一番ひっかかる人。
その〝引っかかり”が消えた。
子供を保育園に預けながら働くという選択肢を選んだことに後悔はないけれども、
その考えを持って、
それに固執していた自分だったのだ。
なんと40年もの長い間それに固執していたのだ。
そういう〝意識のからくり”で、
娘の、寂しかった、という気持ちをあぁ、そうかと聴けなかったのだ。
本当にひどいもんだ。
でも嬉しい。それがわかって。
わかったことが嬉しいんじゃなくて、
娘に対しての自分がすっきりしたことが嬉しい。
心が軽くなったことが嬉しい。
心が穏やかになったことが嬉しい。
重い荷物を下ろしたみたい。
二人の間の空気が変わった。