ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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ひがみ根性の元・・・

2020-08-23 10:22:37 | ひとの幸福

20年位前に娘が定期購読していた月刊波動というのを

私も読ませてもらって、へぇこんな世界があるのかと思った。

いろいろととても勉強になったし、面白かった。

水は答えを知っている、という本を書いた江本勝さんが出している本のようだった。

いや、なんでそんなことを書いているかというと、

その本に波動調整というのをしている所がある云々の記事があり、

割と近くにそういう所があって、行ったことがある。

人の臓器には固有の振動数があって・・・云々・・

詳しいことはもう忘れてしまったけど、そこで手をその機械に入れて計ると・・・

私はひがみの波動の数値が高い、というのが出たんだよ。

とても納得が行ったのでよく覚えているんだ。

一緒に行って調べた人はそういうのは出ず、恨みの波動が高かった。

それはいわゆる、いい人 にそういう傾向があるということ。

無意識的に自分より他者を優先してしまいがちの人は

そういう波動が高くなるそうだ。

それも納得できる。

自分が一番自分を大事にしなければいけない。

でもやはり無意識的に人のためにとそうしちゃうんだよね。

そんなふうに育てられたりして・・・

 

幼稚園に行く前、何歳頃だったか忘れたけど、

もう話が出来てたから三歳か四歳頃のことだ。

毎晩のように私は庭に出て大きなツツジの植え込みの下で泣いていた。

自分が家の中に居ないことを家族にわかってほしくて、

探してくれるまでここに居ようと思っていたことを憶えている。

ほとんどの日が探されることのなかった日だった。

一度だけ、そんなところで何してるのっ!と言われた記憶がある。

その口調のせいかちっとも嬉しくなかった。

そして毎晩のように泣きながら眠った、という記憶がある。

あれはどういうことだったんだろう??というのがある。

よく、子供には厳しかったけれど、孫は可愛がるとか聞くけど、

同居の祖母はとても厳しい人で、

日常的にそんなふうにされた記憶はないんだ。

ケチばかり付けられたという印象がある。

わたしは女が嫌いなんだと堂々と私の前でも言っていた。

わたしは女の子だった。

そして祖母も女だった。

祖母は自分が嫌いだったんだろうか・・・

 

小学生になって家族以外の世界を知ってからは

毎晩泣きながら眠るというようなことはなくなって、

いわゆる元気で明るい子供だったよう。

なんでこんなことを書いているかと言えば、

自分の意識が暗くなるときは必ずひがみ感情が出てくるから

関係あるのかなと思って。

でも、関係あるからとわかったとしても、そんなことわかってもしようがない、

と、今書いてて思ったよ。

 

「どうせ私なんか」・・・・

あ、今この言葉を書いてわかった!

どうせ私なんか、と思うということは、

私という自我が凄く大きくなっているということだ!

ここに私さまがおるのがわからんか、このたわけ者めが・・・これだ。

言葉にして出してよかった。

ひがみ、なんてちっとも偉そうとは思ってなかったけど、

本当に偉そうな自分だったんだ。

それがわかってとても嬉しい。

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