勝手にお喋りーSanctuaryー

マニアックな趣味のお喋りを勝手につらつらと語っていますー聖域と言うより、隠れ家ー

一晩考えました。

2005-08-26 | 映画のお喋り
どうしても昨日の映画の解釈が納得行かなくて、ずっと考えていた。
自慢じゃないが、私は国語の読解テストで、×を食らったことがない。
読解だけなら、いつもトップだった。(自慢か。。。)
でも昨日の映画に関しては、どうも未消化な気がしてならない。

駄目な映画なら駄目なりに、こうすればよかったね、で終わるはず。
いい映画なら、一部だけどここが惜しいね、で終わるはず。
映画を消化しきって、次に映画を見るはず。
でも昨日は、まだまだ考えに入れてないことがありそうで気になった。

こうなったら徹底解剖なので、このエントリーは完全ネタバレで行く。


一番気になったのは、ロッテが姉のアンナをあれほど長いこと憎み続けた理由だ。
もちろんロッテの恋人ダビッドは、ユダヤ人である為にナチに捕まり、強制収容所(アウシュビッツ)へ送られる。
そこから消息不明のまま戻ってこなかった。
恐らくガス室で殺されたのだろう。
このことが原因なのはわかる。
だけど何故姉を憎むの?

細かい部分で、確かに理由はある。
ダビッドの写真を見た瞬間、アンナの顔が曇る。
「どうしたの?」と聞くロッテに、アンナは「ユダヤ人かと思って」と言葉を濁す。
その時からロッテは、姉が反ユダヤ主義者ではないかと疑う。
そしてオランダに来る予定だったアンナに、「来ないで」と手紙を出すのだ。
理由がわからないのはアンナの方で、怒るのも当然だ。

その後、ダビッドが強制連行され、心細くなったロッテは「側にいて」と手紙を出す。
その手紙は、恋人とウィーンで結婚する為に出発したアンナと入れ違いで届く。
だから切羽詰ったロッテの願いを、アンナは無視したことになる。
だが、最初に来ないでくれといっておいて、自分の都合で来て欲しくなったときに姉が来なかったからって、そんなに怒れる?

さらにわからないのは、ロッテはダビッドの死後、彼の弟と結婚して子供まで儲けるのだ。
この時点で、恋人の死から立ち直ろうとしていたはず。
それなのに尋ねてきた姉と、口をきこうともしないのだ。
荷物の中から思い出の品を見つけ、いったんはロッテの心も和らぐ。
だがそこには憎むべきナチの将校と並んだ姉の写真もあった。
ここでロッテは完全に切れ、アンナを道路に放り出す。
これは当然としても、時間が経てば、許そうと言う気にならないのだろうか。
年老いるまで、何十年も、ロッテの怒りは何故解けないのだろうか。

たとえばロッテが彼の弟と結婚せず、恋人の面影を抱いて孤独の人生を歩んでいたら共感できたかもしれない。
でも夫や子供、最後は孫に囲まれ、それなりに幸せな生活を送ってきたらしい老年期のロッテの姿をみると。。。
しかも年老いたアンナは苦労が顔に表れ、服装からも豊かさは感じられず、家族もいないのだ。
この比較では、見てる側は、絶対ロッテに感情移入できない。
妹が姉を誤解して、姉がその誤解を解いて、めでたく終わる映画なのか?
でもロッテ、あんまりわがままなんじゃないの?

さて、ここからずっと考えていた。
駄目な映画ならこんなに考えない。
これほど感情移入出来ないロッテを、監督はどう捉えて欲しかったのだろうか。
もちろんナチのホロコーストには怒りを覚えるし、恋人を殺されたロッテの悲しみも理解できる。
でもその怒りのすべてを、なんで姉にぶつけなければならないのだろう。

たったひとつ、思いついたことがあった。
ダビッドが強制連行されたときの事だ。
二人はオランダの町で仲良く観劇に出かけた。
喫茶店で時間を潰して、劇場についた後で、ロッテはバックを忘れたことに気付いた。
ダビッドが取りに行く。
ロッテが幾ら待っても、恋人は戻ってこなかった。

この日のことで、ロッテが後悔を覚えなかった日は、長い生涯の中で一度もなかったのではないだろうか。
もしもあの時、自分がバックを忘れなければ。
時間通り劇場に入ってしまえば。
ダビッドは連れて行かれなかった。
その後、危険があっても隠れたり逃げたり出来ただろう。
あの日バックさえ忘れなければ、ダビッドはまだ生きていたのだ。
アウシュビッツのガス室で、苦しみながら死ぬことはなかったのだ。

この後悔が、彼女の人生の主軸となっていたらどうだろう。
実際ダビッドの両親にも、ロッテはバックのことを責められている。
弟との結婚も、亡くなったダビッドを思って嘆き悲しむ彼の両親の為にしたことだったら?

そしてもうひとつ、ロッテは戦争が始まった時、ダビッドに婚約解消を申し入れてる。
自分がユダヤ人を迫害しているドイツ人だから、結婚は出来ないと言うのだ。
無論ダビッドは納得せず、二人は和解したように見えたのだが。

もしかしたらロッテの生涯は、彼を殺したドイツ人の血を引いてること、彼を死に赴かせた原因となったこと、その後悔のうちに過ぎて行ったのかもしれない。
身代わりに結婚した弟のことは愛してもいず、最後までダビッドを思い続けていたのかもしれない。
その後悔の人生の苦しさに、いつしか頑なになったロッテの心。

ロッテが本当に憎んでいたのは、姉のアンナではなく自分だったのかもしれない。
その息苦しさに耐え切れず、怒りを姉にぶつけることで、苦しみから逃避していたのかもしれない。

一方でアンナは、辛く過酷な人生を送った。
貧しい農家に引き取られ、労働以外の何もさせてもらえず、知的障害者だと偽って、彼女を学校へもやらせなかった養父からひどい暴行を受けた。
彼女はその暴行のせいで、子供を生めない体になってしまった。
メイドとして生計を立て、そんな中でも必死に勉強を続けようとした。
初めて恋をした男はナチの将校で、結婚後間もなく戦死した。
子供を生めないアンナは、養護施設に残りの人生を捧げる。

たしかに可哀想だ。
だがアンナには何一つ後悔がないのだ。
妹のロッテを冷たく追い返したこともない。
恋人の死の原因が自分ではないことを知ってる。
ドイツ人であることも恥じていない。
劣等種と言われた(当時のドイツの考え方)ポーランド人にも優しくした。
誇りを持って、過酷な人生を生き抜いたのだ。

最後に、老境に達したロッテとであった時、アンナは必死に妹の頑なな心を解そうと努める。
それは妹に「許し」を求めたからではない。
後悔で息が詰まりそうだったロッテに、自分を「許す」ことを教えたかった。
アンナが穏やかな顔で死んでいったのは、妹に「許された」からではない。
妹がやっと苦しみから解放されたことを「知った」からなのだ。
心の闇から抜け出したロッテは、子供の頃のようにアンナを慕う。
彼女の腕の中で息を引き取ったアンナは、何一つ後悔のない人生を、悔いのないまま終えることが出来た満足感で一杯だったのだろう。

いつか、ロッテにも死が訪れる。
その時にロッテの心が穏やかであれば、運命に引き裂かれた双子の姉妹の過酷さも、二人の愛の力に敗北するのだ。
Comments (2)
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