勝手にお喋りーSanctuaryー

マニアックな趣味のお喋りを勝手につらつらと語っていますー聖域と言うより、隠れ家ー

ダコタ!ダコタ!ダコタ!

2006-03-30 | 映画のお喋り
‘I am sam’でブレイクしたダコタ・ファニングの映画を、短期間で3本見た。
製作順に言えば、《マイボディガード》《ハイドアンドシーク》《宇宙戦争》の3本だ。
年に似合わず(子役はみなそうだが)、それぞれの役で自分のキャラを見事に使い分けている。
彼女が売れっ子な理由は十分に理解で来た。
後は使う側の問題だ。

《宇宙戦争》が彼女を起用した理由は、トム・クルーズと同様だ。
干乾びた映画のリメイクに集客能力を買われたのだろう。
この映画の原作は、ずっと昔に読んだ記憶があるのだが、内容は詳しく覚えているほどではない。
それよりラジオドラマ(この言葉だけで時代が想像できる)になった時、オーソン・ウェルズのナレーションがリアル過ぎたため、NYがパニックになったと言う有名なエピソードを思い出す。
ドラマでパニックが起きちゃうほど昔の原作なのだ。
(注:当時私が生きていたわけではない。どこかで聞いた話だ)

『火星人が地球を来襲しました。各地で被害が相次いでいます』
そう、原作の異星人は、火星人だったのだ。
さすがに今の時代、火星人では笑われるだけなので、遠い彼方からやってきた異星人に変わった。

そう遠くない昔、スピルバーグは異星人を友達として扱った。
異星人といえば敵と言う時代だったので、あえて逆らってみたのだろう。
そして今、やはり異星人は敵、と言う映画を作った。
趣旨換えと言うより、パニック映画の原点に戻りたかったのだろう。
普通の人がスーパーマンのような活躍で家族を守る映画ではなく、普通の男が普通のまま、おろおろしながら逃げ惑う映画。
守ろうとした息子に歯向かわれ、娘は悲鳴を上げるだけ。
イライラしてものを投げつけ、変わり果てた風景に唖然とするしかない主人公。
何から何まで普通過ぎる。

だからこそ主人公はトム・クルーズだったのだし、悲鳴を上げるだけの娘はダコタだったのだろう。
普通の男は危機が訪れようが、死に掛けようが、それ以上の活躍は出来ないのが普通で、突如かっこよくなっちゃう映画は嘘なんだよ~と、私たちに語りかけるスピルバーグ。
この時代に原作のままのオチを採用しちゃうスピルバーグ。
やはりこの人はかなりのひねくれ屋だと思う。


《マイボディガード》が彼女を起用した理由は、無論その愛らしさに期待したからだろう。
主役のデンゼル・ワシントンが、死にかけた心に怒りの炎を灯し、命懸けの復讐を始める理由が欲しかった。
軍隊で殺人マシーンとして扱われ、それゆえ自殺願望しか残っていない抜け殻になってしまったデンゼル演じるジョンの、傷ついた魂に光を投げかける清らかな少女が必要だった。

この映画のダコタは、まるで天使のように清らかで優しく、すれた感じや子供特有の気紛れなど微塵も持たない。
ジョンをクマのぬいぐるみのように大切に扱い、深い愛情を注ぐのだ。
いつしかジョンの頑なな心も解れ、彼女との時間が神の贈り物のように感じられてくる。
ジョンの軍隊式水泳の特訓に、健気に従うダコタの姿が印象的だ。
そんな平和な風景の中で、あの事件が起こるのだ。

ダコタの出番は、ほぼここで終了する。
それ以降はR-15指定の、残酷シーンを含む復讐劇へと変わるからだ。
子供を持つ親にとって、この復讐劇は必然であり痛快かもしれない。
別の人にとっては、目を背けたくなる無意味なシーンの羅列に写るかもしれない。
私は肯定派で、それこそスーパーマンとなったデンゼルの活躍を楽しんでいた。


《ハイドアンドシークー暗闇のかくれんぼー》が彼女を起用した理由は、さらに明白だ。
直球勝負、彼女の演技力に期待したのだ。
まして相手役はあのロバート・デ・ニーロだ。
映画はまさに二人が四つに組んだ演技合戦に終始する。
ダコタを起用した、或いはダコタの為に作った映画として、かなりよく出来ている。
(以後ネタバレ!)

ストーリーは、これでもかと言うほど繰り返された多重人格もののサスペンス。
これを聞いただけで、毎日同じおかずを食卓に出された人みたいな顔になる人も多いと思う。
だけど、この映画は多重人格ものとしてはかなりひねりを効かせている。
サブタイトルの「暗闇のかくれんぼ」は映画の中で行われる命懸けのゲームのことだ。
そして登場人物の中に別人格が「かくれんぼ」していると言う意味でもあるのだろう。
しかも「かくれんぼ」してるのは一人ではない。

この映画、ラストになるまでそのことを明白にはしない。
ラストに、ああそうだったのかと言う暗示がある。
(あれを未来への暗示と受け取ってしまっては面白くない!)
その時点から映画の記憶を遡って、壮絶な「かくれんぼ」の意味に気付かされる。
多重人格者VS多重人格者。
この複雑な役を、ダコタは実に上手く演じていたと思う。
Comments (2)
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