「昔は碁将棋に凝ると親の死に目に会えないと申しますが、・・・」
『笠碁』の枕に出る言葉です。
噺家さんによってその後に続く内容が違ってきます。
小さん師匠は、
「碁将棋に凝ると、勝っても負けても夢中になりお尻が重くなってくる。もう一石もう一丁と続けます。大事な用もほったらかし・・・」と続いていきます。
馬生師匠は、
「碁将棋に凝ると、お金をかけないでも面白い・・・」となっています。
金原亭馬治さんは、
特に解釈はしていません。
「碁将棋に凝ると、親の死に目に会えないなんてなことを申しまして」と言ってから、さらりと本題に入っていきます。
馬治さんは若手噺家のホープ。
「第5回落語一番勝負・若手落語家グランプリ」で優勝。
笠碁以外の『碁どろ』も是非演じて欲しいです。
きっと上手いと思います。
「碁将棋に凝ると、親の死に目に会えない」
私なりの解釈では、
江戸時代、徳川家康は碁や将棋が好きでした。
将軍の御前でお城碁やお城将棋の対局、今で言うタイトル戦が行われました。
お城碁を打つときは、何ヶ月もかかって対局していたことがありました。
お城にこもりっきりで打っていたので、親が危篤状態になってもお城を出ることが許されなかった。
碁が強くなるとお城で碁を打たなくてはいけなくなり、結局親の死に目に会えなかった。
碁や将棋に熱中しすぎないように戒めたのが由来だと思います。
将軍の代が変わって、お城碁も事前に対局した棋譜を、御前で並べたので数ヶ月もかかることはなくなったと、どこかのものの本で読んだことがあります。
私の解釈が正解かどうかは、分かりません。