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日々の聖書(7)――唯一の主

2006年11月30日 | 日々の聖書

日々の聖書(7)――唯一の主

日の昇る所から来る者も、日の没する所から来る者も、私の他に神はないことを彼らは知るだろう。私は主であり、私に並ぶものはない。

私に立ち返れ。そうすれば救われるだろう。地の果てから来る者たちよ。私は神である。並ぶものはない。

(イザヤ書第四十五章第六節および同章第二十二節) 

               
パレスチナから見て、日本は明らかに日出ずるところの国である。イザヤは
やがて全世界から唯一の主なる神を求めて人々の立ち返ることをこうして預言している。

紀元前六世紀頃のユダヤ人たちは、彼らの腐敗と堕落のために主なる神より裁きを受ける。バビロニアの王ネブカドネザルによってエルサレムの町と神殿は破壊され、王たちは拷問を受け、殺される。主だった住民もバビロンに連れ去られた。

しかし、裁きを受けたイスラエルもやがて主に立ち返って贖われ、解放される。上の言葉は主なる神が、ユダヤ人にパレスチナ帰還を許したペルシャのキュロス王に対して、イザヤを介して告げられた言葉である。こうしてバビロンに捕囚されたユダヤ人たちは解放される。

聖書においては神はこのような存在として教えられている。預言者や使徒たちら知恵ある人々によって書き記された、聖書のさまざまな物語や啓示や教訓などを通じて、神について知ることができる。

聖書の神は、絶対的な一者として教えられる。また、神は被造物のように有限ではなく、無限であり永遠の存在である。

また絶対的な存在であるから、唯一である。絶対的なものが二つとしてあるわけがない。二つあるのものは絶対的ではありえない。

神は何ものによっても侵されない。神聖にして人間から隔絶した方である。また、神は万物を創造し、自然と歴史の摂理を通じてみずからの意思を実現する絶対的な力である。その力によって神はまた裁かれる方である。

神はまた恵みであり愛である。それは被造物をそのままに存在を許される方であるから。神は悪人にも善人にも等しく太陽を昇らせ、雨を降らせる方である。

日の昇る所から来る者も、日の没する所から来る者も、私の他に神はないことを彼らは知るだろう。私は主であり、私に並ぶものはない。

私に立ち返れ。そうすれば救われるだろう。地の果てから来る者たちよ。私は神である。並ぶものはない。

(イザヤ書第四十五章第六節および同章第二十二節)

 


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