※法哲学の§1の補注の中で、概念と実在の関係について、それを比喩的に説明するとして、ヘーゲルは人間の場合における「霊魂」と「肉体」にたとえている。霊魂Seeleは精神と言い換えてもよく、「精神」と「肉体」は、人間の要素、契機モメントであると同時に両者は不可分の関係にある。
Dasein「そこにある物」と概念との統一が理念である。理念とは単なる調和ではなく、完全な融合である。§1補注
※樹木を例に挙げれば、「概念」は、自己の内に樹木の全体の力を含んでいる「萌芽」である。※ここでは「種子」の方が、「萌芽」よりも概念の本質をよく喩えることができると思う。
※種子の中には、樹木の全体が概念として、樹木そのものを、観念的に内包されているのである。この基本的な認識は、すでに以前の論考『葉薔薇に名前と普遍論争』において論じておいた。
法学は哲学の一部門である。したがって法学は理念を、すなわち対象の理性としての理念を、概念から展開せしめなければならない。・・・法の概念はその生成という点から見れば、法の学以外に属することになり、その演繹はここでは前提されたものとされ、a
かつ法の概念は与えられたものとして認められなければならないのである。(法哲学§2)
※日本の凡俗の法律家たちのほとんどはどいつも「哲学的な問題意識」のない「井の中の蛙」だから、「法学が哲学の一部門」であることに思いも及ばない。否、哲学大系からすれば、個別科学の全てが哲学の一部門を
構成する。「科学は体系的な認識でなければならない」ということが分かっていない法律学者や物理学者に真に「科学哲学の研究」など出来るわけがない。現在の日本の大学、大学院の惨状がそれほどひどいと言うことである。その結果として、現政権における対米中韓との歴史認識における敗北にもつながる。
安倍首相の政治姿勢が、中韓の対欧米工作と特に欧米の左翼リベラリズム勢力から「国家主義」や「極右」などの「批判」を招いているらしい。日本国民が、GHQマックの洗脳政策とマルクス主義を克服できない限りは対抗できない。マッカーサーの情報封鎖から解放されている国民はほとんどいない。
安倍内閣の菅 義偉官房長や高市早苗氏らは(安倍首相自身も)直観的に感性的に日本国の歴史的正当性を確信し反論しているけれども、戦後教育下に生育した政治家たちのほとんどは、その歴史認識の限界を克服できるレベルまでには達してはいない。その歴史認識の内実は極めて貧弱な水準に止まっている。
現在のところ中韓の左翼と欧米のリベラリズムに対等に論争できるのは、戦後民主主義下の歴史教育とマッカーサーの占領政策を根本から本当に批判し反論できる力量を持った思想家は、戦前の日本の国家政策と哲学を研究し抜いた西尾幹二氏くらいにしか出来ない。戦後日本のアカデミズムの完膚無き敗北。
日本は単に軍事的に敗北したばかりではなく、その後の文化的思想的戦争においても敗北している。軍事的のみならず学術、科学においても、引き分けにもって行くことすらも出来ない。左翼とマッカーサーに洗脳された戦後民主主義の日本人は、哀れにも自国の歴史の正当性を主張する能力も去勢されたまま。