ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十二節[感覚から知覚へ]
§12
Sowohl dieses Jetzt als dieses Hier ist ein Verschwindendes. Jetzt ist nicht mehr, indem es ist und ein anderes Jetzt ist an seine Stelle getreten, das aber eben so unmittelbar verschwunden ist. Zugleich bleibt aber Jetzt. Dies bleibende Jetzt ist das allgemeine, das sowohl dieses als jenes Jetzt ist, als auch keines von ihnen ist. — Dieses Hier, das ich meine und aufzeige, hat ein Rechts und Links, ein Oben und Unten, ein Hinten und Vorne ins Unendliche, d. i. das aufgezeigte Hier ist nicht ein einfaches also bestimmtes Hier, sondern ein Inbegriff (※1)von Vielem. Was also in Wahrheit vorhanden, ist nicht die abstrakte sinnliche Bestimmtheit, sondern das Allgemeine.(※2)
第十二節[感覚から知覚へ]
この「今」も、この「ここ」と同じように、ともに消え去るものである。「今」は、他の「今」にその場所を取って代わられもはやなく、しかし、その今もまったく同じようにすぐに消え失せてしまう。しかし同時に「今」は残っている。この残された「今」は、この「今」 でもあれば、あの「今」でもあって、また同じく、それらのいずれでもない普遍的な「今」である。私が思って指し示すところの、この「ここ」は右や左にもあり、上にもあれば下にもあり、後ろにもあれば前にも限りなくある。つまり、指し示された「ここ」は単純に指定された「ここ」ではなくて、むしろ、多くのものを総括した「ここ」である。したがって、真に存在するのは、抽象的で感覚的な確実性ではなくて、普遍的なものである。
※1
ein In~begriff 総括、師表、真髄
der Begriff (名詞) 概念、観念、知覚、受胎
begreifen (動詞)把握する、理解する、思いつく
※2
ここでヘーゲルはとくに指摘してはいないけれども、「私」が感覚的な意識によって、「今」「ここ」「これ」を指し示すときには、「今」「ここ」「これ」という「言葉(記号)」を使って指し示すしかないのであり、「言葉(記号)」を用いて、感覚的な意識の対象を指示するときには、すでに同じく普遍的なものを指示することになる。「言葉」は普遍的なものしか言い表せないからである。
この段階で「感覚的な意識」から、言語をもって対象を把握する「知覚的な意識」へと移行するが、こうした概念の移行の把握をヘーゲルは「概念的把握」といい、その移行をより高い「真(Wahrheit)」として捉える。
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