アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

お導き

2011-08-23 | ~2012年まじめ系の日記

7月のこと。
実はアフリカに発つ前、「もうこんな働き方はやめよう」と思っていた。

大学を卒業して写真を学んだはいいけれど、写真で食っていく自信はなくて逃げ帰り、運良くテレビ局に潜り込んだはいいけれど、ちょっと取材が出来るようになったからといって、今度は自信過剰になって飛び出した。
あれから丸4年。

若気の至りがもたらしてくれたものは、それなりに大きい。

何よりたくさんの人に出会えたし、たくさんの涙と、感動と、愛情を得ることができた。

本当にたくさん。身に余るほど。


だけどね、「何のプロフェッショナルになるのか?」という根本的な自問は未だ未解決のまま。
そのことに、心底情けなくて嫌気がさす。
もし自分が雑巾だったなら、力の限りギューーーーーーーーッと絞り上げてポイって投げ捨ててやりたいくらい。


どこにも属すことなくフリーランスで仕事を得るってのは、そら、カンタンじゃない。
まず朝起きる理由を見つけなきゃいけないし、日中やることだって誰も指示してくれない。
自分を売り込むには膨大なエネルギーが要るんだし、ましてやそれをやり続けるには強靭な持久力が必要になる。

それで、「やっぱ無理だわ」と思って何度も諦めかけたんだよね。
フツーに就活するのが一番だわ、と思って。

そんな感情の波を繰り返している内に、最初はあったはずのポリシーみたいなものも、何だかよく分からなくなってくる。
「声なき人たちの声を拾いたい」とか
「人の暮らしや価値観の多様性を伝えたい」とか
「生きてることの美しさを表現したい」とか、
そんな感じのことを目指していたんだと思うけど、なんだかそれもチッポケに思えてきてね。

だって、そんなもの掲げたって実際問題、食えないじゃないか。
第一、漠然としすぎてるんだよ。テーマは何だ、テーマは。結局何がしたいんだオマエは?

…そんな自問自答は日常茶飯事で、そうやって無駄に脳みそを疲弊させている内に髪の毛が真っ白になってしまった。


だけど、それでも私の回りの人たちは、信じられないくらい温かく私を見守り、励ましてくれる。
それがいつも不思議で仕方ないのだけれど、とにかく彼/彼女たちのお陰で私の人生は、切れ切れの糸で何とか社会と繋がっていられている。

でもね、それもさすがにもう限界だな、と思ったわけ。7月に。

もう夢だポリシーだなんて青臭いこと言わずに、まずは稼いで、自分の土台を築いて、それから考える方がずっと広がりが出るんじゃないか? と。


しかしですね、こういう時にこそ、また「出会って」しまうんだなぁ。

その人は某会社の社長さんで、すごく簡単に説明するなら、映画やテレビの字幕スーパーを作る事業を全国展開している方。特に生活が厳しい独り親や障害者の人達に就労の機会を…と奮闘されている方だ。

で、詳しいことはさておき、その社長さんにはケニアに飛び立つ当日の午後にお会いし、多大な励ましをいただいて空港に直行したわけ。そして昨日、帰ってから書き上げた2つの原稿を携え、再び打合せに。
そしてそして有り難いことに、来年から連載執筆の機会をいただき、更に力強く励まされて帰宅したのであります!
 

あぁ…。


「出会いは必然」というけれど、…それはこれまでも何度となく経験してきたけれど、ここにきてまだ「必然的な出会い」を与えてくれた神様に、ほとほと頭が下がる。
本当に出会って良かったのか、実はそうでもないのか、という結果論なんかは問題じゃない。
こういうのは、結果はどうであれ、感謝して余りあると素直に受け入れればいいんだ。その時の自分がピンときたのであれば。

その社長さんが言っていた。

「出会いも必然だけど、今直面している苦労も全部必然なんだよね。結局は自分がそう仕向けているんだよ」

なるほどな、とストンと胸に落ちた。
私は私であるからこそ、たくさんの人に出会え、逆に(勝手に)苦い思いもしてるんだ。それは人間関係のトラブルも然り。恋愛も然り。誰もが、個人的に抱える多くの理由によって、幸せにもなれるし不幸にもなれる。だから苦しむべきは、きっと、そんな自分をどう受入れるか?ってとこなのかもしれないな。


もう少しがんばろうと、そして今は思えている。

バイトをしてでも内職をしてでも、旅することはやめないでおこう。


あとは神のみぞ知る!



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