アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

ゲンパツ・ミュージアム

2012-12-21 | フィリピンの旅

ここはフィリピン。

首都マニラから車で3時間のところにある原子力発電所。

なのに子ども達が両手を広げて入っていける、不思議な場所。

しかも私服のまま。

ちょっと、ちょっと、大丈夫なの?

中に入ると、どでかい配管がたくさん並んでいる。

これは海水を引き上げて原子炉を冷却するための配管。

つまりこの地下は海らしい。

この原発はウェスティングハウス社製で…圧力を加えて出てきた蒸気がタービンに行く加圧水型…

原子炉で放射能を帯びた水が直接タービンに行かないので、比較的放射能漏れが少なく…

電力は62万キロワットで…

ここから来た水がこうこうこう来て、ここから出ていって…

そうした説明を、電力公社の職員が懇切丁寧にしてくれる。

観光客に。あるいは課外授業でやってきた学生達に。

原子炉だって見せてくれる。

もちろん私服のまま。

通路から見えにくければ、作業台に上がってもいいよ、と笑顔で手招きまでしてくれる。

原子炉には機器がいっぱい。

目を凝らして見ても、何が何だかサッパリわからない。

ここで、「核反応」ってやつが起こるんだ。

それをコントロールしてるのが、この部屋。

テレビにもよく出てくる「制御室」。

こんなにたくさんのスイッチに囲まれて、まるで宇宙船みたいだ。

近くには、こんなにのどかな村がある。

バタアン半島の西海岸。

回りには国立公園あり、ウミガメの産卵所あり、という自然豊かな一帯。

だからバタアン原発ができたとき、住民は血眼になって反対したんだ。

はじめはゲンパツについて何も知らされなかったため、

怪しい…と思った人が自分たちで勉強しはじめた。

そして4年も5年もかかって情報を広め、反対する仲間を集めていった。

それもマルコス独裁政権の時代。

ちょっとでも政権批判したら、警察が飛んできて捕まえられる時代。

たくさんの人が捕まり、殺され、行方不明になった。

それでも運動は広がり、1985年に民衆の怒りが爆発。

試験運転を阻止するための3日間ストライキが、半島をあげて決行された。

住民は二手に分かれて、3日間ひたすら歩いた。

街はどこもガランドウになった。つまりゴーストタウン。

そして3日目に二つのデモ隊は合流し、

5万人の群衆がワーーーーーッとなだれ込んで、待ち構えていた戦車をもぶっとばした。

マルコスもびっくり。

民衆はその勢いに乗って、翌年ついにピープル・パワー革命を起こしてマルコス政権を倒したんだ。

 

(非核バタアン運動の皆さん)

 

怒りのパワーってのは、スゴい。

だけどゲンパツ&マルコスを倒せたのは、それだけじゃなかったみたい。

市民運動するにはコツがあるんですよ、コツが。

っていう話を、明日書くことにします。

 

ちなみにバタアン原発ミュージアムは入場料激安(数十~数百円)なので、フィリピン旅行の際は是非☆


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めておじゃましました。 (みやび)
2012-12-21 22:09:59
牧野佳奈子様


初めまして。ツイッターからおじゃましました。みやびと申します。

バタアン原発ミュージアム、フィリピンにそういうのがあるんですかー?とてもビックリしました。

しかも

あのマルコス政権下で、原発のことを自ら調べ、アクションを起こした人達がいたこと。とても感動しました。

そうそう!その運動にはコツがあったのですね!


突然おじゃましてしまったのですが……ありがとうございました。

みやびこと
鎌田雅彦
http://twitter.com/miyabi_street
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