アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

大学生アジアツアーで得たもの

2014-04-20 | フィリピンの旅

先日、N子がわたしの新事務所に遊びに来た。

D大学3年生。

今年2月に開催したフィリピンツアーに参加してくれた子だ。

 

ツアーはなかなかのハードスケジュールで、5泊6日の間に現地市民団体を5つも訪ねて回った。

企画者で管理者のわたしは、「これ、やりすぎダ…」とツアー前日に認識。

案の定、思い切り採算割れして痛い思いをすることになった。

 

けれど、ハードスケジュールになったのは実はわたしにとって嬉しい悲鳴で、参加してくれた学生たちにとっても、必ずしも辛いだけの悪程ではなかった。

そう言い切れるのは、彼らの様子や、表情の変化や、全身の穴という穴から何かを吸収している時のゾクゾクするような躍動感を目の前で見れたことに依拠する。

そして何より、ハードになったのは現地パートナー達が強烈に協力してくれた結果であり、それはわたしにとって、まさに心臓が躍り出さんばかりの嬉しいサプライズだった。

事前に協力の同意は得ていても、彼らが実際にどう動いてくれるのかは「やってみなければ分からない」、そんな状況だったから。

 


(ツアー4日目。アメラシアンの人たちと元米軍基地内ジャングルツアーにて)

*ツアーの様子はこちらにアップしました:http://www.kids-au.net/report-p1.html

 

それで、あれから2ヶ月。

N子はわたしの事務所で、自分のライフプランがとりあえず固まったと報告してくれた。

「あたし、教職がまだ履修できるってことが判明したんすよ。それで、やっぱり教職とって3年くらいは働こうかなと思って。そんで、その後にJICAの協力隊行けばお金も貯まるらしいし、そのお金でイギリスかどっかに留学しようかなと思って。そうすれば奨学金も返せるし、親にも迷惑かけずに済むんで」

 

彼女は、わたしが去年秋にD大学でゲスト講義をした時、ずっと下を向いて携帯をいじっていた。
その子が授業終了後にわたしの元に来て「わたしも海外連れてってください!」と猛烈にアピールしたのは驚きだったけれど、その半年後にこうして事務所にまで来て将来のビジョンを語っているというのは、もっと驚くべきことだった。

彼女はフィリピンで開眼し、その後みるみる成長している。
それは、知り合って間もないわたしにも手に取るように分かるほど、だ。

 

フィリピンからの帰り。
飛行機の座席が隣になった縁で、彼女は自分の身の上話をあれやこれやと話してくれた。

片親だというのは以前から聞いていたのだけれど、その経緯や、それによって彼女が心に抱えた傷は、わたしが想像した以上のものだった。その傷を隠すために、彼女はいつも友達の前でチャラい言動ばかりしてしまうのだという。

「誤解されやすいんだね」と言うと、「そうなんすよー!」と、機内中に聞こえそうなボリュームで返答された。

 

わたしも最初は思い切り誤解していた。
彼女は一見つかみ所がなく、何を考えているのかよく分からない。一言でいえば、「変な子」に至極容易にカテゴライズされてしまう、そういうタイプ。

けれどフィリピンで気づいたのは、彼女が非常に感受性豊かで、モノゴトをよく観察していて、かつ、理解するのがとても早いということ。彼女の口から出てくる言葉は、時に、わたしが意図したことそのものだったり、それ以上だったりした。

たとえば5日目に行った貧困層の人たちが住む集落でのこと。
そこで青年教育支援をしている団体の活動を見て「自分が変わらなきゃ、自分が何か始めなきゃ、社会は変わらないんだなって思いました」と彼女は言った。
それはわたしが30歳を過ぎてようやく思い至った境地で、このツアーを始めたのはまさにそれを伝えるためだった。本当にそれがそのまま伝わるなんて微塵も期待せずに。

 

帰国後、彼女は勢い勇んでバイトを始めた。

教員を目指すのはとりあえずやめて、今はお金を貯めて留学したいのだと。

「フィリピンが濃すぎて…なんかもう…やること多すぎって感じ!」

そして留学後のライフプランを、ああでもない、こうでもないと悩みながら組み立てようとしていた。

わたしたちが再会したのは何も彼女の人生相談が目的ではなかったのだけれど、立ち話もなんだからとマクドナルドに行き、彼女の話を聞くことにした。留学するならどのタイミングがいいか、卒業して最初に行く先はどこがいいか、就職なのか、インターンなのか、それとも進学か。それはわたしが十数年前にぶち当たった壁そのものだった。

ただ違うのは、彼女が片親だということと、卒業後には奨学金の返済が待っている、ということ。

親が非正規雇用という家庭が珍しくない今の時代の学生は、「奨学金なんて当たり前」だという。
なんのために働くのか、誰のためにがんばるのか、どこに向かって進むのか、…そういったことは相変わらず見えにくいまま、現実だけがとてもクリアに目の前に立ちはだかっている。

 

数週間後、彼女は体調を崩し、「がんばりすぎた…」と言ってわたしの事務所にやってきた。

髪をきれいな栗色に染め直し、ばっさりショートカットにして。

「なんか、フィリピンでみんなの前に立って喋ったじゃないですか。あんとき思ったんすよ。あぁ、これからは発信する側になるんだなって。そしたら髪とか服装とか、もうちょっと考えた方がいいのかなと思って」

まさか彼女がそんなことを感じていたなんて、フィリピンでは思いもよらなかった。(しかもそれは発酵期間を経て、2ヶ月後に発現するなんて) 

何を、どこで、どんな風に感じ取るかは人それぞれだな…と改めて思い知らされる。 

 

そして5時間ほどだべった後、彼女は満を持したと言わんばかりにライフプランを語り出したのだった。

「これ、すごくないですか? でしょ? でしょ? かなさんに言われたこともぜーんぶ入れて、自分の考えだけじゃなくて、ゼミの先生に言われたこともぜーんぶ入れて、最終的にこれがベストかなと思ったんですよ。とりあえずこれを目標にがんばろうと思って」

それはつまり、こういう計画だった。

教職の資格をゲット → 卒業 → 社会科の教員として働く → JICA海外青年協力隊 → 海外留学 → 起業(NPOなどの立ち上げ)

そのために今必要なのは、資格試験に受かること、英語を勉強すること、海外および日本の文化・歴史を学ぶこと、そして社会の授業をよりリアルで面白くするための素材(経験)を集めること、なのだと。

そして後ろ3つは、わたしが企画するツアーやイベントに頼るという。

「何もかも自分でやるには限界があるから」。

 

…いやはや、驚いた。

なんだか、いきなり弟子ができてしまった気分だ。

まだそんなタマではないのに。

 

しかし彼女のガッツが半端ではないことは、認めざるを得ない事実だった。

彼女はバイトを2つ掛け持ちする傍ら、児童養護施設でのボランティアや、貧困家庭のこどものボランティア家庭教師を続けていた。ボランティア家庭教師は精神的にキツいらしいのだけれど、「お金もらってるわけじゃないんだから、止めちゃえば?」と軽々しく言うわたしに、「でもその子が可哀想だから」とキッパリ首を振る。

親が離婚して愛情不足に陥っている教え子を、少しでも救ってあげたい。「(離婚して)もう3ヶ月も経つんだからしっかりしなさい!」というその子の母親に、いつか一言申してやりたい、と彼女は言った。

「だって3ヶ月なんて誰のための基準なんですか? 親にとってはもう3ヶ月かもしれないけど、その子にとっては、学校も転校させられて、今は歩いて片道40分もかかるんですよ! それって3ヶ月で慣れるもんですか?」

彼女は自分に重ねて接しているせいか、その母親に対してマジ顔で怒っていた。

「だったらさぁ…、年上の人になめられないようにする方法、教えてあげよっか?」とわたしは言う。

「え… それ知りたい」と彼女が食いつく。

そんな風だから、彼女はきっと、わたしがこれまでに身につけた悪知恵をどんどん吸収していくんだろうと思う。

 

そんなことで、ちょっと話はぶっ飛ぶのだけれど、来月から急きょ「トラベル英会話教室」を開くことにしました。

彼女に限らず、わたしが出会った一人一人の大学生を具体的に応援するために。

将来の道をどんなに悩んでいたとしても、少なくともトラベルレベルの英会話はできるに越したことはないからね。仕事を見つけるためにも、これからの人生を楽しむためにも。

 

そして彼女は彼女で、「ケニアのこどもたちとサッカーを通して交流する」という事業を立ち上げることにした。

実は女子サッカーの選手だった、ということまで彼女とわたしは共通していて、しかも彼女は「ケニアに行きたい」という漠然とした夢があるというのだ。

「だったらケニアにいる友人が青少年スポーツクラブ持ってるから、何かプロジェクトできるよ」

…と、勢いにのって提案してしまった。

 

そういうわけで、事務所を開設して早速、若くてにぎやかな運営になる予兆です。

それはつまり、彼女たちが成長する分、自分も負けず劣らず成長しなきゃいけないということ。

 

良いプレッシャーに転化できますように。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿