第二の祖国であるボルネオ島・バリオ村と、わたしは今後どう付き合っていくか。
…そのことを、バリオ村に出会ったときからずっと考えている。
旅行者の一人としてたまに訪れる、というのではどうしてもイヤな理由は、多分、あの村を“自分の居場所”としてちゃんと位置づけたい、もしくは村人にそう認められたいと、強く願っているから。
どうしてバリオ村じゃなきゃいけないのか、という理由は、自分でもよく分からない。
恐らく明確な答えなんかはなくて、あるとすれば、「前世の血が騒いだ」という類いのもの…つまり超個人的で独りよがりで主観的な、「だってスキなんだもん」に尽きるように思う。
当然、日本の田舎で何か活動を始めようとする都会人が、必ずぶつかる「ヨソモノ」という壁が、そこにもある。
だけど日本の田舎出身の私にとってみれば、日本の田舎より、ボルネオの田舎の方が、ずっと「ヨソモノ」に対してオープンかつ開放的なんじゃないかな。
もしくは、日本だったら変に空気を読みすぎちゃって、誤読も相まって勝手に疎外感を感じてしまうところ、ボルネオでは楽観的でいられるからラクチン♪…ってことなのかもしれない。
…いやいや、それだったらボルネオでも他の土地でも、似たような田舎は至るところにあるしなぁ。
バリオ村に出会って以来、「土地とのご縁」を信じるようになった。
人、景色、空気感、におい、人の暮らし方、そして土そのもの。
そのどれもが自分を受け入れてくれそうな予感がしたとき、「ご縁」というのは結ばれるんじゃないかと思う。
バリオ村の社会的課題は、日本の田舎とよく似ている。
若者が都会に出て行ったまま帰ってこない
農業を続ける人が減っていく
自分たちの文化や風習が受け継がれなくなっている
それらが日本の場合と少し違うのは、単に村だけの問題ではなく、それが民族の問題だということ。
村の衰退と消滅は、民族としてのアイデンティティを失うことに直結するということ。
それは多分、「故郷を失う」のとは比較にならないほどの喪失感だろうなと想像する。
一時期は、そうした「民族的大ピンチ村」が世界にどれくらいあって、それぞれの村人がどんな取り組みをしているのか?…みたいなことを取材して回れたらいいなと思ってたんだよね。
だけどその構想は私のチカラ不足と資金不足と根性不足のために棚上げされ、その前に、もっと具体的なことで動けないか?と考えるようになった。その取っ掛かりとして、今回2年ぶりにバリオに飛んだというわけです。
そしてこうやってつらつらとブログを書きながら、頭を“そっちモード”に切り替えて、午後からバリオ企画を視覚化しようと思っています。
何と何を結びつけて、誰をどう動かして…と、全く初挑戦の連続だけれど、これは必ず新しい快感につながるはずだと信じているから。それに、これは今までにたくさんの情報(ネタ)をもらい、たくさんの写真を撮らせてもらった私の責任でもあるからね。
「取材人」であることを目指してきた自分の、新しい次のステージが始まる予感です。
(ボルネオのジャングルに自生する野生ショウガの花♡食用にも◎)
最新の画像[もっと見る]
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- 「世界とこどもの写真展」プレ開催 10年前
- ロシアのこれから。 10年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます