アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

散髪の思い出。

2010-10-27 | ~2012年たわごと



3ヶ月半ぶりに髪を切りました。


最寄り駅の近くの格安散髪店。

女性カット基本料金=1500円。


こういう店を選ぶのは、確かにお金がないから、というのが第一の理由ではあるけれど、恐らくそれだけではないように思う。
単純に、フツーの美容室の料金:カット=4200円とかって、どうなのよ?

・・・と思うから。

正直いうと、たかだか髪を切ってもらうだけに5000円近くも出す人の気が知れない・・・と、ファッションにことごとく興味のない私なんかは思ってしまう。
だって髪って、そのうちまた伸びるんだよ? ・・・と。


それで、日本の物価からしてもまぁせいぜいカット料は2000円前後だろう、と勝手に判断して“そういう店”を選ぶわけだが、さすがに私も年頃の女ですので、店に入るときと出るときにはセコセコと誰にも見つからないように、背を丸めて小走りした次第です。


その点、日本より物価の安い外国では、どんな店だろうと大腕を振って入っていける。


上の写真は、私の第2の故郷でもあるボルネオ島のジャングルの中に位置するバリオ村の散髪屋さん。
この前の7月に行ったら、こんなに洒落た店がオープンしていてビックリした。


大抵の場合、こういう規模の散髪屋さんで髪を切ってもらうと、まず湯は使ってくれない。

水が貴重な場所では蛇口さえなくて、ポリバケツみたいなものに溜めてある水を少しずつ頭にかけてシャンプーを流す、といった具合だ。・・・あれは確かスリランカだったろうか。(スリランカなら水が豊富なはずだけど。)

仰向けに寝かされた上から、いきなり(といっても少しずつではあるけれど)冷水をかけられると、ヒィッと声まで出して縮こまってしまう。
それを見て店の人は、冷水に慣れてない私の反応を可笑しがる。
その後、ゴシゴシとまるで土のついた採れたてのスイカを丸洗いするみたいに頭を洗われるのだけれど、そのやり方があまりにガサツだと、ここの土地の人にとってはこれがフツーなのか!と目からも身体からも一気に鱗が削げ落ちるような驚きを得て、逆にフフフと楽しくなってくる。

心の中で「スゲー!スゲー!」と叫びながら、こういうのを「体験」っていうんだよ、と思う。

つまりそれくらい尋常ではない扱われ方をするわけで、そう、これが「散髪」なのだ、と思い知るわけ。


ちなみにバリオ村の新しい店では、シャンプーを座ったままでやられてビックリした。
鏡で自分の顔を見ながらモクモクと泡が立っていく・・・っていうか、垂れる垂れる! と思った瞬間にサッと店の女性は泡をすくい取り、奥にある流し台にそのまま走って流しに行った。(そんなことを5往復もしていたのが更にビックリ!超効率悪いですから・・・)



(ボルネオ島の都市ミリにて。白髪染めをしてもらっているところ。)



海外での散髪の思い出は尽きない。

なにせここ3年ほどは国内で髪を切った覚えがないんだから。


一番失敗した!と思ったのは、フィリピン・マニラでの格安散髪屋。
ただでさえ安いのに、更に安い店を選んでしまった私が悪かった。

切ってくれたのは明らかにゲイのお兄ちゃん(お姉ちゃん?)で、しかも喉仏を隠しもしていない感じの男寄りなゲイ。
フィリピンではゲイであってもフツーに教師や理美容師として働いている人が多いので、そんなに驚くことはないのだけれど、私が鏡の前に座った途端、その人がワサッと私の髪の毛を掴んだときにはヒヤッとした。
そのゲイは、まるでダイコンでも持つみたいに私の毛を掴み取り、そのままギョキン、ギョキンと切り出したのだった・・・。

それ以降、外国では二度と髪を切るまい・・・と心に誓ったはずの私。

確かに用心深く店を選ぶようにはなりました。ハイ。



というのは、海外で髪を切るのも悪いことばかりじゃないんだから。

中国・南京で行った散髪屋(ここは日本と変わらないお洒落でキレイな美容室だった)では、確か50元か80元か、とにかく1000円を切るくらいの安さだったにも関わらず、日本とさほど変わらないサービスの良さだった。

私の髪を担当してくれた男の子が、どうもまだ研修中か新米だったらしく、途中、ハサミで自分の手を傷つけてしまっても黙々とそのまま必至で散髪し続け(私は彼の指から流れ出る血が髪に付きやしないか心配で仕方なかったのだが)、無事ブローが終わって仕上がりをチェックしていると、鏡越しに「ビューティフル!」と遠慮がちに慣れない英語で声をかけてくれたりした。

その一言と男の子の笑顔だけで、髪のセットや仕上がりなんてどうでもよくなってしまったのは言うまでもない。

やはり私も年頃の乙女・・・。

どうせその内また伸びてボサボサになってしまう髪よりも、南京の思い出と共に一生消えない彼のやさしさを頂戴したことの方が、何倍も価値があるように私には思えるのだ。
(ちなみに散髪の仕上がりもそれほど悪くなかった。)





思えば、きっと私にとっての「散髪」は、大事な思い出づくりのひとつなのかもしれない。
過去の出来事を吸い込むようにして伸びた髪を切る代わりに、新しい刺激的な思い出をひとつ・・・ なんてね。



最寄り駅近くの1500円散髪店は、スーパーの袋を下げた冴えない感じの男の人や、学校帰りの子どもを連れたおばちゃん風の主婦、孤独な空気をまとった地味で小太りな女の人など、個性的な人達が思い思いに自分の番を待っていた。

心配した散髪後の仕上がりは悪くなく、1500円にして文句なし。

その日新たにできた小さな思い出を胸に、イソイソと店を後にしましたとさ。



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