福島のことを語るのは、とても難しい。
そもそも数回行ったくらいで何かを語ろうなんてこと自体、おこがましいのだけれど。
でも福島の原発に関するニュースが取沙汰される度に、福島全体のイメージはまたひとつ、またひとつと黒みを増し、それ以外に住む人たちとの間にどんどん深い溝ができていく。
だから、1度でも福島を取材した者の責任として、彼の地に行き続けることはマストだと思うし、また行き続けることしか今の私にはできない、と思って今回もとある活動に参加させてもらった。
その人は毎月大阪から福島に通い、トラックいっぱいの野菜を複数の仮設住宅に配っている。
震災の年から始めたので、もうすぐ50回に届きそうな勢い。
多くのボランティア団体が資金難を理由に撤退して以降も、その人は「これはボランティア活動ではなく自分がやりたいからやっているだけ」と言い張り、自腹を切って続けている。
私はそれにちゃっかり便乗し、大阪から向かう途中の名古屋で拾ってもらうというわけ。(もちろん交通費カンパはしますけど)
それで、これを機に福島のことをまとめたいと思うのだけど、そう思えば思うほど「まとめる」という作業が果てしなく感じられて、頭がボーッとしてしまう。
どうしよう…。今夜もギブアップ…かしら。
先日アップした「福島の水産の今」の動画に対し、いろいろなコメントが寄せられていた。
・海産物ならストロンチウム計測しないと意味はない。
・思いは理解しうるものの…検査の盤弱性(内蔵を外して測るなど)の上にある基準クリアの声では、感情論の安心の前に、信頼を得るには至れないのが本音。後は国民の自己責任と言われるのでしょう。
・福島の人達の姿や声だけを拾っても、この問題の答えは出てこないと思いますよ。
・福島産の食材を避ける人が悪意に基づいているかのような物言いには腹が立ちます。検査結果は事実。それをどう捉えどう行動するかは各自の自由のはず。
・福島だけではなく、青森から静岡ぐらいまでの食べ物は危険なので、「食べて農水産業者を応援」する必要は全くありません。
などなど。
誰かに、何かを、伝えるということ自体がそもそも難しいんだ。
福島に対して少しでも不安や疑問がある人は、全員が現地に行って直接福島の人たちと話をしたらいいと思う。けど、そんなことは不可能だし、福島の人たちだって、そんなことされたら疲れてしまう。またもしそのうち1割の人が実際に福島に行ったとしても、その先で出会う人が必ずしも腹を割って話してくれるとは限らないし、そもそも福島にもいろんな意見をもった人がいるから、出会った人の見解が福島全体を象徴しているなんてことはあり得ない。
だーかーら。
何か目的をもって福島を訪れた人が、もしくはたまたま訪れた先で何かを強く感じ得た人が、あの手この手で「福島の今」を発信するしかないんだ。
どんなに拙くても、どんなに難しくても。
ということで、明日以降、少しずつ、丁寧に、小出しに書いていくことにします。
そして海外の友達も福島のことを知りたがっているので、小出しの後には英訳が待っているのだ。
来年も、命をかけて誠実に生きようっと。。。
とりあえず、おやすみなさい~
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