佐宗さんと一緒に呑んで、居酒屋「りゅうせん」を出たときにはすでにいーぃ感じに出来上がっていた。後期試験も間近いため米谷に講義ノートのコピーを渡すことになっていたが、夜バイトが終わってから来てくれということだったので、一度帰ってまた出直すのも面倒だし、誘われたのをコレ幸いと、つなぎのつもりで呑みに出ていたのである。つなぎのつもりが本気になって、料理は美味いし、結構な量を過ごしてしまった。バイトが済んだら飯を食っているという米谷の下宿の近所にあるお好み焼き屋で待ち合わせていたから、佐宗さんと別れて嵐電の線路沿いをフラフラ辿り、御室方面へと向かって行った。意識と気持ちはあるのに体が全く追いつかず、自分でイライラするほど真っ直ぐ歩けてない。もうへべのレケレケである。やっとの思いで約束の店にたどり着いたら中で大きな声がする。何事だろうと覗いてみるとなんだかいきり立ったガタイのでかい男が米谷を怒鳴りつけていた。なにやらプイーンとバイオレンスなにおいが立ち込めている。コレはまずいんではないか?おぼつかない足取りで割って入ろうとすると「やめとけや」と言う米谷に羽交い絞めされた。そこは鮮明に覚えている。羽交い絞めされてガタイのでかいのと正対することになり、そいつが自分の横にある丸椅子の脚を摑むのが見えた。えっ、と思ったが動けない。椅子が見える。近づいてくる。米谷、離せ!
顔面に重たい衝撃があった。そこから先は覚えていない。気がついたら嵐電の線路の上にうつぶせになっていた。かなり鼻血を流しているようで、どこかで顔を洗いたい。あたりを見ると、御室あたりのお好み焼き屋にいたはずが、なぜだか元いた「りゅうせん」のすぐ裏手だった。訳がわからない。わからないけど、とにかく顔を洗いたい。まだ開いていたのでお絞りをもらおうと思ってりゅうせんに行った。するとマスターはもとより居合わせた酔客までが騒然となり、最初のひと言は「誰にやられた?」という質問だった。鼻血を拭きたいのでお絞りをくださいというと洗面所へ行って来いと言われた。鏡を見ると、鼻の頭からあごにかけて数箇所がばっくりと割れている。何だコリャ?さわってみると何の感覚もない。洗っても拭っても血が出てくる。困ったことになったと思って出て行くとお絞りを何本か渡された。警察の、救急車の、という話になっている。椅子でぶん殴られたのは覚えているけれど、衝撃を感じたのはたしか上の方で、今割れているのは下の方で、混乱している。なんだか面倒なことは面倒だと思ったので、自転車でつんのめって顔面から突っ込んだ、という説明をした。「アホやなぁ」とか、「そんななるまで呑むからやん」とか、皆が『しょうのないアホぼん』の世話を焼くような雰囲気になってどうにかささくれ立った緊張感はなくなったものの、血は流れつづけている。こっちもどうにかせんと。自分で歩いてきたし、そのときも受け答えはしているし、救急車ではなくタクシー会社に電話をして、外科の救急当番となっている病院に送ってもらうことになった。その段になって財布がないことに気づいてタクシーは無理だというと、マスターが千円札を三枚渡してくれた。
連れて行かれたのは北野天満宮と今出川通を隔てた中立売通沿いにある相馬病院で、途中まで連れて帰ってもらったようなものだった。都合22針縫われて、夜が明けたら改めて保険証を持ってくるように、料金はそのときでいいからといわれて、とっとと出て失せろとでもいうかのように追い出された。そうか。酔っ払いはこう扱われるか。惨めな気持ちで下宿まで帰ってみると鍵がかかっている。鍵は財布の小銭入れに入れてある。普段あまり鍵をかけないのに、珍しくかけた日に限って財布をなくす。まさに米朝師のいう「貧すりゃ鈍する、藁打ちゃ手ぇ打つ、便所行ったら先に人が入っとおる」というくらいに間が悪い。さらに惨めな気持ちになって七本松通を北へと向かい、今出川通の対岸にある佐宗さんの住むアパートを見上げた。幸いなことに佐宗さんはまだ起きている。
「うあっ!」
というのがドアを開けた佐宗さんの第一声である。そりゃぁそうだろう、顔面を包帯でぐるぐる巻きにした得体の知れない男が立っているのだから。麻酔で顔面が麻痺した上に包帯で締め上げられているので思うように喋れない。それでもどうにか「こいつは松田である」ということを理解してもらって中に入れてもらった。筆談でここに至る経緯を説明し、もっとも面倒なことは面倒なので自転車ですっ転んだことにしてあるが、鍵をなくして部屋に入れないのでねじ止めしてある錠前をはずすためにドライバーを貸してほしいと頼んだ。それはいいけど、明日のことにしてお前少し休め、というありがたい言葉をかけてもらい、横になった。
翌朝佐宗さんに付き添ってもらって、北野天満宮の向かい、ということは相馬病院とも中立売通を隔てて向かい合う西陣警察署(当時・現京都府上京警察署)に財布の紛失届けを出しに行った。
「事故ですか!?」
受付の警官が大きな声を出した。そう見えるのも無理はないが、なんだか佐宗さんが加害者のようになっている。申し訳ない。それからまた佐宗さんの家に行ってドライバーを借り、下宿に戻って銀行の通帳と保険証を探し出し、銀行へ行ってお金を下ろして相馬病院に向かった。麻酔が切れてから縫われたあとが痛いわ熱いわ、鼓動とともにずきずきするような不快感がある。一通り診察をしてもらい、抜糸とそれまでの通院の予定を聞いて支払いをした。昨夜はまるで蛇蝎(だかつ)のごとくに忌み嫌うような態度を取っていた同じ看護師さんなのに、なんだか妙にやさしい感じがする。そのまま下宿に帰ってひっくり返った。
夕方に電話が鳴ったので目が覚めた。取ってみたら米谷で、ずっと電話に出ないし、何度か部屋に来てみたが留守だったから心配したと言われた。いや留守にはしてない、眠ってたんや。ひっくり返ったのがお昼前だったが、それからまる1日以上眠っていたらしい。日付が変わっていた。いいかげんむかついていたので怒鳴りつけてやりたかったが、悲しいかな思うように喋れないうえに自分でもよく分からないところもあるので、とりあえず説明を聞いてみると、こういうことらしい。
・ 相手は同じアパートに住む別の大学の男で、飲み友達である。
・ 確かに大きな声を出したがけんかではなく酒の上の勢いであった。
・ 松田が踊りこんできたときものすごい勢いだったので、そのまま殴りかかるかと思った。
・ これはやばいと思ったので米谷は松田を止め、相手は椅子を盾代わりに防御しようとした。
そのときはたんこぶを作ってぶっ倒れただけで、血は一滴も流れていなかったそうだ。謝る相手にちゃんと答えていたというけど、くどいようだが記憶にない。それから相手が帰って行ったあと、松田は米谷に講義ノートを渡すと結構な勢いで店を出て行ったらしい。またもやぶん殴りに行ったのではと心配した米谷も後を追ったが、すでに姿が見えなかった、という。
一通りの説明を聞いて、信じようにも疑おうにも何も覚えてないのでもう丸呑みにするしかない。痛くて面倒くさいうえにイヤなことを思い出してしまうのもイヤなのでそれ以上は不問とし、当時自転車を持ってはいなかったが、自分に対しても『自転車説』を採ることにした。ずきずきする顔面をもてあましているとまた電話が鳴った。佐宗さんから聞いた鞍多が心配してかけてくれたようだ。何か食べたいものはあるかと聞かれたが、痛くて物が食えそうにない。そう答えてお礼を言った。電話を切ってしばらくするとノックの音がして、それぞれが牛乳と100%オレンジジュースと蜂蜜を持った栄地と上浦と鞍多が入ってきた。一人ずつが「たんぱく質」「ビタミン」「糖分」と言って枕元に一つずつ置いていく。
「とりあえずこれで命は繋げるっしょ」
「ええ歳して自転車で転んだアホを笑いに来たんやけどな」
「コレは笑えんなぁ」
相変わらず口は悪いが、心配してくれているのがよく分かるからとてもありがたい。しばらく話をしてまた来るわな、といって帰るときに、鞍多が小さい声で「あんた、自転車持ってないのにね」と言って笑った。それが違うことに気づいているらしいが、すまん、本人もわかってない。入れ替わるように後輩の潟澤、裏鋤、大和田、房野が来てくれた。みんな想像以上の惨状にびっくりするらしいので、だんだん面白くなってきた。そのあと1本ずつビールを持った佐宗さんと古邑さんがやってきて、目の前で飲みやがった。くっそー!悔しがるさまをサカナにされたが、無水シャンプーと体を拭くためのウエットティッシュを持って来てくれていた。
翌日の昼前、西陣警察署から財布が届けられたという電話があった。現金、カード類、学生証、部屋の鍵、レシート、なくなっているものは何もない。届けてくれたのは白梅町に住む小学生で、拾った場所は自宅近くの空地だという。倒れていたりゅうせんのあたりは椅子の一撃をくらったお好み焼き屋と財布の見つかった白梅町のちょうど中間地点に当たる。するとお好み焼き屋を出て、白梅町でなんかあって、半分引き返してぶっ倒れたのか?ナゾは深まるばかりでございます。ともかく財布を受け取って本屋に行き、図書券を買って教えられた住所に行った。行ってみると拾ってくれた子は留守で、平日の昼間だから当たり前なのだが、対応に出られたお母さんは絶句していた。忘れていたが包帯男なのである。くどいくらいに礼を述べて診察を受けに行った。ガーゼを替えてもらって、包帯ではなくテープ止めになった。とはいえまだ顔面の半分以上が隠れている。
試験前なので午後の授業には出席した。最初はみんなが驚いて固まる様子を面白がっていたが、しまいにだんだん嫌気がさして、最後の授業には出ずにBoxに顔を出した。そのとき居合わせた潟澤に、前日は見舞ってやりたいと思った連中が相談の上で品物の分担を決め、時間をずらして来てくれたということを教えられて、嬉しくてちょっと泣きそうになった。
抜糸よりも先に後期試験が始まった。試験では写真つきの学生証を机の上に置いて、監視員が机間巡視して本人確認をすることになっている。試験のたびに監視員は驚いたように立ち止まり、中腰になって、顔を横にして下から覗き込んでくる。一人しつこい奴がいて、腕組みをして横に突っ立ったままじっと見ている。しょうがないのでガーゼをはがしてにっこり笑ってやった。縫合されたところはまだナマで、乾いた血も乾いてない血も糸に絡みつくようになってまだら模様を作っている。自分で見るのも気持ち悪い。そいつは顔を背けて口を手で覆い、小さな声で「すいません」と言って歩いて行った。ざまを見給え。
どうやら無事に試験も終わり、抜糸も済むとようやく自由に口を動かせるようになった。ただ舌の一部も切れていて、治りかけたところが腫れ上がっているので、まだしばらくは思うように呑み食いできそうにない。そのうちに試験の結果が発表となって、幸い落とした単位もなく、試験の打ち上げと称して呑んで回っている連中をうらやましく思った。結局一月ちかく牛乳とオレンジジュースと蜂蜜で過ごすことになり、そのおかげで過激なダイエット効果が得られた。効果はテキメンだが、あまりおすすめはしません。それはさておき、糸を抜いた日の夜、米谷と一緒にガタイのでかいアンちくしょうがフォア・ローゼズを持って訪ねてきた。しきりにゴメンよぉ、と言ってくれるが、米谷の説明通りであるならこいつは全然悪くないのである。上記のとおりその説明を丸呑みにすることにしてあるので、結局こいつはいい奴じゃん。それ以来、そのガタイのでかい杣君とも飲み友達になった。
ようやく物が食えるようになるとまずりゅうせんに行ってお金を返し、そこで祝杯をあげてもらった。それからやたらと呑みに誘われるようになり、連日のように連れ回され、部屋に押しかけられ、乱痴気している間に次の春がやってきた。
顔面に重たい衝撃があった。そこから先は覚えていない。気がついたら嵐電の線路の上にうつぶせになっていた。かなり鼻血を流しているようで、どこかで顔を洗いたい。あたりを見ると、御室あたりのお好み焼き屋にいたはずが、なぜだか元いた「りゅうせん」のすぐ裏手だった。訳がわからない。わからないけど、とにかく顔を洗いたい。まだ開いていたのでお絞りをもらおうと思ってりゅうせんに行った。するとマスターはもとより居合わせた酔客までが騒然となり、最初のひと言は「誰にやられた?」という質問だった。鼻血を拭きたいのでお絞りをくださいというと洗面所へ行って来いと言われた。鏡を見ると、鼻の頭からあごにかけて数箇所がばっくりと割れている。何だコリャ?さわってみると何の感覚もない。洗っても拭っても血が出てくる。困ったことになったと思って出て行くとお絞りを何本か渡された。警察の、救急車の、という話になっている。椅子でぶん殴られたのは覚えているけれど、衝撃を感じたのはたしか上の方で、今割れているのは下の方で、混乱している。なんだか面倒なことは面倒だと思ったので、自転車でつんのめって顔面から突っ込んだ、という説明をした。「アホやなぁ」とか、「そんななるまで呑むからやん」とか、皆が『しょうのないアホぼん』の世話を焼くような雰囲気になってどうにかささくれ立った緊張感はなくなったものの、血は流れつづけている。こっちもどうにかせんと。自分で歩いてきたし、そのときも受け答えはしているし、救急車ではなくタクシー会社に電話をして、外科の救急当番となっている病院に送ってもらうことになった。その段になって財布がないことに気づいてタクシーは無理だというと、マスターが千円札を三枚渡してくれた。
連れて行かれたのは北野天満宮と今出川通を隔てた中立売通沿いにある相馬病院で、途中まで連れて帰ってもらったようなものだった。都合22針縫われて、夜が明けたら改めて保険証を持ってくるように、料金はそのときでいいからといわれて、とっとと出て失せろとでもいうかのように追い出された。そうか。酔っ払いはこう扱われるか。惨めな気持ちで下宿まで帰ってみると鍵がかかっている。鍵は財布の小銭入れに入れてある。普段あまり鍵をかけないのに、珍しくかけた日に限って財布をなくす。まさに米朝師のいう「貧すりゃ鈍する、藁打ちゃ手ぇ打つ、便所行ったら先に人が入っとおる」というくらいに間が悪い。さらに惨めな気持ちになって七本松通を北へと向かい、今出川通の対岸にある佐宗さんの住むアパートを見上げた。幸いなことに佐宗さんはまだ起きている。
「うあっ!」
というのがドアを開けた佐宗さんの第一声である。そりゃぁそうだろう、顔面を包帯でぐるぐる巻きにした得体の知れない男が立っているのだから。麻酔で顔面が麻痺した上に包帯で締め上げられているので思うように喋れない。それでもどうにか「こいつは松田である」ということを理解してもらって中に入れてもらった。筆談でここに至る経緯を説明し、もっとも面倒なことは面倒なので自転車ですっ転んだことにしてあるが、鍵をなくして部屋に入れないのでねじ止めしてある錠前をはずすためにドライバーを貸してほしいと頼んだ。それはいいけど、明日のことにしてお前少し休め、というありがたい言葉をかけてもらい、横になった。
翌朝佐宗さんに付き添ってもらって、北野天満宮の向かい、ということは相馬病院とも中立売通を隔てて向かい合う西陣警察署(当時・現京都府上京警察署)に財布の紛失届けを出しに行った。
「事故ですか!?」
受付の警官が大きな声を出した。そう見えるのも無理はないが、なんだか佐宗さんが加害者のようになっている。申し訳ない。それからまた佐宗さんの家に行ってドライバーを借り、下宿に戻って銀行の通帳と保険証を探し出し、銀行へ行ってお金を下ろして相馬病院に向かった。麻酔が切れてから縫われたあとが痛いわ熱いわ、鼓動とともにずきずきするような不快感がある。一通り診察をしてもらい、抜糸とそれまでの通院の予定を聞いて支払いをした。昨夜はまるで蛇蝎(だかつ)のごとくに忌み嫌うような態度を取っていた同じ看護師さんなのに、なんだか妙にやさしい感じがする。そのまま下宿に帰ってひっくり返った。
夕方に電話が鳴ったので目が覚めた。取ってみたら米谷で、ずっと電話に出ないし、何度か部屋に来てみたが留守だったから心配したと言われた。いや留守にはしてない、眠ってたんや。ひっくり返ったのがお昼前だったが、それからまる1日以上眠っていたらしい。日付が変わっていた。いいかげんむかついていたので怒鳴りつけてやりたかったが、悲しいかな思うように喋れないうえに自分でもよく分からないところもあるので、とりあえず説明を聞いてみると、こういうことらしい。
・ 相手は同じアパートに住む別の大学の男で、飲み友達である。
・ 確かに大きな声を出したがけんかではなく酒の上の勢いであった。
・ 松田が踊りこんできたときものすごい勢いだったので、そのまま殴りかかるかと思った。
・ これはやばいと思ったので米谷は松田を止め、相手は椅子を盾代わりに防御しようとした。
そのときはたんこぶを作ってぶっ倒れただけで、血は一滴も流れていなかったそうだ。謝る相手にちゃんと答えていたというけど、くどいようだが記憶にない。それから相手が帰って行ったあと、松田は米谷に講義ノートを渡すと結構な勢いで店を出て行ったらしい。またもやぶん殴りに行ったのではと心配した米谷も後を追ったが、すでに姿が見えなかった、という。
一通りの説明を聞いて、信じようにも疑おうにも何も覚えてないのでもう丸呑みにするしかない。痛くて面倒くさいうえにイヤなことを思い出してしまうのもイヤなのでそれ以上は不問とし、当時自転車を持ってはいなかったが、自分に対しても『自転車説』を採ることにした。ずきずきする顔面をもてあましているとまた電話が鳴った。佐宗さんから聞いた鞍多が心配してかけてくれたようだ。何か食べたいものはあるかと聞かれたが、痛くて物が食えそうにない。そう答えてお礼を言った。電話を切ってしばらくするとノックの音がして、それぞれが牛乳と100%オレンジジュースと蜂蜜を持った栄地と上浦と鞍多が入ってきた。一人ずつが「たんぱく質」「ビタミン」「糖分」と言って枕元に一つずつ置いていく。
「とりあえずこれで命は繋げるっしょ」
「ええ歳して自転車で転んだアホを笑いに来たんやけどな」
「コレは笑えんなぁ」
相変わらず口は悪いが、心配してくれているのがよく分かるからとてもありがたい。しばらく話をしてまた来るわな、といって帰るときに、鞍多が小さい声で「あんた、自転車持ってないのにね」と言って笑った。それが違うことに気づいているらしいが、すまん、本人もわかってない。入れ替わるように後輩の潟澤、裏鋤、大和田、房野が来てくれた。みんな想像以上の惨状にびっくりするらしいので、だんだん面白くなってきた。そのあと1本ずつビールを持った佐宗さんと古邑さんがやってきて、目の前で飲みやがった。くっそー!悔しがるさまをサカナにされたが、無水シャンプーと体を拭くためのウエットティッシュを持って来てくれていた。
翌日の昼前、西陣警察署から財布が届けられたという電話があった。現金、カード類、学生証、部屋の鍵、レシート、なくなっているものは何もない。届けてくれたのは白梅町に住む小学生で、拾った場所は自宅近くの空地だという。倒れていたりゅうせんのあたりは椅子の一撃をくらったお好み焼き屋と財布の見つかった白梅町のちょうど中間地点に当たる。するとお好み焼き屋を出て、白梅町でなんかあって、半分引き返してぶっ倒れたのか?ナゾは深まるばかりでございます。ともかく財布を受け取って本屋に行き、図書券を買って教えられた住所に行った。行ってみると拾ってくれた子は留守で、平日の昼間だから当たり前なのだが、対応に出られたお母さんは絶句していた。忘れていたが包帯男なのである。くどいくらいに礼を述べて診察を受けに行った。ガーゼを替えてもらって、包帯ではなくテープ止めになった。とはいえまだ顔面の半分以上が隠れている。
試験前なので午後の授業には出席した。最初はみんなが驚いて固まる様子を面白がっていたが、しまいにだんだん嫌気がさして、最後の授業には出ずにBoxに顔を出した。そのとき居合わせた潟澤に、前日は見舞ってやりたいと思った連中が相談の上で品物の分担を決め、時間をずらして来てくれたということを教えられて、嬉しくてちょっと泣きそうになった。
抜糸よりも先に後期試験が始まった。試験では写真つきの学生証を机の上に置いて、監視員が机間巡視して本人確認をすることになっている。試験のたびに監視員は驚いたように立ち止まり、中腰になって、顔を横にして下から覗き込んでくる。一人しつこい奴がいて、腕組みをして横に突っ立ったままじっと見ている。しょうがないのでガーゼをはがしてにっこり笑ってやった。縫合されたところはまだナマで、乾いた血も乾いてない血も糸に絡みつくようになってまだら模様を作っている。自分で見るのも気持ち悪い。そいつは顔を背けて口を手で覆い、小さな声で「すいません」と言って歩いて行った。ざまを見給え。
どうやら無事に試験も終わり、抜糸も済むとようやく自由に口を動かせるようになった。ただ舌の一部も切れていて、治りかけたところが腫れ上がっているので、まだしばらくは思うように呑み食いできそうにない。そのうちに試験の結果が発表となって、幸い落とした単位もなく、試験の打ち上げと称して呑んで回っている連中をうらやましく思った。結局一月ちかく牛乳とオレンジジュースと蜂蜜で過ごすことになり、そのおかげで過激なダイエット効果が得られた。効果はテキメンだが、あまりおすすめはしません。それはさておき、糸を抜いた日の夜、米谷と一緒にガタイのでかいアンちくしょうがフォア・ローゼズを持って訪ねてきた。しきりにゴメンよぉ、と言ってくれるが、米谷の説明通りであるならこいつは全然悪くないのである。上記のとおりその説明を丸呑みにすることにしてあるので、結局こいつはいい奴じゃん。それ以来、そのガタイのでかい杣君とも飲み友達になった。
ようやく物が食えるようになるとまずりゅうせんに行ってお金を返し、そこで祝杯をあげてもらった。それからやたらと呑みに誘われるようになり、連日のように連れ回され、部屋に押しかけられ、乱痴気している間に次の春がやってきた。