電話‐電気‐ガス‐水道 の順番だそうである。料金未払いによってライフラインが止められる順番の話なのだけど。幸い、というか辛くも、というか、元置屋の下宿はガスと水道はすべて共同だったので個人負担の必要はなく、電気代といっても裸電球に冷蔵庫とテレビとビデオとミニコンポくらいのもので、どれだけ使ってもたかが知れている。しかも洗濯機は1階の三和土(たたき)になっている水場の横に全世帯の分がまとめて置いてあり、配線はそれぞれの部屋とは別系統になっていた。ということで上記三つの料金はすべて共益費の中に含まれていたのでどれだけ使おうと停められる気遣いはない。電話はといえば(断っておくが、まだ携帯電話のない時代の話である)『行くぞ』という内容と『来い』という内容で頻頻(ひんぴん)とかかってきはしたが、自分の方からかけることはそれほど多くなかった。けれど、相手によってはお互いの言葉尻を捉えては連想をつなぎ、かと思えば同じ話がループし、特に酔っ払い同士の夜中の電話がよろしくない。そのうち最初にかけた用事のことなどどうでもよくなって、完全に忘れてしまっている。そういう訳なので、かけてもかけられても一度話し出すと長くなる。だいたい、同じ京都市内に住まう相手であればそこに行って直接話せばいいんだ、そのほうが手っ取り早いし確実だし。とはいえ相手が女性だったり自宅生だったりすると真夜中に押しかけるわけにもいかない。それ以前に酔っているから面倒臭い。それで勢い長くなる。これではたまったもんではないわな。確かに、一度だけ電話を止められたのはかなり早かったように思われる。
この順番を教えてくれた後輩の牟地山はふにゃふにゃしている。タイかミャンマーか、ともかく少し日本人離れした風貌で、夏でも寒そうに見えるほど線が細い。人当たりがよくいろいろと気を使うこともできるようでいて根がズボラなのか、金がないわけでもないのに請求書が送られてくるに任せてそのまま放っておいたら「その順番で止められた」のだという。ズボラが拗(こじ)れて下宿している部屋の床の上にいろんなものが幾層にも重なり、本来の床を見ることもなくその十数センチ上で生活をしていたのだそうだ。そこで見かねた牟地山の同期が何人かで掃除を手伝ってやった。すると最下層に近いところで発見されたいつのものとも知れないスポーツドリンクが茶色に変色していたという。松須さんの下宿で、これまたいつのものかもわからないゴミとなったカップめんの容器の中のかぴかぴにかたまったスープの脇でゴキブリが干からびて死んでいた、というのと双璧を成す、いろいろと『考えさせられる』エピソードである。
そのお手伝い組の中の、たぶんいたんだろう、牟地山と同期の房野もまたふにゃふにゃしていて、何というか小型のげっ歯類のような目をいつでも眠たそうにしばしばさせている。そしてまた高校時代の部活の写真だと言って見せられたアメフトのプロテクター姿が下手なコスプレにしか見えないほど線が細い。傍から見ていてこれで大丈夫か?と思われるほど人が好くて、人の好さにかけてはまず右に出る者はあるまい。しかしそれでいながらなかなかにいいセンスをしている。
そんな房野が2回生の折、学園祭で出す屋台の統括を任されたときのこと。
前年、松田の同期が中心になったときにはおでん屋を出した。学園祭ではビールと日本酒を商うことが認められていたため、夜の寒い時期にそれらに合う『あて』を作ってもらったのである。皆川の味付けがまた旨い。店番を鞍多や上浦など愛想と元気の良い連中に任せ、不本意ながらサクラ役に徹することにした。本意ではないが、屋台の隅に腰掛けておでんをつつきながらコップ酒を呷っていたのである。これもまた本意ではないが、様子を見に顔を出してくれた先輩方の相手もする。そうやって本意ではないサクラ役をしていたら、隣に座ったどっかの助教授が「あぁ、美味しいねぇ」という。ええ、ウチのおでんは出汁からとった本格派ですから。皆川、でかした!
喜んだのも束の間、本格派のおでんで本格的に呑み始めた助教授はやがて呂律も怪しくなり、それほどお強くもなかったんですね、横のサクラに向かっていろいろ話しかけてくる。こんなのもっと本意ではなかったが、それからしばらくネチネチと愚痴を聞く羽目になった。『助』教授ってのも大変なのね...
そんなこともあって『居酒』のできるようなものは避けようということになり、商うメニューは『フランクフルトとビール』、スナック感覚で歩きながら食ってくれ、と決まったあと房野がうちで呑みながら「相談があるんですけど」という。
「どした?」
「店の名前ね、『阿部定』にしたいんですよ...」
やりやがった!その場で紙に『アベさダ』と書き、看板デザインとして左手にビールジョッキ、右手に血の滴る包丁を持って仁王立ちするフランクフルトの絵を描いてやった。そのバックに腰に手を当てて立つフランクフルトをずらっと居並べる。結構かわいらしい看板が出来上がり、なかなかウケがいい。しかし何より房野発案による店名がすばらしい。
当日は同じものを商う屋台もいくつかあったが、そのものズバリを連想させるような、身も蓋も何の捻りもない店名のところが多い。大学生の発想ってそれほどセンスのないものかというに、居並ぶフランクフルト屋の中で完売したのは『アベさダ』のみ、「これ」で買っていってくれるという周りの了見をみても『それほどセンスのない奴がたまたま大学生になった』だけであることがわかる。それに引き換え、房野はなかなか心をざわつかせる発想をする。特に女子からは反発を食らうと思ったが、それにウケ、それを好しとして受け入れた後輩たちは頼もしい。
屋台の脇でもらったビールを飲んでいると、1回生らしい男女の団体客のお越し。看板がかわいいという声にちょっとイイ気になりかけていたら「何で血ィ流れてんのん?」だとか「『あべさだ』ってなに?」だとか聞こえてきた。
「なんや、知らんのか。『阿部定』いうのは...」
「ちょっと!」
裏鋤だったか潟澤だったか、誰かに屋台の裏手へと引き込まれた。せっかく説明してやろうと思ったのに。
この順番を教えてくれた後輩の牟地山はふにゃふにゃしている。タイかミャンマーか、ともかく少し日本人離れした風貌で、夏でも寒そうに見えるほど線が細い。人当たりがよくいろいろと気を使うこともできるようでいて根がズボラなのか、金がないわけでもないのに請求書が送られてくるに任せてそのまま放っておいたら「その順番で止められた」のだという。ズボラが拗(こじ)れて下宿している部屋の床の上にいろんなものが幾層にも重なり、本来の床を見ることもなくその十数センチ上で生活をしていたのだそうだ。そこで見かねた牟地山の同期が何人かで掃除を手伝ってやった。すると最下層に近いところで発見されたいつのものとも知れないスポーツドリンクが茶色に変色していたという。松須さんの下宿で、これまたいつのものかもわからないゴミとなったカップめんの容器の中のかぴかぴにかたまったスープの脇でゴキブリが干からびて死んでいた、というのと双璧を成す、いろいろと『考えさせられる』エピソードである。
そのお手伝い組の中の、たぶんいたんだろう、牟地山と同期の房野もまたふにゃふにゃしていて、何というか小型のげっ歯類のような目をいつでも眠たそうにしばしばさせている。そしてまた高校時代の部活の写真だと言って見せられたアメフトのプロテクター姿が下手なコスプレにしか見えないほど線が細い。傍から見ていてこれで大丈夫か?と思われるほど人が好くて、人の好さにかけてはまず右に出る者はあるまい。しかしそれでいながらなかなかにいいセンスをしている。
そんな房野が2回生の折、学園祭で出す屋台の統括を任されたときのこと。
前年、松田の同期が中心になったときにはおでん屋を出した。学園祭ではビールと日本酒を商うことが認められていたため、夜の寒い時期にそれらに合う『あて』を作ってもらったのである。皆川の味付けがまた旨い。店番を鞍多や上浦など愛想と元気の良い連中に任せ、不本意ながらサクラ役に徹することにした。本意ではないが、屋台の隅に腰掛けておでんをつつきながらコップ酒を呷っていたのである。これもまた本意ではないが、様子を見に顔を出してくれた先輩方の相手もする。そうやって本意ではないサクラ役をしていたら、隣に座ったどっかの助教授が「あぁ、美味しいねぇ」という。ええ、ウチのおでんは出汁からとった本格派ですから。皆川、でかした!
喜んだのも束の間、本格派のおでんで本格的に呑み始めた助教授はやがて呂律も怪しくなり、それほどお強くもなかったんですね、横のサクラに向かっていろいろ話しかけてくる。こんなのもっと本意ではなかったが、それからしばらくネチネチと愚痴を聞く羽目になった。『助』教授ってのも大変なのね...
そんなこともあって『居酒』のできるようなものは避けようということになり、商うメニューは『フランクフルトとビール』、スナック感覚で歩きながら食ってくれ、と決まったあと房野がうちで呑みながら「相談があるんですけど」という。
「どした?」
「店の名前ね、『阿部定』にしたいんですよ...」
やりやがった!その場で紙に『アベさダ』と書き、看板デザインとして左手にビールジョッキ、右手に血の滴る包丁を持って仁王立ちするフランクフルトの絵を描いてやった。そのバックに腰に手を当てて立つフランクフルトをずらっと居並べる。結構かわいらしい看板が出来上がり、なかなかウケがいい。しかし何より房野発案による店名がすばらしい。
当日は同じものを商う屋台もいくつかあったが、そのものズバリを連想させるような、身も蓋も何の捻りもない店名のところが多い。大学生の発想ってそれほどセンスのないものかというに、居並ぶフランクフルト屋の中で完売したのは『アベさダ』のみ、「これ」で買っていってくれるという周りの了見をみても『それほどセンスのない奴がたまたま大学生になった』だけであることがわかる。それに引き換え、房野はなかなか心をざわつかせる発想をする。特に女子からは反発を食らうと思ったが、それにウケ、それを好しとして受け入れた後輩たちは頼もしい。
屋台の脇でもらったビールを飲んでいると、1回生らしい男女の団体客のお越し。看板がかわいいという声にちょっとイイ気になりかけていたら「何で血ィ流れてんのん?」だとか「『あべさだ』ってなに?」だとか聞こえてきた。
「なんや、知らんのか。『阿部定』いうのは...」
「ちょっと!」
裏鋤だったか潟澤だったか、誰かに屋台の裏手へと引き込まれた。せっかく説明してやろうと思ったのに。