履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
吹雪 10の3
兄の発令は、十月二十日付であったが、月末までの十日間は見習として前任者に同行して集配区域を覚えた。
兄が担当した集配区域は、郵便局を境にした似湾村の南部一帯と、隣村の生べつ村全村であって、その往復の道程が約四十粁と言う広い区域を歩かなければならなかった。
母は兄の就職問題には何んの意見も挟まなかったが、その就職が決定すると、早速兄の作業衣として、裾が膝小僧から十糎程下がる綿入れを裁縫した。
郵便集配人とし出勤をする見習第一日の日の兄は、母が仕立てたこの綿入を着て、メリヤスのズボン下に巻きゲートル、そして草鞋履と言う身仕度で、私と同じ時刻に郵便局へ出勤をした。
前任者に教わりながら郵便物の区分をして居る兄に、「兄さん元気でネ。」と言って、私は一足先に郵便局を出たのだが、「ウン」と頷いて私を見送った兄の顔は、何となく淋しそうに見えた。
第一日目の見習を終えた兄は午後の六時頃に帰って来たが、「只今」と言う声には何となく元気が無かった。
「兄さんどうだった。」と私が尋ねても、只「ウン」と言ったきりで、夕食もそこそこに寝床へ潜ってしまった。
そうした兄の様子に「兄さんは辛かったんだな。」と思うと、私も何となく物寂しい気持になったので、早々に寝床へ潜り込んだのだが、「無理も無いなぁ。坊チャン坊チャンと皆からチャホチャホされて勝手気儘に暮して来た兄貴だもんな。それが郵便配達をやるんだもんな。屹度内地の生活が恋しいんだろう。俺だって丸亀が恋しいもんなぁ。」と思うと、ひしひしと慕郷の執念が胸に迫って、容易に私を睡らせなかった。
大正元年十一月一日。
それは兄が愈々一本立ちの郵便配達になった日であったが、その朝も私は兄と連れだって家を出た。
私の家から郵便局までは、五十歩足らずの距離であったが、玄関から十歩程歩いた所で、突然立止った兄は、「義章、すまんが今日一日俺を手伝ってくれんか。俺には未だ自信が無いんだ、それに途中の道がとても淋しいんだ。」と沈痛な面持で言ったのだが、その一瞬私は返事に惑ってしまった。
と言うことは、兄を手伝うとすれば当然学校を休まなければならないことと、臨時集配人の私は市街地を往復をする朝の函開けで学校を毎日三十分遅刻をして居るのであったから、欠席をすると言うことは実に苦しいことであったからであった。
併し、私が手伝わなければ兄はどうなるのかと言うことを考えると、私は右すべきか、それとも左すべきかと、その去就に迷ったものであった。