aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編  私の弟と烏 6の3

2024-12-25 20:08:58 | 履歴稿
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履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 私の弟と烏 6の3
 
 私の母は、胃弱と言う持病があったので、いつも薬湯に親しんで居た人であったから、過激な労働は出来ない人であった。従って、住宅の付近にある家庭菜園を耕作するのが精一杯であったのだから、小出さんからの借地は、主として私が耕作をしなければならなかった。
 
 私の家では、借地の畑を小出さんの畑と呼んで居たが、私は学校から帰ると、早速その小出さんの畑へ鍬・鎌・鉈等の器具を持って第一日の火曜から土曜日までの五日間を、種を蒔くための整地に通った。
 
 私の整地作業第一日は、開墾をする時に伐採をした柴木や掘り起した木の根株、それに切り払った枝木を、人力ではとても掘り起せないので、其の儘に残してある巨木の根株を芯にして、その周囲に積重ねてあったものを焼きつくすことであった。
 
 芯になって燃やされる切株は、その直径が六、七十糎程あった物が五箇所に選ばれて居た。
 
 私は、枯草を狩集めて積累ねてある柴木や木の根の隙間へ風上の方から詰込んで、次々と五箇所を廻って火をつけた。
 
 
 
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 その日の風は微風ではあったが、柴木を始め木その物が乾燥しきって居たので、火は忽ち勢い良く燃え広がって真紅の炎が高々と五箇所の切株から揚がった。
 
 「よしっ、これならうまく燃えるぞ。」と、熾んに火の手を揚げる五箇所の火を次々と見廻った私は、その日の黄昏時まで笹の根を深く堀返してある新地の土塊を畑地の南端から、鍬を振るって砕き耕したのだが、その面積は、僅か二十坪程のものにしか過ぎなかった。
 
 私はその翌日も、学校から帰ると早速小出さんの畑に出かけたのであったが、昨日燃やした五箇所の火は既に燃えつきて居た、併し、柴木や木の根の類が未だ炭火のように赫赫として居た。そして芯にされた切株はその外側が黒く焦げてブスブスと燻って居た。
 
 私は昨日に引続いて、矢張黄昏時までの時間を懸命に土塊砕きをやったのであったが、昨日の経験が要領に馴れさせたので、その日は、約半反歩程の成果をあげることが出来た。
 
 明けて、木曜日の第三日目には、火は全く消えて、黒く燻んだ切株の周囲を柴木類の灰が、白く取り巻いて居た。
 
 
 
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 その日の土塊砕きは、二日間の熟練が能率をあげて、翌四日目には全部完了と言う素晴しい成績であった。
 
 五日目の土曜日には、昨日までに砕いた土を均して馬鈴薯を蒔く部分の畝筋を切った。
 
 ”私の弟と烏”それは、六日目の日曜日のことであったが、次弟の義憲がこの小出さんの畑で二羽の烏と、珍無類の滑稽を演じたことであった。
 
 その日の朝私が、叺に入れた半俵程の種馬鈴薯を背負って、鍬を持とうとした時に母が、「今日はお天気も良いし家にはお父さんが居るのだから、お母さんも手伝ってあげる。その鍬はお母さんが持って行くから置いて行きなさい。」と言ってくれたので、私はその鍬を残して途中では、三度ほど休んだが、三十分程で小出さんの畑に行き着いた。
 
 畑に行き着いた私が、畑の中央部に在った直径が一米程もある楢の巨木の切株に、種馬鈴薯の叺を卸してホッとした時に、「義章、重かったじゃろうなぁ。」と二丁の鍬を肩にした母が、弟を伴って畑に来着いた。
 
 
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