aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

だんまりを決め込む

2009-05-28 13:21:45 | あれこれ
DSC_7210
Nikon D200/VR18-200

「守りに回る人生」について、前回次のようなコメントをいただいたのであるが、

いわば、病気や怪我を怖れて、無理しない、好きなことも慎む、食べたい物も我慢する・・・つい、慎重になってしまう人生かな?
でも、視点を変えて、健康という目的を持った人にとっては、それは「攻めの人生」にもなるわけですよね・・・?
ayaGさんの健康観も知りたいところです。


自分は、病弱な妻と暮らしている。
妻の病気は、精神的なものなのだそうで骨折などと違い軽快や治癒の予測ができないものである。
50歳代になってからの発症で、症状からは「更年期障害」では?とよく言われる。
長い人でも10年もすれば治ると言われた。
もうあれから9年が経過したが、本当にあと1年で治るのなら9年間我慢してきた甲斐があったというものだ。

確かに「薬は時間」と言うけれど、しかし、本人が言うのには、幼い頃の心の傷はそう簡単には消えはしないと言う。
いつまでフォローしなければいけないのかわからない終りのない看病は私の生活に大きな影響を及ぼす。

宿泊を伴う出張ができないため、私は仕事を変えた。
正確には、退職して非常勤職員となった。
その仕事も雇用期間が終り、現在は無職である。

「出張ができない」とはどういうことか。
与えられた仕事がこなせないということである。
その仕事を代わってもらうのには1度や2度ならよいだろうが、今後毎回という事態ならとても申し訳なくてその職場にいられない。

なぜ宿泊を伴う仕事ができないのか。
妻は不安症というか、胸が騒いで夜間一人でいることができない精神状態なのである。
不安が高じると錯乱状態になりとても独りにしておけないのである。

錯乱状態になると、水や食事、もちろん薬も受け付けず、無理に飲ませても嘔吐してしまう。
初めてこの症状が出たときには訳が分からず、少量でも水や食事を摂らせようとしたが嘔吐を続け、数日後内科系の診療所に受診するも原因不明で、水分と栄養補給のため500mlの点滴を3本3時間かけて行ったが、その間一度も小水を出すこともなくかなり脱水状態であったことがわかる。
抗うつ剤の投薬を受けたが薬が合わず、精神科から神経内科へまわり合う安定剤と食欲増進剤を服用して数年が経過している。

このような生活をしているため、自分は泊りがけの旅行には出かけられず、日帰りであっても単独行であれば当然怪我などの事故には細心の注意を払う。
食事も自分が病気を得れば他人の面倒など見られなくなるので気を配る。
2年前、治療のために服用した薬が原因で急性肝機能障害になってからは飲酒も控えている。
妻の要望に応えて胃カメラ検査もし、ヘリコバクターピロリ菌とやらの除去もした。

健康な人の山行でも、怪我を恐れて慎重に動き無理をしない、装備は安全に、ということは当然のことだろうと思う。
ただ、毎日の食事については、小さいことの積み重ねだから病気に気が付いて変更しても時既に遅しと思っている。
日本人は草食人種だから肉食人種の欧米人とは体のつくりが違うとのこと。
食事の欧米化は、日本人の病気を変えたといわれている。
確かに西洋料理や外国料理は色んな味が楽しめて美味しい。
でも、自分が介護する立場であれば自分の健康を確保しないと共倒れになるのでおのずからそのバランスに注意する。
そこには「健康が目的」ではなく健康が最低条件なのであると思う。
連れ添いが病気でなくても、自分が病気になって連れ添いに看病してもらう、そんな事態にはなりたくない。
そういう考えが「守りに回る人生」なのであろうか。
「守りに回る人生」という言葉からは負の印象を受けるのであるが・・・、

どうも、こんなことはコメントとして書くのは気後れがする。
「ayaGの健康観を知りたい」と言われても、ここんところは失礼とは思うがだんまりを決め込んだほうが良いかなと、








 
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