花sakagさんの「がんの哲学」を読んで、次の文章に反応した。
「2人に1人はがんに罹るのですよ。今ここにいる半分は罹るということです。非常に確率の高い身近な病気なのです。そして、3人に1人はがんで死ぬんです。がんは予防のしようがありません。助かりたかったら、早めの検査しかありません。」
ガンは予防できない、ということに対して
二つの考え方があります。
一つは、予防できる
もう一つは、予防できない。
一つ目の予防できる。について
病気は、その時突然もらうものではなく、長い年月かけて育て上げたものだ。
という考え方。
特に毎日摂取する食物が重要な働きをしていると、いうもの。
日本人は、日本人にあった日本食を摂ることによって健康な生活を送れる。
それを阻害するのは生活習慣であると、いう。
その1 喫煙の習慣
その2 飲酒の習慣
その3 強く持続するストレス
肉食、乳製品の摂取を控えて、玄米と野菜、魚の食事を摂ること。
そして3つの生活習慣を改めることによって、いままで積み重ねられた日本人の遺伝子を狂わすことなく生活できる。としている。
家系や遺伝説に対する反論として、家族は、同じ料理を食べ続けるから同じ病気になる可能性が高い。と説明される。
二つ目の予防できない。について
生活習慣について、
②の、飲酒は自分が飲まなければ成立する。が、仕事などが円滑に進行しない虞がある。
①の喫煙の習慣については、喫煙は、自分が吸わなくとも他人の煙が、特にフィルターを通らない最もおいしい煙が労なく好まなくとも無料で吸うことができる。否、吸わされる。(最近は分煙が進んできているが)
③のストレスは、仕事をしていれば大なり小なり継続的にあるもので避けられない。とする。
玄米、野菜についても生産段階で使用される化学肥料などの薬品や、加工の際に添加される薬品については避ける術がない。
空気にしても、汚染された空気を見極めて避けることは、かなり困難である。
沢水にも、森林に空中散布された薬品が紛れ込んでいるであろうし、水道水にしても消毒の段階で薬品が入っている。
日本の世の中の生活に関する仕組みがそのように作られていて、それを拒否することが難しい。
従って、予防できない。とする。
私は、予防できる。という立場をとりたい。
私は過去、酒も煙草もやっていた。
朝歯を磨くと(この頃はなぜか寝る前にではなく朝起きてから歯を磨いていたのだ)必ずオエッとなるのだった。
当然胃がやられていたと思った。
煙草は朝起きてから寝るまで吸っていた。
酒は夜だけであった。
どちらかを止めなければまずい事になると感じていた。
煙草は止めても仕事はできるが、酒はそうはいきそうもない。
、ということで煙草を止めることにした。
数回の失敗、挫折を味わって、今回の禁煙が最も長く、40年ほど続いている。
15年ほど前から薬を飲みながらでも酒を飲んでいた。
正確には、酒を飲むために薬を飲んでいた。が正しいだろう。
一昨年12月、新しい病気と付き合うようになり、薬が1種類増えた。
昨年2月、突然といっても良いくらいに肝機能障害が現われた。
薬全部と飲酒を止めた。
病気は悪化せず、全快とはいえないが軽快し小康を保っている。
人体にとって薬品がいかに悪い影響を及ぼすのか、身をもって体験した。
友人は、たまに一杯くらいは良いだろう。と言うが、私は量を制限して飲むという技術は持ち合わせていないので、今のところ口にしていない。
酒を止めて消化器系に良い変化があった。
高価であっても無農薬や減農薬などの食材を取り入れていけば身体にもっと良い変化が起きるのではないかと楽しみになる。
そういう人が多くなれば、生産側にも変化が起こるだろう。と期待している。
予防できない状況を予防できる状況へと変えられるのではないかと、思う。
辻 信一の言う「ハチドリのひとしずく」のように