「 怪談 」 小池 真理子

昨年新聞に紹介されて、すぐに図書館にリクエストして、すっかり忘れていたのが、やっと電話がかかってきて借りてきました。
7つの短編「恐怖小説」ですが、怖さはなく、死者(異形のもの)の気配を感じる幻想的な小説です。
あとがきに、作者自身や周辺の人々が実際に体験したエピソードも織り込まれているとあり、
自身の心が作り出した思いや感じるものなどで、他の人たちには見えず感じず、答えのない不思議な物語です。
「岬へ」
20年前に岬から身を投げた知人が、最後に泊まったペンションを訪ね、彼の最後の様子を調べていくと、、、。
~~~~~
ペンションに泊り合わせた男が、「人は死ぬときに息を吐くものだと思っていませんか?人は死のうとする時は息を吸うんです。
吸うんだけども、空気がそれ以上入っていかなくなって、死ぬんです。息をひきとるというのはそういうことなんです。」
と話すのが、妙に印象に残りました。
「座敷」
地主に嫁いで、ご主人が病気で亡くなり、その弟と結婚している友人を訪ねると、ひどくやつれている。
泊まることになったが、部屋の片隅に大きな影が現れる。
元夫の深い愛、執着、悔しさ、無念さ、懐かしさ、悲しみ、慟哭、嫉妬、が入り混じった巨大な感情の渦。
~~~~~
先立つ者の心残り、残された者の悲しさ、辛さ。
それでも残されたものは子供を育てて、生きて行かなければなりません。
身近に経験しているだけに、よくわかり、辛い作品でした。
「幸福の家」
公園のベンチに座っている孤独な老人と知り合い、少女は毎日やって来て、幸せな自分の家の話を語って聞かせる。
食事を誘われた老人は、残念ながら行けないと、少女に本当のことを話し始める。
~~~~~
幸せな家庭は実は、、、と思わぬ展開にびっくりしました。
「同居人」
森の中の別荘に暮らしている老女。
主人が生きているとき、「子供が遊びに来る」と言っていたが、夢だと思っていた。
主人が亡くなり一人になった時、その子を感じるようになった。「ひろくん」となずけた。
やがて、ひろくんの母親も現れるようになった。
「カーディガン」
友人の送別会で貸し切ったバーに置き忘れられていた黒のカーディガン。
持ち主を探すが、誰もいない。10人で貸し切ったのに、バーのママは11人いたと言う。
ママが貰っていた名刺で持ち主を探し、彼女の家を訪ねると、彼女はいなくて母親が迎えてくれた。
それからは、彼女に会えないまま、母親に乞われて、居心地のいいその家を度々訪れることになる。
「ぬばたまの」
大学教授の私は13歳年下の教え子と彼女が22歳の時に結婚した。
10年ほど楽しく暮らしたが、彼女が病気で亡くなってしまった。
深い悲しみと絶望感で、何もする気がなくなり、強い倦怠感に苛まれ、人が生きていく欲望は何もかも失われた。
そんな時、恩師の葬儀に行き、友人に誘われそば屋に入り、妻を見かけた。
初めて、亡くなったはずの妻を見たそば屋は、あの時には、とうに店主が亡くなって閉店していたことがわかる。
そのうち家の中でも妻を感じるようになり、死んだ妻でもいいから触れ合いたいと願うようになり
涙を流していると妻の手が現れ、、、。
「還る」
息子の結婚式で見かけた男性。いろんな人に聞いても、だれの目にも見えていないらしい。
それから、偶然にいろいろな所で見かけるようになり、追いかけるが見失ってしまう。
やがて、私は思い出した。 11歳でチフスにかかり亡くなった弟のことを。
あちら側の世界とこちら側の世界はいつもつながっていて、気づくことができた人だけが、還ってきた人と再会ができる。
その後、弟は二度と現れなかった。
~~~~~
会えるものなら、私も亡くなった母や弟にひと目でもいいから会いたかったです。何回、夢でもいいから会いたいと思ったことか。
それでも、私が小さすぎて記憶になく、夢に見ることもありませんでした。
父親とお姑さんは、時々夢に現れてくれます。
目覚めたとき、懐かしさでいっぱいになります。
小池真理子さんの次の作品を楽しみにしています。
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ありがとうございます。

昨年新聞に紹介されて、すぐに図書館にリクエストして、すっかり忘れていたのが、やっと電話がかかってきて借りてきました。
7つの短編「恐怖小説」ですが、怖さはなく、死者(異形のもの)の気配を感じる幻想的な小説です。
あとがきに、作者自身や周辺の人々が実際に体験したエピソードも織り込まれているとあり、
自身の心が作り出した思いや感じるものなどで、他の人たちには見えず感じず、答えのない不思議な物語です。
「岬へ」
20年前に岬から身を投げた知人が、最後に泊まったペンションを訪ね、彼の最後の様子を調べていくと、、、。
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ペンションに泊り合わせた男が、「人は死ぬときに息を吐くものだと思っていませんか?人は死のうとする時は息を吸うんです。
吸うんだけども、空気がそれ以上入っていかなくなって、死ぬんです。息をひきとるというのはそういうことなんです。」
と話すのが、妙に印象に残りました。
「座敷」
地主に嫁いで、ご主人が病気で亡くなり、その弟と結婚している友人を訪ねると、ひどくやつれている。
泊まることになったが、部屋の片隅に大きな影が現れる。
元夫の深い愛、執着、悔しさ、無念さ、懐かしさ、悲しみ、慟哭、嫉妬、が入り混じった巨大な感情の渦。
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先立つ者の心残り、残された者の悲しさ、辛さ。
それでも残されたものは子供を育てて、生きて行かなければなりません。
身近に経験しているだけに、よくわかり、辛い作品でした。
「幸福の家」
公園のベンチに座っている孤独な老人と知り合い、少女は毎日やって来て、幸せな自分の家の話を語って聞かせる。
食事を誘われた老人は、残念ながら行けないと、少女に本当のことを話し始める。
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幸せな家庭は実は、、、と思わぬ展開にびっくりしました。
「同居人」
森の中の別荘に暮らしている老女。
主人が生きているとき、「子供が遊びに来る」と言っていたが、夢だと思っていた。
主人が亡くなり一人になった時、その子を感じるようになった。「ひろくん」となずけた。
やがて、ひろくんの母親も現れるようになった。
「カーディガン」
友人の送別会で貸し切ったバーに置き忘れられていた黒のカーディガン。
持ち主を探すが、誰もいない。10人で貸し切ったのに、バーのママは11人いたと言う。
ママが貰っていた名刺で持ち主を探し、彼女の家を訪ねると、彼女はいなくて母親が迎えてくれた。
それからは、彼女に会えないまま、母親に乞われて、居心地のいいその家を度々訪れることになる。
「ぬばたまの」
大学教授の私は13歳年下の教え子と彼女が22歳の時に結婚した。
10年ほど楽しく暮らしたが、彼女が病気で亡くなってしまった。
深い悲しみと絶望感で、何もする気がなくなり、強い倦怠感に苛まれ、人が生きていく欲望は何もかも失われた。
そんな時、恩師の葬儀に行き、友人に誘われそば屋に入り、妻を見かけた。
初めて、亡くなったはずの妻を見たそば屋は、あの時には、とうに店主が亡くなって閉店していたことがわかる。
そのうち家の中でも妻を感じるようになり、死んだ妻でもいいから触れ合いたいと願うようになり
涙を流していると妻の手が現れ、、、。
「還る」
息子の結婚式で見かけた男性。いろんな人に聞いても、だれの目にも見えていないらしい。
それから、偶然にいろいろな所で見かけるようになり、追いかけるが見失ってしまう。
やがて、私は思い出した。 11歳でチフスにかかり亡くなった弟のことを。
あちら側の世界とこちら側の世界はいつもつながっていて、気づくことができた人だけが、還ってきた人と再会ができる。
その後、弟は二度と現れなかった。
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会えるものなら、私も亡くなった母や弟にひと目でもいいから会いたかったです。何回、夢でもいいから会いたいと思ったことか。
それでも、私が小さすぎて記憶になく、夢に見ることもありませんでした。
父親とお姑さんは、時々夢に現れてくれます。
目覚めたとき、懐かしさでいっぱいになります。
小池真理子さんの次の作品を楽しみにしています。


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