酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

カミングアウトねえ?

2018-05-30 08:35:21 | 話題
経済評論家?の勝間和代が同性と交際しているとブログで公表した。

 ≪ 働く女性らに人気の経済評論家、勝間和代さん(49)が29日までに、女性と交際していることを自身のブログで公表した。同性を好きになっても人に言えないことに悩んでいたと明かし、同じ悩みを持つ人の「ヒントになる可能性があると思った」と公表の理由を記している。相手は性的少数者(LGBT)への理解を促す活動をする増原裕子さん(40)。知人の紹介で知り合ったという。

 増原さんは2015年、同性カップルを結婚に相当する関係と認定する制度を全国に先駆けて始めた東京都渋谷区で、別の女性と第1号カップルになり、その後、関係を解消していた。〔共同〕=日経com≫

 ああそうですか。2度の離婚歴があり3児の母だった方がねえ。まあ、へえーっという気はするがそれだけのこと。なんでこんなことを敢えて「公表」するのか、また、メディアが取り上げるのか、それが分からない。勝間自身、「公表するのは変」と綴っている。

 ≪カミングアウト「心の氷が溶けた」 私は同性を好きだって、わざわざ公表をしないといけないって、本当は変ですよね。私は左利きですって、いちいち公表しないのと一緒で。

でも、LGBTのカミングアウトには勇気がいる。それこそが、偏見や差別が残っている証です。

私も同性を好きになる気持ちに蓋をしてきました。自分の中の無意識の規範概念があったと思います。それを超えると、何が起きるのかわからなかった。

でも、今は規範概念にとらわれて自分らしさを出せていない人に言いたい。同性を好きになってもいいんだよ。そのことに罪悪感を感じる必要はないんだよ。

LGBT当事者に対する反応でよくあるのが「普通じゃなくてもいいじゃない」。だけど、同性愛は異常でもない。普通という概念を広げよう、と言いたいです。

こういう風に思えるようになったのは、裕子さんだけじゃなくて、自分らしく生きているLGBTの人たちに会って、すごく素敵だったから。

私は裕子さんがいてくれたから、こうやってみんなに公表しようという気持ちになれた。でも、多くの人はそうではないでしょう。その人にも伝えたい。仲間はたくさんいるんだよ、ということを。

すぐに何かが変わるのは難しい。私も裕子さんに出会って、数年かけて、心の氷が溶けてきました。このインタビュー記事が、誰かを元気づけて、何かのきっかけになればいいなと思います。≫=オフィシャルブログ。


 「LGBTのカミングアウトには勇気がいる。それこそが、偏見や差別が残っている証です」。言いたいことは分かる。隠していて(公表せずにいる)あとでばれた際のバッシング=反響の大きさを考えての公表なのだろう。だが、自分の性向などを公表すること自体おかしい。誰しも人に言いたくない面はある。当たり前のことだ。人は人、自分は自分なのだ。勝間が同性愛者、あっそう。それだけのこと。勇気などを振り絞って! 他人に告げる必要はさらさらないように思えるが…。それを言わないといけないのが「有名税」ってことですかね。
 
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M君を褒めすぎていないか

2018-05-25 09:33:25 | スポーツ
 日大と関学とのアメリカンフットボールの定期戦で、日大DL選手がパスを投げ終わった関学QBに背後から強烈なタックルをかました「事件」が世間の重大関心事となっている。マイナー競技と見られていたアメフトの、しかも定期戦での出来事がかくも世上をにぎわせるとはちょっと意外な感じもする。無防備のQBに、故意にかつけがをさせる意図で突っ込んでいったことの異様さが際立っているということだろう。まさに前代未聞の暴挙と言っていい。

 しかもこの行為は日大の監督・コーチからの「命令」されたものだったことが濃厚となっている。当該選手のM君が記者会見で事の次第を詳細の述べたのである。テレビニュースやワイドショーなどで繰り返し放送されたので、ご覧になった方も多いだろう。氏名を公表し顔をさらして自分の非を認めたM君には「勇気ある行動」「感銘を受けた」等の称賛の声が上がっている。翌日の日大側の改憲が目を覆うお粗末さだったがゆえに、M君の潔さが引き立つ。

 とはいえ、M君を悲劇の主人公に仕立て上げ、「フットボール界に復帰を」とまで言い出すのは疑問符を付けざるを得ない。確かにM君は勇気を振り絞って会見し、真実を述べたに違いない。そうであればあるほど、彼がことに至る前にその勇気を出せなかったのかとの思いが募る。「監督・コーチに言うことはありません」「フットボールをやる気はありません」。M君の胸に去来するのは「なぜ『それはできません』と言えなかったのだろう」という後悔だろう。その思いを大切にしたい。

 この「事件」で思い起こされるのがオウム真理教事件である。教祖・麻原のマインドコントロールを受けていた信者たちは、ことの理非を判断する能力を奪われていた。今回のM君も同様だろう。マインドコントロールされていたからといって、それによって引き起こされた非行が免責されるわけがない。引き起こした行為にはきちんと責任を取らねばならない。M君自身はそのことを十分承知していると思う。だから復帰などあり得ないと断言するのだ。

 内田監督を頂点とする日大首脳陣に最大の責任があるのは言うまでもない。だが、学生を「被害者」「かわいそう」とだけ見るのは無理がある。150人もの部員が唯々諾々と監督・コーチの無理難題を受け入れてきた。問題の根っこになっているのはこの体質ではないか。内田氏の監督復帰後20人もの部員が退部したらしい。他の部員たちはこれをどう受け止めたのか。一つの転機を逃したように感じる。

 組織が腐るのは頭から―とはよく言うが、頭が腐るのは胴体が栄養を頭に運べないからだ。頭から腹から腐りかけているのが一大学の一運動部だけならまだ安心できるのだが…。
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