司法、とりわけ罪と罰の関係を考えさせられる出来事が相次いでいる。27日には政治資金規正法違反容疑で告発され、不起訴となっていた小沢一郎に対して、東京検察第5審査会が「起訴すべし」との結論を出した。
《小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反罪で告発され、不起訴処分となった小沢氏について、東京第5検察審査会は27日、「小沢氏の供述は不合理で信用できず、共謀共同正犯が成立する」として、起訴すべきだとする「起訴相当」を議決した。今後、東京地検特捜部が再捜査し、改めて処分を決める。
再び不起訴とされても、2回目の審査で、11人の審査員中8人以上が起訴すべきだと判断すれば、小沢氏は裁判所が指定する弁護士によって強制的に起訴されることになる》=時事com=。
検察審査会が「起訴相当」を議決しただけにもかかわらず、号外まで発行した新聞社がある。一体何を考えているんだか。《共同》によれば、検察幹部は「我々は80%有罪でも、20%無罪と思えば起訴しない」との感想をもらしたという。これも笑わせてくれる。
捜査着手の際は小沢から「国策捜査」とののしられ、反目しあっていた両者が、起訴議決に肩をたたいて慰め合うの図である。
また不起訴→再度の起訴議決→強制起訴となる公算が高い。でも公判では無罪だろう。職業裁判官が裁くのだから…。
しかし、起訴されたという事実は思い。政治家にとって疑惑を持たれれば致命傷になりかねない。検察審査会の制度変更が「汚れた政治」の抑止力になるとしたら、これも想定外だろう。
同じ日、最高裁は18年前の母子放火殺人で死刑判決を受けていた被告の上告審で「高裁判決は事実誤認の疑いがある」と地裁に差し戻す判決を言い渡した。
大阪地裁では身障者用郵便を悪用した事件で元厚労省局長の共犯とされた被告に「共犯部分は無罪」の判決があった。元局長の公判では出てくる証人が次々と「検察の調書は作文」と調書の任意性を否定している。「検察のシナリオに沿って事件が作られることがある」という批判が白日の下にさらされた。
さらに同じ日、殺人など最高刑が死刑に該当する犯罪の時効を撤廃する刑訴法改正案が成立、即日施行された。これも異様な対応だ。
犯罪といっても多種多様? であり、杓子定規で計るようなわけにはいかない。罪と罰の関係もしかりである。「罪なき者、まず石をなげうて」と西洋の神様がおっしゃったとか。
神なき国・日本では普通の市民に罪の意識などない。だから犯罪者の糾弾に居丈高になれるのだろう。一億総検察官、総裁判官という行き方が、この国に似合っているとは思えないのだが…。
《小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反罪で告発され、不起訴処分となった小沢氏について、東京第5検察審査会は27日、「小沢氏の供述は不合理で信用できず、共謀共同正犯が成立する」として、起訴すべきだとする「起訴相当」を議決した。今後、東京地検特捜部が再捜査し、改めて処分を決める。
再び不起訴とされても、2回目の審査で、11人の審査員中8人以上が起訴すべきだと判断すれば、小沢氏は裁判所が指定する弁護士によって強制的に起訴されることになる》=時事com=。
検察審査会が「起訴相当」を議決しただけにもかかわらず、号外まで発行した新聞社がある。一体何を考えているんだか。《共同》によれば、検察幹部は「我々は80%有罪でも、20%無罪と思えば起訴しない」との感想をもらしたという。これも笑わせてくれる。
捜査着手の際は小沢から「国策捜査」とののしられ、反目しあっていた両者が、起訴議決に肩をたたいて慰め合うの図である。
また不起訴→再度の起訴議決→強制起訴となる公算が高い。でも公判では無罪だろう。職業裁判官が裁くのだから…。
しかし、起訴されたという事実は思い。政治家にとって疑惑を持たれれば致命傷になりかねない。検察審査会の制度変更が「汚れた政治」の抑止力になるとしたら、これも想定外だろう。
同じ日、最高裁は18年前の母子放火殺人で死刑判決を受けていた被告の上告審で「高裁判決は事実誤認の疑いがある」と地裁に差し戻す判決を言い渡した。
大阪地裁では身障者用郵便を悪用した事件で元厚労省局長の共犯とされた被告に「共犯部分は無罪」の判決があった。元局長の公判では出てくる証人が次々と「検察の調書は作文」と調書の任意性を否定している。「検察のシナリオに沿って事件が作られることがある」という批判が白日の下にさらされた。
さらに同じ日、殺人など最高刑が死刑に該当する犯罪の時効を撤廃する刑訴法改正案が成立、即日施行された。これも異様な対応だ。
犯罪といっても多種多様? であり、杓子定規で計るようなわけにはいかない。罪と罰の関係もしかりである。「罪なき者、まず石をなげうて」と西洋の神様がおっしゃったとか。
神なき国・日本では普通の市民に罪の意識などない。だから犯罪者の糾弾に居丈高になれるのだろう。一億総検察官、総裁判官という行き方が、この国に似合っているとは思えないのだが…。