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だいたいサッカーは、持つものと持たざるもののせめぎ合いになったりします。
東邦vs旭丘
サッカーの愛知県、高校サッカー選手権準々決勝。
この試合は、どちらも持つことを拒むような戦いでした。
その、素振りすら見えなかった。
やれない、ではなく、やらない。
もしくは、指導者が、やらせないのか。(結果は東邦1-0旭丘)。
持つとは、ボールであり、主導権。
でも、彼らは自らそれを放棄しようとする。
少しプレッシャーが掛かっただけで、ラインの裏にバーン。
グランダーのパスで、繋げる場面なのに、わざわざ浮かせて、味方と敵に五分五分なパスにしてしまう。
もちろん、負ければ終わり。
選手権予選は、断崖絶壁の戦いだから、仕方ないと言う意見はあるでしょうが。
でも、もし、そこで勝っても、持たざるサッカーでは全国では通用しない。その先のカテゴリーでも、もちろん成功しない。
ちょっと身体能力が高かったから。
ちょっと脚が速かったから。
勝った理由は、それだけ。
昔、昔、酒席でご一緒させてもらった元Jリーグ監督が、私に言った言葉が、頭の中をグルグル廻る。
君らが高校で、やっていたのは蹴球だ。
フットボールではない。
その時から10年以上たった今、その言葉の意味がよく分かる。
本当にサッカーが好きな青年達にこそ、早く気付いて欲しい。
素晴らしいサッカーで野洲が選手権を制覇したのは幻だったのか?
指導者が間違っている。
そんな指導者しか作れない、サッカー協会が間違っている。
そうとしか、考えられない。