あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

おふでさき5号 解説 『続ひとことはなし』より

2023年03月05日 13時09分17秒 | おふでさき解説

おふでさき 5号の2代真柱様の解説を『続ひとことはなし』より、スキャンデータと共に現代用に書換えて掲載する。

おふでさき5号は、

おふでさき5号 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

30から55の註釈は、

これから先を思案するためのおふでさき 5号30~55 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

それぞれ別ウィンドウで見れます。

第5号

 明治7年5月と表記された、88首のお歌からなっている。


 第5号は、牛馬の前生並びに後生について(1)のいんねん話に始り、我が身思案にのみ陥りがちな人々に対して、警告され、身上の障りによって、よく親神の思惑を思案せよ、我が身可愛く思っても、みな親神の見分けによって、黒白が決まるものである(4)と教えられ、次いで、一つ屋敷に暮らしていても、それぞれ銘々に個性があって、親神より受ける理は同一でない(5)、たとえ親子でも夫婦でも兄弟でも、それぞれ親神から受ける理は違っているもので(8)、善とか悪とかの見分けは、家族とか、親類とかによるものではなく、銘々の心を見て、平等に親神がつけられるものである(6、7)。
 世界中の者はみな一様に、心に埃を積み重ねる時、身上に障りの印を見せられるもので(9)、それによって親神にもたれる心、即ち信仰の糸口として反省せよ(10)とて、信仰の方向に示されている。
 また、人々の心の使い方、即ち信仰の方向に対して、親神の理を述べられ、『神のぢうよふ』を早く見せたい(11)、どんな難しい病でも、人間の心次第、心の入れ替え次第で、必ず癒して(なおして)やるのだ(23)、真実の心を親神が受け取れば、いかような親神の『ぢうよふ』を見せてやるのだ(14)、この切なる親心を、側(そば)な者は早く汲み取ってくれ(15,16)と急き込まれている。


 次いで、今日から『をふくハんのみち』(往還の道)を急き込む(17)、とて『たすけつとめ』の完成へと言及され、この往還道こそ、末代続く『こふき』の始り(18)であり、その役につく『にんぢう』(人衆)は身上に障りを見せて頂いて、寄ってくるであろう(19)、身上の障り、手引き、意見等よく思案すれば、自ずと思し召しを悟り得るであろう(20)とて、『たすけつとめ』の人衆の心の成人方、悟り方を教えられ、親神は一列兄弟が可愛い上から、種々くどくど説き聞かすのである。(21)とて、親心を語られ、子供の胸に積もる埃を掃除する事の急を、るる繰り返されている(26-28)。
 往還道、それは陽気ぐらしへの道であり、同時に又たすけ一条の道でもある。又それは、当然おつとめの完成を意味し、往還道へかかる事は、末代不易のこふきの始りを意味するのである(18)。そして又人々の胸の掃除と立て合って(26-28)、つまり人の心の成人に応じて、『このよはぢまりて』 ―おつとめの手― をつける(29)、と仰せられている。


 一方にはつとめ人衆の心の成人を促し、一方には、つとめの道具立てを急がれ、相まって陽気ぐらしへの往還道を指示され、しかも急がれながらも、『近道』を通らず、欲も出さず、威張りもせずに、一路正道に進むように(30)、と仰せられている。

 かくてこの道と日本のこふきについて話され(31)、この世を始めてからの真実話にふれられ(33ー35)、過去においては、真実話を知らぬから、種々な誤解があった(37)とて、”ほふ”と”ぢつ”又は”しんぢつ”、”ゑださき”と”ね”又は”元”、”から”と”にほん”(36-45)等の対照で、詳しく今までの見解を述べ、”月日のやしろ”の現れた今は、親神の真実の話を教え(47)、親神の自由自在のはたらきを見せ(48)、世界一列の心を澄しきる(49)。即ち人の心次第に、その心通りの結果を見せてやることで(50)、道のり千里の遠い所へも、人々の言ったり思ったりした心通りに、そのかやしを見せてやるのである(52)。良い事を言っても、悪い事を思っても、そのまますぐに、応報のしるしを見せてやるのであり(53,54)、その事をよく経験したならば、誰でも心澄むように心がけるであろう(55)とて、心の入れ替える様子を述べられている。


 56ー61においては、往還道は、親神の理想を述べたり、人々の心の入れ替えによってのみ、つけかけられるばかりではなく、『高い山』からも『をふくハんのみち』が進められるのである。側な者でも、まだ気づかぬであろうが、『このとこへ』『よびに来る』のも『出張りして(でて)』くるのも、みな親神の思惑あるからの事で、つまり往還道を高山からつけに来ている事になるのである。
 根掘る模様(64)、それは親神の思惑を極める事である。この世始りの真実話を胸に治める事である。親神の下、世界一列の人間は、その可愛い子であり、共々に陽気にくらすよろこびを分かち合う事である。この事をよく掘りきり悟達し得たならば、身分の上下の別なく、共々に心勇んで、陽気にむつみ合えるようになるのであり(67)、もっぱら心を勇ますようにしたいのである(68)。
 かくて、この上下共に楽しむ道は、先ず日本に弘め(69)、世界に及ぼしたい(70)と言うのが、親神の思惑であるのに、その事を知らず、何か危険思想のように思い誤っている(71)のは、遺憾な事ではあるが、どうか、胸襟を開いて心を澄まして聞いてくれるようになって欲しい(74)。世界中には人間は多くおり、その多くの人々の胸の内を澄ますのは、難しい事ではあるが、というて澄まさずにはおかれない(75,76)。この心が澄み、又理解出来たならば、親神の思惑は分かるようになる(77)。


 78のお歌より、第5号の意を、又繰り返して述べておられるようである。親神の真実のはたらきを知っている者はないが(78)、それは、親神の自由自在のはたらきというものは、一寸目には珍しいと思われる事を見せる事である。
 今日まではその自由のはたらきが知られていなかったが、今日では一寸そのはたらきの細道が見えかけて来た(81)。この道をたどって行くと、やがては往還道に出る。
 又、今日までは、からもにほんも区別のない道であったが(83)、往還道がつけば、その区別が判然とする(84)。


 この世の元はじまりの根を極めよう。力で出来るならばやってみるがよい。それは力でなすのではなく、胸のさとりでなすものである(85)。この元はじまりの根を極めさえしたならば、いかに力強いものでも、敵うものはない(86)のである。
 よく聞いておけ、我が儘な事を口で言ったり、我が身思案の心で思ったり、又遠い所であったりしても、親神のはたらきはそんな事には関わらず、すぐに心通りに受け取り、又親神の守護がなくなると言うような、かやしがあると思え(88)とて、激しく人の心の使い方、悟り方について教えられている。
 総じて第5号においては、1は、心の治め方を教え、1は往還道への方向を教え、つとめのてを語り、親神の真実話に説き及ばれるなど、往還道建設の具体面につき触れ始められている。

・・・・・

以上です。

次回、これらを含めて、現在の世界やお道の事情について、思うところを書いてみたいと思います。

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