6月2日に「ようぼく一斉活動日」を行い、そのアンケートをまとめて、支部例会で報告書を配布した。
125人参加中85人が回答したアンケートによると、今回参加したきっかけについて、教会からの案内がほとんどであったが、中に1名だけ「支部情報ネットを見て」そして2名だけ「支部からの郵送のチラシを見て」という回答があった。
前回の参加よりも5名多くなり、また、今回の講師の講話についても、大変好評であった。
また、前回と同じプログラムなので、係の動きもスムーズで大変良かった。
さらには、支部として音響設備も整えることが出来て、司会・講師・質疑応答用と三本のワイヤレスマイクを使用できるようになった。
コロナ以前、毎年行っていた「西区お道のつどい」がより充実してきたようにも感じられた。
参加者によって求めるものが異なり、感性も違う。
だから、講師の人選も大変である。
しかし、そうした中にも参加者に何か得るものがあり、それぞれの日常に親神様・教祖の教えが実践される一助になればと思った。
6月7日の支部例会では、今回の「一斉活動日」の反省とともに、9月の「全教一斉においがけでー」について話し合った。
9月の「全教一斉においがけでー」は28日と29日は名古屋駅前での路傍講演と浄心交差点での路傍講演と決まっているが、30日を組の活動と、コロナ前に戻したので、その相談を7月8月で行うこととしている。
そして、その後、11月3日に「第3回ようぼく一斉活動日」が行われる。
教会・大教会以外に、支部の行事だけでも忙しいのであるが、出来る事を出来るだけさせて頂こうと思う。
本部の神殿当番では、着座奉仕の合間に『稿本 教祖様御伝』の書き換え作業を数人の先生と行って、もう少しで終わろうとしている。
初代真柱様の墨字を活字に変える検証作業と、意味や史実について様々な話をしている。
すると、他の先生方から、その大教会で伝わっている教祖や先人先生方の逸話が語られたりする。
このような事は、大教会でも支部でもない。
とても有意義な時間を、甘露台の側でさせて頂けること、とてもありがたく思って着座奉仕へと向かう。
着座奉仕をしていると、様々な方が参拝に来られる様子を見る。
今回は土曜日であり、若い人たちのグループを数件見かけた。
大教会によっては、若い人たちの集いを詰所で行っているのだろうと思った。
親神様は人間を創造した神様であるが、その神様も一人ではない。
「くにとこたちのみこと」月様・「おもたりのみこと」日様が相談して、8柱の神様 道具衆を使ってこの世界を作られたのである。
この十柱の神様が教祖 中山みき様に入り込まれて、親神天理王命として、自ら人間として様々な事を体感しながら、我々人間を導かれたのである。
世界を見渡すと、様々な教えがあり、その教えも宗教問わず、医学や科学というものもある。
そのどれを信じて、どのように考えるかは、人それぞれなのである。
ニュースや情報を見ても、それをどのように受け取り行動するかも、人それぞれなのである。
霊能力のある人、ない人。
知恵のある人、ない人。
財力のある人、ない人。
様々である。
そうした異なった人々と接して、感じるのもそれぞれなのである。
接することが出来るのは、それぞれに身体があるからである。
身体があって、目や耳で見たり聞いたりして、またこれまでの経験を元に様々な考えをして、新しい行動を起こすのである。
身体があって、喜びも悲しみも、快楽も苦痛も感じるのである。
そして、その感情は自分だけではなく、他人にも同じような感情が起こっていることも、対面した時の言葉や感情や態度で学んでいくのである。
学ぶのは、それぞれの心が、学び、次の行動を決めるのである。
その次の行動を決めるための、心の動きを考える手立てとして、「八つのほこり」を教えられて、悪い心遣いに気を付ける事を教えられている。
すべては「かしもの・かりもの」であり、心一つが我がの物である。
これが、この天理王命様が教えられた、根本の教えであり、「教えの台」と言われるのである。
この「かしもの・かりもの」を元として考えるか考えないかが、一番重要なのである。
親神様から借りているものを通して、親神様と対話をする。
そうした生き方を教えられているように感じるこの頃である。
思うがままに。。。