本日8月14日です。
新型コロナ感染という事で、家族が次々と罹患して、7月25日から8月9日まで隔離期間として、講社祭や支部行事などもお断りして教会内で過ごしてきた。
8月10日に無事その期間も終えて、大教会へ月次祭執行のお願いに行くことが出来た。
私は11日に大教会で会議があるため、気合を入れて(そうしないとできない)教会で会報を作り上げた。
11日は、午前中大教会へ行き、午後から月次祭の準備をした。
月次祭の準備には信者さんが来て下さるのだが、その中の一人の雰囲気が一寸気になっていた。
ひのきしんも終わり、帰りがけにその方が、「実は主人が。。。」とご主人の身上について話しをして下さった。
思いつくままにお話をさせて頂いて、お願いづとめをさせて頂いた。
そして、12日月次祭。
準備を進めながら、「月次祭を終えたらおぢばへお願いに行こう」と思いつく。
月次祭を始める前に、「信者さんのご主人のお願いにおぢばに行って来ます。私がこれまで歩んできましたが、これと言って聞く人もなく、ともかくおぢばへ足を運んで、悟らせて頂いてお願いお礼をして来ました。」と申し上げて、月次祭をつとめる。
月次祭を終えて、その信者さんは「少ないですが、これをおぢばへお供えしてください。またこれはガソリン代に。。」と包みを預かった。
これまで、何度もおぢばへ足を運んだが、信者さんからお供えを預かったのは初めてだった。
それを持って、午後3時半前に教会を出る。
もし、教務課が開いていたらと、コロナ隔離で持って行けなかった信者データを持って出た。走りに走って何とか5時に着いた。しかし残念ながら教務課の業務は終わっていた。
早速、神殿へ。
お願いづとめをつとめて、預かった御供は、御供さんを頂きたいと思い、東お守所へ持って行った。
そのついでに、先日コロナ隔離によって交代した神殿奉仕の届けについて、係の先生におたずねをした。
丁度受付の前が、本部準員先生方の席で、そこに知っている先生が座っておられた。
教祖殿・祖霊殿と参拝させて頂いて、神殿奉仕の件で詰所へ立ち寄る。
用事を済ませて、名古屋へ帰ろうとしたところ、フェイスブックで友達になっている神殿奉仕の先生から「さっきお守所へ来られましたよね」メッセージが入る。数件メッセージのやり取りをして、時計を見ると、夕づとめの30分前である。
これは夕づとめをしてから帰った方が良いと思い、再度神殿へ向かう。
呼び太鼓を聞きながら北礼拝場に上がり、2回目のお願いづとめをさせて頂く。
まだ夕づとめまで15分あった。
なにげなく、東礼拝場へ廻ると、東南に先ほどお守所におられた本部準員先生が座っておられる。
結界越しに話しをさせて頂く。
話しをしながら、教祖120年祭の時の事を思い出す。
今から16年ほど前の話である。
教祖120年祭の団参をつとめた後、ある信者さんのご主人が原因不明の頭痛になった話を聞いた。
その後、そのご主人が手術をする事となり、その奥さんは教会へ日参を始められた。
当時、なかなか御守護を頂けない信者さん方も数件あり、どんな話をして良いか分からない状態にあった。
そんなある日、思い立っておぢばへ御願いに出かけた。
おぢばについて、神殿でお願いづとめをして教祖殿祖霊殿と廻っても、何を話せばよいか思い浮かばない。
再度同じ事をしても思い浮かばない、もう一度と3回同じ事をした。
それでも何も思い浮かばない。
これまでかと思い、名古屋へ帰ろうと車に乗ったところ、右足が痛みだした。
余りにも痛み、「このままアクセルを名古屋まで踏み続けるのは難しい」と思うようになった時、ふとお屋敷から地元へ帰る途中に、身上になりお屋敷へ戻ったところ教祖がお待ち下さっていた方の話を思い出した。
思い切って戻ろうと思ったとたん、足が少し楽になった。
そして、神殿へ戻った時には、ちょうど夕づとめの呼び太鼓が鳴った時だった。
夕づとめをさせて頂こうと、北礼拝場に上がったところに、先ほどの本部準員先生が結界前で夕づとめを待っておられた。
声を掛けて、自分がお願いに来たこと、足が痛んだことを話して、おさづけを取り次いで頂いた。
その時の話が、教祖120年祭に向かって、毎日6回のおつとめをつとめた方があったという話であった。
そこで、一日6回のおつとめをしてみてはどうかとの事だった。
帰ってから、なかなか御守護を頂けない信者さんたちに「一日6回のおつとめを」と話しをさせてもらい、自分も21日間、一日6回のおつとめを勤めたのだった。
この時、何分からなくても、ともかく教祖のお望みであるおつとめを勤める事の大切さを思ったのであった。
今回の信者さんは、その時なかなか御守護を頂けない方の娘さんで、私がお願いづとめの時に話しをしたのは、家族で朝夕におつとめをする事だった
このおぢばでの巡り合わせを思った時、おつとめをする事を話させて頂いてよかったのだと改めて思い、夕づとめをつとめ、フェイスブックで連絡を下さった先生とも話をして、名古屋へ戻った。
帰りは下道を走り、教会に着いたのは11時前だった。
帰ると、お願いに行った信者さんから9時ごろ「会長さんは戻られましたか?」と電話があったとの事。
翌日13日、朝出かける前にこちらから電話をすると、「私たち信者のために、すぐに動いて下さり本当にありがたかったです。」と喜びの言葉を頂いた。
その信者さんのお母さんが、いつも口癖のように言っていた事を、機会あるごとに、今その方々に話しをしているのだが、自分にできる事はおぢばへのお願いだけだからと、動かせて頂いてよかったと思った。
13日は、大教会に月次祭のお礼と、信者さん方へお下がりと会報を配りに歩く日である。
先の信者さんへ電話をした後に、部内の奥さんから電話が入った。
「11日に孫娘が発熱をして陽性反応が出ました。隔離期間が18日の月次祭に掛かるが、どうしたら良いでしょうか」との事だった。
その奥さんは私の母親と同じ年で、86才を超える。
うちの隔離期間が終わったことを伝えた時に、「11日に車を運転して行って御供を届ける」と言ってくださったのだが、1時間以上もかかる距離である。ちょっと心配になったので、「13日にお下がりを届けるので、その時に御供を預かります」と話をしておいたのだった。
月次祭については、「家族だけでつとめると信者さん方には連絡をして、元気な方だけでおつとめ下さい。」と話しをした。そして、部内の役員さん方へうちのおさがりと会報を届けに廻った。
今回のうちの会報は、教会家族が新型コロナに感染し、私がイベルメクチンを服用してすぐさま元気になった様子を書いている。
様々な所で新型コロナが広がり、不安が広がる中、参考になればと配りながら思った。
すべては親神様のお導きの中にある。
この事を知っている人には、この言葉によって、自分の心を立て替えて、運命の切り替えが出来る。
しかし、この事を知らない人や、聞いてもそのように思えない人には、様々な不安や思案があるものである。
話がそれるが、、
山名大教会の初代会長の娘さんが、幼くして「おさづけ」を戴かれた。
多くの方が助かりたいと、その幼子を尋ねた。
しかし、その幼子がそのおさづけを渡さない人もあった。
頂いた人は助かったが、そうでない人は助からなかった。
大人は何とかして、幼子におさづけを渡すように促すのだが、幼子にはそれは通じず、いつしか「生死を見分ける子供」というような事が言われるようになった。
との話が私の心にはある。
逸話編にも、母親の身上を助けて頂きたいと願い出たが、教祖から「残念だがたすからん」と言われた話がある。
この話は結果、何度も願い出る息子の誠真実を親神様が受け取って、不思議なたすけを頂かれるのだが、この「人の誠真実を親神様が受け取られる」という事が、何よりも大切な事だと私は思っている。
この二つの話を合わせて考えた時、すでに誠真実の心を持ち合わせている人もあれば、持ち合わせておらず、誠真実をその機会に出す人もあるという事であろう。
それを知っているのは、すべて本人と親神様なのである。
しっかりと、先人の先生方を通して教えられた教理を身につけたいものだと思うばかりである。
今日は部内の信者さんの所へ、うちのお下がりと会報を届けたいと思う。
長い話になりましたが、思うがままに書きました。
親神様・教祖、今日も一日よろしくお願いいたします。