あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

日にちが経つのがとても早い。。。

2022年08月28日 12時41分01秒 | 思った事

只今、8月28日です。

大教会の神殿当番をつとめました。

いつもならば、布教所の月次祭がこの日になり、急いで布教所へ向かうのですが、今日は日曜日で日にちが代わっていますので、終わってからも事務所で留守番をしています。

ようやく、新型コロナに対するワクチンについて、ファイザー社とモデルナ社が、特許で争う事がテレビや新聞で報道されて、大教会にいる年をとった人々にも、利権で誘導されているという事が理解されるようになってきたと思います。

先日来、「おふでさきに関するおさしづ」として、「続ひとことはなし」に書かれているものを確認しています。

その中に、多分に「おふでさきに記している」という言葉があり、おふでさきに書かれた事が、年数を経て実現していると思いました。

また、あるおさしづには、「おふでさきを見たいと思っている人々があるが、公にしないように、徐々に出して行くように」と言われているように思えました。

おふでさきは、警察に没収されるところを、燃やしましたと言って、隠したものです。

それが公刊されたのは、昭和に入って、「復元」が提唱されてからです。

この間にも、沢山の戦争を経験し、それに対して協力を余儀なくされている事も、これらのおさしづから分かります。

 

現在、新型コロナをはじめ、輸出制限などで、国という単位ではなく、思想別での見えない戦争が行われています。

そしてそうした事が、インターネットによる個人の発信、個人の検証によって、巨大な利権がきれいな言葉で民衆を騙そうとすることが、次々と暴かれています。そしてその利権の思うようにいかないのが現状でもあります。

言い換えたら、政府対個人の戦争ともとれる状況です。

 

これからどのようになるのだろうかと、不安になる方々も多いかと思いますが、これまでの戦争に対して、おさしづやおふでさきを読んでいると、善悪を分けるための旬が到来して、それぞれが心のほこりを払う旬だというように感じます。

互いに思いやれば、争いは起こりません。

自分中心の考えを押し付け、征服しようとするから争いとなるのです。

その状況は、これまで積み重なったほこりが爆発するのと同じようなものに感じました。

そうした中、親神様はそれぞれの心を見定めて、医者の手余りなる病気に対して、不思議な助けを現して人心を治めて来たのです。

 

これから教祖140年祭に向けての三年千日の活動に入ろうとしています。

三年千日と言えば、「ひながたをたどらにゃひながたいらん。」と明言されたおさしづが有名です。

さらには、「辻であった人でも、この人と思う人があったら声を掛けてくれ」というお話もあります。

今の世の中、これまでの通り方に疑問を抱き、世をはかなむ方も多い時です。
そうした方々も、親神様は心を見定めて、助けの手を差し伸べておられます。

このような事になる事は重々承知で、様々な助けの手立てを用意して下さっているのです。

親神様に日々凭れて、心を澄まして、心を静めて物事に当たりましょう。

そして、自分の至らぬところに気がついたら、

至らぬところを詫びて、我が身の事ばかりを持っていた心を、他人のために使うと心を切り替える事です。

そして、思いもよらぬ不思議な体験を味わいましょう。

その大本は、おぢば、天理のかんろだいです。

 

人は鏡です。

人の事から自分の性分を悟り、自らを切り替えて、陽気に明るく暮らしましょう。

 

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近況の記録。。。おふでさきに関するおさしづについて。。

2022年08月22日 07時51分44秒 | 思った事

新型コロナの隔離から通常に戻った途端に、お願いづとめに、おぢばがえり。

13日、月次祭の御礼とお下がり配りの後に、お墓地の掃除に出かける。

14日、午前中、7日に支部例会に出れなかったため、天理時報の手配り予定表を作り、拠点教会へ配りにに廻る。その拠点教会の近くに信者さんの家があるため、様子を伺いに尋ねた。ちょうど娘さんたちもおられたため、身上者の詳しい話を聞く事が出来た。

そして午後から、部内の教会でコロナ感染者が出でて、今月は元気な家族のみでつとめる事になったので、近くに住む部内の信者さん宅へうちの月次祭のお下がりを持って行った。

お下がりを届けて話をした数分で、道端にハザードをつけて止めておいた車のエンジンがかからなくなり、何年かぶりにJAFを呼んだ。

ハザードはつくし、パワーウインドウは使えるので、バッテリー上がりではない可能性も考えて、JAFが来る間いつもお世話になる修理工場へ連絡を取った。しかし、JAFが来て調べると、バッテリーの電圧がセルモータを廻すだけなく、すぐにエンジンがかかった。

バッテリー自体が、4年使ったものなので、以前からいつ突然動かなくなるかと予想していたため、すぐさま近くのオートバックスへ行って交換をした。

オートバックスでは、何を考えて居たのか分からないが、私はずっとJAFの会員証を手に持っており、会計時に無意識にその会員証を見せた。するとその会員証で割引をしてもらえた。こんなサービスがあるのだと驚いた。

翌日、15日は一日夫婦とも空いていた。そこで12日には間に合わなかった教務課の用事をするために、夫婦でおぢばへ出かけた。そして、先日の信者さんのご主人の身上のお願いをさせて頂いた。

16日、久々のアルバイト、久しぶりでちょっと疲れた。

17日、大教会へ行って名簿の事務をしようと思っていた。しかし、どうもすぐに横になりたくなる。そして横になるとすぐに眠ってしまうのである。これまでも、月次祭を終えると動けなくなるのが、今日まで良く動けていたと思いついた。動けるのが当然ではない、ここまで結構に動かさせて頂けたとお礼申し上げて、一日休むことにした。

その中夕方、ふと部内教会の様子が気になり、奥さんに電話をかける。感染した孫娘さんたちは元気に隔離状態にあり、奥さんをはじめ濃厚接触者の家族は、既定の期間が過ぎたので、月次祭の買い出しにも行って来たとの事。無事でよかったと思うと共に、その時、ふと「明日の月次祭にお酒を届けます」と口から出た。

18日、部内の月次祭。孫娘さんたちの感染から家族のみで勤める事としており、当所は出向かない事にしていたが、昨日ふとでた言葉から、お酒を買って車を走らせる。

家族3人で、真柱様のテープに合わせておつとめをする事にしていた。

祭文を後継者が奏上して、すわり勤めをして、4人で12下りをつとめた。

86才の高齢の奥さんも、12下りを踊り切られた。

無事に月次祭をつとめて、ひと月のお礼が出来て本当に良かったと思った。

部内から戻り、先日の大教会神殿講話のテープほどきした文章の手直しする。

 

19日、終日アルバイト。大教会へひのきしんに行く妻へ、昨日手直しした文章を言づける。

アルバイトを終えて、空を見上げると、不自然な雲を見つける。

真っすぐに、四角い雲が続いているのである。

飛行機が何かを撒いて、雲を作っていると以前からFacebookで上げていたが、その雲を見て、断続的に撒く事で、意図的に行っている事に早く気がつけと暗示しているように感じた。

すぐさま、撮影してFacebookに投稿した。

アメリカ大統領選挙で、選挙の不正を知ってからこれまで、世界中の政治・医薬医療そしてマスメディアや警察にいたるまで、世の中のおかしなことに目が行くようになった。

この飛行機雲もその一つである。

 

20日、ずっと忘れていた大教会部内の吸収合併の事で、ある教会へFAXを送るが、送る事が出来ない。会長へ連絡を取ると電話番号が変わっていた。うちのFAXが壊れたのかと思ったが、無事に送れてよかった。

21日、朝、町内の公園掃除の日、草がとても生えているので、夫婦で出かける。夜に降った雨でとても草が抜きやすかった。

その後、支部行事の全教一斉においがけデーの予定表を作って、本部・教区へ送信する。

 

様々な用事の合間合間に、「おふでさきに関するおさしづ」の確認をしているのだが、しながら思うのは、新型コロナで隔離の間、熱も下がり急き込む程度だけなのに、まったくできなかったことである。

ただただ、データの間違いがないかと文字を追いながら進めるだけなのだが、心が落ち着かないと、とても難しいものだと、改めて思うばかりである。

 

そして、心落ち着いてやる気になっておさしづに目を通すと、次から次へと親神様の思いが心に浮かび、親神様のご苦心によるお導きによって、現在の私たちがあるとつくづく思われる。

 

そうしたおさしづから感じる一つに、においがけと修理肥についてである。

においがかかるのも、親神様の先回りの働きがあればこそと明言されて、そのにおいがかかった後、肥をやらねばならないと、指示をされているのである。

そして、この肥とは具体的に何を指すのだろうか?と思案している最中である。

 

ともかく、この道は天然自然の道であり、親神様がおふでさきで示された通りに物事が進むのだと、おふでさきに関するおさしづを読みながら現在思っている。

 

思うがままに書きました。

読みずらいですがどうぞご容赦くださいませ。

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8月の月次祭を終えて。。。おぢばでのお願いづとめにて。

2022年08月14日 08時12分56秒 | 思った事

本日8月14日です。

新型コロナ感染という事で、家族が次々と罹患して、7月25日から8月9日まで隔離期間として、講社祭や支部行事などもお断りして教会内で過ごしてきた。

8月10日に無事その期間も終えて、大教会へ月次祭執行のお願いに行くことが出来た。

私は11日に大教会で会議があるため、気合を入れて(そうしないとできない)教会で会報を作り上げた。

11日は、午前中大教会へ行き、午後から月次祭の準備をした。

月次祭の準備には信者さんが来て下さるのだが、その中の一人の雰囲気が一寸気になっていた。

ひのきしんも終わり、帰りがけにその方が、「実は主人が。。。」とご主人の身上について話しをして下さった。

思いつくままにお話をさせて頂いて、お願いづとめをさせて頂いた。

 

そして、12日月次祭。

準備を進めながら、「月次祭を終えたらおぢばへお願いに行こう」と思いつく。

月次祭を始める前に、「信者さんのご主人のお願いにおぢばに行って来ます。私がこれまで歩んできましたが、これと言って聞く人もなく、ともかくおぢばへ足を運んで、悟らせて頂いてお願いお礼をして来ました。」と申し上げて、月次祭をつとめる。

月次祭を終えて、その信者さんは「少ないですが、これをおぢばへお供えしてください。またこれはガソリン代に。。」と包みを預かった。

これまで、何度もおぢばへ足を運んだが、信者さんからお供えを預かったのは初めてだった。

それを持って、午後3時半前に教会を出る。

もし、教務課が開いていたらと、コロナ隔離で持って行けなかった信者データを持って出た。走りに走って何とか5時に着いた。しかし残念ながら教務課の業務は終わっていた。

早速、神殿へ。

お願いづとめをつとめて、預かった御供は、御供さんを頂きたいと思い、東お守所へ持って行った。

そのついでに、先日コロナ隔離によって交代した神殿奉仕の届けについて、係の先生におたずねをした。

丁度受付の前が、本部準員先生方の席で、そこに知っている先生が座っておられた。

 

教祖殿・祖霊殿と参拝させて頂いて、神殿奉仕の件で詰所へ立ち寄る。

用事を済ませて、名古屋へ帰ろうとしたところ、フェイスブックで友達になっている神殿奉仕の先生から「さっきお守所へ来られましたよね」メッセージが入る。数件メッセージのやり取りをして、時計を見ると、夕づとめの30分前である。

これは夕づとめをしてから帰った方が良いと思い、再度神殿へ向かう。

呼び太鼓を聞きながら北礼拝場に上がり、2回目のお願いづとめをさせて頂く。

まだ夕づとめまで15分あった。

なにげなく、東礼拝場へ廻ると、東南に先ほどお守所におられた本部準員先生が座っておられる。

結界越しに話しをさせて頂く。

話しをしながら、教祖120年祭の時の事を思い出す。

今から16年ほど前の話である。

 

教祖120年祭の団参をつとめた後、ある信者さんのご主人が原因不明の頭痛になった話を聞いた。

その後、そのご主人が手術をする事となり、その奥さんは教会へ日参を始められた。

当時、なかなか御守護を頂けない信者さん方も数件あり、どんな話をして良いか分からない状態にあった。

そんなある日、思い立っておぢばへ御願いに出かけた。

おぢばについて、神殿でお願いづとめをして教祖殿祖霊殿と廻っても、何を話せばよいか思い浮かばない。

再度同じ事をしても思い浮かばない、もう一度と3回同じ事をした。

それでも何も思い浮かばない。

これまでかと思い、名古屋へ帰ろうと車に乗ったところ、右足が痛みだした。

余りにも痛み、「このままアクセルを名古屋まで踏み続けるのは難しい」と思うようになった時、ふとお屋敷から地元へ帰る途中に、身上になりお屋敷へ戻ったところ教祖がお待ち下さっていた方の話を思い出した。

思い切って戻ろうと思ったとたん、足が少し楽になった。

そして、神殿へ戻った時には、ちょうど夕づとめの呼び太鼓が鳴った時だった。

夕づとめをさせて頂こうと、北礼拝場に上がったところに、先ほどの本部準員先生が結界前で夕づとめを待っておられた。

声を掛けて、自分がお願いに来たこと、足が痛んだことを話して、おさづけを取り次いで頂いた。

その時の話が、教祖120年祭に向かって、毎日6回のおつとめをつとめた方があったという話であった。

そこで、一日6回のおつとめをしてみてはどうかとの事だった。

帰ってから、なかなか御守護を頂けない信者さんたちに「一日6回のおつとめを」と話しをさせてもらい、自分も21日間、一日6回のおつとめを勤めたのだった。

この時、何分からなくても、ともかく教祖のお望みであるおつとめを勤める事の大切さを思ったのであった。

 

今回の信者さんは、その時なかなか御守護を頂けない方の娘さんで、私がお願いづとめの時に話しをしたのは、家族で朝夕におつとめをする事だった

このおぢばでの巡り合わせを思った時、おつとめをする事を話させて頂いてよかったのだと改めて思い、夕づとめをつとめ、フェイスブックで連絡を下さった先生とも話をして、名古屋へ戻った。

帰りは下道を走り、教会に着いたのは11時前だった。

 

帰ると、お願いに行った信者さんから9時ごろ「会長さんは戻られましたか?」と電話があったとの事。

翌日13日、朝出かける前にこちらから電話をすると、「私たち信者のために、すぐに動いて下さり本当にありがたかったです。」と喜びの言葉を頂いた。

その信者さんのお母さんが、いつも口癖のように言っていた事を、機会あるごとに、今その方々に話しをしているのだが、自分にできる事はおぢばへのお願いだけだからと、動かせて頂いてよかったと思った。

 

13日は、大教会に月次祭のお礼と、信者さん方へお下がりと会報を配りに歩く日である。

先の信者さんへ電話をした後に、部内の奥さんから電話が入った。

「11日に孫娘が発熱をして陽性反応が出ました。隔離期間が18日の月次祭に掛かるが、どうしたら良いでしょうか」との事だった。

その奥さんは私の母親と同じ年で、86才を超える。

うちの隔離期間が終わったことを伝えた時に、「11日に車を運転して行って御供を届ける」と言ってくださったのだが、1時間以上もかかる距離である。ちょっと心配になったので、「13日にお下がりを届けるので、その時に御供を預かります」と話をしておいたのだった。

月次祭については、「家族だけでつとめると信者さん方には連絡をして、元気な方だけでおつとめ下さい。」と話しをした。そして、部内の役員さん方へうちのおさがりと会報を届けに廻った。

 

今回のうちの会報は、教会家族が新型コロナに感染し、私がイベルメクチンを服用してすぐさま元気になった様子を書いている。

様々な所で新型コロナが広がり、不安が広がる中、参考になればと配りながら思った。

 

すべては親神様のお導きの中にある。

この事を知っている人には、この言葉によって、自分の心を立て替えて、運命の切り替えが出来る。

しかし、この事を知らない人や、聞いてもそのように思えない人には、様々な不安や思案があるものである。

 

話がそれるが、、

山名大教会の初代会長の娘さんが、幼くして「おさづけ」を戴かれた。

多くの方が助かりたいと、その幼子を尋ねた。

しかし、その幼子がそのおさづけを渡さない人もあった。

頂いた人は助かったが、そうでない人は助からなかった。

大人は何とかして、幼子におさづけを渡すように促すのだが、幼子にはそれは通じず、いつしか「生死を見分ける子供」というような事が言われるようになった。

との話が私の心にはある。

 

逸話編にも、母親の身上を助けて頂きたいと願い出たが、教祖から「残念だがたすからん」と言われた話がある。

この話は結果、何度も願い出る息子の誠真実を親神様が受け取って、不思議なたすけを頂かれるのだが、この「人の誠真実を親神様が受け取られる」という事が、何よりも大切な事だと私は思っている。

 

この二つの話を合わせて考えた時、すでに誠真実の心を持ち合わせている人もあれば、持ち合わせておらず、誠真実をその機会に出す人もあるという事であろう。

それを知っているのは、すべて本人と親神様なのである。

しっかりと、先人の先生方を通して教えられた教理を身につけたいものだと思うばかりである。

 

今日は部内の信者さんの所へ、うちのお下がりと会報を届けたいと思う。

 

長い話になりましたが、思うがままに書きました。

親神様・教祖、今日も一日よろしくお願いいたします。

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隔離期間終了

2022年08月10日 18時43分59秒 | 思った事

本日8月10日です。

段々と発熱者が出て、隔離期間が伸びに伸びていたのが、本日ようやく開けました。

最後に発熱した次女が、朝仕事に出かけました。

そして、6日から夏休みになっていた末っ子も、大教会から教会へ戻ってきました。

明日は月次祭の準備ですが、今日会報を作り上げたので、明日午前中大教会の会議に出かける予定です。

 

分けてあったメダカも、一つの水鉢に一緒にしたため、とても賑わしくなりました。

餌をやると、次々に餌を求めて泳ぐ姿がまた楽しいです。

ともかく、無事に月次祭がつとめられる事を御礼申し上げたいと思います。

 

すべてはいんねんからなってくること、

陽気ぐらしが出来る人間にと成人させるための、親神様からのお手紙です。

それを、イベルメクチンの服用と、世界の事から思わせて頂きました。

 

これから世界情勢がどうなるか、とても見ものです。

昨日、有機農法を実践されている方の動画に出合いました。

警察バスと日本一周再スタート! - YouTube

日本一周中に出会った有機農家さんのリアルな話が興味深過ぎた (2935) 日本一周中に出会った有機農家さんのリアルな話が興味深過ぎた - YouTube

 

その動画を見て、人がやったらではなく、個人個人の意識の改革が大事だとあたらめて思いました。

 

親神様からすれば、互い助け合いの心にどうしたら切り替わるだろうかと、様々な事柄を通して思われている事と思います。

 

本日も一日ありがとうございました。

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あと二日。。。

2022年08月07日 09時11分43秒 | 思った事

隔離生活が始まって彼これ13日目、一番初めに罹患した長男は2日に10日目を向え、25日に発熱した妻が、4日に10日目を向えた。そして昨日6日に私が10日目を迎えて、今日3男が10日目を向え、明後日の9日に次女が10日目を迎える予定である。

これでようやく隔離イベントが終了する。

昨日6日は、4男が夏休みに入って、ナゴヤへ戻って来た。

しかし、うちは隔離状態なので、大教会にいる私の母親の所へ預かってもらっている。

10日が月次祭のお願いと買い出しに大教会へ行くので、その時に連れ帰る予定である。

世界の流行にはまったく疎い我が家だが、今回ばかりは流行に乗って、様々な経験をさせてもらった。

私たち夫婦が初めに罹患したので、子供たちが手分けして食事を作り、様々な世話をしてくれた。

それぞれに気遣ってくれている心がとても嬉しかった。

何もなく元気な事が一番良いに決まっている。

しかし、こうした事情があればこそ、改めて感じる事も多いのである。

そうそう。

今回罹患して、保健所の対応、自粛に関する事項を読んで、保健所も大変だと思うばかりであった。

何をするにも実務をする人々が大変である。

上に立つ者の心が、すべてにおいて重用となってくる。

「竜頭狂えば」と上に立つものを戒められている。

トンチンカンな事をしているから、治まらない。

そうした日本の状況を見た時に、様々な事がおかしい状況で進められている事に、ようやく気がついた人々が増えたように感じる。

日本の夜明け、世界の夜明けはもう少しのように思える。

 

親神様の理想である陽気ぐらしは、一人だけでは出来ないのである。

それぞれが心しなければ実現しない。

あの人に任せておけば、自分は関係ないと、自分勝手に考えて居ては成り立たないのである。

この点、とても重要だと私は思っている。

 

親神様・教祖、お導きをありがとうございます。

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コロナ感染の記録。。イベルメクチンを使用してみた

2022年08月04日 09時50分00秒 | 思った事
7月30日にFacebookに投稿した物を元に、詳しく書き直して投稿します。
。。。。。。
 
コロナ感染の記録(イベルメクチンを使用してみた)
 
7月25日(月)の発熱が治まらないので、かかりつけの医者へ受診する。
夕方に新型コロナ陽性との診断が出る。
長男のみ二階の客間で寝起きしているので、彼を隔離するだけで事が治まるだろうと思っていた。
ところが、その夜になると、妻が熱が出て来たと言いだした。
かかりつけ医へ連絡をするも、予約がいっぱいで対応が出来ないとの事で、夜間救急医療センターへ、予約を取って向かう。
車内での診療、今日発熱してすぐに陽性反応が出るか分かりませんが、、、と言われてインフルエンザと新型コロナの検査を行う。一時間も経たずに陽性反応が出ました。と言われる。そこから朝方3時ごろまで、会計などの事務処理を行う人が一人しかいないという事から、ずっと妻と共に車で待機であった。
 
妻が休んでいるところは、風呂場がある部屋で、みなそこを通らねば風呂へは行けない。妻はそこを動く気はないようで、そのままの状態で養生する事にした。
 
27日朝、どうも熱っぽい、体温を測ると37度を越している。
体調が良くなる感じはしない。25日に妻とずっと同じ車に長時間いたのが原因だろうなぁ。潜伏期間を置いての発熱。。と思えた。
 
直ぐ近くのかかりつけ医へ受診しようかと思ったが、以前友人と、フェイスブックで、もし罹患したらイベルメクチンを使用してみたいと話をした事を思い出した。
 
そこで、思い切って、イベルメクチンを使用しているという、愛知医科大学病院へ
電話をした。
どこで聞いたのかとの問いに、インターネットで知ったと答え、PCR検査で陽性反応が出たら処方してくれるとの返事をもらう。ただし、自費診療となるとの事。
そこで、濃厚接触者としてPCR検査希望という事で、愛知医科大学へ車を走らせた。
 
この病院へは家から約1時間ほどかかる。
37.5度を越したが、別段運転には支障なく、車で待機して、先ずは問診、酸素濃度を測ると、96%になかなか届かない。色々と指を変えてようやく96%の値が出る。あとで調べたら、96%以下だとこれまた厄介で、熱は37.5度の微熱だが、肺の機能は落ちていると思った。
保険適用がないとの誓約書にサインをして、その後、PCR検査のための検体採取となった。
 
家へ帰ってから、昨日投稿したブログを書いて子供たちと出来るだけ離れて休む。
 
28日朝、体がとてもだるく感じ、体温は37.8度近くである。
午前8時すぎ、PCRの陽性判定が出たとの電話連絡を貰う。気を抜いたら一気に熱が上がる気がして、気合いをいれて車を走らせる。
 
午前10時前に駐車場に入って、電話連絡して駐車場で待機。電話で医師から、解熱剤も必要ですか?との質問があり、イベルメクチンがどのように聞くのか全く分からない私は、もし熱が出た時のためにお願いしますと答えた。
 
薬を届けてくれたのがが来てくれたのが11時過ぎ、「ストロメクトール」と書かれてあり、尋ねると、イベルメクチンの商品名が「ストロメクトール」との事だった。
 
体重が77キロなので、3ミリグラムを5錠処方されて、一度に服用する事との事だった。
家に戻り、午後1時ごろ、イベルメクチンを服用する。
これと同時期に、三男が発熱し、かかりつけ医へ受診したところ陽性判定。
彼は以前にも新型コロナに罹患しており、これで2度目、「インフルエンザだから」と平気な顔をしている。
 
これによって、2階の子供部屋で、私と3男が隔離される事となる。
 
イベルメクチンを服用したその夜37.8度、夜中に体がとても熱くなる感じがした。
 
29日朝37.2度、昼中に37.7度となるが、夜には36.7度になる。
まったくこれまでの体調不良がウソのような状態になった。
 
その夜、やけに背中が痛む。私は首の手術をしているために、背中が痛むのが常なのだが、いつものように押してもらっても痛みが取れないために、痛み止を張る。
 
3男は解熱剤を服用して37度代となった。
 
30日 今朝は、36.7度。ただし、のどに痛みが出てきた。
29日には全く良くなったのに、と思いながら、3男と共に同じ部屋にいた。
 
うちにはクーラーがないので、扇風機に当たりながらの療養生活。
長男は元気になって、客間で様子見の期間となる。
妻も熱は下がったが、熱のために体の節々が痛んでおり、あと腰だけが痛い状態となった。
 
 
ところが、30日次女が発熱、掛かりつけ医で3男と同じ薬を処方されて、同じ部屋で休むこととなる。
 
イベルメクチンの効能について、動画では知っていたが、これほどまでに良く効くとは思っていなかった。
しかし、発熱した子供たちと一緒にいた事で、のどの痛みが激しくなり、私は妻のいる別室へ移動する事とした。
 
イベルメクチンを飲んだ後3日間ほどは、少しの喉の痛みも、咳払いによって痰がでるとすぐに良くなっていた。けれども、その後はのどの痛みが取れなくなったのである。
 
子供たちと部屋を分けてからは、日に日に咳払いと共に痰が出て、日に日に回復していき、イベルメクチンで良くなっても、新たな感染者と共にいる事は良くないと思った。
 
・・・・・
以下に、フェイスブックに寄せられたコメントを記録しておく。
 
先生、ご回復されている様子ですね。イベルメクチン処方されてお飲みになられたのですね。良かったです。
私も半年前に発熱しました時に陽性反応でイベルメクチンを飲みましたら回復いたしました。
副作用もなく安心です。
どうぞご無理されませんようお大事になさって下さいませ🙏
・・・・・・・
 
イベルメクチンについては、ウィルスの増殖を抑える働きが報告されており、厚生労働省へ認可の手続きも澄まされているのである。
今回使ってみて、大変有効だと思った。
ところが現在、日本ではまったく承認されておらず、薬局でも買う事が出来ない。
しかし、海外ではジェネリックで売られている。
 
医師が正しく処方してくれさえすれば、あっという間に、このコロナ騒動は収束するのにと思うばかりであった。
 
「修理や肥に医者薬を」と親神様は、医薬の道を教えられたのだが、その道を踏み誤ってはいないだろうか?
これは、医薬の道だけではない。
政治の道、宗教の道などなど、様々な道があるが、それも同様だと思う。
 
今回、薬の効能が切れても、体にできた自然免疫で、高熱が出ずに過ごすことが出来る事、これがとてもありがたく思ったのでした。
 
高熱がでた子供たちと一緒の部屋だった時には、毎日おさづけを取り次がせて頂きましたが、さすがに一緒におれなくなってからは、自分もさることながら、子供たちにも御供さんを渡して、飲むようにしました。
御供さんを頂いていると、何とも言えず、身体が元気になるような気もしたのでした。
 
30日に発熱した次女も元気になって来ました。
あとの隔離期間を無事にお連れ通り頂きたいと思うばかりです。
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