あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

6月本部月次祭・革新と復元

2022年06月27日 08時39分49秒 | 思った事

今月の本部月次祭では、詰所のひのきしんが当たり、8時過ぎに、自転車で参拝に行き、祭典中は詰所におりました。

参拝に行った時は、雨が降っていましたが、その後雨は上がり、とても日差しの強い月次祭となりました。

参拝に行かれた方の話を聞くと、土日で結構な人だったとの事でした。

本部の昇殿参拝も来月から自由になるとの事ですが、今回の事で、どれだけ政治の力、政治の方針が大きなものかひしひしと感じて、その政治の判断を全く正しいものと信じる人と、そうでない人に分かれる事も良く分かりました。

さらには、その政治が民意を誘導する報道によって作られている事も知りました。

そうした事を考えて天理教の歴史を見ると、神と上の間にたつ人間の苦労・苦悩の連続のように見えます。

その事情によって、人間の誠真実を見定めていく歴史とも思えます。

 

天理教が始まって185年が経つ今日、そうした歴史から、どのように通ったら良いかと判断決断するのも、それぞれでもあると思えました。

 

まだまだ、目に見えた争いで右往左往する人々が多く、誤った判断をしてその修正におわれる人々を感じる私ですが、

目に見えない戦争の最中である事を知った時、戦時中の先生方の苦悩を知る事が出来たと思いました。

そそて、信仰と政治のはざまでの、自分の決断の重要性も感じました。

 

人がするから自分もするではなく、人がしなくても自分はする。

「親神様の思いはこれだから」と、その思いに沿った行動を思案して、動く事がどれだけ重要かとも思いました。

 

今月1日に、大教会の役目柄、ある本に出会いました。

それは、「天理大学 おやさと研究所年報 第28号」でした。

かなめ会で配布されて、大教会長さんから資料へ下がってくるものです。

普段は見る事もなく、書庫へしまうのですが、今回はなぜか目次に目が行き、

【治安維持法体制下の天理教ー大正後期から昭和初期の時局対応の言説をめぐってー・・・金子 昭】

が目に飛び込んできました。

総ては読めませんでしたが、日本国内のファシズムとの歴史とも思えた時、それが終戦によって、別の世界的なファシズムによって、歴史が変わった時と思えました。

その後、本部神殿奉仕の時、「復元と革新」という話題が出て、この事を知っておくことがとても重要だと思ったのでした。

本の目次と、冒頭2頁のみ紹介をしてます。

政治と宗教・権力者と宗教を考えるには良いかと思います。

さて、何度も上の者から弾圧を受けて、信仰が止められるが、それに対して信仰者にはそれを変えるだけの力はない。

反対に、武力で殺人や破壊が行われるだけなのである。

そうした中、繰り返す歴史を見ると、「堰は神が取る」とのお言葉通り、旬に応じて世界は変わって行くと私は感じている。

これが「天然自然の理」であることを思う時、世界の風潮に流れて苦労の道に入るか、天の理を知って人々を助かる道へと導くのか、はたまたその導かれる人になるのかという思案も出来ると思う。

 

ひのきしんで出会った方に、ユーチューブで発信されている、今の参議院選挙の街頭演説を見てもらった。

その方は、ネットは全く見る事は無く、テレビや新聞だけの情報でこれまで通りに生きて来られた方である。

自民党を支持されており、電話があったからその方の名を書こうと思っていると言われていたが、

自民党でテレビには出ず、街頭演説とYouTube配信で多くの支持者を集めているその方の動画を見て、「貴重な動画を見せてもらった」と感動されていた。

【参院選2022】青山繁晴 6月25日(土)街頭演説@大阪高島屋前(なんば) - YouTube

また、以下の参政党の動画をいくつかのライングループに配信したところ、

良い動画を見せてもらった。と喜んでくれた人もあった。

(553) 【参政党】6月23日大配信!神谷宗幣が衝撃データ公開!『大講演』で全てを語ります!【映像改良版】 - YouTube

テレビや新聞だけでの情報ではなく、ネットでの情報がどれだけ重要であるかと思った。

 

親神様のお話もそうであるが、多くの方に同じ話をしても、それに感動される人もあれば、そうでない人もある。

しかし、そうした情報を伝える事、これをしなければ、その人が考える事は無いのである。

 

自分が助かって、嬉しかったという話をするようにと、教祖は言われた。

それがにおいがけだと。。。

親神様の情報を伝える事。。ただそれだけが私たちようぼくの仕事だとも言えよう。

 

祖神様・教祖。

子供たちが自分たちから月次祭参拝に出かけてくれました。

誠にありがとうございました。

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神の世界、人間の世界。。。ウソが暴かれることによる成人。。まだまだこれから

2022年06月24日 20時42分23秒 | 思った事

私たちは、地球に生きている。

この生きているという言葉は、体があってこそ言える言葉である。

魂だけ、心だけでは生きているとは言えない。

魂・心と体があって初めて生きていると言える。

 

そしてこの体があるから、物を食べなければならない。

いや、物を食べる喜びが味わえるのである。

 

そして、手足が自由に使えるから、物を作ったり、物で遊んだりできるのである。

さらには、口があり、言葉が話せるから、お互いのコミュニケーションが取れる。

 

そして、物に触れる事で、感触を楽しむことが出来、目で見る事で色や形を楽しむことが出来る。

 

これが3次元の世界である。

 

この体を使う事で、様々な心が動く。

そして、互いの動きからさらに心が動くのである。

 

それぞれの心に、使える体を親神様が貸し与えて下さっているから、心が動いて、様々な感情を味わい楽しむことが出来るのである。

 

ところが、この体を自分の思うがままに使えるのと同じように、周囲の者も同じように使おうとしてきた。

その為に、権力争いが起きて、大なり小なりその繰り返しを今日までしてきたのである。

 

多くは、武力によるものであったが、近年では武力ではなく、情報によって人心を操るものまで行われるようになったのである。

この情報によって人を操る事は、この事が多くの人々に知れ渡ったら、それは力を失うのである。

この情報開示が今、盛んに行われてきている。

 

そしてこの事によって、一人ひとりが自分で考える力を養わなければならなくなった。

これまでは、物や体を充実させることによって幸福を得ようとしたが、これからはそれぞれの心、意識、考え方によって幸福を探さねばならなくなったのである。

 

このお道は、「八つのほこり・誠真実」によって、心の使い方を教えられている。

これからは、これが実践される事になるのである。

 

おさづけによって、おつとめによって、はたまた御供さんによって、身上事情が助かるのも、誠真実を親神様が受け取ってくださればこそである。

そのために、心のほこりを日々払うようにとも教えられているのである。

 

物や金があれば幸せになると思って、これまで文明が発達して、そうではない事が多くの人々には分かっているのである。

しかし、その先、どうしたら良いかが世界中では分からないのである。

物を得る事、自分が好きな事が出来る事の限界が感じられて、自分が神になったように思い違えて、新型コロナのようなものを作りだし、人々を騙して、世界を作り替えようとした計画も、それがどれだけ身勝手なものであるか知っている人々によって破綻しようとしている。

さて、これら世界の事から、お道でのひながたを見た時に、私にはかんろだい建立、かぐらづとめ完成が思い浮かぶ。

なぜか、人々の心を建て替えるために、かんろだいを建てて、そこでのつとめによって授けられる甘露によって、陽気ぐらしをさせたいというのが、親神様の最初の計画であった。

しかし、つとめをするために必要なつとめ人衆が揃わなかった。

せっかく、人間宿仕込みのいんねんある魂を生まれさせて、つとめ人衆に育てようとしたのだが、そのようにならなかった。

そして、かんろだい没収を一つの節として、計画を、人間の心を澄ませてから、かんろだいを建てて、勤めをする事に変更したのである。

さらには、教祖が現身を隠される直前、親神様と人間との問答によって、応法の道を歩むこととなったのである。

これは、「人間は法律には叶いません」という、真柱様からの言葉によって、法律に合わす道へと変えられたと私は思っている。

神一条の道と、応法の道、この二つの道を私たちは歩んでいるのである。

 

今現在の世界の事から、どれだけ自分たちに都合の良い法律を作ろうとしているか、良く分かるだろう。

しかし、いくら法律ができたとしても、人心の誠真実の心の前には、その法律は意味をなさなくなるのである。

これも良く分かると思う。

「さあさあ 月日ありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。」

これが今証明されていると私は思っている。

心定めて、誠真実をつくす中に、不思議な親神様のお働きが見せられてきているのである。

 

どんな薬があっても、体内で親神様の御守護がなければ、効能は無いのである。

反対にどんな毒薬を飲んでも、親神様の御守護があれば、大難は小難に小難は無難にとなるのである。

 

この御守護を頂く元は、誠真実であり、それは我が身どうなってもという心にあるのである。

「欲を忘れてひのきしん」である。

「神の前には欲はない」である。

 

医学の世界のウソが暴かれ、政治のウソが暴かれた現在、次は宗教のウソが暴かれるであろう。

宗教と信心・信仰の違いなど、神と人間を考え直すきっかけがあるように思う。

すべては、人間の心の、魂の成人のために、見たくないと思うような事も起きてくるのである。

それを逃げてはならない。

見せられる事も、いんねんがあるからこそである。

いんねんを切り替えるための、強い心を培う時でもあろう。

 

祖神様・教祖、本当に大難は小難・小難は無難にとお守り下さりありがとうございました。

どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。

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日本は変われるか?。。。かやしは助けの時

2022年06月21日 13時00分36秒 | 思った事

今、政治が変わろうとしている。

アメリカ・世界に続いて、民主活動が動き出した。

これまでにも、様々な政党が出来てあったが、このコロナ騒ぎによって、すべての政党はつながっている事が明らかになった。

何でつながっているのか。。それは利権である。

自分たちの利権のために、政治家は決断が出来ない。

それがまざまざと分かったのである。

そして、参政党という党が活動を始めた。

(116) 【参政党】ついに6/20の毎日新聞で報道された!「参政党」現象  勇気ある記者が書いた記事がついに掲載された!!神谷宗幣 魂の街頭演説! - YouTube

街頭演説で数百人から千人余りの人を集めているのである。

ところが、これは大手メディアには取り上げられない。

ネットの上に、そうした該当演説の様子が次々とあげられて、人々がより集っている。

これまで、世界の真実をとユーチューブなどで発信をされて、アカウントを停止させられた人たちが、街頭で堂々とその真実を話しているのである。

とてもすごい事である。

ずっとネットで情報を追い続けて、

陽気ぐらしになるためには、スーパーマンたる総理大臣や大統領が現れても駄目である。

人々の心が変わらなければ。とこのブログにも書いて来たが、

その人々の心を変える動きが出はじめたのである。

ワクチンや利権、世界の事についても、街頭演説ではしっかりと話をしている。(動画では削除されかねない言葉は消されて発信されている)

これにつられるように、自民党の個人チャンネルでも、世界の情勢をあからさまに話す人も出て来た。

(116) バイデン大統領がいくら支持しても、絶対に日本は“常任理事国”になれない理由がある!!【西田昌司ビデオレター令和4年6月20日】 - YouTube

そして、6月20日ようやく毎日新聞がこの動きを報じたようである。

その記者は、ネットを見ない人だったようで、若い人の騒ぎを知って書いたそうである。

今は本当に、ネットの時代で、自分から求めて検索をして、自分で取捨選択をしなければ、悪意の情報に惑わされるのである。

まぁ。

親神様のお導きを信じる私からすれば、このように書いても、何とも思わない人は思わない。そんなもんだと思っているが。。。

しかし、少しでも、自分で考えて、自分を変えようとする人がいるならば、知って欲しいと思って書いているのである。

道も世界も立てあっているのだから。。。

 

あかき人・しろき人・黒き人で、しろき人をあかき人にしたいのが親神様の望みでもある。

 

すべては、いんねんどおりの道であり、自分のした事、思った事、人に思わせてきた事は、必ず帰ってくるのである。

その姿が今ここに現れている。そのようにも思える。

 

これが、親神様のかやしである。

しかし、

自分のいんねんを自覚して、お詫びをして、心きり変えたならば助けて下さるのが親神様である。

ウソをついたらそのものが、ウソになるのもこれが承知か。である。

欲にきりない泥水や、心澄み切れ極楽や。である。

 

自分の助かりだけではなく、人の助かりの上に、心定める事。

これは大切な事だと思う。

身上だけではない、事情助けもこれから忙しくなるだろう。

 

 

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ひながたを理解するために 年表5/5

2022年06月20日 09時59分36秒 | 天理教年表

只今、6月20日の午前です。

このブログは「何とか年表をだしたい」と思って、その日の最後に投稿してきましたが、

今日は夕方、部内へ御供さんを届けたいと思っているので、今書いています。

この部内教会では、出直された会長さんの時より、御供さんをとてもよく使われていていた。

だから定期的に、「無くなるので欲しいです」と連絡があった。

それが、このコロナ禍でぱったりと無くなっていた。

それがつい先日、「欲しい」との連絡を受けて、月次祭に持って行くはずだったのを忘れたので今日届けるのである。

恐怖によって縛られた心が、ようやく動き始めたように感じる出来事である。

 

年表はこれで終わりとなる。

昭和53年から平成7年までで、教祖の100年祭を間に挟む。

教祖100年祭が一つの区切という人も多い。

あれから30年あまり経つ現在。

おふでさきの最後に、「あいずたてあいでたならば なにについてもみなこのとおり」と述べられている。

合図立てあいとは、旬と考える事が出来る事を思うと、教祖のひながたの道中は、旬が来たならば繰り返されると考える事が出来ると思う。

しっかりと歴史を振り返って、これから先を見透さねばならないと思うばかりである。

 

41 昭和53年(1978)立教141年~

42 昭和55年(1980)立教143年~

43 昭和57年(1982)立教145年~

44 昭和58年(1983)立教146年~

45 昭和60年(1985)立教148年~

46 昭和62年(1987)立教150年~

47 昭和64年(1989)立教152年~

48 平成3年(1991)立教154年~

49 平成5年(1993)立教156年~

50 平成7年(1995)立教158年~

 

ひながたを理解するために 年表4/5 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

 

先日、道友社へ本を探しに行ったら、「天理教事典 第3版」がまだ売っていた。

ぜひとも購入されて、史実や教語について学ぶ参考にされたら良いかと思う。

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ひながたを理解するために 年表4/5

2022年06月19日 18時18分15秒 | 天理教年表

今日は、6月19日 大教会で女子青年のこかん様につづく会が行われた。

その世話係として、妻が9時前に出かける事となっていた。

私は町内の公園の掃除に出かける事となっており、掃除がそれまでに終われば一緒に大教会へ行くことにしていた。

私の大教会での用事は、名簿の入力作業である。妻が大教会にいる間、行おうと思って出かけたのである。

大教会に行ってパソコンをつけて、本部からのデータをダウンロードして確認作業を行うのである。

作業ミスがあったりすると、データを復元する必要があるため、作業前と作業後には必ずバックアップをとり、それを他のハードディスクへとコピーしておくのである。

そして、変更されたデータ、こちらで変更したデータのすり合わせを行う。

確認できると、変更されたデータのカードを打ち出して、差し替えたり、削除するのである。

結構手間がかかり、間にウィンドウズのアップデートなどがかかると結構時間がかかってしまうのである。

本部からのデータ処理を終えたところで、妻の用事が終わり、直接二人で3男の学校の三者面談へ出かけた。

専門学校の三者面談で、卒業後の就職先などの相談であった。

先生の話を聞いていて、天理高校2部を卒業させてもらったお陰があったなぁと思った。

 

今回の年表は、昭和の高度経済成長期の頃となる。

現在では考えられないような目覚ましい発展が伺える。

谷底せり上げと言われて、落ちた水も吹き上がるとのお言葉ごとくの道の動き、御守護の姿の記録のように思えた。

31 昭和32年(1957)立教120年~

32 昭和34年(1959)立教122年~

33 昭和37年(1962)立教125年~

34 昭和39年(1964)立教127年~

35 昭和42年(1967)立教130年~

36 昭和44年(1969)立教132年~

37 昭和46年(1971)立教134年~

38 昭和48年(1973)立教136年~

39 昭和50年(1975)立教138年~

40 昭和52年(1977)立教140年~

 

 

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ひながたを理解するために 年表3/5

2022年06月18日 22時47分48秒 | 天理教年表

今日は部内の月次祭でした。

そして、奥さんから声を掛けて頂いて、先日手の神経をつなぐ手術をされた方に、おさづけを取り次ぎに行かせて頂きました。

普通はそんな風にはならないと、医者に驚かれるほどの御守護を頂かれていました。

「なかなか成人できなくて」。。と言われるその方に、「20年以上前は近い教会へも日参できなかったでしょう。今では毎日日参を欠かさずに出来ていて、心はとても明るくなっていると思います。つないだから、不思議とつないで頂ける御守護を頂いたのだと思います。」と話をさせて頂きました。

また、「お医者さんから80才には見えない。どうしてそんなに若々しいのか」と言われると言っておられました。そして「自分の事を二の次にして、人のために心を使うからですよ。教会の奥さんもそうでしょ。」と話しました。

本当に親神様は、何とか助けようと、大難は小難にとお働き下さっています。

世間はとても騒がしいです。その騒がしさの中に、親神様の御守護を感じさせて頂いて、良い方へと導いて頂きたいと思いました。

 

さて、年表の3回目です。

前回は、

ひながたを理解するために 年表2/5 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

大正時代で一つの弾圧が免れて、ようやく復元が果たせるかと、おさしづの公刊などが始まった頃でした。

今回の昭和の時代は、軍国主義が顕著になり、弾圧が再開されて、革新の名の元に、せっかく公刊した物を回収し、教義をやむなく変更させられて、みかぐらうたを全部歌えなくなるなどという時代となります。そして昭和20年の終戦を迎える事となります。

 

21 昭和9年(1934)立教97年~

22 昭和11年(1936)立教99年~

23 昭和13年(1938)立教101年~

24 昭和15年(1940)立教103年~

25 昭和17年(1942)立教105年~

26 昭和20年(1945)立教108年~

27 昭和22年(1947)立教110年~

28 昭和25年(1950)立教113年~

29 昭和27年(1952)立教115年~

30 昭和30年(1955)立教118年~

 

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ひながたを理解するために 年表2/5

2022年06月17日 21時04分47秒 | 天理教年表

今、日本では「参政党」というものが出来て、多くの人々の関心を引いている。

私自身、これまで2年余り、2年余り政治家の動向とマスメディアの動向を追って来て、今の政治家や政治の在り方では陽気ぐらしにはなれないと思うようになった。

これは、発言や行動に矛盾を感じて、様々な情報を吟味しての事である。

私たちは、それぞれにとても忙しい。

しかし、忙しくとも、興味のある事ならば調べたり、考えたりするであろう。

その時に必要なのは、それまでの史実・事実である。

今回、「ひながたを理解するために」として年表を投稿しているが、これはひながたを理解するためにだけではない。

この歴史の中には、他の宗教も発生している事も事実であり、政治が宗教へ関与してきた事も事実である。

こうした事を整理するためには、ぜったいに年表は欠かせないものである。

前回の投稿は、教祖ご在世中が中心である。

今回はその後、おさしづの時代になり、神社本庁との関りから、現状の体制の基礎が出来、一派独立をしてからは直接政治との関りが多くなってくるのである。

11 明治28年(1895)立教58年~

12 明治31年(1898)立教61年~

13 明治35年~(1902)立教65年~

14 明治39年(1906)~

15 明治42年(1909)~

16 大正4年(1915)~

17 大正9年(1920)~

18 大正14年(1925)~

19 昭和3年(1928)~

20 昭和7年(1932)~

ひながたを理解するために。。年表 1/5 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

 

 

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ひながたを理解するために。。年表 1/5

2022年06月16日 10時53分35秒 | 天理教年表

130周年の記念祭も無事に終える事が出来てほっと一息。。

世界の事情も、悪いな情報に惑わされなければ、良い方向へと向いていくだろう。

すべてはそれぞれの心次第である。

 

さて、記念祭前にこのブログへ書きたいと、いくつか思っていたが、出来ずに来た。

これからそれを少しずつ書いていきたい。

まず今回は、ひながたについて知る上に、「改訂 天理教事典」の末尾にある「年表」を投稿する。

教祖のひながたは50年であり、そのひながたは刻一刻と変わって行っている事を知ってもらいたいと思う。(これは、すでに「復元を研究する」グループには投稿した物である。)

ひながたを、教祖が行われた事柄に限定しても、それを含んだ周囲の人々の行いと解釈を広げたとしても、時に応じて、人々の理解に応じて変化している事に気づく事が出来るであろう。

そうしたならば、今の自分は、50年のひながたのどの辺を歩んでいるか分かると思う。

また、この年表は、平成7年までしかないが、ひながたによって導かれた人々が、教祖が現身を隠された後に、どのように歩み、導かれたかと考える事も出来るであろう。

全部で50頁ほどあるので、10頁ごとで投稿しておく。

01 寛政1年~

02 天保9年~

03 万延1年~

04 明治1年~

05 明治7年~

06 明治13年~

07 明治16年~

08 明治19年~

09 明治22年~

10 明治25年~

 

今回は以上にする。

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記念祭を終えて。。。

2022年06月14日 13時20分16秒 | 思った事

6月12日 6月の月次祭に、130周年記念祭の思いを重ねて、部内教会の信者さん方にも声を掛けて、おつとめをつとめた。

部内教会からは、会長夫人と後継者夫妻、そして信者さん1名の4名が来てくださり、部内布教所からは3名、そしてうちの家族も、子供たち全員が揃い、総勢16名で勤める事が出来た。

それ以外に、おつとめの前に参拝に来て下さる方、おつとめの後に来て下さった方など、それぞれの思いで、それぞれの仕方で勤めて下さった。

記念祭という事で、大教会長さんに来て頂き、おつとめの後にお話をして頂き、記念撮影をして、お弁当を配って終了となった。

皆さんがたは、大教会長さんのお話を聞いてとても喜んで下さった。

これまでの記念祭ならば、大教会長さんには夫妻で来てもらっていたのだが、今回は新型コロナで、世間がまだ騒がしいので、大教会長さんだけに声を掛けた。

私は、すべては親神様の働きの中にあり心通りでどんなおたすけも頂けるし、またイベルメクチンという薬があり、政府が認めれば何ともないのに、それを認めない事に不信を抱くばかりであるが、政府の情報を信じ切っている人々には、まだまだ不安だらけの世の中で、参拝に来るのも怖がっている状態である。

先日行った部内の会長の年祭の時に、記念撮影で、マスクを付けて撮ろうという話が出た。それはこういう時だからそれを記録にするために。との事である。

これを聞いて、この状態を記憶に残す事、記録に残すことも大切だと思った。

うちの参拝場には、110周年・120周年と集合写真が飾ってある。

今回の記念写真には、全員マスクを外して移っているが、大教会の奥さんはいない。また、私の母親もいない。これがその証でもある。

そして、来て下さいとお願いして来てもらったのは大教会長さんだけで、あとは親神様に凭れて、一緒に努めたいという人のみである。

 

さて、うちの記念祭は大教会の記念祭のすぐ次の年になるので、大教会の上には御供の袋などが回ってくるが、うちの教会の上には何もしない。

それぞれの思うだけ、ともかく部内の方々と共につとめさせて頂きたいとそれだけである。

そして今回の挨拶は、この120年から130年までの10年間を振り返っての話をした。

120周年を終わってすぐさま、一番私の相談相手となり、信者さんの中心になってくださった方が出直した。

その後に、部内の会長さんが出直した。

このお二人の出直しは、私にとってはとてもとても辛い事であった。

しかし、そのお二人は出直されたが、その出直されるまでに、私なりに懸命に動き、親神様の不思議な働きをお見せいただいた中で出直された話をした。

 

そして、節目というものは、それまでを振り返り、これからを見つめるためにあると話をした。

今、世界中は混とんとしている。それがようやく日本でも実感できるようになって来た。

この混とんとした状態は、これまで信じて来た事が違っていたと知った人々が、心迷わすであろうことが十分に予想される。

心迷えば、身も迷い、体調を崩す人々も増えてくるのである。

つまりはおたすけの旬という事になる。

 

おさづけは、真実込めて取り次ぐだけなのである。

そして、

親神様・教祖にもたれて、真実をつくして、おたすけをさせて頂く。

心配になる人に、一言の話をさせて頂きましょうと結んだ。

 

この6月12日は、次男の誕生日でもある。

長男が6月6日、だから小さい時は、6月6日に二人合わせて誕生日をしており、次男から不満な雰囲気は感じていた。

今回、おぢばにいる子供も、仕事に行っている子供もみなおつとめに出てくれて、家族全員が揃った誕生日なのである。

ぜひとも今回、家族全員で誕生日の記念写真を撮りたい。と願っていた。

すると、弟が、おぢばの子供たちを送ってやるから、おつとめが終わった頃に来ると連絡が入った。

早速、娘のケーキ屋へ27センチのケーキを注文して、来るときに立ち寄ってもらった。

大教会長さんも、信者さん方が帰られて、またあとからの参拝者も帰られて、午後3時過ぎ。

家族10人で誕生会をして、記念写真を撮った。

いつもは15センチのケーキだが、10人もいるからと大きくしたのだったが、一人分がとても大きく、お弁当は夕食になった。

おぢばへ帰る者たちを見送ったのが5時前。

それから片づけをして、おぢばへ送って行ったものが帰って来たのが9時過ぎ。

 

うちの家族は、すぐに「え~~。やだ~~。」と言葉が出る。

ところが、寸前になると、手伝ったりして、何事も無かったように事が運ぶ。

不思議である。

 

とてもとても嬉しい一日だった。

 

そうそう。

記念祭直前になって、玄関ポーチの雨除けシートを、波板に代えて、門灯と防犯灯をLEDに代えた。

全くやる気はなかったのだが、奥さんの言葉から、数日掛けて工事をした。

 

 

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たんのう。。。これが分かれば。。。

2022年06月07日 09時02分11秒 | 思った事

運命を切り替える上に、たんのうを教えられている。

このたんのう。。。これは我慢ではない。

成ってくることは、すべてこれまでの生まれ変わり出変わりの中での、蒔いたタネが芽生えて来たものである。

だから、その芽生えたものをどのようにするのか、その心の持ち方、考え方の一つである。

運命は変えられないと、昔はよく占いなどでも言われて来たと思うが、最近は心持ち方や行いで変わると言われるようにもなってきている。

人間というものは、自分が可愛いのである。

これは当然である。

また物を見て、欲しいと思うのも当然である。

そうした中に、自分の思い通りにならない時に、ならない原因を他人・周囲に探して、それを恨んだり攻撃する。

そして、それをするために、ウソをついたりするのである。

ウソをつかれたり攻撃をされたら、されたものは良くは思わない。

先の、自分の思い通りにはならない事、これを他人にさせる事になるのである。

ちょっと表現が難しいが、

例えば、自分のウソがばれないように、そのウソを知っている人を、殺めたとすると、その殺められた人の心には恨みが残るだろう。

また、その殺められた人だけではなく、その周囲の人々にも、恨みなどが残り、それが元となって、仕返しをする事になるだろう。

負の連鎖が連綿と続く事となり、一つの負が周囲に波及して、多くの負となる。

これを止めるためには、された方があきらめるしかない。

として、起こって来た事には、ぜったい的なカルマがあり、それは避けられないものである。

だから、少しでも良い事をしよう。

地獄に落ちないように人に対して悪い事をしないようにしよう。

などというのが、天理教以前に教えられて来たものである。

 

実際に教祖のお話には、天理教以前の宗教や悟り諭の道は、悪い気持ちを和らげるために教えたとある。

これによって、多くの人々が助かり、その宗教や教えは栄えても来た。

ところが、それでは不自由分である事から、人間を創った元の話。

人間を創るために集めた神の話などを「元の理」として教えて、すべては、それぞれの心に貸し与えたものという話を説き、ほこりの譬えで心の扱い方を教えられた。

ところが、天理教が始まって190年弱、自分自身の心に悩む人が増えて、ようやく心について考えられるように、多くの人々が感じるようになって来た。

天理教が始まった頃は、心を思う人はなかなかおらず、自分の困った事を解決してくれる事、こればかりを人々は望んでいたのである。

例えば、

天理教が大きくなる、天理教の信者が増える。そのために悩み苦しむ。

そして、そのようにならない事を、周囲の性にして、嘆くなど、

これも、姿かたちに囚われて、自分の思い通りにならずにいる姿でもある。

 

私自身、このブログにも、さまざまな不足をしてきたことを書いているが、そうした不足は、良かれと思いする中に思ってしまう不足であり、これでは本来の親神様の望みではないと、教会事情に携わって思えた事であり、

現在は、親神様の導かれるままにと思えるようになった。

 

今月2日に、教会のポーチの電気を付け替える中、急に大教会へ行く用事が出来て、午後から大教会へ出かけようとする。その少しの間に、ある大教会の会長さんが、創立130周年を終えられた記念品を持ってわざわざ来て下さったのである。

その時に、会長になって30年となるが、数年前にようやくたんのうについて得心がいって、ここ数年はずっと、たんのうの話ばかりしている。聞いても聞いてくれなくても、それで結構と思って話をしてきた。

と、たんのうについて話しをして下さったのである。

帰られてから、記念祭のリーフレットを見たら、たんのうが成人目標になっていた。

私も全く同感である。

 

私が今こうして、情報を発信しているのも、同じ気持ちである。

聞いて下さっても聞いて下さらなくても、親神様はおられて、今もなお導いて下さっている。

また、教祖が自ら通り、教え導かれた事を、多くの人々に知ってもらいたい。

と思いながら書いて来た。

 

そして、今、新型コロナはじめ、さまざまな世界の事情から、

自ら考えて、自らの心で教えを歩んでもらいたい。

と思うようになった。

その自ら考える手助けをさせて頂ければ、それがありがたいとも思えるようになった。

 

自分の思い通りにはならないものである。

また思い通りになっても、人からは妬みや恨みを受けるのである。

そうした時に、真実込めて、低い心で対処していく。

これがたんのうにつながると思ったのである。

 

我慢ではない。

理の当然として受け止めて、冷静に対処する中に、

自分のいんねん、性分ならば、こんな小難に、無難には事にはならないだろう。

と思えて、親神様の不思議がこれまた感じられるのである。

 

その大教会長さんの話を聞いて、

3代真柱様が「たんのうは出来なくても、我慢でとおる」という事を話された事を思い出し、

また、「たんのうできなくても我慢しな」と夫婦の中を治めておられた方の話を思い出した。

今は、そうした時代から50年以上も経つのである。

我慢という言葉なしに、たんのうについて話が出来る事をとても嬉しく思ったのでもあった。

 

今の時代を、世界では混とんとした時代と表現をされるが、

親神様は、すでにそれは宣言されているのである。

 

泥海こうきを読めば良く分かる。

神仏を心の支えとして、歩んできた者たちが、自らの心で自由に考えるためには、自分の中にある混とんを整理しなければならないのである。

自分の心の中に、善悪があるのだが、それが自分でも見分けがつかなかっただけである。

それはダメです。と言われても、そんなことを言っても、と自分勝手をしてきた。

それはダメだという、理由も考えずに、自分の浅はかな物差しで通って来た。

それにより、様々な困難に向かっているのである。

天の理の物差しからすれば、別段に混とんとはしていない。

なるべくしてなっているのである。

自分の浅はかな物差しを作り変える時でもあろう。

 

「たんのうはつなぐ理、不足は切る理」正しくである。

今の世界の状況、情報を理解できても、神の世界・生かされている世界を理解できないと、たんのうには繋がらないだろうが、それも一つである。

 

さまざまな人間があり、さまざまないんねんで関わっているのである。

ともかく、天の理を知る事。

これがたんのうにはとても大切だと思う。

 

世界が陽気ぐらしへとなりますように。。。

コメント
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