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あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

「飯田岩次郎」については後日にする。。。今日の出来事。。

2021年08月30日 23時15分59秒 | 思った事

昨日、今日と用事の合間に、「飯田岩次郎」に関するおさしづ、12件を資料にするために確認していたのだが、どうも2つほど確認すると目がかすんで、出来なくなる。

先ほどようやく、確認だけが出来た。とても重要な事を話されているように思ったが、具体的にまとめる事が出来ない。

しかし、この「水屋敷事件」が起こった明治30年は、「橋本清と前川菊太郎」が辞職する事件も起こっている。

ここまでをメモしておいて、この件については、時を改めてしたいと思う。

 

今日は、支部内の教会の前奥さんの葬儀に参拝させて頂き、表統領先生の弔辞を代読させて頂いた。

その弔辞を読みながら、その奥さんの功績を改めて思わせて頂いた。

そして、親神様・教祖一筋に歩まれる事がどれだけ重要な事かと、再確認させて頂いた。

 

午後からは、布教所の月次祭で、12下りをつとめさせて頂き、「暑い」という事から、「暑くても風があれば過ごせる」と話した途端、一人の方が、突然「風がないと物が腐る」と言われて、これはお母さん(前の所長)から聞いたという話しから、それについての逸話と、親神様の十全の御守護の話をさせて頂いた。

世の中、複雑で難しい事ばかりが起きているが、何よりも親神様の御守護を頂かねばならない。

おつとめは何のためにするのか。それは「親神様が望まれてる」からである。

これも、先の所長さんが言っていた言葉である。

私はこの言葉を聞いてから、「その通りだ」と思って、おつとめを勤めれるようになった。

ご恩返しとか様々な事を言われるが、ともかく「親神様・教祖が喜んで下さる」から。

それだけで良いと思っている。

そして、帰りがけに、その信者の方が、「教会でのおつとめの時、暑くて暑くてとおつとめをつとめる前は思っていたけれど、勤めている間に、暑く感じなくなっていた。そして終わったらまた暑くなった。不思議だったです。」と話してくれた。

嬉しかった。

今日も一日ありがとうございました。

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8月26日の神殿講話から。。思うがままに。。

2021年08月28日 10時01分08秒 | 思った事

8月本部の月次祭を中庭で参拝させて頂いた。

神殿講話を聞かせてもらってから、なんだかすごく気持ちが重たい。

テレビを見ても、ネットニュースを見ても、どんどん暗くなるばかりである。

せっかく、安く効き目のある薬があるのに、それを使わさずに、効果がほとんど無く危険な薬を無理やり使わせようとする。

利権によるものが明白になってきているのに、強引に進めようとする。

多くの命が。。。と思えて仕方がない。

 

さて、今月の本部の神殿講話は「原典における感染症」について話をされたが、資料を提示されただけで終わったようで、妻と「結論が無かったね」と話し合った。

それを聞きながら一つ思ったのは、「ほうそ」については、「ほうそ守り」をお守りと共に出されている事が言われなかったように思え、ワクチンということよりも、この「ほうそ守り」が大きいのではないか。と思った。

15才以下の子供に対して「証拠守り」と共に「ほうそ守り」を付けて下さっているのである。

これまで、どれだけ多くの人々がお守りを頂いたのだろうか。

どれだけ多くの人々がおぢばへ足を運んだのだろうか。

そして、それらの人々の魂には、その印が刻まれている。

先に出した資料の中に、「反対する者であっても、知らず知らずにおぢばへ引き寄せられて、心を見分けられて、印を頂いている」という話しがあったと思う。

親神様の視点は、人間の生まれ変わりも含めた、魂の成人を見極めるものである。

しかし、人間は今世だけの事に囚われている。

ここをしっかりと思案しておかなければ、せっかく「かしもの・かりもの」を聞かせて頂いていても、いらぬ迷い、いらぬ不足をつまねばならなくなると思う。

 

私の両親は、二人とも結核にかかった者である。

母親はそれによって、一年留年している。母親は詰所で軍医さんからもらった薬でたすかったと言っていたが、父親からはそのような話は聞いていない。

ともかく、両親は結核から助かった。

私はその長男である。そして、私はその結核の予防接種は受けていない。

ツベルクリン反応で陽性が出ていたからである。

つまり、生まれた時からその耐性を持っていたという事になる。

このような事を考えると、大騒ぎする必要はない。

成ってくることを受け止め、しっかりと親神様に凭れて、自らの心の切り替えをする。

そして、御守護を頂いていくことが、一番重要だと思うのである。

 

みな、死ぬことを、出直すことを嫌がる。

また関係する人々が亡くなる事を悲しがる。

しかし、親神様からすると、こうした事も、前世からのいんねんによって起こる事と言われている。

「三才で出直すも一生」として、諸井国三郎先生にまた、多くの方におさしづをされている。

問題は、出直した方よりも、残された方の心にあるのではないか。

この悲しむという心。これがとても重要ではないかと思うのである。

 

また、もし殺人を犯す人があった時、その殺人者の心が問題であると思うのである。

自分の欲得のために、殺人を犯すことがあれば、それは陽気ぐらしとは全く違った心であることは明白である。

ならば、その罪は、ほこりは何倍にもなって、その人に返ってくる。

このほこりの多さ、大きさは、人の上に立つ人ほど、大きくなることは、ほこりの説き分けに書かれている。

八つのほこりの理。。。『正文遺韻抄』より - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

そして、

その魂が、生まれ変わりをするたびに、その罪をつぐなう状況になってくる。そしてそれは詫びて許しを得て、人助けへと心を切り替えない限り、繰り返される。

この事は、逸話編の199[「一つやで」を読めば明らかである。

このような理の筋道を知っていても、それを日々に活かして行かねば何にもならない。

これは、おたすけ人の身上に対するおさしづで、「自分の説く事を自分に当てはめて見よ」と言われることからも分かる。

 

ともかく、助かりたいと望むか、望まないか。

心の身上でも同じである。

医術も薬も、一時的なものとして教えられたものである。

一時的なもので、その時を乗り切りながら、心を変えて行く。

それを、教えられた親神様に望むか望まないか。ここが問題だと思う。

 

何よりも大切なのは、誠真実の心を使えるようになる事である。

そうなれば、「医者も薬もこれはかなわん」という身上も、親神様がすぐにふしぎを表して下さる。

身上も事情もなくなる。思ったら思ったようになってくる。

 

親神様と人間、人間と人間との共生。「神人和楽」と真柱様は言われたようである。

そのための修行が、日々であると思えば、また見方が変わるのではないかと思う。

 

昨日、午後3時すぎ、余りにも空から雲が無くなり、この空を記録にしたいと外へ出た。

しかし、雲の無い空は、ただの青い紙と同じで、その素晴らしさは表現できないと思った。

そして、どうしたものかと思いながら、公園内を歩きながら撮影をして回った。

 

赤いサルスベリを見て、これだと思って、思わず撮った。

空の青さが際立った。

近くに白いサルスベリがあり、試しに撮ってみたが、どうも違っていた。

そして、家に帰って来てから、写真をみたら、芝生広場に木々の影が映りこんでいる写真に目が留まった。

これもそうだ。と思って、Facebookに投稿した。

今の私にはうまく表現が出来ないが、人間が生きる事もこのようだと思った。

 

思うがままに書きました。

どうぞお許しください。

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今日の出来事。。教祖のお隠れから、本席定めの間について。。

2021年08月25日 21時03分58秒 | 復元 永尾芳枝祖母口述記

今日は、8月25日である。

数日前から、左足が痛みおかしいなぁと思っていたら、足の指の間が裂けている。

これは水虫だ。(これまでにも経験済み)

水虫の傷口から、ばい菌が入ったら大変な事になる。

そこで午前中、皮膚科へ行ってきた。案の定であった。

 

その道中、お堀を見ると、石垣の除草をしている。

これは良い機会だと思って、動画を撮る。

Facebook 【動画】名古屋城お堀、石垣の除草

石垣の草をそのままにしておくと、石垣が崩れる原因になると以前聞いたことがあった。

文化財を維持する事も大変な事である。

 

帰って来てから、いつもの如く、ユーチューブやニュースのチェックをする。

YouTubeも規制が厳しくなったのと、代わり映えしないので、新型コロナの事はあまり出なくなってきている。騒いでいるのはテレビばかりのようである、

そうした中に、新しくイベルメクチンの有効性を説いた動画があったので、記録しておいた。

また、最近は海外のニュースサイトを見るようになって、その自動翻訳を見ている。そして気になったことをFacebookに共有するようになった。

ニュースも、書く人や掲載する会社の主義主張によって意見が全く違う事がある。これをしっかりと考えて見ないと、大変な事になりかねない。(アメリカ大統領選挙から痛感している)

その後、先日から掲載しているおさしづについて調べ物をしていると、これまた発見をしたので、表題の如く、今日はそれを掲載しておく。

 

「教祖のお隠れから、本席定めの間の事」

 先日の「永尾芳枝祖母口述記」に書かれていた時の事を詳しくまとめてあったので、それを紹介しておきたく思った。

その本は「教史点描 ”おさしづの時代”をたどる」である。

その部分だけを写真で掲載しておく。

この本は書店、WEBでも販売しているのでぜひとも、購入をお勧めしたい。

調べたら、中古で2000円近くで販売されて、楽天ブックスでは1650円だった。

今回、目に付いたのがラインを引いたところである。

教祖が現身を隠されて、大変な中に、初代真柱様は置かれていた事が、良く分かった。

分かりやすいと思って、おさしづの表も、以下に載せておく。

 

親神様のお導きの中に私たちはいる。

世界では、キリスト教の予言に沿って物事が進んでいるとも言われたりする。そして、キリスト教の教義の解釈を問題視する事も言われたりする。

そうした中に、天理教ではこの世界をどのように解き明かしているのかとして、「元の理」を紹介し、自分の感じている事を書いて来た。

先日から書いている「人足社」は、神様の言葉を述べるという事から、色々な問題になり、「おさしづ」を伺っているのである。

世の中には、霊的にそのような事を発言する人も多々ある。そうした人々に対する考え方を、史実、教えから求める事も大切だと思って、作業をしているのである。

結論が出るかどうかは、現段階では分からない。

しかし、様々な気づきをもらっている事は確かである。

私に限らず、私の提示した資料から、新たな事を感じておられる方も多いかと思う。

「おふでさき」にある、世界助けのための「こうき」を作る一助になれば良いかと、そんな夢を抱きながらいる。

 

今日も一日ありがとうございました。

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社・人足社に関するおさしづ と、上田ナライト・飯田岩次郎 資料

2021年08月24日 21時29分14秒 | おさしづ

「社・人足社」に関するおさしづを列記し、関連する飯田岩次郎、上田ナライトについて、「改訂 天理教事典」から示しておきます。

No. 1:(1巻401頁8行)
明治22年4月18日午後10時 
『刻限御話』
さあ/\/\/\うん/\/\、さあ/\/\話掛ける/\、どういう事を話掛ける。これまでの処というものは、皆んな一つ/\寄せて運んだ処、皆寄り合うて始めた処、又これよりどんと一つの道改める。改めると言えば皆が案じる。皆々変わる/\と言えば皆案じる。案じる事は無いで。道が変わると言えば案じる。さあさあ今になって今の事を言うやない。所々には一つ/\の名を下ろし/\。さあさあいつ/\までの事情、往還道を待ち兼ねる。何か一つの治め方、一つの事情、元一つの事情から始め掛ける。初まりという、国々何処の国々、初まり/\前より一つ。さあ/\遠く/\こんな処から、何処からどういう道が付くとも分からん。世界の中の所から、どんな所より道が付くやら。偉い事や。この道というは、後々の事も言わん。日々の処どんな所へも入り込む。さあ/\皆始め来たる処、あちらに一つの社や、こちらに一つの講や。皆々難しい処より始めた。心の理によって一つの名を揚げた。一つこうのう始め掛けたら、よう聞いて置け。何処にどういう道が始まるとも分からん。さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始め出した。応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろだいと言うて口説き口説き詰めたる。さあ/\これよりは速やか道から、今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという。

No. 2:(4巻2771頁12行)
明治30年6月3日 
『安堵村飯田岩治郎事情願(事情は神様下がると言うに付将来治め方に付願)』
さあ/\尋ねる事情/\、何処にどういう事情、彼処にどういう事情、これまで事情というは皆話、それ/\詰合々々、皆聞いて居る。ほのかの事情にて、人足社と言うて来て居る。何程、どうしてやりたいこうしてやりたい、埋め置いて、皆めんめんやる事情、取り扱い出けん。十分先々諭さにゃならん。これ一つ聞き分け。ならん処尋ねば、さしづを皆してある。さしづ事情、これだけの事なら、それだけの事なら、と日々送り、さしづ事情皆埋れてある。よう聞き分け。まあ内々に一つ事情、時々の話、時々の事情、刻限事情、だん/\これまで幾重話ある。ほんの十のものなら九つまで埋れて、後一つはっちゃ守る事出来ん。聞き入れる事出けん。よう聞き分け。長い話、長い話し掛けたら、一時間や二時間で説き尽す事出来ん。あちら神が下がり、こちら神が下がりて、何処から皆ほんにと分かり難ない。どんな事言うたやら、一時堪えられんような事言うたるそうな。何処から言う、聞き分け/\。人足という、あちらこちら古い事情にて、あちらへちょい/\して置いた。前々の道と、道と/\の理を聞き分け。聞き分けにゃ、分からん。話、あちらこちらちょい/\聞いて居る。聞いて居る中に、一寸何才なる者が、この者いつ/\まで貰い受けたる中に、そのまゝ捨て置いたる。これ分かるか分からんか。所々で一寸々々言葉下ろしてある。すっかり貰い受けたる事情聞き分け。事情皆埋もれたる。年限経つ、見て居るようなもの。今日の事情一時尋ねる。どういう事尋ねるやら分からん。尋ねたらどんな事でも、言葉受けて皆たんのうして帰る。分かる分からん、分からんは道と言う事出けん。道というは、相当道である。取りよう聞きよう難しい。難しい事でも、そこ捌いて行くは取次という。皆遠慮気兼。世上に遠慮は要らん。さしづ理である。事情というは、違う事一つも諭せん。どうもならん。これ諭したら、道十分という。どちらから話し掛け。あちら一寸改めて諭す事情ある。これよう聞き分けにゃならん。これまで危ない処、どうなりこうなり連れて通りゃこそ、通れる。時節で通れるのやない。時節で通れると思うは、心が間違うてあるのやで。よう聞き分けにゃならんで/\。まあこれが仮名な事、軽い事で聞かす。まあ道理から、元々はめん/\が物有りた事人に手渡したようなもの。時々によってこれは結構々々。さあ、これはどう成る。これだけ話したら速やか分かるやろう。

『暫くして』
渡したようなものや。渡したようなものやと、それはどういうもの。この道三十年二十年後、道理聞き分け。その時我がものというは、生涯我がもの。よう聞き分けて、一時間違う道理よう聞き分け。何処にどういう事授けた、こういう事授けた。それは修理して、作り上げてこそ、我がものである。

No. 3:(4巻3279頁11行)
明治32年7月24日 
『園原上田ナライトの運び方の事に付願』
さあ/\尋ねる/\、だん/\尋ねる。一度やない二度やない。時々を以て急ぐ急ぐという。古い事情と言うて急ぐ。いつまで見て居た処が同じ事、仕切りて順序運ぶ/\。どうでもこうでも存命話し掛けたる。時によりて遅れる。その場運ばにゃならんは残したる理、人間心と思たら違う。元は気違いかいなあ、というような事から追々及ぼしたる、何ぼう及ぼしたる処、その時人という、何ぼどうしてやろ、こうしてやろ、と思うても、どうも顔も見せん、そこへも来ん。どうもならん。道という、その理治めて居れば、どうでもこうでも成りて来れば理、よう聞き分け。中に一つ聞き分け/\。治め方に一つ事情、運び方に一つ事情、怖め恐れしてはならん。人間の運びと見てはならん。神の心人間心とは違い、何でも彼でも出て来にゃならん。よう聞き分け。はあと思た理からいずんだ。いずんだ処何でも彼でも発散さゝにゃならん/\。言葉の理から成ったれば、何でも彼でも承知さゝにゃならん。気の間違いと思うような処から始まったる。誰も天理王命と知った者無い。元は憑きものか知らんという処から出けて来た。人は知らんから思う。何か順序暇が要ってならん。言葉一つで始まったる。善き事も悪い事も日さえ経ったらどうや。それではならん。道にありて心寄りて来れば寄りて来る道無くばならん。来なと言うても来る。又来いと言うても出て来ん。来なと言うても来る。道は心という理ありて寄る。これ聞き分け。存命より一名暮らしと言うた理、なか/\の理であるで。又、人足社、又、入り込むという。この理聞いて居る。人足代々続いて又々という。切れてはならん。今一時の処勤めて居る。なれど、よう聞き分け。いつまでと思うたら違う。又後々役目何でも彼でもさしづ、さしづ役無くばならん。たゞ人間は一花咲いても理が無い。俺しようと言うても、言葉出るものやない。この理よく聞き分けにゃならん。

『押して、上田嘉治郎存命の時にこの家毀って了て家内中引き越して貰うたなら、ナライトも治まるやろか、と御話もありた、との事なれど、やしきにいんねんあると教祖より聞かして貰うて居りますから、如何であろうかと尋ねに付、心得のため願』
さあ/\尋ねる処/\、さあ/\もうこれ万事の処という。一名暮らしと言うたる。年限を繰りてみよ。人足社と言うて貰い受けたで、と言うたは、もう何年経つか。よう聞き分け。治めてやらにゃならん。話す/\だん/\十分引き合い掛け合い/\伝え/\、どうでもこうでも治める程に/\。

『又押して、あとの処どういう都合に運ばして貰いますが宜しう御座りますや、心得のため願』
さあ/\尋ねる処/\、まあどうも談示一寸付こまい。二度三度でも治め付こうまい/\。なれど、どうでもこうでもそれ/\家内の心、傍々若き処も治まれば、何時にても/\。

『又、前の事情万事詳しく申し上げ願』
さあ/\だん/\尋ね返やす処、たゞ一人と思たら違う。親々順序一日と言うた日ある。貰い受けた一人暮らしという日がある。その理及ぼさにゃならん。後々理無くばならん。いつまでもと思たらならん。さしづ変えるで/\。おい俺しようと言うた処がいかん。今代わりしようと言うていかん。一つの言葉で分かる。何でも彼でも年限から成り立ったもの。何でも彼でも、皆んなの心に解きほどきてくれにゃならん。

No. 4:(5巻4008頁7行)
明治34年6月14日 
『六月一日より本席御身障りに付七日間御休みに相成る、よって種々相談の結果、本部員一同神様へ御願い申し上げしには、御身上速やか御成り下さればおさしづを頂き、おさしづによってどのような事も運びますと御願いに付、如何の事でありますや願』
さあ/\/\だん/\どういう事情も重なり、いかなる事情も重なり、重なるからどうもならん。重なりて/\重なりて、もうやろうか/\と良い事待つ。良い事待つは道理あろ。道理の中に道理取り違いありては、どうもならん。これ一つ、しっかり聞き分け。だん/\話し掛ける。一時に話し尽す事出けん。一つ/\の理しっかり伝えて、心にしっかり聞き分けてくれ/\。何でも無い事と思へば何でも無い。神何処に居ると思う。明らかなる剥いた話をする。この道というは、年限数えば長い年限、年限困難ありて、もうどうなろうか知らん/\という道通りて来た。もう一時の処にては、一寸世界の道から始め掛け。世界の道はどうなりと出ける。出ける筈や。出けるように持って掛かるから出ける。この道紋型無い処から、知らず知らず惣々通り、もう何処からなりとも、彼処からどうなりても、付け所無い処からだん/\通りて出来た道。そこで今日まで組み立てゝ来た通り、よい/\道通り難くい中道理ある。この道理聞き分けにゃならん。皆んな道は一つ。一つより無い。無い筈や。皆道から出けたもの、道から出けたものなら違わん、という事、前々諭し置いたる。皆承知せにゃならん。一列は年限の道の上の理の兄弟である。道の上に兄弟の理が分からいではどうもならん。兄弟に年限あれば立てるは道、立てる道は言わいでも立てにゃならん。善い事知って居る。知って居れば、皆それ/\の心に持って研究して、どうであるこうであると、この精神上定めて貰いたい。ちょいちょい許したる事出けて来る。来る。許さん限り出けん。皆こうして下され、どうして下され、これもこうしてくれと言えば、親が許そうと言うたら明らかなもの。これ一つ皆感じてくれ。だん/\一時に説き尽す事出来ん。国々という理を以て、遠い所又近い所からも、道運ぶ処、この理に見計ろうてやらにゃならん。年限々々無くば、ざあとしたもの。年限の内/\苦労という道知らんか。知らいでは道とは言えんで。
さあ/\こうして理を説き掛けたなら、どうでもこうでも説き切らにゃならん。まあ一つ、内々事情やしき以内、この一寸話し掛ける。話し掛けるから、取り計ろうて、皆々治めてくれにゃならん。よう聞き分け。これまでの処もう十年あと/\、何か証拠々々無かった。難儀苦労困難から、どうせいと言うた処が、ならんから、ほんの一寸路銀渡したようなもの。そこでどうなりこうなりの日を送りて来た。やしき連れ帰る中/\、成程と言うて来るから日が経つ。どうやろかこうやろかと言うような事では、何しょうと言うた処が、出来ん/\。中に、年限の内に古い者、一代かと思えば二代、余程年取れたらなあという者、楽しみ付けてやらにゃならん。長い年限、そんならどれだけ働きあるか/\。残らず道具良い道具ばかりでも働き出来ん。良い道具悪しき道具合わせて出ける。日々働きから分かりて来る。よう聞き分け。どういう者もこういう者も、皆んな持ち合いという理聞き分け。持ち合いという理分からいではならん。何程高い所へ留まりた処が、実が無くば腹淋ぶしうなる。持って来るこの理聞き分け。高い所へじっと坐って居た処が、取り扱う者無ければ、どうする事も出来ようまい。これより皆んなそれ/\小首傾け、どうやらにゃならん、こうやらにゃならん、と急いで取り計ろうてやってくれ。あら/\の話では取り計らう事出来ん。日々守りと言う、又掃除と言うたる。その理だん/\篤としっかり心取り計ろうてやってくれ。又日々煮炊場々々々、古き/\下な道具。年限という、下な道具あればこそ、上の道具分かる。これ早うして、今日と言うたら今日、今日教祖守りという。日々であろう。貰い受けたる人足社と言うたる。年限じっといずみ居る。時々見習い、しんの台、教祖しんに付いた理。神の人足社と言うて貰い受けたる。席言うてだん/\諭したる。一日よい二日よい、もう幾日なる/\。道分かり難ない。道一寸見えたる。早く思やんして、取り計ろうてやってくれ。又守り掃き掃除、人々は幾人でも無いではない。なれど、押せ/\では皆勝手が出る。一度二度は越せる。それではどうもならん。そこで人と言う、若井はる、コト、これを又交替々々、月替わり/\/\、承知したか。又一つ、道理では分からん。今の処一寸四名一時後より三名交替。最初一名残し、日々月々見習い、これ一寸楽しみ、十分楽しましてやってくれ。


『一人残して交替と申しますは、松村さくかと相談の処へ』
違う/\。後から来た者ある。一人残せ/\。手替わり/\、手替わりさすがよい。

『押して、井筒とよでありますか、と申し上げ』
手替わりあれば、一寸勝手覚える。日々一つ経ったら、十分覚える。そうしてみよ。皆勝手分かる。未だ、一つあるで/\。
さあ/\/\未だ一つあると言うは、どうでもこうでも一つ用いらにゃならんで。月日祭典々々祭典という。そこで一つ勤め/\というは、役員と言うたる。本部員というたる。本部員は人間の付けたもの。臨時見習いと言うて一寸説いたる。本部員というは、世上の理取って付けたる。これ違うか違わんか。違えば違うと言うて見よ。一寸路銀と言うて渡したる。誰と/\本部員と言うて許したる。許さしょまいがな。これ返答してみよ。


『皆々相談して御願いに出ます、と申し上げ』
さあ/\違う/\。違えば違うと一言答えるがよい/\。さあ/\違う事/\、承知が出けにゃ言うたらよい。遠慮は要らん。遠慮は先になって枷になる。道の曇りになる。一寸退かす/\。一寸退かすで。

『しばらくしてから』
さあ/\改める/\。改め掛けたら、すっきり改める。さあ/\この掛かりというものは、楽しましたる。時々言い聞かしたる。刻限にも聞かしたる、楽しましたる。そこで、どうなるやろ、こうなるやろうと、楽しましたる。どうして忘れて居た。忘れて居たというは理や。その心あれば明らか。たゞ一つ/\勝手ばかりではならん。百姓々々鍬の芯と言うたる。それは楽しんでせい/\。皆我が事になると言うたる。日々勤め/\と言うたる。今の処、日々は行こうまい。今十分どうもならんからほんの路銀を渡したる。行かにゃならん。怖わい所危ない所を楽しみ通りたる。手替わり/\、それもどれもと行こうまい。同じようには行こうまい/\。一度出たらなあ/\と、その心あればこそ立って来たる。年限までは未だ/\、年限は長い/\。年限楽しみ無けにゃならん。未だ行けん/\。皆それ/\゛見立てゝやれ。月々手替わり出ける者楽しみ、教祖存命言われた事に、満足与える事出来ん。とかく満足々々は道の肥/\、又けたいな事やなあと言う者中に思やしょうまいが/\。なれど、人間勝手で言うやない。教祖存命、身をかくした処から聞き分け。ほんにそうやなあ、出さにゃならん。日々うとっと思うまい。人間心で成程入り込んでの話通りや/\。心に嵌まりたか/\。なあ百姓の中からからけ無いとも言えん。百姓下の中からでも勤めて居る。先々ほんにそうやなあと見せてある。年限経って一年に二度三度そこえ/\出してやってみよ。どれだけ満足するとも分からん。満足は楽しみの花が咲く程に。十分の実がのると、諭して置く。

『一同の中で話して居る処へ』
さあ/\/\その話というは、後々で悠っくりと出ける。席諭したる。席の身早く聞き取りて、それ/\心合わせて、成程と一点の心分かりたらよし、こりゃどうそりゃこうと、一つ/\不足あれば、不足の理答えるがよい。そりゃ一時に成ろまい。さあ/\未だ/\急いだ事ある。母一つ重々勤め、一時すっきり隠れ、一代勤めて置いたる。この人はもう早く、一時万事早く取り立てゝやってくれ。取り立てゝやってくれるがよい。

『仲田楢吉の事かいなあと、話して居る処へ』
さあ/\だん/\一代を尽し切り、教祖存命日々勤め、よう/\かくれ、それから一つ代替わりて、尚も進んで来る。これ一つの理に早く取り立てゝやってくれ/\。誰かと思えば、名民蔵々々、親二人早く暮れて了た。さあ/\大西々々々々、親から尽し、二代目替えて尽す理/\、早く理/\/\。
又々当分一つ順序々々、皆役と言うてして居る。一時早く/\。


『準員に願う事に運ばして貰います、と願』
さあ/\一寸は見習いから始め掛け/\。もう一時早く諭さんならん事、直きに出る/\。さあ/\こうして一つ/\理を洗い切ったら、どんな事も用いってくれにゃならん。こうすれば、皆談示の上言うて出てくれ。そうすれば、どんな解きほどきもする程に/\。めったにほどかんと言やせん。どんなほどきもする程に。

『篠森準員にする事御許し下されますか、と願』
さあ/\それは心までに許して置こう。しっかりどうこう言わん。そりゃ取り扱いだけしてやれ。すれば満足であろ。真にどうと言えん。ならんと言わん。そりゃ無理やと言わん。言うたら皆の心困る。真からどう、又こうしてやってくれ、どうしてやってくれというは、皆の心から養うてやってくれ。これだけ聞いたら分かるやろ。

『職人本部にて宿泊させず酒も飲まさぬ其代りとして、一人に付金三銭ずつやる事にきめましたが、御許し下されますや願』
さあ/\そらもうこうした事、こうしたらどうと尋ねる。そらどうしてやれ、こうしてやれとは言わん。そら喜ぶ者半分、なあと思う者半分、半分々々なら、それで治めて置くがよかろ/\。

『本部の会計から本部員家内一人一日十銭ずつ手当として、それを積んで本部員中難儀な者生じたる節手当にする事御許し下されますか、と願』
さあ/\どんな事も、心に浮かぶ事は言わにゃならん。心に浮かんで道理に適う適わん。たゞ救けるというは、望む/\。救けるというより一つ道は無い。救ける事なら、どんな事でもならんと言わん。そら、十分受け取って置く/\。

『本部に十年以上尽した者に、借家建て貸す事願』
さあ/\まあ心に/\ほっと心に出るは余の者の話やない。入り込んでのさしづ。そこで皆んな成程感じるは理。そこで、門内ではならん、門の外で、これは何処でもだんない。さあと言うたら直きに取り払うて了う/\。そこで、ざあとして置けば、何処でも構わん/\。

『二間半に両庇、四畳半と六畳とに押入付のものを並べてさして貰います、と願』
さあ/\もう何も十分の事は要らん。これ無い処から、苦労して価を出して人の家借りて居るは、日々の処見難くてならん/\。今日来た者やあろまい。古く/\身代売り払て道のためと思やこそ/\、国々運ぶ者数々ある。安楽は未だ/\である。二十年三十年間同じよう通りたとて、理が無くば何もなろまい。十年の者でも、二十年三十年に向かう理もある。これ聞き分け。皆来る者優しい言葉掛けてくれ/\。道には言葉掛けてくれば、第一々々やしきには優しい言葉第一。何も知らん者、道はこんなものかと思てはならん/\。年取れたる又若き者も言葉第一。愛想という事、又一つやしきに愛想無うては、道とは言わん。男という女という男女に限り無い/\。言葉は道の肥、言葉たんのうは道の肥/\。皆見習え/\。強うするは道。早く道洗うて/\、知らん者に言うて聞かせ/\。十年あとにはこんな道やない。艱難苦労の固まりの道という。上に立つ者から言うて聞かせ/\。遠慮気兼は要らん。遠慮気兼はほこりのもとやで。いつ/\まで艱難通るやない。理が世界にある。たんのう楽します道もある。第一言葉愛想、満足は言葉に限る。たゞ言葉と言うた処が、第一人に愛想たんのう知らずしては、道失うて了う/\。見習え/\。上から言葉掛けて優しいは道。事見習え。何を見習う。これ聞き分けて、皆々惣々治め。これ一列口説き/\の話である程に。返やし/\の話である程に。

No. 5:(5巻4019頁13行)
明治34年6月17日 
『教祖御休息所掃除は、若井はる西田コト月交替か、日々交替か押して願』
さあ/\尋ねにゃ分からん/\。あら/\は分かりある。さあ/\これまで拭き掃除して居る。よう思やんしてみよ。何のためか。これ/\容易で何かの理、それそれ分からにゃならん。一つの理取り分けるから諭し切らにゃならん。いつまで親に抱かれて居てはならん。何でも彼でも、年限数えてみよ。善い事どうなる、どうなろうという日もあったであろう。古きの理、どうでも/\心を運び来たる日から、成り立つ者ある。今では何もならんように思う。ならんでないで。
さあ/\ちゃんと調べてみよ。月々交替にするがよい。用の無い者居やせんで/\。用の無い者無いで。皆それ/\双方の用がある。
さあ/\古い者から交替として、改め出る者。交替なるが道理である。人間心でしたもの、一つもありゃせんで。人間心で出来たもの、何にも無い。

『押して、松村さくの事尋ね』
さあ/\未だそんな事言うて居るか。何を尋ねるのや。総計の月々交替、皆同じ交替やで。何故付き添わにゃならんで。

『押して、桝井伊三郎の尋ね』
さあ/\これは分かりてある/\。さあ/\よう聞き分けにゃならん。誰と/\月月に残さにゃならん。これは皆勝手の理である。隔ては一つも無いで。明らかにして、皆楽しまそうと言う/\。そこ、よう聞き分けにゃならん。

『押して、はる、コト月替りとして、とよを残して見習いでありますや』
さあ/\早々分かりたか/\。交替々々皆楽しませば、三十日を一月と言うであろう。もう何ぼう日経ったら交替、結構々々中にもしんどい日もあろう。楽しみ付けてやらにゃならん。年限という理の味わい皆知らん。人間心を持って居る。道とは言わりゃせん。
さあ/\芯は分かりて居る/\。一時こうと言うて出来難ない/\。一人残して一寸見習いと言う。前々後から入った者、大抵見習い出来てある。一つ三十日一日の日も勤めてくれるよう、言い聞かしてくれるよう。
さあ/\惣々分かりた/\。そうして三十日経ちたら、皆分かりて来る。そうすれば、三十日々々々交替すれば、分かるであろう。

『鍬の芯村田幸助とも聞いて居りますが、山中栄蔵とも聞いて居りますが、如何でありますや願』
さあ幸助は早くから付けてある。存命から付けてある。後々控え無ければならん。

『上田ナライトの見習いは、御休息所の方か本席の方へか』
さあ/\なあ日々詰めて居れば十分なれど、どうもならん/\。いずんで年限は遅れて/\ある。今日席が当分悪い/\。日が遅れ来た。日々急いで/\、年限経ち、遅れて来た。見習い/\これは言うまでやない。今改めたなら、聞き損いとも言う。存命の間にをやと親とに貰い受けたる。休息所々々々、守りの芯と言うたであろう。よう分かりたか/\。一日の日から日々どうで出来ようまい。見習いとも言うたる。もういつ/\どうもならんで。なれど、どんな日もありて、立ち遅れた。どういう事、世界から一日今と言うたら今という心に、取り運ぶように運んでやってくれにゃならん。
さあ/\よう聞き分け。教祖存命一つ/\鮮やか理。どんとどうもならん/\日が重なり来て、早々年限を縮め、これから一つの理も聞き分けにゃならん/\。どうかこうか日々細道を変えて、どうなりこうなり日々働いたもの。日々付けた道、どうでも入り込み働かして居ればこそ、日々どんな理も働いて居りゃ出来て来た。この理分からにゃ、どんな日見えるやら分からんで。どんな暗闇を見ようとまゝやで。これをしっかり聞き分けてくれ。
さあ/\何時直ぐそのまゝよかったなあと、後で世上へ一つ十分に満足与える台を拵える。さあ/\よう聞き分けくれにゃならん。人足社、どうでも始める。一寸初め、一寸気の間違い、何ぞ憑きものとも言う。一人容易で出来やせんで。年限通らにゃ出来やせんで。世上へ出す事出来ようまい。これをよう聞き分け。

人足社

 

上田ナライト

飯田岩次郎

資料として投稿しておく。

飯田岩次郎については、上記の「天理教事典」に記載されているおさしづを資料として別に投稿することにする。

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今日の出来事。8月23日。。医者と教祖。。「道具衆」より

2021年08月23日 23時35分43秒 | 思った事

本日は、大教会の月次祭なのだが、昨日の件のために、構内者だけで勤められた。

私は、妻と共に教会で12下りのおつとめをさせて頂いた。

さて、陽性者の事だが、39度の発熱をしたのが20日の夕方であり、それにより、PCRの検査をしたら陽性だったようである。

しかし、次の日には平熱に戻り、家族である両親は、簡易抗体検査の結果、陰性だったそうである。

PCR検査もどこまで信じてよいのかとも思うが、簡易抗体検査を発熱をしていないのにしても意味があるのだろうか?などと思った。

大教会長さんとしては、保健所からの指導は無くとも、大事を取って構内者のみのおつとめとされたと思う。

ともかく、気候がとても変化している今、ちょっとした事から夏風邪や熱中症、また疲れからなどで発熱をする事がある。そうした見分け方も大切だと思った。

 

さて、今朝ふと、ブラウザのお気に入りホルダーを見たら、以前気になっていた記事が眼に入った。「今どうなっているだろうか」と開いて見たら、「ページはありません」との事だった。「え~~~!」である。

「河野太郎氏、ワクチンめぐるデマ7つを完全否定! 不妊、ネズミ死‥」というタイトルのニュースを「マイクロソフトニュース」「ヤフーニュース」が取り上げていて、沢山のコメントがあった記事だった。

私からすると、この記事が否定される状態になるのではないかと思っていた。

そうなった時に、新聞社などのマスメディアがどういう対応をするか。多分削除で、記事自体が無かった事にするだろうと、これまでの中国共産党やアメリカの左派の報道また、WEB上での検閲による削除状態を見て思っていた。

それで、確か記事とコメントをスクショしておいたはずと思って、調べたらあった。

さっそく、それらをnoteへ記録として投稿した。

親神様は「うそ」はお嫌いである。

「うそをついたらそのものが、うそになるのもこれが承知か」

と教えられる。

誰でも間違いはある。間違えたら詫びて訂正する。

これが正しい事であり、それで信用は成り立つ。

しかし、「うそ」を正当化して、隠蔽しては、信用が無くなり、その人やその団体自体が相手にされないようになるのである。

やはりWEBから消えた!「河野太郎氏、ワクチンめぐるデマ7つを完全否定! 不妊、ネズミ死‥発信元は「中国やロシア」の報告書も」 6月24日の記事とコメント。。(記録)|きたろう|note

詫びて、さんげして、行いを改める中に、不思議な御守護を頂けるのである。

 

新型コロナの治療薬として「イベルメクチン」という日本製の薬があるのに、それを否定して「ワクチン」を推奨して、多くの人々が亡くなり、その副反応で苦しんでいる。

これに関して、利権によるもので、人命をないがしろにしている。

医学者としての倫理観はどうなっているのか。法律的にどうなのかという動きが出て来て、そうした動画も次々と発信されるようになった。

長尾和宏院長「5類やイベルメクチンをタブーにしている利権に殺される」(記録)|きたろう|note

ドクターシモーン・ゴールドが語る、チーンの真実【要約】 [ Makana Spiritual ] 動画リンクの記録|きたろう|note

 

本当は今日このブログには、昨日かいた「人足社」に関する「おさしづ」などの資料を掲載するつもりだった。

その資料を探している時に、教祖が現身を隠された時の医者たちの振る舞い、が書かれてあるものを見つけて、今の政治や医学会と同じようなものを感じて、その資料をここに掲げる事にした。

その本は「道具衆」という題名で、2代真柱様が書かれた本である。

困った人々を救いあげたいとされた教祖を、弾圧した政治、そして医者たち。

困った人々を助けるのが、それらの人々のはずなのに、そうではない状態であったわけである。

当時の様子を少しでも感じて、親神様の思いに立ち返るきっかけになればと思う。

 

親神様、教祖、これでよろしいでしょうか。

どうぞ、大難は小難にとお守りください。

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8月22日、通常ではない一日でした。。社・人足社について。。

2021年08月22日 21時10分32秒 | 思った事

今日は本来ならば、大教会の月次祭前日で、準備、会議があるのだが、昨日ひのきしんの来られた方が発熱されて、コロナの疑いがあるとの事から、大教会長さんの判断で月次祭は構内者だけで勤めるということになりました。

それに伴い、本日から大教会へは行けなくなりましたので、今日は教会におりました。

そうしたところ、朝いちばんに見たニュースから立て続けに4本、後々のためにと記事を記録しました。

さすがに疲れましたが、先日投稿した、「別席教話の古記録」で気になった、社・人足社について「おふでさき」と「おさしづ」を調べました。

おふでさきでは1件、おさしづでは5けんほどありました。

それを読んでいますと、親神様は、親神様が自由に人間に思いを伝える事が出来る人を作りたいという思いであったことが良く分かりました。

おさしづの文字を確認するのに時間がかかるので、資料の提示は後日にしますが、

そうした計画も、事情によって叶わなかったという事であります。

そして、飯田岩次郎のそうした言動や、上田ナライトさんの言動について、その対応について取次ぎ人におさしづされています。

世間には、神様の言葉とか霊的な言葉を話される方がいますが、そうした方々に対する考え方を学ぶ資料になるのではないかと思いました。

また、神様の言葉を出す人があると同時に、それを解釈して人々に伝える人、伝えられたことを実行する人という役目があるとも思いました。

感想だけを書いておきます。

今日も一日ありがとうございました。

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『別席教話の古記録』(書き換え)3完。。「復元」1号。。思った事。

2021年08月21日 08時12分26秒 | 復元 別席教話の古記録

第2稿を一つで投稿しようとしていたのだが、書換え作業中にどうも、ブラウザがおかしくなってせっかくのデータが消える。(ブログの投稿は、ブラウザで行っているため)

このコンピューター上にも親神様のお働きはあると思っている。そこで、消えた部分を再考する事にして、分割して投稿した。

また、ここ数日左足が痛む、別にこれと行った事もないのだが、どうも気になり、ただ資料を提示するだけではなく、私の感じる事を記すことが必要かと思い、少しだけ記すことにする。

さて、先の部分では、

教をする者が、教を外すようになって来ているから入り込んで自由用が出来ない。この度これまでの教えと言えども、今の教えと言えども皆目(別段に)変わった事を教えるのではない。けれども今までの教えは慣れっこになってしまって、神が入り込んで教える事が出来ん。

皆よい心を持って暮らす者が無くなったから、余儀なくこの度元の屋敷へ天下った。

と、世界中にある天理教以前の宗教などの教えについても言及された上で、新たな教えとして始めだした理由ものべている。(ここに「余儀なく」と出てくるが、この言葉はおさしづにもよく出て来て、「仕方なく、どうしようもなく」と理解している。)

この状況は、今の天理教に大いに当てはまっていると思われる。

そのようになる理由は、ここから先の話に書かれてある、応法についてや、講社の意味、そしておさづけの意味合いについてで述べられていると思う。

その外、先の「永尾芳枝祖母口述記」同様に、教祖当時の信仰に自分たちを「復元」する上にはとても重要な資料だと思った。

そして、心して書き換えをやり直した。

書き換えをするほどに、気づきが多くなり、それまでの書き換えでは不十分だった点も見つかった。

『別席教話の古記録』(書き換え)1。。「復元」1号。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

『別席教話の古記録』(書き換え)2。。「復元」1号。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

不十分な書き換えだと思うが、皆さま方の参考になれば幸いです。

・・・・・・・・

(26頁より)

 神のさしづ、神の支配と仰るから、この別席順序が始まったからは、足場が無くても(足場はおさしづにもよく出てくる)高いところへ上がる事が出来る。

 神の道は胸三寸、心の道。その中、おうぼう(応法)の道を付け始めた。

応法の道となり、渡りやすくなったら胸三寸の道が切れかける。存命中の苦労艱難の理も失って、誠を付け切る事が出来ない。そこで高いところへ登るために、足場固めをしておかねばならない。

あなた方が所々でお助けをして下さる事も、神様の自由用で、お働きで道がつく。これが無ければ世界の道と同じ事。

そこで心定めと仰るのは、取次ぎ取次ぎと仰る。あなた方がお話を取り次いで下さるのは、教祖から聞いた話である。所々で手本雛形と言えば、教祖を世界の雛形と思わなければならない。

 高いところへ足場も無くて上がるというのは、世界応法の道として渡る事。前から段々の順序で、今日、別席も運ぶに違いないて・・・・年は5年か7年か尽して下された事は、神様皆お受け取り。(意味がよく分からない。)

 「我々が9度呼んだら(運んだらではないか?)神様がおさづけを下さるそうな。このおさづけは、我々が効能を貰った」と思っては徳を失う。今一時は助け一条のために下さる。やれやれという心になっては、さづけを頂いてから気がゆるむ(4)。

やれやれは油断の理。お道はやれやれという心にはなれません。我々はお道について、三年五年以前に初めてお話を聞いた時に、この世での良し悪しをさんげもした。それからこちらへ(今日まで)は神様のご恩を果たして来ている様には思うが、神の話を聞けば今一代のことではない。そうしてみれば今一代のさんげはしても、以前の理はどうも謀りがたない(考えようがない)。そうならば今日まで三年五年の間、人のために尽したと言っても徳を積んだのではない。今までの恩を返したか、まだ返さないのかも分からない。

そうしてみれば、おさづけを頂いたのは徳で頂いたのではない。これから例え一命がすたろう(亡くそう)が、どんな事があろうが、これからはあくまでも道のために奔走させてもらうという心で通らなければならない。

 この話の聞こえない所(伝わっていないという意味だろう)といえば、どこへでも、海山越してでもかまわない。身の続く限り、心の及ぶ限り行って、取り次がしてもらわなければならない。

草山を地ならしてして種を撒く。撒く種はみな生えて、みな実ると言えば誰でも皆撒くだろう。けれど撒いただけでは実りを取る事は出来ないだろう。

 六月の炎天下に草取りをする、これを修理という。これ炎天下に遊んでいれば楽であろう。けれどそれでは草山になってしまうだろう。そこで段々と百姓一年の楽しみ(一年の楽しみとは、収穫の事と思う)があるから、草取りをして修理をするだろう。又この修理をするばかりではならないだろう。肥を置かなければ十分な(実り)とはいかない。

 神様の道もこれと同じ事で、あなた方がにをいがけに出て下さる。どんな悪人でも話の理で感心する。その心誠を撒く、その種が生えるというのは講社ができた事である。講社が出来ても反対が起きる。その講社は理が分からなければいづむ(落ち込む)。いづましてしまうような事だったら雑草のために、しこらしてしまう(田畑を造るという意味と思う)ようなもの。

そこであなた方は、それを進んで、反対のある、行きにくいところであれども、そこを行くのが、これ百姓が炎天下に草取りに出るようなものである。

悪と言えども悪にも強けりゃ善にも強い。修理は百姓の理を言う。百姓の理から考えたら同じ事や。「天理教はよい教やな」と、世界の人からいうように説いて下されば、又講社の人には、段々と教えの深いところを仕込んで下さる事は、これが修理で、田の草を取ったのも同じ事。

 第一に先立つは旅費を使う。これ肥を百姓が置くようなものである。この度、段々と道を通さしてもらって、尽す運ぶ旅費というものは、これ皆自分の力で尽してくれ、人の物を持って尽しては、肥金を人に借りておいたようなもの。平常節倹(節約)を第一として、それから理を出して通って下さるなら、一粒万倍の理に返えすと仰る。

よく教祖が仰ったが、「世界でに一厘の銭を与えても、敷居の下から帰れといって、やる人もある。これがおかしい」と仰った。そりゃどういうものなら(……)。


 あなた方も段々と尽す運ぶというが、「我々も徳を積ましてもらう」「教祖の大恩送らして貰う」と思って尽して下さらなければ、ただの付き合いである。負けん気で着いて来たのでは、真実が薄い。
どんな人でも徳をかえしたい者はないが、そこの運ぶ事情が、崩して行くようになりやすい。その心、どうなろうともどうなってもと、と思って尽しては、徳を崩す(5)ようなものや。

 これは、あなた方がお話を伝え下さるお方ですから、尚も踏み(6)違いの無いように通って下さいと、これまでの世界の教えも、「教えは良くても教えを説く者が通らないから、理が消えてきた」と仰る。

 そこでそうゆうようにならないよう。

 教祖のご存命中は十分心の定まった「命張っても」と言う者でなければ、ついて通る事が出来なかった。そこで教祖が存命の末方(教祖が現身を隠される前当たりの意味だろう)に、皆おさづけを頂戴しました。人間心は神の足場。

 神様のお話は老若男女の隔てはない。誠の心を定めたら同じ理を渡すと仰る。けれども年寄りの人はお話の取次ぎは楽であるが、少ないもの(若い者)が年の行った人に取り次ぐのは難しいものである。神様のお話は変わらないけれど、聞く人の心持ちが違うから難しい。なぜならば、年の行った人は経験があるし、少ないものは経験が無いから人が信じてくれない。そこで難しい。

 お道は「どうせこうせえ(あれをしろこれをしろ)」と言わないけれども、お話を伝えて下さるあなた方であるから、何分お道は固く尽すお方は、なお尽すようにしてもらわなければならない。「尽すのに、まだ尽せ運ぶのにまだ運べといわれる。どういうものであろう」というのは、心の浅い付き合いのお方のいう事。

 まあまあ人間同士でも、子供が覚えれば覚えるほど、何もかも仕込む。覚えない者は仕込まない。結構やな。

 結構であると思えば十分尽せる。お道は「上になるほど難儀(7)する」と思うようなのは、世界並みと言おうか、誠に浅い浅いものである。

 あなた方がご奔走下さるのは、根に肥を於き、又通って下さるのは(……)

 上の方も下の方も共に心を合わせて通るのは、銘々に「これだけの徳を積ませて貰おう」と思うて通らにゃならん。

 親が手を引いて上がれば、どんな高い所でも恐き危なき(こわきあぶなき)はない。けれど、それまでに待ちかねて、駆け上がるような事をするから転げ落ちなければならない。

 不足をつけないよう。不足は思わず知らず出るで。

 心定めのお話、心定めは「足場のこしらえ(足場を作る)」という。

 人間を神様が道具に使って下さる。一度使って捨てる道具もある。日々使う道具もある。一度使って捨てられるような道具にならないよう、いついつまでも使ってもらわなければならない。

 (註)(一)この社という字は不用とも思われる
    (二)この「へ」は「を」の誤と思われる
    (三)こうげき即ち攻撃のこと
    (四)気が「ゆるむ」の誤と思われる
    (五)「くずす」と読すべきであろう
    (六)「うみ」は「ふみ」の誤と思われる
    (七)難儀

 以上二つの稿を掲載したがこれ等を通じて文字の用い方は総て原文そのままとした。但し先に述べた如く変体仮名は総て通常の平仮名を以て書き直したことは印刷上止むを得ない所である。(書き換えをしているので、このようにはなっていません。長谷川)句読点は総て筆者の加入によるものであつて原丈には全然かかる点は顧慮されていない。読み下しの便宜上かく訂正したのである。しかしながら各段の区切は全く原文通りにしておいた。これは稿者の記録し方のそのままの姿がしのばれて興味あることであらう(これも書き換え上変更してある。長谷川)
 その他筆者の筆による変化としては次の諸点がある。
 括瓢( )の中に記してあるのは筆者の加入。

 円印〈 〉は原文にはあるも不要だと思はれるもの及び原文にはあるも判読出来ないもの。
 左の言葉は下欄の様な文字で原文に書かれてゐるものが多い。
   ございます   ムます
   下さる     被下
   ……は     ハ…………
   ……を     ヲ………
   ……ます    升
 この二つの稿は略々内容が同一のものを骨子としていることは一読して察しられる所であらう。第一稿が第二稿よりも短いのは記録が不備に終つた為であると思はれる。しかし両者共後半には断片的な言葉が記録されているのみである。これは稿者の速記がつづかなかつたことを示す。かくして十分まとまつた記録とは申せないであらうが、しかしかなり参考資料として役立つことは疑ない、筆者の想像をたくましくすれば、恐らく稿者はかかる不備の記録だったため、浄書するに到らなかつたのではあるまいか。更に機会を改めて同様な記録を繰返し、しかる後にまとまつた稿として作成する意図ではなかつたのであらうか。 ともあれ別席教話の一定になつた最初の頃のその内容を伺ひ知るよすがとしてしみじみとした懐かしさを抱きつつこの二稿を味わいたいと思う。
                         (21、1、13)

・・・・・・・・

ここまで、書き換えをして、全く、ここで話される通りだと思います。

けれども、私自身が十二分に誠の心が使える者ではないので、

親神様の思いに沿った、誠の心が使えるように心したいと思います。

 

また、このお話しは、当時別席を聞かせてもらった人への話であります。

注意しなければならない事は、当時は今のように「別席の誓いの言葉」を読むだけで聞かせて頂けたのではありません。

「永尾芳枝祖母口述記」で書かれていたように、おさづけが始まった時には、いただける者頂けないものがあり、頂いた後にお取次ぎがあったのです。

それが別席制度が出来、今とは違い、「十全の守護」や「八つのほこりの説き分け」の試験があり、それに合格した者が、別席を受ける事が出来たのです。

また、別席の話にしても、取次ぎ人がそれぞれに話しをしていました。

それを後に、親神様からのおさしづで別席台本を制定して、統一化されたのが今のお話しです。

 

こうした変遷を考えますと、今の別席のお話しはどんな人が聞いても無難なお話しと思えます。

ここに書かれてあるお話は、先も申したようにとても厳しいお話です。

この差がどうしてあるのかという事も、考える必要があると思います。

 

教祖が渡された「肥のさづけ」では、「肥まるまるのさづけ」「半肥えのさづけ」があったと聞いています。

(記憶だけで書いていますが、教祖伝にあったと思います。)

これは、それぞれの行い、心に応じて渡されたと聞きます。

 

さらには、つとめ人衆を決める時に、菊の紋を作り、幼いたまえ様から渡された話があります。

この時、身上になって私は持てないと思って、返しに来たら身上が良くなったという話しもあります。

つまり、すべての人が同じように出来る。同じようにしなければならない。と思う事は違うと思います。

 

それぞれに、陽気ぐらし実現への役割があり、それぞれの魂、徳分、いんねんによってその役割に当てられている。

そして、その役割を通して、それぞれの悪いんねんを白いんねんに切り替える道を歩んでいる。

とそのように思うのです。

 

「私には無理、出来ない」というのではなく、「私にできる事はなんだろう」と考えて、行動する事が大切だと思うのです。

何よりも、誠真実の心になる事。

そのための日々の修行ではないでしょうか。

 

親神様・教祖、どうぞ、陽気ぐらしに向けてお導き下さい。

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『別席教話の古記録』(書き換え)2。。「復元」1号。

2021年08月20日 11時05分22秒 | 復元 別席教話の古記録

前回第1稿 

『別席教話の古記録』(書き換え)1。。「復元」1号。

 を投稿したが、どうして、PCのデスクトップにファイルがあったのか思い出した。

昔、ホームページに出していたのは、字だけを新字体にしたもので、今回出したのは後2年半ほど前に、書き換え始めたものの、意味がつかめずに書き換えが途中で止まっていた物であったのだった。

その意味が分からなかった所は、今回の『第2稿』に出てくる。そして今回見直したところ、理解できて書き換えをしている。

一応、そうしたところや、特段気になったところには下線をつけておいた。

また、註1では「社」について削除とされているが、「おふでさき」を考えると、教祖のみならずつとめ人衆などの体を社と考える事も可能と思われて、そのままで書き換えをした。

【第二稿】(25頁まで)

 どなたもこの別席のお話はお聞きの方もございましょうが、前に変わった話でございません。心定めのお話を段々代わり代わりさしてもらうのでございます。

 所々でご奔走下されて心定めのお話を申します。その心定めのお話は何分一時にはゆかん。

それぞれに私心を沸かして日々に知らず知らず心を沸かす、そこでまた日々に我がと我が心から招いているようなもの、その招いている事を知らず刷らずで、その場で起こったように思う。なるほど「その場で起こったという、成るという」は、これを神様はどうもいじらしくて見ておられんと仰る。

 日々に知らず知らず暗がりを走り歩いているような者を、黙ってはおられないと仰る。この理をどうもいじらしくてならん。人間を創ってから、何不自由無いようにしてあるこの人間である。

 身上が壮健であっても日々に与えがなくて難儀不自由する者もあれば、日々与えがあっても身に不自由不足があって難儀する者もある。これはどちらも不自由でならない。これを勝手気ままな心を持って通るから、元々無い人間・無いところを初めた元なる親で、元なる親が元人間初めた屋敷へ天下りたので、ただ一名一人の真実の心を受け取りってどんな働きもする。

 身の内は神様がご守護下されているから社(1)は神様の物。人間が日々支配をさして貰っているには違いない。成程という、かりものの理も分かる。日々理が分かればいかなる守護もしよう。

この度の道をつけるのは、心通りという神の望みという、この度の思惑があって道をつける。人間の真実これが望みや。真の心の理を受け取って自由用をする。

これまで神が人間に入り込んで教えてきた事を知らずに、面々が考えてしたように思って、はびこっている(のさばっている)。これが残念でならん。

教をする者が、教を外すようになって来ているから入り込んで自由用が出来ない。この度これまでの教えと言えども、今の教えと言えども皆目(別段に)変わった事を教えるのではない。けれども今までの教えは慣れっこになってしまって、神が入り込んで教える事が出来ん。

皆よい心を持って暮らす者が無くなったから、余儀なくこの度元の屋敷へ天下った。教祖が第一のひながた、教祖を(2)神の社と貰い受けた。元々人間初めた時の深き理があって、真心が天に通じて天より神の社に貰い受けてのお話、ほこりがつもっているような者に神様が入り込みそうな事はない。この話は無理にどうせこうせと言うのやない。

 今まで人間の通って来たあり様も、証拠なくして用いはしない。今度の証拠も話し通りに致したら、いかな自由用もする。これが証拠。無理にどうせと言うのではない。

自由自在に出来たのなら、人に助けの理を力だけやるのやで。今までの道とは違う。この度は言葉の理を守ったら、力と助けと共にやるのやで。お道はお助けいただけば、自分の助けの段取り(助かった方法)を人に伝える。助かった話を聞いて人がまた助かる。助かった話をすれば助けるだけの力が出来ている。

 なかなかどんな結構なお話を下されても、長く容易な(たやすい)事で人が用いなかった。元人間初めた結構な屋敷が現れても、皆敵(かたき)のようにする者が多い。お道は苦労の道を先に通らにゃならん。

子供がこの屋敷へ寄り来て、何も知らずに、魂の内へ無理やりに帰ったようなものであるその者には、心にたんのうさして返すのやで。寄り来る者は四方正面という。

 どんなに悪く言って来ても一寸もその者の事を悪く言うのやない。この事を詳しく聞いたならばどんな者でも着いて来なければならないようになる。知らないのだから、これは無理はない。

この話をどんな者でも小口から守れば何にも言う事ない。

神が入り込んでどんな自由用もし、段々年がたつその上に、色々勝手気ままの事をして、生れ替わり立ち替わりして難儀不自由で通らねばならん。又そこそこの心を持って通っている者もある。

 そこで人間には、高い低いが出来たけれども、神の目には高い低いはない。我がと我が心より難儀の道へ入ればどうもしようがないと仰る。

 教祖をあちらこちらへ連れて行って懲らしめるという。色々様々な圧力の中を、教祖がなされた数十年のご苦労は、ご婦人の身の上であるのに、監獄のアラムシロの上でご苦労下されたのは一度ではありません。又夏の炎天にご苦労下された事も度々である。人間の浅はかな姿をかるしめた(軽く見た)のや。誠といえば一時守る者はない。そこで無理はない。

 人間が我が子を育てるのも同じ事。親が苦労艱難と言えば、言うに言えん苦労もしなければならん。親が着なくても着せて通る、その親の苦労を子は何と思うか。子供は何とも思いはしようまい。子供は親を恨むであろう。

親の心によって子供に物芸(習い事の意味だろうか?)を仕込むについては、親が食べずとも食べさせて、苦労するであろう。これは親のためか、子のためかよく思うて(考えて)見よ。これも同じ事やで。10人育てても10人すべてが思うように行くものではない。

 身の不自由、難儀。今来て今なったように思う事が、どうもいじらしくて(けなげであわれで)ならん。親の家を、尻向けて出るような者もある。親のいう事を用いる者は杖柱として何時いつまでも親が付きまとう(連れ添う・寄り添うという意味だと思う)

その子供が成人の後、人の中で踏みつけにされてから思い出す、親の事を。これは後の間(後の祭りの意味に思える)であろうがな。

親さん(教祖の事と思われる)が艱難苦労された時に攻撃(3)した人は、今は、真実の人と、これをあほという人とがいる。なれども、なれどもその中を、日々年々月々と教祖が身の行いをしてお通り下さるから、世界が関心をして世界の教えといえども、話は良いが行が出来ん。

そうすると今度は自分が楽どころではない人によっては、「あれだけの教えをして」と自ら日々教えの行をする理を感じて、道についた人もある。

なお言うに言われない事は、今日では教会もあり、職もあり、心は安心で通れる。なれどその自分(教祖の当時)は何の名所も無きゆえ、なかなか(人が)寄り付く事も出来なかった。その中の苦労艱難を思ってみよ。道すがらとなった教祖のその道中を暗がりの道という。

 「この度、身を隠して道を早くするで」と仰る。教祖が、人間の目に見えないけれど、「存命より一層厳しく早く道をつけたい」と仰る故に、本部も直ぐに出来、より来る人も心懸かりない(心配ないの意味と思う)。またそれぞれお助けに出るのにも教職を拝命して、公然と出来る段々の道がついて(出来ての意味と思う)来ました。

 この屋敷はどんな事も人間心でしてはならん。この屋敷は神のさしづより外に理はない。

・・・・・・

ここから先の書き換えをしていたのだが、どうもブラウザの調子がおかしい、折角書き換えをしたものが消えて、やり直しとなる。

そこで、今回はここまでとする。

この後は、別席の事について、応法の道について、おさづけについて、おたすけについての話と、今の私たちが聞いているような安易な話ではない。

教祖がお付け下された、誠の道を受け継ぐために必要な事が言われているように私は感じた。

医者が見放した身上を御守護頂く事は、親神様・教祖のお働きを頂くしかない。

そのために必要な事、必要な精神を培う事も大切な事だと思う。

 

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部内の月次祭。。そして、昔のお話しを読むと。。

2021年08月19日 09時30分59秒 | 思った事

昨日は部内の月次祭でした。

いつもより少ないかなと思われましたが、ガンで病院へ受診に行かれた方も、心臓に身上を頂かれた方も時間に間に合って来て下さったため、いつも以上に勇んで勤めさせて頂きました。

部内でも、自教会でも会報を元にして話をさせて頂くのですが、どうもそれぞれで話が違ってくるのです。

話を聞いて下さる方が違うので、それぞれにあったお話になるのだろうと思いながら話しています。

そうした中に、

今月は

徳という事を「逸話編」を引用して話をしました。

朝、起こされるのと。。。逸話編 111。。(徳・朝起き正直働き)

うちの教会では徳が大切ですから、そのために親神様の喜ばれる「ひのきしん」をさせて頂きましょうと話をしたのです。

ところが、部内では同じように徳が大切ですのでという話しをしたのですが、その逸話の中のお言葉

 「朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。蔭でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのはその身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」

の中で、

「働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」の働きについて、

世間では働くと言うと「仕事」を思い浮かべますが、ここで言われる働きとは「はたはたを楽にさせるのがはたらく」と聞かせて頂くので、

お金を儲ける「仕事」ではありません。その根本の話です。

例えば、仕事というのは、家族や隣人を助けたいと思う素人仕事が、段々と本職となって多くの人を助ける物を作り、それがお金儲けにつながったのです。

とこのような話をしました。

話をしながら、自分でなるほどと思って、この部分がどうしても抜けてしまうなと思いました。

部内では、不思議な身上や事情の御守護頂いておられる方々なので、その御守護を頂いた時の、その方のみならず周囲の方々の心定めについても話をする事が出来ます。

これまではそうした御守護の話しか出来ませんでしたが、日々の心遣いについての話が段々と出来るようにならせて頂けたように感じて、ありがたく思いました。

 

教会に戻ってからは、ニュースのチェックをすると共に、数日前に気が付いた「別席教話の古記録」をブログに掲載する準備をしました。

このような昔のお話しを読ませて頂き、「おふでさき」や「みかぐらうた」そして「おさしづ」と、調べ読み合せると、

今のこうした世界情勢の中も、本当に親神様のお話の通り、それぞれのいんねん通りに導かれていると思わずにはおれません。

うわべだけの陽気ぐらしではなく、真の陽気ぐらし、一列を澄まして、世界をろっくの地にすると言われた陽気ぐらしを目指して、親神様はお働き下さっていると思えます。

 

さて、今日も一日、陽気ぐらしに向けて頑張りましょう。

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『別席教話の古記録』(書き換え)1。。「復元」1号。

2021年08月19日 08時37分12秒 | 復元 別席教話の古記録

『復元』創刊号から、「別席教話の古記録」を、昔書換えてあったので、数回に分けて投稿しておきます。

これは、別席のお話をメモしたもののようであります。

完全な物ではありませんが、その時のお話の様子なりを身近に感じる事が出来ると思います。

先ずは、諸井慶徳先生の言葉からとなります。

◆◆◆◆◆◆

別席教話の古記録

諸井慶徳

『復元』創刊号p1631

 別席の創められたのは明治21年8月6日の刻限御はなしを転機としてであることは略々明らかであるが(1)、これが更に制度らしくなって来たのは明治21年1225日の「御本席身上の伺」に於けるおさしづによるものであり、然〔しか〕も現行の如く、九度の別席を運んでおさづけを頂くようになったのは、翌明治22年3月21日のおさしづに続いて同年3月26日の「取次中当番を定める事の願」をした後、会議の結果決定したものである(2)。

 ところで、その別席における教話は何時頃から一定されたものであろうか。これも既に知られている如く、明治31年5月12日夜「昨日辻留菊身上願ひより夜ぶかといふ御指図に付願」に引続く「日々のあたへ配与方の願」に於ける刻限の結果であると思われる(3)。

 これらの事柄については、既に考証せられているのでここでは格別に触れないことにする。

 しからば、この明治31年頃に於いて略々一定のものになった別席の教話はどうゆう内容であったであろうか。これは興味ある問題である。そうした内容を窺〔うがが〕い知るべき資料はないものであろうか。こうした思いでいた際、それに該当するらしい政一伯父の筆録の2書が見出されたことは望外の喜びであった。ここにその内容を広く同好の士に味読して頂ければ幸いである。

 この二つの筆録は、政一伯父遺墨〔いぼく〕の筐底〔きょうてい〕から発見されたものであるが、最近に到るまで十分眼がとめられなかった。それはこれが全く走り書の程度の断簡であったからである。

 政一伯父の各種の筆録は既に先年「正文遺韻」として出版せられたところであるが、これにも別席記録の一節は掲載されている(4)。しかしここにあるのは稿者自ら別席漫筆〔まんぴつ〕と称するごとく、それぞれの先生の話について二三の特徴ある要点を書き記したものに過ぎないのである。これも一つの資料としてもちろん多大の価値は有するとしても、別席の教話として一貫して速記せられたものではない。この点今度新たに見出されたものは独自の価値を持っている。何となればここには別席の教話がその始めから記載せられているからである。

 もちろんこれも二時間の教話を残らず記したものではない。分量から推察してこのことは自ら明らかである。しかし、それはそれとしても、かなり委〔くわ〕しく記している点はやはり得がたい記録に違いない。この点は予〔あらかじ〕め了解せられねばならない。

 この原文は明治33年前後に書かれたと思われる、35年頃には稿者は既に病のため床に就くようになったことと思い合わせ、この他の事情を考えるとほぼこのことに間違いはない。ここに別席教話の一定化せられた明治三十一年以後の初期の資料として確認せられるであろう。

 原文は、画用紙のごとき厚紙を数枚仮に綴じて作った故人手製の筆記帳へ、鉛筆で書き流してある。故人自分の手控え程度のものである。正文遺韻に収められているものは総て故人が手製の罫紙に墨書をもって清書されていた稿であるが、これはそれ等に反して全くの下書きであり草稿である。しかも鉛筆のくずし字体で速記的に走り書いてあるものであるから、かなり読み解きにくいものである。かかる点から考慮されて、即ち一つは余りにも下書きであり草稿であること、他の一つは容易に読み下し出来ぬこと等々から、結局正文遺韻には掲載せられなかったのである。この点正文遺韻の補筆という意味も兼ねて本稿をあえてする所以〔ゆえん〕である。

 原稿の体裁をついでながら言えば、縦19糎〔センチ〕横28糎半の大きさの綴り帳で第一稿のものは2枚綴り、第二稿のものは8枚綴りである(5)。前者は後者よりも更に一層細かい字で書き記されている。しかし何〔いず〕れも綴り込み全紙数を費やしているのではなく、この2稿が記されているのは前者においてもほとんど一枚の裏表のみであり、後者に於いても4枚の裏表だけである。(6

 以下その本分を示してみよう。

  註(1)白藤義治郎「御本席によりて授けられたるおさづけ考」日本文化第1358頁~59

   (2)前田道治「お授けの歴史的考察」日本文化第1568

   (3)前掲書70

   (4)別席傍聴漫筆「正文遺韻」272頁~292

   (5)ここに第一稿、第二稿という名は筆者の仮称に過ぎない

   (6)その他の紙面には余白の外に、他の断片的な記載があるがこれは今は触れない

 

【第1稿】

 どなたもこの別席のお話はお聞きのお方もございましょうが、別にかわったお話をするではございません。あなた方が国々処々でお尽くし下さる心定めのお話を、かわり/\さしてもらうのでございます。

そこで心定めというても何分一時にはいかん。一度や二度聞いた分にはわからんから、かわり/\てお話をさしてもらう。

日々にこれまでというものは、皆それぞれにわたくし心をわかして、知らず知らず勝手気ままの心を出して天の理を曇らすから、憂い災難、病気病難やさまざまの難儀不自由がかかって来る。知らず知らず我が心から災いを招いているのである。これを今までは、ただ一時その場でなって来たように思って「ああどこそこへ行かねばよかった。ああこうせねばよかった。誰それがこうしたから、誰それにああせられたからこんな事になった。」とその場でしてその場でなったようにみな思うている。

「これがどうもいじらして見ていられん」と仰る。何も一時なるではない。今まで通りた理が、出て来ていかなる事もなってくるのである。それを知らんから人を恨んだり、憎んだりしている。

これは暗がりの道で、その場でなったように思っている道である。日々は人間身の内へ神が入り込んで自由に道を走っているようなものである。(しかしこれを知らずに暗がりの道を歩んでいるので、)これをどうも黙ってはいられんと仰る。

そこで神様は「無い人間拵えて自在をさし、何不自由無きよう万物皆与えている」と仰る。その与えに高い低いの隔ては無い。なれど日々与えありても身に不自由不足ありては難儀する者もあれば、又身上は壮健でも日々与え無くして難儀不自由している者もある。これは、「皆面々の心の運び方、日々長い間に通って来た心の理が知らず知らず天の理に背いて来たからそこで重い軽いも高い低いも自然/\に出来て来た」と仰る。

そこで、この度これが気の毒であるから話一条の道をつけてきた。この話の理が分かって成程と思うて、今までと心入れ替えて付き来るならば、大難は小難、小難は無難と心相応心通りの働きをして、いかな守護もせんとゆわん。だから、心の理を入れ替えるなら話一条で自由用という。

それ無い人間無い世界初めたもこの屋敷から初め、またこの度あう人間に珍しい道つけるのも、この屋敷から元なる親が天下っていかな話も皆して聞かして下さるのである。

これまでのいかなる教と言えども、やはり神が人間に入り込んで教えて来たのである。だから、みないかな教えと言えども、悪気を進めるような教えはない。しかしこれを知らずに、皆銘々に自分が考えて教えをするように思うて、口には教を布いてもこれを守らず、自分から外すようになっている。

だから、そこでこの度元なる親が天下って、段々と元のいんねん・人間身の内神の守護・神の自由用をお説き下されて、口と心と行いとが違わんように、話通りの道を通らんならん。

そこでどうせこうせ言わん、誠真実を定めて付き来るならば、いかな自由用もするで、いかなる事も「これかなわん」とはゆわん。「これ助けん」とはゆわん。心の与え通りの守護をする。

なれど神の方にはどうせこうせは言わん、願いがあれば分かるように話し、一通りしておいて、後は一名一人の心通りであると仰る。その心の理によって神が働くので、決して人間が人間を助けるのやない。

この度この話が違わん証拠に、いかな自由用もしてみせる。今までも証拠なくては人が用いない。じゃから証拠にいかな働きもしてみせる。さあこれを見ていかな者でも得心せよ。神の守護でいかなる事もなるのや。

それ人間が人間助けるなら、どういう事でも出来るであろう。よう世界でも言うであろう、医者と言えば病気助ける看板上げている。病気助ける看板上げているくらいなら、人を助ける者が、他人のみか我が身も助かりそうなものや。なれどいかなる利巧発明な医者と言えども、薬が無くば誰一人も助ける事は、これ出来ようまい。

そこでその人より、これ皆元は神様の守護で出来たもの。いかなる利巧発明剛的たる者でも、神の守護が無くしてはどんな事も出来るか。神が守護して働けばこそ、何よの事も皆出来るであろう。それを「皆俺がする。俺が物や」と思って気まま、癇癪、得手勝手を言うたりしている。

さあ、この度人間が自由用しているのか、神が自由用しているのか、これをよう思案してみよ。人間が勝手に自由用しているなら身上不足になって、難儀不自由するものもなけりゃ、又その日/\に困って難儀不自由する者もあるまい。いかほど剛毅剛敵で「俺がどうするこうする」と言うても、神が退けばどうしようもあるまい。いかな者でもどうしようもあるまい。

それでも尚、神の目には可愛い一杯、助けてやりたい一条である。けれども、我がと我が難儀の道に入れば、どうもこれは余儀なき事情である。神の目には高い低いの隔ては無いが、知らず知らずして、悪気に悪気が重なりて、生れ替わり出替わりして、ほこりを積んで、これまで通りて来た理の曇りがある。理の曇りたところへは入り込んで神が自由用する事が出来ん。そこで身に不足という、あちらが不足になり、こちらが不足になる。あれも外れ、これも外れとなり、自分の思うことも立たず、心で思うても自由用する事でけんから、又不足を供えて、不足に不足を重ねて通らにゃならん。

(以下断片的に記してある)

 

丁度ゆわば人間は、

この度の話一条はこの世始めのお話

教祖様は第一世界のひながたと成りてお通り下された

もとなる深きいんねんの理があって万事お話下さるのであります。

この結構な屋敷も結構なお方もわかりませんから

身びいき身勝手のものがこの話聞けば勝手が悪成る先

人を倒したならば自分が倒れるようになるで

それだから程ほど様々な悪い事を言いはやす

段々とご苦労遊ばしたというは右の道

一寸聞くとすれば人間を始めて下された親ならば、この様なものその場で口が利けんようか、足が動かんようかなりそうな者やというけれどそうや無いで、人間の親子の情を思うてみよ、

それを世界にわからんから暇いると仰る。

註(1)国々処々と書くつもりの所である、かく読むべきであろう

 (2)災いの誤りと思われる

 (3)だまつて即ち黙ってと読むべきである

 (4)稿者は「難儀」と書く所を「難義」と省略して書いたものか。

 今回はここまでとします。

次回は、2稿とまとめの話です。

教えを求める参考になれば幸いです。

 

親神様・教祖どうぞ結構にお導き下さいませ。

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